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『ゆみに町ガイドブック』(西崎憲) [読書(小説・詩)]


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これはゆみに町に関するガイドブックであるし、空間的な広がりであるゆみに町のガイドブックであるだけでなく、時間的な広がりであるこの町についてのガイドでもある。そしてわたしの目的は単純だ。目的はあなたにゆみに町という町を知ってもらうことだ。そしてこの町を知った上で、わたしはあなたにこの町の住人になってもらいたいと思っている。もちろん物理的には難しいだろう。転居というものには時間と労力が必要だし、何よりゆみに町はとりあえずはこの記述のなかにしか存在しないからだ。
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単行本p.5


 ゆみに町のガイドブックを書こうとする作家、ゆみに町の担当編集者、裏ゆみに町らしき 「ディスティニーランド」にいるプーさん。それぞれにトラブルを抱えた三人が、実在と非実在のあわいを逃げ続ける。単行本(河出書房新社)出版は2011年11月です。


 ゆみに町についてのガイドブックを書こうとしている作家。彼女は、自分が体験した出来事や、自分の過去、去った恋人のことなど、様々なことを記述してゆきます。しかし、それらはいずれも断片的であり、全体としてまとまったストーリーや物語を構成する、といったことはありません。


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 わたしがいつの頃からか物語が鬱陶しいと思うようになったのは事実だ。一時期は完全に遠ざけようとしたこともあった。けれど、結局は物語から逃れられないこともわたしはよく知っている。書く仕事に関してだけ言っているのではない。わたしたちの生活は物語に支配されている。
(中略)
生や世界には意味などない、少なくとも目的などないことは自明ではないだろうか。だからこそ物語は価値を探すのだろう。聖杯は探されなくてはいけないのだろう。多くの物語の根幹にあるのは探求だった。わたしは探求などはあまりしたくなかった。目の前のものだけでもわたしの生活はすでに混みあっていた。目の前にあるものだけでも十分に素晴らしかった。
 そしてわたしは本を読むようにゆみに町を読みたいと思った。
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単行本p.16


 そんな作家の精神世界らしい架空の国「ディスティニーランド」。そこには、クリストファー・ロビンを探して逃亡を続けるプーさんがいました。


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 デスティニーランドにはキングがいる。
 ジャックがいる。
 そしてうさぎのハニーバニーがいる。
 ワイルドハニーバニーは純白で美しい。雪の白さを湛えた毛並み。そして邪だ。
 デスティニーランドは死の国だ。そこに温かみのあるものは何もない。
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単行本p.85


 それから、そうそう、ゆみに町には担当編集者がついています。過去も、現在も、実在そのものを自由に編集できるソフトを使って、ゆみに町を更新し続けています。ですが、どうやら仕事は苦手なようです。


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 町には時折異常な強度を持った記憶子の集合体が現れる。異常な記憶子の集合体は人間の形をとることもあれば、物や現象の形をとることもあった。(中略)
 前任者は講義をそんなふうにはじめた。それから動的記憶子が実際にどのように特異点を形成するか、どのように時間や空間に影響を与えるかを教えてくれた。多層化や共振といったことについて。
 講義はついで平準化ソフトウェアであるインテグラルの使い方に移った。
 インテグラルは何種類かの記憶子を創造できるし、変成させることも消去させることもできた。けれど簡単に扱えるものではなかった。
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単行本p.75


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 固着や軽度の特異点をインテグラルを使って自分で修正する場合は修正箇所の変化はごく穏やかで、あまり不自然なことは生じない。
 たとえば建物が足される場合も引かれる場合も、ちゃんと工事の期間が挟まれる。人間を足す場合も引く場合も、それなりの手順が見える形になる。しかし、特異点が重度になった場合には緊急性が生じるので、その修正は短期間でなされなければならない。
 大きな特異点の修正は危険な作業だった。修正作業が行われる際には、平準化調整室から日時が知らされた。そのあいだはコンピューターが影響を受けないように通電してはいけないことになっていた。
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単行本p.81


 この現実編集ソフトの機能は素晴らしいのですが、担当者のスキルが低いというか、全般的に仕事できない人だと、修復困難なトラブルを引き起こします。


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 デスティニーランドは少しずつゆみに町に洩れてきているのではないだろうか。キングやワイルドハニーバニーはもしかしたらこちらにいるのではないだろうか。
 プーさんには目的がある。それはクリストファー・ロビンに会うことだ。けれどプーさんはクリストファー・ロビンの姿を知らなかった。
(中略)
 いっぽうキングは人間に似ている。単一のものだ。キングは小柄な人間に似ている。
 けれどもキングは無だ。無なので理論的にはそのなかには世界のすべてが収容される。キングとクリストファー・ロビンは世界がはじまった時からここにいる。
 わたしは夢のなかで悲鳴を上げる。
 塀の向こうを走るプーさん。
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単行本p.107、108


 仕事できない人は、トラブルを隠し、積み重ね、拡大させ、手のつけようのないところまで見守ってから、他人に丸投げするものです。基本です。犬に「役に立たないな、まったく」と言われてしまった編集者は、とうとう「室長助けてください。わたしではもう無理です」と叫ぶことに。室長どこにいるんですか。


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 たぶん、時間あれ、と言った存在は、五次元に属するのだろう。四次元の存在が時間のなかを自由に行き来できるように、それは五つ目の何かのなかを自由に行き来できる。
 では、五つ目の何かとは何だろう。
 それは低次元の我々にもヒントが与えられているはずのものだ。
 ぼくはそれはあるとないだと思う。五次元のものたちは、あるとないのあいだを自由に往ったり来たりしているのだと思う。
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単行本p.103


 というわけで、といってもどういうわけかさっぱり分からないかと思いますが、ゆみに町の混乱と再平滑化のプロセスを描いた長篇小説です。小説に対して、豊かな物語性、きちんとした状況説明、ストーリーの一貫性、など求める読者にはお勧めできませんが、そんなこたあどうでもいいというかむしろ興ざめだからという方、文芸ムック『たべるのがおそい vol.1』に掲載された『日本のランチあるいは田舎の魔女』(西崎憲) に魅了された方、などにはぜひお勧めしたい素敵な一冊。



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『せなか町から、ずっと』(斉藤倫、junaida:イラスト) [読書(小説・詩)]


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 どうやら、気をうしない、ただよっているあいだ、わしのせなかを島とかんちがいした、にんげんやら、どうぶつやらが住みついたらしい。りっぱな町までできていたのには、まあ、おどろいた。
 それが、このせなか町のはじまりというわけじゃな。(中略)
 だれがよんだか、せなか島の、せなか町。わしには見えん、わしのせなかで起こった物語を、時間がゆるすかぎり、あんたに聞いてもらおうかの。
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単行本p.12、14


 自分の名前を落としてしまった子供の話、犬のために流した涙が蜂蜜になった話、どうやって演奏するのか誰も知らない楽器の話、箱の中から出て来ない猫の話……。空色と水色のあいだに、何年も、何百年もただよっているという、とてつもなく巨大なエイ(たぶん妖怪「赤えい」の類)の背中に乗って海を漂う「せなか町」では、不思議なことがごく当たり前のように起こるのでした。
 『どろぼうのどろぼん』の著者による子供のための創作童話。七つの物語から構成される連作短篇集です。単行本(福音館書店)出版は2016年6月。


[収録作品]

『ひねくれカーテン』
『名まえをおとした女の子』
『カウボーイのヨーグルト』
『ルルカのなみだ』
『麦の光』
『はこねこちゃん』
『せなか町から、ずっと』


『ひねくれカーテン』
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「ああ。世界ひろしといえども、こんなにいさぎよい幕引きをしたカーテンは、おれのほかにはあるまいよ」
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単行本p.32

 風が吹けば動かず、風がないときにひらめく。おばあさんの家にあるカーテンは、ひねくれカーテンだと評判でした。あるとき、激しい嵐がやってきて、家とおばあさんを守ろうと決意したカーテンは……。


『名まえをおとした女の子』
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「あのときだわ。おかあさん、おとうさん、わたし名まえを落としてきちゃった」
「なんてバカな子なの。早くさがしてらっしゃい。えーと、あのー、娘や!」
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単行本p.39

 うっかり自分の名前を落としてしまった、えーと、小さな女の子。一所懸命に探すのですが、どうやら誰かが拾っていったようなのです。


『カウボーイのヨーグルト』
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「気のどくな、カウボーイ」
「よしてくれよ。牛もいないカウボーイなんて」
「一頭いたらまだカウボーイよ」
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単行本p.66

 沢山の牛を飼っている天才的なカウボーイ。だがある夜、火事が起きて、家もサイロも牛小屋も失ってしまいます。幸い無事だった牛たちは、しかしもう彼の命令を聞かなくなってしまいました。たった一頭を除いて。


『ルルカのなみだ』
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「うう。はちみつがどんなにだいじでも、てっぽうで撃たれてはかなわん。ほかのやつに、ゆずってやろう。なんといっても、おれは、あのすばらしいはちみつを、いちどは味わったのだから。生きのびて、まわりのクマたちに、つたえなければならん」
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単行本p.85

 子供が犬のために流した涙。それが染み込んで出来た、この世のものとも思えない最高の蜂蜜。蜂からクマへ、クマから猟師へ、猟師からケーキ屋へと渡った蜂蜜は、ささやかな奇跡を起こすのでした。


『麦の光』
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「おれは、きょう、森にしずかにあふれてくる音色を聞いて、たましいがとろけそうだとおもった。むねがほらあなになったみたいにわんわんひびいて、クマのたましいは、こんなところにあるんだって、はじめてわかったくらいだった。どうぶつだけじゃない、むしも、木も、花も、もういのちの消えた落ち葉も、石くれも、森じゅうが聞きほれていたよ。こんなうつくしい音楽が、にんげんたちにだけ聞こえていないなんて、おかしくって、おかしくって」
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単行本p.127

 吹けばいいのか、ふればいいのか、叩けばいいのか。先生も鳴らし方を知らない不思議な楽器「麦の光」を演奏することになった男の子は、何とかして楽器の秘密を知ろうとして色々な人や動物に尋ねまわるのですが……。


『はこねこちゃん』
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「ねこってのは、はこにはいるのが、だいすきなの。なかなか出てくるもんじゃないわ。あたし、ねこについては、ちょっとくわしいのよ」
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単行本p.145

 箱の中から出て来ようとしない猫。いつしか「はこねこ」と呼ばれるようになった猫を、何とか箱から出そうと工夫する町の人々。猛獣をけしかける、エサで釣る、マタタビを使う、居心地のよい家を用意する。でも全員が失敗。特別な方法があるのでしょうか。それとも、もしや、はこねこなんて、最初からいないのでしょうか。そして、犬派の著者による、犬の扱いと、猫の扱いの、この違いはどうなんでしょうか。


『せなか町から、ずっと』
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「なにしろ、何年ぶんも、何百年ぶんも、あるんじゃからな。わしの、このだだっぴろい、せなかいっぱいの話が」
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単行本p.195

 誰にも知られずに何百年ものあいだ「せなか町」を支えてきたエイ。今や老いて漂うばかりの彼が出合った一羽の鳥。若いころの情熱を思い出しながら、物語を語る。自分の背中の物語を。



タグ:斉藤倫
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『LOVE ME TenDER』(構成・振付:近藤良平、コンドルズ) [ダンス]


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伊坂 新作の構想はもうあるんですか?

近藤 中身はまだですが、タイトルは『LOVE ME TenDER』。10回記念を「テンだー!」とシャレて、うちの勝山(康晴)がつけました。

伊坂 ダジャレ偏差値が高い!(笑)。
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公演パンフレット掲載「特別対談! 伊坂幸太郎×近藤良平」より


 2016年6月19日は、夫婦で彩の国さいたま芸術劇場に行って、近藤良平率いる大人気ダンスカンパニー「コンドルズ」の新作公演を鑑賞しました。毎年、この時期になるとさいたま芸術劇場にやってくる恒例の、劇場関係者いわく「地域の皆様にも初夏の風物詩として親しまれている」、コンドルズさいたま公演です。

 今回は第10回という記念公演。といっても、いつものように、人形芝居、紙芝居、コント、その他様々な演目を次々と繰り出しながら、かっちょいいダンスを踊って、最後は近藤良平さんのすげえソロで締めるという、安定のクオリティというか、確実に楽しめる90分。

 タイトロープ(綱渡り)、ロープスキッピング(縄跳び)など、コンテンポラリーサーカスの要素をちゃっかり取り入れつつ、あくまでコンドルズ風に演出してくるところがニクい。水素水って、あんな方法で製造してたのかー。

 場面ごとにテーマとなる色があったりして、照明は派手でカラフル。七色の光線に照らされる群舞は強烈な印象を残します。それと、人形芝居や紙芝居は、何というか、次元の違う出来栄えになっていて、すごい、うーっ、はっ。

 ラストの近藤良平さんのソロはとにかく素晴らしく、思わず息をのんで見守ってしまいます。前回、前々回のさいたま公演とは違って、今回は舞台道具や大仕掛けのない純粋なダンスで勝負。拍手喝采でした。

 そして、恒例の「蜷川いじり」。今回は予想通り追悼ネタで、「さいたま芸術劇場はどうなってしまうんでしょうかっ」とか微妙にシャレになってないことを大声で叫びつつ、

「僕たちコンドルズ・コント班、通称“二軍”は、一度でいいから蜷川さんに舞台を見てもらいたいと思って毎回しょうもないコントを続けてきましたが、それも叶わなくなりました。最後にしょうもないオチを用意しましたので、どうか天国から見て下さい!」
(曖昧な記憶で書いているので引用は不正確。ごめん)と絶叫。

 観客もしみじみ感傷的な気分になったせいで、本当にしょうもないオチで笑う。



タグ:近藤良平
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『楽しい夜』(岸本佐知子:翻訳) [読書(小説・詩)]


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本当に小説とは奇妙なものだと思う。紙に書かれたただの言葉にすぎないし、読む側は物理的には1ミリも動かないのに、どうしてこんなに心をかき乱されたり、遠いところまで連れていかれたり、五感を刺激されたり、目眩や動悸を感じたりするのだろう。そんな基本的なことに、私はいつまで経っても慣れることができない。何度でも馬鹿みたいに驚いてしまう。
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単行本p.234


 岸本佐知子さんが「なんか今、ものすごく面白いものを読んでしまったぞ!」と感じた作品を選んで翻訳した11篇を収録した短篇アンソロジー。単行本(講談社)出版は、2016年2月です。


 お土産がわりにボブ・デュランを連れて里帰り。全身の骨にドリルで穴をあけて蟻の巣を移植。天をつく巨人たちの三角関係。老婦人たちの元気はつらつ死出の旅。突拍子もない、有り得ない設定や状況、それなのに深く心に響いてくる、そんな作品を集めた短篇アンソロジーです。『変愛小説集Ⅰ、Ⅱ』、『居心地の悪い部屋』、『コドモノセカイ』、といった岸本佐知子さんの編集・翻訳による短篇アンソロジーは、テーマの有無に関わらず、とにかくどれも面白い。翻訳小説好きの方には、全部読んでほしいと思います。


[収録作品]

『ノース・オブ』(マリー=ヘレン・ベルティーノ)
『火事』(ルシア・ベルリン)
『ロイ・スパイヴィ』(ミランダ・ジュライ)
『赤いリボン』(ジョージ・ソーンダーズ)
『アリの巣』(アリッサ・ナッティング)
『亡骸スモーカー』(アリッサ・ナッティング)
『家族』(ブレット・ロット)
『楽しい夜』(ジェームズ・ソルター)
『テオ』(デイヴ・エガーズ)
『三角形』(エレン・クレイジャズ)
『安全航海』(ラモーナ・オースベル)



『ノース・オブ』(マリー=ヘレン・ベルティーノ)
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 カリフォルニアに脱出した叔母さんが一人いるものの、彼女はもう絵ハガキの中だけの存在なので、感謝祭に集うのは全部で四人だ。母、ボブ・デュラン、兄そしてわたし。わたしたちは核となるテーブルを囲み、気の抜けた薄味の会話をしながら、コーンやマッシュポテトの皿を回しあう。
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単行本p.31

 たった一人の兄が軍に志願してイラクに派兵されることになったという電話を受けた女性。何とかこじれた兄との関係を修復したいと思った彼女は、ボブ・デュランを連れて里帰りする。そうすれば兄が喜んでくれると思ったのだ……。家族のすれ違いを見事な手際で表現した作品。無言で所在なさそうにしているボブ・デュランが妙に可愛い。


『火事』(ルシア・ベルリン)
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 あたしがいなくなったら、お姉ちゃんどうするの。
 どうするかって? 吐き気に似たうめきが体の奥からせりあがって、泣き声になって口から出る。サリー、あんたはいつもわたしの真似ばかりする。あんたもいっしょに泣きだす。二つのか細い泣き声はどこか遠くて深い場所からやってきた。わたしたちが最初にお互いを知った場所から。
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単行本p.51

 メキシコにいる妹が癌で死にかけていると知った姉が、何もかも投げ捨てて駆けつける。無駄のない緊迫した文章で読者の心を最初から最後までゆさぶり続ける、速射ライフルのような強烈な一篇。


『ロイ・スパイヴィ』(ミランダ・ジュライ)
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この人の命を救うためなら両親を殺せるだろうかと、私は自分に訊いてみた。十五歳のときから何度となくしてきた質問だ。そのたびに答えはイエスだった。でも、その男の子たちはみんなどこかにいってしまって、両親はまだ生きている。もう最近では、誰のためだろうと二人を殺すなんて考えられなくなっていた。病気されるのだって嫌なくらいだ。でも今度ばかりは答えはイエスだった。ええ、殺せるわ。
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単行本p.65

 飛行機で彼女の隣の座ったのは、何とハリウッドの有名イケメン俳優。しかも二人の間には激しい恋愛感情が芽生えて……。どう考えても妄想めいた無茶な話にどんどん切実なリアリティが込められて、最後は切なさが残るという、仰天するような傑作。


『赤いリボン』(ジョージ・ソーンダーズ)
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 その夜、女房があの事故いらい初めて寝室から出てきたので、おれたちはその間に起こったことを残らず話した。
 おれはじっと女房の顔を見た。女房が何を考えているのか知りたかった、自分がどう考えればいいのか知りたかった、女房はいつだってどうすればいいかおれに教えてくれたから。
 一匹のこらず殺して、犬も、猫も。女房は静かにそう言った。ネズミも、鳥も。魚も。もし誰かが反対したら、その人たちも殺して。
 そしてまた寝室に戻っていった。
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単行本p.90

 犬にかみ殺された幼い娘。現場に残された赤いリボン。人々は誓う。こんな悲劇は二度と起こさせない。暴力は決して許さない。犬は全て処分する。猫も。あらゆる動物を処分する。反対する村人も処分する。『短くて恐ろしいフィルの時代』の作者が、暴走する正義の恐ろしさをえがいた作品。


『アリの巣』(アリッサ・ナッティング)
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 地球上のスペースが手狭になったので、人類は全員、他の生物を体表もしくは体内に寄生させなければならないことになった。大半の人は体の中まで入ってこない、フジツボやカツラネズミのようなものを選んだ。女性のなかには豊胸手術をして、詰め物の中に小型の水棲生物を住まわせる人もいた。けれどもわたしは胸の形は最初から完璧だったので(それに、はっきり言って人一倍見た目にこだわる性質だったから)、骨にドリルで穴をあけて、中にアリの巣を作ってくれる医者を探すことにした。
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単行本p.97

 骨のなかに蟻の巣を移植した女性。だが、次第に蟻は彼女の全身を食い荒らし、彼女は蟻と同化してゆく。一歩間違えればギャグになりかねない突飛な発想を貫く幻想小説。


『亡骸スモーカー』(アリッサ・ナッティング)
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 葬儀場で働いている友人のギズモは、ときどき防腐処理の済んだ遺体の髪をタバコのように吸う。匂いは気にならないらしい。ひどい匂いには慣れっこなのだ。彼に言わせると、そうやってしばらく吸っていると、遺体の生前の記憶が映画みたいに頭の中に映しだされるのだそうだ。ただし子供の髪は吸わない。「いっぺんやってみたんだけどさ」と彼は言う。「それからまる二日間、同じ犬が頭の中で何度も何度も死ぬんだよ」
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単行本p.113

 死者の髪の毛を巻き煙草にして吸う癖のある男に、何とかして自分の髪を吸ってもらおうと奮闘する女性。『アリの巣』もそうですが、この作者、変愛小説界の新たなエースではないでしょうか。


『家族』(ブレット・ロット)
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 夫婦は並んで立っていた。たった今、ここで何かが起こったことを二人とも知っていた。とてつもなく大きな何かが。そして言葉を交わすまでもなく二人は理解していた――その何かはすでに終わってしまったのだと、来て、そして去っていったのだと。
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単行本p.141

 夫婦喧嘩の最中に、幼い子供たちが指先ほどのサイズに縮んでしまった。それはまあいいとして、困ったことに生意気なティーンに成長していて親をばかにするのだ。家族というつながりの嘘っぽさを暴きまくる短篇。


『楽しい夜』(ジェームズ・ソルター)
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シルクのワンピースや、黒くて脚をやわらかく包む裾の広がったパンツや、そんなのをジェーンもヴェニスで着たかった。大学で、彼女は一度も恋愛をしなかった――一度もしなかったのは知るかぎり彼女ひとりだった。今はそれが悔やまれた。一度くらい恋愛しておけばよかった。そして窓とベッドしかない部屋に行きたかった。
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単行本p.161

 夜を楽しむ三人の女友達、うきうきガールズトーク。いかにもTVドラマ風のしゃれた楽しい話だと思わせておいて、読者の予想を鮮やかに裏切ってくる感傷的な短篇。


『テオ』(デイヴ・エガーズ)
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テオはソレンに済まないような気になった。男が二人に女が一人、数字は残酷だ。三人目はどうすればいい? ソレンのつらい立場を思うと、テオは胸が痛んだ。
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単行本p.172

 あるとき、山が立ちあがった。続いて近くの山も。今まで巨人が眠っていたのだ。ついに目を覚ました三人の巨人。そして始まる三角関係。壮大なスケール、やっていることはありふれた三角関係と失恋のうじうじ、ギャップが目眩をさそう短篇。


『三角形』(エレン・クレイジャズ)
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もう一つの薄いピンク色の三角形形には、べつの説明書きがついていた。〈ナチス、同性愛者のワッペン 1935年頃 $75〉。
 マイケルは、そのピンク色の小さなフェルト片をまじまじと見つめた。かつて自分のような男が身にまとったであろう印。
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単行本p.189

 ゲイである主人公は、恋人と喧嘩して浮気したことを後ろめたく思い、仲直りのプレゼントを探そうと骨董品店に入る。そこで見つけたのは、ナチスが使用した「同性愛者の印」だった。同性愛者に対する迫害の歴史をもとにした、トワイライトゾーン風の恐ろしい物語。


『安全航海』(ラモーナ・オースベル)
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 祖母たちが気づくと、そこは海の上だ。なぜそんなところにいるのか、何十人もの彼女らにはわからない。(中略)
 沈みゆく陽に、船は赤く染まる。デッキの上には女たちの小さな輪がいくつもでき、それが星座のように一面に散らばって、さながら高校のカフェテリアだ。最初のうちは忘れていた心配ごとを思い出して、彼女らはあれこれ心配を始める。滑りやすいデッキは、転んで股関節を傷めるのを恐れる者たちの気を大いにもませる。冷蔵庫の中に何もないのに家に置いてきてしまった夫のことも心配だ。きっと今ごろ猫がカウチの頑丈な脚に爪をたてているにちがいない。祖母たちなしではカウチは生き延びられないだろう。もうカウチはおしまいだ。そんなことを彼女らは話す。肩を寄せあって風をしのぐ。
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単行本p.207、211

 病院や家で死にかけていた老婦人たちが、気がつくと船の上にいる。どうやら死出の旅というやつらしいのだが、とにかくみんなでおしゃべりをしたり、積み荷を確認したり、魚を釣ったり、最後のときをエネルギッシュに過ごす。設定は暗いのに、明るさと力強さに満ちた素晴らしい物語。



タグ:岸本佐知子
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『食堂つばめ7 記憶の水』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]


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本当は自分の頭の中にしか存在しない街なのかもしれない――と思うこともある。単なる自己満足でしかない訪問であり、自分の欲望を具現化しただけの街に意味など求めるのは間違っているのかもな、とたまに考える。
 しかしそれならば、ノエの悲しみや無念さはどこから来るものなのか。
 ノエの楽しかった思い出も甦ってほしいと思うのは、なぜなのか。
 そんなことを考えながら、秀晴は今日、街を歩いていた。どうやったらノエの記憶が戻るのか、ということは、食堂つばめではなんとなく禁句のようになっている。
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文庫版p.113


 生と死の境界にある不思議な「街」。そこにある「食堂つばめ」で思い出の料理を食べた者は、生きる気力を取り戻すことが出来るという。好評シリーズ第7弾は、ノエの失われた記憶をめぐる話を含む四編を収録した短篇集。文庫版(角川書店)出版は2016年6月です。


 「街」を訪れた臨死体験中のゲストが、四人のレギュラーとともに食堂つばめで美味しいものを食べるシリーズ。第7巻は、ハンバーグを中心に飲み物(川の水ふくむ)を配置した一冊となりました。


『ある歌手の死』
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 ここにいれば、永遠に歌っていられるのかもしれない。あるいは、こんな最高なライブを最後の思い出にして、死んでしまうのもいいのかも――。
 その時、思い出した。このライブは、ノエのためにやったんだって。なのに、自分のことだけを考えて、歌ってしまった。多分、彼女は「それでいい」と言うだろう。でも、約束したんだ、俺は自分で。密かに。
 俺の歌が好きなら、それを思い出させてやるって。
 あれ? それって別に彼女のためじゃないなあ。
 ノエを見ると、彼女は楽しそうに笑っていた。手を叩いて、身体を揺らして。
――――
文庫版p.48

 「街」にやってきた著名な歌手。ノエが失った記憶を取り戻す手助けになるかもということでワンマンライブを開く。聴衆は食堂つばめのレギュラー四名。このまま死んじゃうくらい最高のライブを演ってやるぜ、臨死体験中だけどな。暗めの切ない話が多いシリーズ中で、1,2を争うくらいノリのいい明るい物語。


『内なる声』
――――
 それから毎日、潮はノエにこき使われ――いや、料理を習った。
「すぐに生き返れるって言ってなかったっけ?」
 グズグズしてたら生き返るタイミングを逃してしまうのでは? そしたら、本当に死んじゃう!
「修業をしたあとに生き返っても、同じことなので大丈夫です」
 とノエは言う。修業って……死んでからそんなことするなんて、思ってもみなかった。しかも、生き返ったら忘れてしまうかもしれないって、だいぶたってから教わった! ひどい! なんてブラックな食堂だ!
――――
文庫版p.89

 いつもコンビニ食品やスナック菓子ばかり食べているせいで味覚が麻痺している少年。心から「おいしい」と思って食事をしたことのない彼に、ノエは料理の基礎を徹底的に仕込むことにする。自分で食べるものを自分で作る、誰かに食べさせるために料理する。そんな基本を覚えたことで、少年の生活は着実に変わってゆくのだった。それはそれとして、ハンバーグうまそう。


『記憶の水』
――――
目下の問題は川の水だった。もしかしてこの水は、ありとあらゆる人の記憶のプールなのではないか、と思ったのだ。
 この中には、おそらくノエの記憶もあるはずだ。
――――
文庫版p.121

 ノエの失った記憶を取り戻してやりたい。(ただ食べるだけでなく)色々と努力している秀晴だが、どうやらノエの記憶にも、「街」の仕組みにも、彼の知らない事情が色々とあるらしい。この謎めいた話は、著者いわく「次巻へ続いている物語」とのこと。待ちましょう。


『ひかりの子』
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 薫子は、自分の小説の話をした。それは、気恥ずかしくて生きていた頃はほとんど語らなかったものだ。語りたかったけれど、語らなかったものだったんだろうか。今はどんどん口からほとばしる。
 仕事が好きだった。ずっと、死ぬまで続けられて幸せだった。その代償もあったかもしれないし、不幸と思う時だってあった。
 でも、あの夏の日から始まった物語を書くという行為を仕事にできて、自分は幸運だったな、と思うのだ。
――――
文庫版p.185

 幼い頃、秘密の場所で、友達に夢中で物語を話した、あの夏の日々。それが彼女の作家としての原点だった。不思議な「街」でその友達と再会した彼女は、思いがけない真実を知ることになる。「業界的にある程度名が知られていて、自分にしか書けないものを書いていれば、仕事は来る。というか、わたしには来た」(文庫版p.173)という独白がリアル。


 なお、「あとがき」で重大発表がありますので、映画館ではエンドロールで席を立ってしまうという方も、どうか最後までじっくりお読みください。



タグ:矢崎存美
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