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『流』(東山彰良) [読書(小説・詩)]

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わたしはわたしなりに、あの日から十年ぶんまえへ進んだ。人並みに軍隊で揉まれ、人並みに手痛い失恋を経験し、人並みに社会に出、人並みにささやかなぬくもりを見つけた。出会いがあり、別れがあり、妥協し、あきらめることを覚えた。それはそれで大人になるということだが、これ以上心を置き去りにしては、もう一歩たりとも歩けそうになかった。
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Kindle版No.4699

 蒋介石総統が亡くなった直後、祖父は殺された。犯人は、そして、動機は。10年かけて探し求めた真相と向き合うため、主人公は大陸へと向かう。1970年代後半、戒厳令下の台湾で青春時代をおくった一人の青年の物語。単行本(講談社)出版は2015年5月、Kindle版配信は2015年5月です。


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 子供のころ、わたしは祖父から戦争の話を聞くのが大好きだった。
(中略)
 祖父はけっして生々しい話をしてはくれなかった。祖父が亡くなったあとに父から聞かされたところでは、祖父たちは抗日戦争のころから、つまり共産党と戦うまえから、弾薬を節約するために捕まえた敵は生き埋めにしていたということだった。
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Kindle版No.201、


 国共内戦を生き延びた祖父。戒厳令下の台湾に生きる高校生の「わたし」こと葉秋生(イエ・チョウ・シェン)。この、頭がよく、情に厚いのに、喧嘩っぱやい若者が主人公です。不良の友達と組んでは、たいていろくでもない目にあっています。


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友達が人生最大の危機に瀕しているのに、もしここで袖手傍観などしてしまったら、わたしはこれから先、臆病さを成長の証だと自分に偽って生きていくことになるだろう。そんなふうに生きるくらいなら、わたしは嘘偽りなく、死んだほうがましだと思う。人には成長しなければならない部分と、どうしたって成長できない部分と、成長してはいけない部分があると思う。その混合の比率が人格であり、うちの家族に関して言えば、最後の部分を尊ぶ血が流れているようなのだ。
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Kindle版No.3064


 そういう性格なので、やたらと起きる喧嘩や乱闘(不良少年同士のタイマンから、ヤクザの根城への銃声轟く殴り込みまで)。切ない初恋、兵役、そして幽霊譚。台湾の青春映画を思わせる劇的なシーンがぎっしり詰まった小説です。

 物語は必ずしも時系列順には語られず、余談めいたエピソードもぽんぽん挟まれるのですが、少しも読みにくくならないところが素晴らしい。

 70年代から80年代にかけての台湾および台湾人の描写がまた印象的で、まるで自分自身の思い出であるかのように活き活きと心にせまってきます。家族、友人、知人、恋人。そして『歩道橋の魔術師』(呉明益、天野健太郎:翻訳)の舞台としてもおなじみの中華商場。


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 中華商場は、中華路に沿ってえんえん一キロ以上南北にのびる鉄筋コンクリート三階建ての複合商業施設である。(中略)
横並びの店面は客の方向感覚をたぶらかす似たり寄ったりのつくりで、地元の者でさえ一度入った店に二度とたどり着けないことがしばしばだった。その灰色の通路に立つと、まるで合わせ鏡のなかにいるみたいに頭がくらくらした。(中略)
どんなに天気のいい日でも、中華商場の上だけどんより曇っているような感じだった。もしもここを舞台に映画を撮るなら、うっかり迷いこんだ客を店の奥へと引きずりこみ、中華包丁でバラバラにするようなストーリーがぴったりだった。
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Kindle版No.1027、1030、1036


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「それでもどうにか生きていかにゃならない、こうやって豆花を一杯一杯売ってね。たいした稼ぎもないが、まあ、食ってはいける。それが大事なんだ、そうでしょ? 今生の苦しみから逃げてちゃ、あの世で清らかな幽霊になれないからね」
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Kindle版No.1961


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「信じる、信じないじゃない」と、明泉叔父さんは言った。「そういうことはあるんだ」
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Kindle版No.1751


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わかるか、秋生、ヤクザやって汚え金をしこたま稼いだところで、おれが食いたいのはけっきょく一皿十元の臭豆腐なんだ、小学生が学校帰りに買い食いするようなもんのためにわざわざ刺されたり撃たれたりする必要なんかねえ、なあ、そうだろ、臭豆腐と焼餅油条、それがおれの幸せなんだーー
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Kindle版No.4738


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「だから大学へ行けよ、葉秋生」煙草を踏み消しながら、雷威が言った。「このまま終わりたくなけりゃな」
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Kindle版No.3738


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「あたしね、自分の人生はそんなにひどいことにならないんじゃないかなあって思ってるんだ。なんの根拠もないけど。そのあたしが秋生を選んだの。秋生はあたしが選んだ人なの。だから、きっと大丈夫よ」
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Kindle版No.3407


 次から次へと起きる事件を貫いて、全体の統一感を高めているのが、祖父が殺された事件です。


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 あのころ、なぜ自分があんなふうに偏執的ともいえる熱心さで犯人捜しをしていたのか、いまとなってはよくわからない。居ても立ってもいられなかったのはほんとうだ。じっとしていると、なにかよくないものが体にどんどん溜まっていくような気がした。もしかすると受験という現実から目をそらしたかっただけなのかもしれない。受験に失敗したときの言い訳を、ちゃっかり用意しようとしていたのかもしれない。おれは一生懸命やったんだ、だけどじいちゃんを殺したやつがのうのうと生きていると思うと、云々。
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Kindle版No.2117


 大陸で何十人もの民間人を惨殺したという祖父。犯人はその遺族なのか。だとしたら、なぜ犯人は復讐をとげるのに20年以上も待ったのか。国共内戦、その時代を理解することが鍵となります。


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これが怨恨がらみだとすれば、その恨みが生まれた場所は中国大陸以外に考えられない。だとすれば、犯人は外省人だということになる。わたしは空想した。台湾へ逃れ落ちる国民党の船に、まるでガラスの破片のようにまぎれこんだ復讐者の姿を。
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Kindle版No.623


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「わしがおまえの家族を殺して、おまえがわしの家族を殺す。そんな時代だったんだ」
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Kindle版No.2428


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「共産党も国民党もやるこたあいっしょよ。他人の村に土足で踏みこんじゃあ、金と食い物を奪っていく。で、百姓たちを召し上げて、またおなじことの繰り返しだ。戦争なんざそんなもんよ」
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Kindle版No.221


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「道中、飯を食わせてくれたのがたまたま国民党の兵隊だったわけよ」郭爺爺はずっしりした煙を吐き流した。「あれがもし共産党じゃったら、わしらもみんな共産党についとったはずさ。人の一生なんざ、そんなもんよ。だれのためなら命を投げ出せるか、そうやって物事は決まっていくんだ」
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Kindle版No.457


 戦争なんざ、人生なんざ、そんなもんよ。ありあまる悲惨さにも関わらず、あるいはその悲惨さゆえに、どこかふてぶてしい明るさを捨てない老人たち。『台湾海峡一九四九』(龍應台、天野健太郎:翻訳)にも書かれていた、あの雰囲気です。

 ついに真相に辿り着いた主人公は、それを確かめるために大陸へと渡る決意をします。戒厳令下の台湾から、日本を経由して、偽造パスポートで中華人民共和国へ。戻ればスパイとして拷問処刑されかねないリスク。いやその前に、祖父に殺された人々の遺族に見つかれば叩き殺されるかも知れません。


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 人は同時にふたつの人生を生きられないのだから、どんなふうに生きようが後悔はついてまわる。中国に行っても後悔するし、行かなくてもやはり後悔する。どうせ後悔するなら、わたしとしてはさっさと後悔したほうがいい。そうすればそれだけ早く立ち直ることができるし、立ち直りさえすればまたほかのことで後悔する余裕も生まれてくるはずだ。突き詰めれば、それがまえに進むということなんじゃないだろうか。
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Kindle版No.4822


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食うことと命を預けることはおなじことなのだと、このときあらためて腑に落ちた。祖父たちは、いっしょに食うこと、ちゃんと食うことに大きな意味があった時代に生き、そのために命を張ったのだ。(中略)
わたしは食べた。やはり美味くはないが、祖父の血と骨と、そして中国を丸ごと食べているような気がした。
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Kindle版No.5109


 というわけで、台湾の近代史を背景として、ミステリと青春小説を合わせてダシをとり、映画的シーンを次々と放り込んで煮立てたような長篇小説です。暗い展開にも関わらず、決してユーモアを忘れない精神、随所から感じられる人生に対する責任感、そういった明るい力、実際に台湾に行けば人々から感じとれるあの不思議な熱気が、作品全体を覆っています。お勧めです。


タグ:台湾
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『バレエの世界へようこそ あこがれのバレエ・ガイド』(リサ・マイルズ、英国ロイヤル・バレエ:監修、斎藤静代:翻訳) [読書(教養)]

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敷地面積は10,000平方メートルもの広さ! 働いているスタッフは900人以上、1年の公演は400回以上、1回の公演で2,200人以上の席が用意されます。
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単行本p.19

 英国ロイヤル・バレエ全面監修による、親子で楽しめるバレエのガイドブック。単行本(河出書房新社)出版は2015年3月です。

 一瞬、英国ロイヤルバレエの写真集かと思うような大型本です。全ページ美しいカラー写真が掲載されており、またすべての漢字にふりがなが振られているので、子供が自力で読むことも出来るでしょう。

 バレエの歴史から始まって、英国ロイヤル・バレエ団の紹介、ステージを支える様々な仕事、バレエ・スクール、名バレエダンサー、名作バレエの紹介、などが易しく解説されています。

 感心させられるのは、「舞台で見るバレエ」のことよりもむしろ、バックステージというか、英国ロイヤル・バレエ団で働いている人々の様々な仕事を詳しく紹介してくれるところ。


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『くるみ割り人形』の雪の精のスカートを36着つくりなおしたことがありましたが、そのときには一日に1着しかできませんでした。『オネーギン』の衣装ぜんぶと『白鳥の湖』の白鳥たちの衣装40着も、おなじときになおさなければならなかったからです。
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単行本p.31


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英国ロイヤル・バレエのダンサーたちは、毎年6000足のバレエシューズと6000足のトゥシューズをはきつぶします。シューズ部門は、リハーサルから本番までダンサーがこまらないように、じゅうぶんにシューズを用意しておきます。
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単行本p.37


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テクニカル・チームは、まずツアー先をたずねて、大きさや設備がちょうどいい劇場があるかどうかたしかめます。近くにリハーサル用の会場があるか、交通やホテルなどが便利かどうかもしらべます。これはツアーの1年以上も前の仕事で、そのあと本番の数か月前に、衣装やセットなどを船やトラックで運びこみます。
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単行本p.43


 紹介されている仕事は、振付、オーケストラ(指揮者)、舞台美術、小道具、照明、衣装、ドレッサー、シューズ、メイクアップアーティスト、芸術監督、テクニカルチーム、バレエ・マスター、バレエ・ミストレス、レペティトゥール、教師、スケジュール管理、ノーテーター、ピアニスト、舞台監督。

 健康管理部門だけでも、チームリーダー、スポーツ科学専門家、理学療法士、軟部組織療法士、スポーツ医、精神科医、ピラティス/ジャイロトニック・インストラクター、栄養士、リハビリ・コーチ、という具合に細分化された仕事が紹介されます。

 さすがの英国ロイヤルバレエ全面監修、ほとんど就職ガイド。子供たちに、あの美しい舞台を支えるためにどれほど多くの人々が裏で働いているか、そしてダンサーにならなくてもバレエのために働ける仕事はいくらでもある、ということを教えてやる、という気合が感じられます。

 バレエの舞台には興味があるけど、初めてなのでどれを観ればいいのかよく分からない、という方のためのガイドも充実しています。


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はじめて見にいくのなら、フレデリック・アシュトンの『ラ・フィユ・マル・ガルデ(リーズの結婚)』がおすすめ。(中略)
有名な作品はDVDになっていますから、どれでも好きなのをえらべます。はじめて見るなら、『くるみ割り人形』『コッペリア』『ピーター・ラビットと仲間たち』がおすすめです。
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単行本p.76、77


 というわけで、子供のためのバレエ入門書として大変おすすめの一冊。子供たちのバレエに対するイメージが、夢のようにふわふわしたものから、大勢の人によって支えられている現実の(そして憧れの)仕事、というイメージに変わるといいですね。

 余談ですが、掲載写真リストに崔由姫(チェ・ユフィ、Yuhui Choe)さんの名前があったので、あわてて探したのですがどうにも見つからず、困惑しました。実は、あまりにも目立つところに、ばーん、とフルページ掲載されていたので、かえって見逃していたのでした。後で確認したら、写真リストにはちゃんと掲載ページ数も明記されていた、というオチ。これから読む人は注意しましょう。


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『舵を弾く』(三角みづ紀) [読書(小説・詩)]

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うまく生きることは
狡猾ではないのかもしれない
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『洗礼』より


 日々の暮らしを限りなく切実にいとおしくしてしまう詩集。単行本(思潮社)出版は2015年7月です。


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うつくしい抵抗はやめておいて
親切な音は支配するから
からから いう
からから なきながら
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『サーモスタットの町並みが伸びて』より


 生活というものを、想像したこともなかった方角から眺めたような、そんな新鮮な驚きを感じる作品が集まっています。


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時折、
じぶんに
あたらしい名前を
つけたくて
逃亡者として移住する
わかっている わたしは
ほんとうはやさしいから
身体の空気を冷たくして
ほんとうは全て憎みたい

あたらしいわたしの人と
春になったら森へ行く
ほら、あの病院の近くの。
あなたが提案したのでしょう。
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『つめたい珪砂』より


 個人的には、キメとなる一文の鮮やかさに心をつかまれます。「あなたが提案したのでしょう。」とか。「わたしたちかなしい」とか。「ひとびとは大地を割れない。」とか。「何度でもわたしが満ちる」とか。


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事務的にすりつぶした骨をひどく事務的に知らない海岸線にまいてほしい。わたしが、生前、愛着もなにも持っていなかった名前も知らない海面にまいて、それからひとびとは何事もなく帰宅してお茶やらアルコールやら飲んで、一夜あけたら仕事へでかけるだろう。そのひとびとがしんだとしても驚かないでほしい。毎朝、薬罐を火にかけるような日々であればよい。毎晩、他人をにくんだりあいしたりすればよい。
ひとびとは大地を割れない。
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『この家』より


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騒々しく鳥の鳴く、
満たされることが
ない朝が今朝が今
わからないままに
わかってしまって
満たされることは
こわいから鳴くものは遠のいて

腹をたてながら安堵する
何度でもわたしが満ちる
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『途方に暮れても日々は』より


 その、キメの一文に持ってゆくまでの、劇的な、でも妙に理知的な構成を感じる、畳みかけというか、加速感。とてもいい。

 いいと言えば、そもそもタイトルからしてぐっとくる作品が多いです。


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逃げたいと願った、
君は失敗した、
わたしも失敗するでしょうねーー
とうとう暮れて
中庭は湿ったまま

ふけても ふたり
地図を描いている
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『宿り木と巣の区別がつかない』より


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だれもいないと
信じて
真夜中に舞う
意識があらゆる
上半身を揺らし
ちっとも根づかない
わたしは かなしい
だれも いなくとも
わたしは かなしい
信じることのできる
わたしたちかなしい
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『木曜日、乞い』より


 大半の詩は、しんみり、という読後感であるべき作品のように思えるのですが、なぜか実際には高揚感の方が勝ってしまいます。そこだ、そこで決めの一言が、うああ、キマったああ、みたいな。なんだそれ。私だけでしょうか。誰もがしているのに誰とも違う、生活のような詩集だからでしょうか。


タグ:三角みづ紀
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『驚きの皮膚』(傳田光洋) [読書(サイエンス)]

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私はこれまで、個体と環境の境界である皮膚が、現代人類の自己意識や、社会性の形成に果たしてきた役割について考えてきました。そこで、本書では人間社会に存在するシステムについても皮膚科学の立場から考察してみようと思い立ちました。
(中略)
まずは身体システムと、それと環境との境界を成す皮膚が、そもそもどんなもので、どんな能力を持っているのかを捉え直すこと。そしてさまざまなシステム、単純な物理現象から進化論、そして今の私たちがシステムを担う基礎となる文化や言葉の起源、そこまで議論を広げ、私なりに、これからどのような未来が私たちを待っているのか、そこまで空想を広げてゆきたいと考えています。
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Kindle版No.62


 人体最大の臓器、皮膚。それは身体と環境との境界にとどまらず、それ自体が知性や記憶を持ち、私たちの無意識を作り上げている。さらには言語や自意識、文化芸術、そして社会システムまでもが、実は皮膚にその起源を持つのではないか。皮膚科学の第一人者が、様々な知見と実験結果から導き出した刺激的な論考。単行本(講談社)出版は2015年7月、Kindle版配信は2015年9月です。


 『皮膚は考える』『第三の脳』『賢い皮膚』『皮膚感覚と人間の心』など、これまで皮膚科学のフロンティアを紹介してきた著者による最新作。私たちの心は皮膚によって生じている、という仮説をさらに押し進め、社会システムや文化芸術と皮膚との関わり、という壮大なテーマに挑んだ一冊です。全体は7つの章から構成されています。


「第一部 境界に存在する知能」
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単細胞生物、ロボット、そして樟脳のかけら、と、どれも「知能」があるようにふるまう現象を紹介してきましたが、それら、いずれについても「脳」のような中央情報処理機構もなく、プログラムもありません。ただ、それらの「身体表面」と環境との相互作用から、あたかも「知能」があるような動きがもたらされるのです。言い換えれば「境界に知能が存在する」のです。(中略)私は皮膚という、この優れた境界にも「知能」が存在し、それが私たちの判断や行動に影響を及ぼしていることは、明らかだと考えています。
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Kindle版No.207、237

 脳のような中央処理機構なしに見事に行動し、環境にうまく適応して生きている生物、さらにはそれをモデルにしたロボットの研究。そこから、「脳」のような集中処理を必要とするものだけでなく、環境との境界面に薄く広がっているような「知能」の在り方を示します。


「第二部 皮膚について」
「第三部 皮膚の見えざる能力」
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私はこれまでも自著の中で、皮膚について多くを語ってきました。人間の皮膚が、触覚だけでなく、ある意味で、聴いたり、見たり、嗅いだり、味わったり、さらには学習したり、予知したりといった驚くべき多様な感覚を持っているという事実についてです。
(中略)
さて、これから、「皮膚に聴覚がある」だの「視覚もある」だの、とんでもない話を書いていきます。興味深く読んでいただけるような実験やエピソードも、なるべくたくさん紹介したいと思っています
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Kindle版No.410、655

 皮膚に関する基礎知識からはじまり、聴覚、視覚、記憶、知能、予知能力など、これまでの著書でも扱われていた皮膚の知られざる機能が改めて紹介されます。「海外の皮膚科学の研究者の間では「ケラチノサイトに存在する受容体をあれこれ見つけてくる変な研究者」として、多少の知名度があるようです」(Kindle版No.894)という著者が発見した、皮膚の能力には、驚くばかりです。


「第四部 皮膚とこころ」
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人間の皮膚が単なる境界ではなく、環境の情報を感知し、ある程度の情報処理を行い、さらにそれに基づいて、適切な「指令」を全身、そしてこころにまで及ぼしうることが、理解いただけたと思います。私たちは意識することができませんが、これだけの機能を持った皮膚は、人間という生き物のさまざまな面に影響していると考えられます。
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Kindle版No.1086

 「私たちが、手触り、硬さ、柔らかさ、重さ、温度という触覚体験によって、自ら意識しないうちに、他人のイメージ、自分の判断が影響されていること」(Kindle版No.1157)を示す様々な実験結果が紹介され、私たちの無意識はどうやら皮膚情報によって構成されているらしいことが示されます。


「第五部 皮膚がもたらした人間の機能」
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人間は、他の動物にはない特性を持っています。「言語をあやつる」こと、「意識を持つ」こと、そして冒頭で示したような、「さまざまなシステムを生み出す」ことです。私は、これらの特性も、人間の皮膚が、その起源になったのではないかと考えています。
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Kindle版No.1183

 いよいよ本書で新たに示される仮説へと進んでゆきます。言語、自意識、社会システム、それらの起源も皮膚にある、というのです。


「第六部 システムと個人のこれから」
「第七部 芸術と科学について」
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私は、この「システム」の暴走と表裏一体をなしているのが、「意識」だけが人間の認識、判断、行動を担っているとする誤解だと考えています。初めは、より生存を有利にするため、「意識」という脳の現象が生まれました。「意識」がシステムを作る方向へ向かったのも、当初は人間の生存のためでした。しかし現代では、それがむしろ災厄をもたらすものになった。
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Kindle版No.1562

 人が集団を作り維持するためのシステム。もともと個人が生き延びるために必要だったそのシステムが、個人を抑圧するようになり、私たちは様々な疎外に悩み苦しむようになった。それはなぜなのか。これからどうすればいいのか。「意識」の起源というテーマから、この難問に挑んでゆきます。


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 これまで述べてきたように、人間は大きな脳を持ち、そのために複雑な道具や言語や社会組織を作り出してきました。その原点には皮膚感覚の存在が大きな寄与をなしてきたと私は考えています。
 皮膚感覚が意味を保つシステムでは、個人の存在がないがしろにされる可能性は低いでしょう。なぜなら視聴覚情報システムの海に溺れていても、皮膚感覚は、個人を取り戻すきっかけになるからです。皮膚感覚だけは個人から離れて独り歩きすることはないのです。
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Kindle版No.1733


 というわけで、これまでの著書の内容をコンパクトにまとめた上で、さらにその先へと論考を進める最新作。最後の方は、皮膚から離れて思索に耽ってしまった感はありますが、これまでの著作を読んできた方もそうでない方も、基礎から皮膚について知ることが出来る一冊です。特に皮膚科学に馴染みのない方は、皮膚のイメージが刷新されることでしょう。



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『水と祈り(ミズトイノリ、water angel)』(勅使川原三郎、佐東利穂子、鰐川枝里、カンタン・ロジェ) [ダンス]

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水平線に降り立つ
共鳴する
水面と皮膚
無抵抗の虚無
捉えて
離さない情愛が
両腕を締めつける
水に包まれて生まれ
水に包まれて死する
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「水と祈り」(勅使川原三郎)より


 2015年9月6日は、夫婦でKAAT神奈川芸術劇場に行って勅使川原三郎さんの公演を鑑賞しました。勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんを含む四名のダンサーが踊る公演時間1時間の舞台です。

 何もない舞台の床に、照明の光によって水面が作られ、ゆっくり、じんわりと、波紋が広がってゆきます。そこに立ち、水中のように緩やかな動きで身体を流し、ときには濁流のように激しく身体を迸らせる、勅使川原三郎さんと佐東利穂子さん。すげえ。

 一方では、くっきりとした光の線が舞台を区切り、越えられない境界を作り出して、身体を閉じ込めます。

 KAAT中スタジオの、観客席から舞台を見下ろす構造を活かした照明効果は素晴らしく、その演出には凄みがあります。観ているだけで、水面下に引き込まれそうな不安を覚えるほど。

 勅使川原さんと佐東さんの、人外レベルというか、超絶的なダンスはいつもの通り圧倒的なのですが、合間に走り込んできて踊ってくれる鰐川枝里さんとカンタン・ロジェさんのダンスも素敵でした。

 特に鰐川枝里さん。ああ、ヒトが気合入れて踊っているなあ、呼気、かっこいいなあ、という安心感。今後のKARAS公演でも、がんがん踊ってほしい。

 余談になりますが、終演後、ふと、今大きな話題となっている「トルコの浜辺に打ち上げられたシリア難民の子供の写真」を思い出して、ぞっとしました。いや、もちろん偶然なのですが、しかしその、暗号というか、シンクロニシティというか。

 越えられない境界。水に包まれて生まれ、水に包まれて死する。水と祈り。water angel。芸術家はときにこういったことをするから心底恐ろしい。


[キャスト他]

構成・演出・振付・照明・美術デザイン・選曲: 勅使川原三郎
出演: 勅使川原三郎、佐東利穂子、鰐川枝里、カンタン・ロジェ


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