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『まどろみのしろ』(構成・振付・出演:高橋萌登) [ダンス]

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わたしはよく夢を見ます。とてもリアリティのあるものです。
色も会話も触感も匂いもある。最近は味もわかるようになりました。
人の2倍生きてるんじゃないかと思う時があります。
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高橋萌登

 2015年9月17日は、夫婦でplan-Bに行って、高橋萌登さんの公演を鑑賞しました。KENTARO!!率いる東京ELECTROCK STAIRSの公演で何度か観て、そのかっこよさにシビれてきた、高橋萌登さん、初のソロダンス公演です。上演時間50分。

 動物の置物たち、ぞうさんの如雨露、ハンガーで吊るされた衣装(公演中に何度も着替える)、天井から降りてくる靴、ミラーボール、壁にいくつもかけられている提灯のような灯。地味な舞台道具を駆使して、やってみたいことを次々とやってみた、という感じの舞台です。

 激しく踊るシーンは予想より少なめ。手足を細かく動かして何か試してみたり、四角の形(おそらく窓か鏡)を指でなぞってみたり、壁に手をついて上から照明を当てて影を長く床まで伸ばしてみたり、着替えたり、ミラーボール回してみたり、動物の置物に水やりして後で“収穫”したりと、脈絡なく“夢”を彷徨っています。

 正直、夢のシーンにはあまりぐっと来なかったのですが、アップテンポの曲に合わせて踊り出すと、ぐぐっと惹き付けられます。鋭い連続ターン、トルネードのような魅力的な手の動き、何かが爆発的に発散されているようなパワー、ひらりひらりと跳躍しながら、オフバランスで旋回きめてかっこいいポーズをびしっと。そんで止まらないし。

 もうちょっと、がんがん踊って欲しかったという気もしますが、がんがん踊るだけが高橋萌登と思うなよ、という挑戦的なものも感じられますので、今後どうなるか楽しみです。また観に行きます。

 余談ですが、KENTARO!!さんが、ものを運んだりエアコンの調整をしたり客にトイレの場所を教えたりと、スタッフとしてかいがいしく働いていたのも好印象でした。


タグ:高橋萌登
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『父を見送る』(龍應台、天野健太郎:翻訳) [読書(随筆)]

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流れる川を見る。おだやかな、でも爆発的な力をうちに秘めた川の流れを見る。川原で日光をいっぱいに浴びた水牛と、山のほうから走ってくる子供たちを見る。太陽が岸辺のヨシの穂を、ひと筆ひと筆金色に変えていくのを見る。川の流れにできた渦巻きをひと筋ひと筋、数えるように見る……。(中略)
どうあがこうと、そうとしかならない。時間は、どんなふうでもただ流れていく。いかなる時間も場所も、例外なく私を受け止めてくれる。すべてはいい時間、いい場所だ。
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単行本p.220

 両親、自分、そして子どもたち。家族に対する限りない情愛、文学、風景、そして戦争。『台湾海峡一九四九』の著者による心を打つエッセイ集。単行本(白水社)出版は2015年9月です。


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『父を見送る』と『台湾海峡一九四九』は姉弟のような作品である。かたやエッセイ、かたや歴史ノンフィクションといえ、同じく家族や身近な出来事を出発点に、生と死を考え、世界をみつめ、ついには戦争を書いた。ひとつの個たる著者の視点が、複数の視点(自身を疑う想像力、友人との対話、関係者への聞き取り、報道資料や歴史文献)を経て広がり、そこから読者をも巻き込んだ共時性を持つ視点へと収斂するーーそんな手法は、本作で準備され『台湾海峡一九四九』で深まったと言えるのではないか。だから彼女の思索(=語り)は、きわめて私的なものでありながら社会性、同時代性を持ち、さらに個々の読者の心の、いちばん深い場所に光を当てる。
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「訳者あとがき」より。単行本p.280


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さらに本書で際立っているのは、書いているその人がただの「普通の人」であることだ。切れ味ある批評で読む者を震え上がらせるベストセラー作家がここでは、親として子として、自らの弱さをあけすけに描いている。また、生活で見聞きしたこと、社会の出来事にてらいなくゼロから(無知から)疑問を立ち上げ、先入観なく思索を続けていく。だからその思索がたどり着く高みは屹然として、誰もが目を向けずにはいられない。
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「訳者あとがき」より。単行本p.281


 家族のことや日々の生活を中心に、様々な話題が集められています。父親の死、母親の老衰、後に書かれることになる『台湾海峡一九四九』のための取材など重い話題に混じって、“息子たちの生意気さときたら”といった微笑ましい話題も含まれており、覚悟なしには読めない『台湾海峡一九四九』と比べると、気軽に楽しむことも出来ます。


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するとフィリップが小声で言った。「母さん、頼むよ。十七歳に人間の暗部ばっかり教えるなよ。ドイツ語の先生も母さんも愛なんて信じちゃいないだろうけど、こっちはまだ十七歳なんだ。少しは何かを信じさせてくれよ」
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単行本p.26


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 アンドレからメールをもらった。こいつにしては珍しい。普段は、お金がないとかーーまったく、雷に撃たれて死んじまえーーそんな火急の用でなければ、この母にメールなどくれたことのない息子である。(中略)「母」という存在は、デスクトップのゴミ箱か、迷惑メールフォルダに自動分類されている。まったく、人として間違っている。とはいえ、母には打つ手がない。
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単行本p.91


 なにげない光景や体験を詩的にとらえ、哲学的に考える。日常的な話題を文学や社会問題にごく自然につなげてゆく。見ること、読むこと、考えること、どれも全力で書かれています。


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四角四面のドイツ人はタンポポを雑草と認定している。そして、雑草が生えた状態を社会秩序の乱れだと認識している。だから玄関先の歩道に伸びたタンポポの除去は、家主の責任となる。週末は、小さかった子供たちと一緒に、義務を果たすべく汗をかいた。(中略)
 だからタンポポの根のことはよく知っている。地面から茎が伸び、その上にのっかる一輪の花まで、高さはたかだか十センチほどしかない。ところが、地下の根っこは、五十センチもの長さがあるのだ。
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単行本p.197


 タンポポの話から始まり、ラルフ・ワルド・エマーソンの一節「言葉とは、タンポポの根のようにしっかりと、飾らず、偽りなくあるべきだ」(単行本p.197)を経て文学の話へと進み、英語の詩と中国語の詩を比べてみせたり。


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 台湾南部の田舎町。深夜十二時の交差点には、二十四時間営業で豆乳と軽食を食べさせる店がある。これこそ台湾が中華文明にもたらした最大の貢献であろう。暗く寒々しい夜の下、路地の一角にあったかな灯がともっていて、いつでもそこに逃げ込むことができる。鉄板の上には、餃子(鍋貼)がジリジリ焼けている。店のなかは新鮮な豆乳のにおいで満たされている。それから、カリっとした揚げ麩、ふわっとしたパイ、抵抗しがたい香りを発する葱のお焼き(葱油餅)が、ずらっと目の前に並ぶ。テキパキと働く若い女性店員たちが、軽やかな声で客の注文を聞く。真っ暗に沈む小さな町で、この小さな店だけは光り輝くショーウインドーのように、生活のあたたかさと豊かさを見せつけている。
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単行本p.158


 台湾の食堂の心温まるような描写から、そこで起きたささやかな事件を通じて、台湾における外省人の立場と不安が切実に語られたりします。誰もがほっとするような場所に潜んでいる、戦争や虐殺の記憶や予感。


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 龍應台の家庭はまさしく外省人という「難民」の典型であった。時代の奔流に流され、名前も知らなかった孤島にやってきた兵隊やその家族たちは、その社会の底辺に編入させられた。てっきり数年でふるさとに帰れると思っていたのに、結局それきり、そのまま一生を終えた。子供たちは、この島で“マイノリティー”として育った。六十人クラスで唯一、家・土地がなく、祖父母や親戚がおらず、お墓もお金もなかった。
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「訳者あとがき」より。単行本p.279


 こうして、日々の生活と歴史が、両親のことと戦争が、すべて地続きで語られてゆきます。


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 列車がまた動き出した。私は横になり、マットレスに耳をつけた。すると、車輪がレールを押し付けていく音と、大地のじりじりした震えを感じた。この五百キロは、慧能がかつて、てくてく歩いた道のり。そして、私の父と母が、じりじりと進んだ道のりでもある。想念が浮かぶーー時間はとどまるのか、とどまらないのか? 記憶は長く残されるのか、短く消えるのか? 川の水は新しいのか、それとも古いのか? 華麗に咲き誇る花は、何度輪廻を繰り返しているのか?
 夜の暗闇のなか、山の稜線が奇妙なほどはっきり見える。夜の灯りが、無言のまま木々のあいだに瞬いて、星のようだ。ふいに、霧のような真っ白な光が流れ込んできた。北から南へ向かう夜行列車が、重々しい夜の底で、私たちとすれ違う。
 明滅する光が、母の表情を失った顔を照らした。
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単行本p.87


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 傷は痛すぎて、触れることすらできない。傷は深すぎて、慰めることすらできない。傷はむごすぎて、ときに、それを見つめることすらできない。
 アモイから海へ数キロ行ったところに島がある。名前は「金門島」。(中略)
 一九五八年の秋、この美しい小島は、四十四日のあいだ、空から雨のように降る四十七万発の爆撃を受けた。そして、四十年間戦場として封鎖され、その地中には数えきれないほどの地雷が埋められた。(中略)
 ここには、通学中に腕を失った人がいる。ここには、醤油を買いに行ったきり、五十年間家族と離れ離れになった人がいる。(中略)
島の子供たちは、ボールを見たことがない。ボールは禁制品だ。なぜか? たとえばここにバスケットボールが何個かあるとする。それを網か何かでまとめて海に浮かべれば、そのまま対岸の共産党軍に投降できるからだ。
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単行本p.152、154、156


 国共内戦。台湾海峡危機。そして、世界中にばらまかれ、今も子供たちを殺し続けている無数の地雷。それらがすべて私的に語られる様には思わず息を飲みます。最後に、亡き父を故郷に帰すくだりは、涙なしには読めません。


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 ここが、父が十六歳で別れを告げたふるさとだ。山あいにあるこの村から、「アイジー」は父に籠をふたつ持たせ、市場まで買い物に行かせた。市場ではちょうど、軍隊が少年兵を集めていて、父は天秤棒と籠をほっぽり出し、そのままついていった。
 今日、父を連れて帰ってきた。ちょうど七十年ぶりとなる。(中略)
ようやく、父の魂の漂泊を理解する。ようやく、父が流した「四郎深母」の涙の意味を知る。(中略)
「あのなかでいちばん年を取った老人が」と、村人が指さす。「あんたの父さんの遊び仲間だ」。十六歳の年、ふたりは市場に行き、彼は帰り、父は帰らなかった。
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単行本p.270、274


 というわけで、静かな、深いまなざしによって、家族と暮らしと戦争を見つめる一冊。ぜひ『台湾海峡一九四九』と合わせて読んでほしいと思います。


タグ:台湾
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『数学難問BEST100 高校数学の知識なしでも解ける歴史的良問を厳選!』(小野田博一) [読書(サイエンス)]

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 本書は、難問に挑戦することを楽しむ本です。「解くために考え続ける楽しさ」を本書でたっぷり味わっていただければ幸いです。
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 数学の歴史上、名高い難問の数々から良問を厳選。数学の楽しさを徹底的に味わせてくれる100問を集めた一冊。単行本(PHP研究所)出版は2015年2月、Kindle版配信は2015年6月です。


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 出題している問題は、「高校数学の知識がなくても解ける問題のみ」に限定してあります。
 もっとも、誤解を生まないように特記しておきますが、本書では「中学で習う内容」を出題しているのではありません。文字通り、高校数学の“知識”を必要としない問題、つまり、「論理的に考えれば中学生でも解ける問題」を出題しているのです。(中略)
 また、当然のことながら、「中学生でも解ける」とは「中学生ならだれでも解ける」の意ではありません。中学生や大人の平均レベルをはるかに超える高い論理思考能力は必要です。
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 いくつかある短いコラムを除けば、ひたすら問題と回答例が並んでいる数学好きのための本です。問題は「紀元前の問題」「中世・ルネサンスの問題」「ニュートンやオイラーの問題」というように配置されており、順番に挑戦してゆくことで、数学の歴史をそのまま体験できるようになっています。

 中学数学の範囲内で証明するというルールがありますので、幾何は幾何、代数は代数として解く必要があります。微分積分や三角関数など高校数学の知識は要求されません。必要なのは「中学生や大人の平均レベルをはるかに超える高い論理思考能力」だけ。なにそれ欲しい。

 いくつか挑戦してみましたが、そもそも証明に至る道筋を考える段階で途方に暮れるばかり。問題によっては「そもそも出題の意味がよく分からない」状態で、まあ、正直、ざっと眺めるだけで終わりました。

 数学好きならずいぶん長く(もしかしたら一生)楽しめると思われますので、ぜひ座右の書として末永くこつこつと挑戦して頂きたいと思います。数学オリンピックに参加しようという若者には、基礎練習としてお勧め。私など夢想も出来ない領域で、震えるような知的興奮を味わって下さい。


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『パラレルワールド御土産帳』(穂村弘、パンタグラフ) [読書(教養)]

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先日、パラレルワールドに行って来た。
あちらの世界は、こちらの世界と、ぱっと見はだいたい同じ。
日用品でも、ビジネスツールでも、こちらの世界にあるモノはほとんどあちらの世界にもある。
ただ、よく見るとなんだか微妙に違っている。
進化の分岐点における運命の誤差が、そのような違いを生み出したのだろう。
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単行本p.4


 持ち運びできるレコードプレーヤー「異Pod ANALOG」、キーボードを打つと紙に鉛筆で文字を書いてくれる「手書きワープロ」、箒と塵取りをせっせと動かして部屋を掃除してくれる「ルンパ」など、日経パソコンの表紙を飾ったあの不思議な製品の総合カタログ。単行本(パイインターナショナル)出版は2015年6月です。


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『道具』は便利であるべきもの。人の仕事や生活を助けてくれるものでなければなりません。でも、その狙いは必ずしも成功しているとは限りません。便利さが行き過ぎたり、方向性が間違って発明されることもあるのです。

彼らは完璧ではなく、なんだかおせっかいで無駄が多いのです。とても効率的とは思えません。でも、それが個性となり、道具なのに人格を持ち始めます。彼らの生真面目さは不思議と憎めないキャラクターを形作り、一人歩きし始めるのです。
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単行本p.57


 この世界とは微妙にずれたパラレルワールドに行ってきた歌人の穂村弘さんが、お土産に持ち帰ってきた「ひみつどうぐ」の数々を掲載した総合カタログ。

 というか、実際には、日経パソコンの表紙を飾ったあの何だか脱力してしまうデジタルアナクロ製品(制作したのはアーティスト集団『パンタグラフ』)の写真集です。穂村弘さんが紹介文を書いています。

 日経パソコンの表紙は当然「絵」だと(それもCGI だと)思っていたのですが、実は本当に制作され実物として存在する(機能は別です)アート作品だったと知って、正直驚きました。巻末に制作過程の写真が多数収録されていますので、工作とかキネティック・アートに興味がある方は要チェック。

 収録されている「どうぐ」ですが、まず目につくのが最近のデジタル製品と昔懐かし製品がごっちゃになってしまったモノ。携帯型ブラウン管テレビ、真空管式無線ルーター、持ち運びできるレコードプレーヤー「異Pod ANALOG」、キーが「0」と「1」しかない「デジタルタイプライター」、キーボードを打つと紙に鉛筆で文字を書いてくれる「手書きワープロ」、箒と塵取りをせっせと動かして部屋を掃除してくれる「ルンパ」、といった具合です。

 風刺作品としては、すべて再生紙で出来たノートPC「エコ・ノート」、化けて読めなくなった文字を完全収録した「文字化け辞典」、駒がすべてフォルダアイコンの形になっている「デスクトップ将棋」、USBやプリンタやディスプレイなど様々なコネクタが十徳ナイフみたいに付いている「パソコン挿入欲求解消器」、初心者マークの形をしたスマホ「若葉フォン」、タップの気分だけ味わえる「ふんいきタブレット」、モザイクをかけたように見える桜「モザクラ」などが印象的。

 意外に実用性があるというか、実際に作れば売れるかも知れないと思わせる製品もあります。赤と茶色を基調とした秋の落葉色キーが並んだ「紅葉キーボード」、薄型液晶ディスプレイで出来た壁掛け「日めくらないカレンダー」(これ、NHK Eテレの番組、0655や2355にも、よく出てきますよね)、キーボード型の氷が作れる「キーボード製氷機」、空中を漂う照明「ドローンランタン」、ありがちなマウスの形をした和菓子「マウス菓子」、スマホと見せかけて開くと双眼鏡になる「スマホグラス」。雪玉の高速連射が可能な「雪合戦ロボット(スキー付き)」、いわゆる「みくじ棒」がUSBメモリになっていて占いの内容がデータとして入っている「USBおみくじ」とか。

 マジ実用性があるものの、現代の技術では製品化困難という惜しい製品も。単行本を入れると圧縮して豆本にしてくれる「書籍データ圧縮機」、シュレッダーにかけた書類を復元してくれる「逆シュレッダー」、大量の付箋紙から緊急性が高いものを拾ってくれる「付箋リマインダー」、自分自身を組み立てる「セルフビルド・電子ブロック」。ほしいなあ。

 穂村弘さんの紹介文がまた、「不調の時は叩くと直ります」「親日派外国人に人気」「真空管なので電波の味わいが違う」「夫、妻、愛人で楽しめる」「一段揃うとデータが消える」「血と汗と涙を詰めて保存できます」「引き金を引くと寛永通宝が飛び出す(贋金判別機能付き)」といった具合に、ノリノリです。

 というわけで、日経パソコンの愛読者だった方、懐かし系の変な道具に心ひかれる方、現代アートに興味がある方、穂村弘さんのエッセイは漏れなく読むという方まで、いろいろどうぞ。


タグ:穂村弘
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『半島の地図』(川口晴美) [読書(小説・詩)]

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本当は晴れ渡った青空だとしても
蜂蜜瓶のなかに落ちた薔薇が溶けてゆくような青空だったとしても
わたしにはわからない
そのことを悲しいと感じているわけではないのに目尻から
涙がこぼれて
あたたかいと一瞬だけわかる
だけど頬に張りついた髪の毛に遮られながら首筋まで伝う頃には感覚がぼやけて
わたしの涙はわたしのものではなくなった
いいえこれまで一度だってわたしのものだったことがあっただろうか
いいえいいえわたしのものだった何かなどひとつでもあっただろうか
思い返してみようとすると何もかもが滲んで
体も体のなかにあったものもぼんやりしてくる
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『サイゴノ空』より


 こちらとあちらの境界を滴り流れゆくわたしの躰。水に潜った瞬間の、世界から切り離されてしまったような心細さ。夜の水音の詩集。単行本(思潮社)出版は2009年7月です。


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西日の時間が終わって部屋は暗くなっている
焦げついた鍋はきれいになった
手を拭いて
部屋の灯りをつける
わたしの子どもはどこにいったのだろう
非常階段にはえいえんに七歳のわたしが坐っている
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『留守』より


 私事で恐縮ですが、川口晴美さんの最新詩集『Tiger is here.』を読んでから、ごく自然な流れとしてアニメ『TIGER & BUNNY』のブルーレイディスクなど購入し、夫婦で一緒に鑑賞。気づいたときにはTVシリーズ全25話を見終わってしまい、勢いのまま二周目に入って、まあ見ているあいだ「素晴らしい。そして、素晴らしい」「感服でござる」とか互いに言い合っているぶんには微笑ましいとしても、新聞を読んでいるときなど何の脈絡もなく「タナトスの声を聴け!」とか言い出すに至ってこれはかなりマズいと自覚、心をリセットするために前の詩集を読んでみました。

 それが本書『半島の地図』です。

 『Tiger is here.』で暴れることになる猛獣が、すでにここにも潜んでいました。


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扉をあけるわたしは獣の息を吐く
座っている男を椅子から解く息だ
たちあがる男に向かってわたしのやわらかい牙は花ひらく
なにも言わないで花ひらく
耳が冷えているね
男の指の触れたところからひらくわたしの肌は汗ばんで
ちいさな水滴が背中をつるりつるり滑り
ワタシハオマエヲ嚙ミシメタイこらえる
かわりに そう指もこんなに冷えてしまったと男の首筋をなぞれば
そこは少し毛羽立った毛布のようにわたしを包み込み
あたためる
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『春雷』より


 知らない町の馴染みのないホテルで、男と密会しているらしい「わたし」が、この世とあの世の境目を、意識しないままするすると通り抜けてしまう。そんないかにもホラーっぽい状況が、水の音や感触とともに、何度も繰り返されます。


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滴り落ちる踵を床におろすわたしは夜の雫のようにゆらゆらとここにいて
なにかを思い出しそうで
見慣れない部屋のドアを開け廊下へ流れ出てしまう
古いホテルの廊下はところどころ天井が低くなっていてわたしは巨人のように
窓の外の木立を越えてくる月明かりに滲み
いくつもの寝息に閉ざされた客室と
グランドフロアへの階段と
ひそやかなエレベーターを
過ぎる
冷えた床板がかすかにきしんだ
夜の鳥が鳴くように
わたしはなにか
探しているのかもしれない喉が渇いたのかもしれないこわいゆめをみたのかもしれない
もう聞こえない声を思い出しそうになる
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『指先に触れるつめたい皺』より


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船着場はどこですか
簡単な地図はふくざつで
手のなかでくしゃくしゃに折れ曲がる
舟に乗ろうとしているのに
なぜ ビルに入って
エスカレーターで地下に下りたり
エレベーターで二階に上がったりしているのか
わからなかったけれど
自動ドアが開いた向こうに
ふいに夕暮れの川があらわれて
舟のひとに迎えられ
わたしはむずかしい舟に乗った
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『舟に乗る』より


 自分がこの世界のなかに確固とした関係性を持って存在しているという実感が持てないというか、ふわふわした諦念のようなものが、強い印象を残します。ここには、わたしのトラ、まだいないね。


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躰を運べばひとつの街は別の街にあっけなく繋がれていくのに
染み込むことができないからわたしは
目を閉じるたびに汚れて
遠いところで死んでゆく誰かのことなんて本当はわからない
わからない
世界の表面はあまりにもつるつるしている
それともざらざらしているのだろうか
つたない愛撫のように滑り流れるだけのわたしは
傷跡も残さずにいつか消える
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『通り雨』より


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なまあたたかいみずのなかを漂うような七月
駅へ向かう道の際で さっき
短い泣き声を聴いた気がした
見あげる集合住宅の窓はどれも閉ざされていて
誰かの悲鳴 それとも
快楽の叫びだったのだろうか
どんな声だったかもう思い出せない
どこからか降り注いで染み込んだ
夏の光に似た一瞬の痛みが
泳ぐ躰の内側でまだ揺れている
わたし
だったのだろうか
クッションに顔を埋めて一人で泣いたのは
静かに食器を洗いながら悲鳴をあげたのは
わたしかもしれない誰か
湿度九十パーセントの世界で
濡れた皮膚は
隔てられ眠っていたそれぞれの痛みを
浸透させてしまうから きっと
数え切れないかなしみのみずが
混じりあい ひっそりと波立つのだろう
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『月曜の朝のプールでは』より


 というわけで、水と死のイメージが反復され、苦しみや悲しみが内に染み込んでくる詩集。夜の水辺を歩くような。水に潜った瞬間の、世界から切り離されてしまった心細さのような。あと、劇場映画版のディスク2枚を注文しました。


タグ:川口晴美
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