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『デジタル・アーカイブの最前線 知識・文化・感性を消滅させないために』(時実象一) [読書(教養)]

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ネット時代を迎えたいま、世の中にはこれまでとは比較にならない大量の情報があふれている。だが、社会の動きがあまりにも急速なため、これらのほとんどは直ちに消費され、消滅していっている。このままでは現代は、後世から見て、記録や歴史遺産が何もない時代となってしまう恐れがある。災害の記憶はもちろん、活字、映像、ウェブサイトなどで流通している種々雑多な情報はすべて、われわれがこの時代を生きた記録であり、未来に残すべき貴重な知的財産である。その保存は人類のこれからの歩みを見つめなおすために欠くことはできない。そのための方法が、本書のテーマとなるデジタル・アーカイブである。
(中略)
デジタル・アーカイブとは、この世のあらゆる歴史的記録を電子の力で集積し、未来に届けることにほかならない。この壮大な取り組みのために立ち上がった人々が、世界中にいることを知っていただきたい。
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Kindle版No.29、43

 報道記録、芸術、文芸、映像。時間とともに失われてしまうあらゆる情報を保存し、未来に届けるためのデジタル・アーカイブ。だがそれは常に、著作権との軋轢から逃れられない。様々な分野におけるアーカイブへの取り組みとその課題を分かりやすく紹介する一冊。新書版(講談社)出版は2015年2月、Kindle版配信は2015年8月です。

 あらゆる情報を保存し、誰もが利用できるように公開し、横断的に検索できるようにする。デジタル・アーカイブへの取り組みと、それが引き起こす社会的問題について広く解説してくれます。全体は5章から構成されています。


「第1章 歴史を記録するアーカイブ」
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ホームページを含むインターネット資源は、日々失われている。多数のウェブサイトが毎日閉鎖されているからだ。これらが消滅するということは、文化の重要な部分が失われることに等しい。現状ではかろうじて、インターネット・アーカイブがこの文化遺産を危機から守っているということができる。著作権的にグレーであるにもかかわらず、ウェイバック・マシーンを告訴する動きがほとんどないのは、その役割を誰もが支持しているからだと思われる。
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Kindle版No.306

 東日本大震災の記録から始まって、テレビ報道、ウェブページなど、今という時代に何がどのように起きたのかを記録するための取り組みが紹介されます。


「第2章 文化を記録するアーカイブ」
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録音テープやビデオテープ、あるいは光学ディスクや磁気テープは、磁気記録であるので、こうした簡単な方法では再生は不可能で、対応する機器が必須である。そこでアーカイブは、もう生産されていない再生機器を集めるところから始めなければならない。また、修理の部品も手に入らないので、秋葉原などでジャンク品も集めておく必要がある。(中略)しかし、いずれは使える機器がみな壊れて、まったく読めなくなるという事態も起こりうる。
(中略)
エジプトのパピルスやメソポタミアの粘土板は、燃えたり壊れたりしないかぎり、何千年もの間、文字の保存に耐えてきた。現代の人類は、高密度のすばらしい録音・録画機器を開発したが、これらはあっという間に市場から消え、せっかくのデータも30年もたたないうちに読めなくなってしまう。まことに皮肉なことである。
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Kindle版No.499、507

 映画フィルム、映像記録、広告、写真、音楽、音声、言語、芸術作品など。映像と音声を記録するための様々な取り組みと課題が示されます。


「第3章 活字を記録するアーカイブ」
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この5年以上におよぶ係争を振り返ると、紆余曲折はあったとはいえ、グーグルによる書籍アーカイブの独占が阻止されたことは意味深い。同時に、グーグル社が最初に主張していたフェアユースが裁判所によって認められたことは、今後のアーカイブの発展にとっては有益な結果といえよう。
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Kindle版No.871

 青空文庫に代表される本のアーカイブ、国立国会図書館の蔵書電子化、新聞記事や古文書や学術論文のアーカイブなど。

 アーカイブが引き起こす問題についても、実例を元に詳しく紹介されています。物議を醸した(現在もなお係争中の)「グーグル・ブック・サーチ」計画。「忘れられる権利」との対立。

 公文書管理法の精神を踏みつぶす「特定秘密保護法」の成立や、大阪産業労働資料館への補助金打ち切りなど、日本における公文書軽視という問題にも踏み込みます。


「第4章 アーカイブの技術」
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アーカイブのデジタル化によって、図書館や博物館の所蔵品を容易に見ることができるようになった。次の問題は、これらのアーカイブがばらばらであり、まとめて探すことができないということである。
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Kindle版No.1275

 アーカイブの検索を可能にするためのメタデータ。メタデータ収集プロトコルOAI/PMH。公開API、アーカイブ間の連携、リンクト・オープンデータ。

 欧州ユーロピアーナ、米国デジタル公共図書館、グーグル・アート・プロジェクトなど、アーカイブ活用のために行われてきた様々な工夫と技術、プロジェクトも紹介されます。


「第5章 これからのアーカイブ」
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デジタル・アーカイブはコンピュータの検索・分析能力を活用することにより、資料に新しい光を照らすことが可能である。(中略)
コンピュータやネットワークを活用した新しい学問分野を、デジタル・ヒューマニティーズと呼ぶ。(中略)こうした研究は、人文・社会学者と情報処理技術者の協力でおこなわれている。
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Kindle版No.1491、1498、1503

 著作権保持者が不明または連絡がつかない著作物(孤児著作物)のアーカイブ化に関わる問題とフェアユース。プライバシー、差別など、アーカイブにまつわる様々な社会問題。また、アーカイブを活用した新しい研究分野、デジタル・ヒューマニティーズの発展など、アーカイブの最前線が語られます。

 世界各国で進められているアーカイブ・プロジェクトを紹介するだけでなく、技術的課題、そして法的(あるいは社会的)課題も整理してくれる本です。特に繰り返し語られるのが、日本の著作権法に対する不満。アーカイブとフェアユースの概念に対応するための著作権法改正を訴えます。この問題に関心のある方に、一読をお勧めします。

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最近の文化遺産、たとえば雑誌、テレビ番組、映画、ネット情報などは、社会の激しい変化に耐えられず、急速に失われる可能性がある。とくに紙で出版されず、ネットにしかない情報は、消滅の危険が極めて高く、放置すればこの10年、20年の文化が丸ごと失われる恐れがある。
 こうした近現代の文化遺産のデジタル化を進めるには、資金もさることながら、著作権などの権利保護のしくみを変える必要がある。すでに見てきたように欧米では、孤児著作物のデジタル・アーカイブを進めるために、著作権の制限を強化しようとしている。つまり、一定の条件を満たせば、著作者が見つからなくてもデジタル化を進めることができる。
 わが国でも、このようなアーカイブのための著作権の制限を本気で考えるべき時期に来ていると思われる。デジタル・アーカイブを作ることによって、埋もれた著作物が日の目をみることになり、さらには新しい創造のきっかけともなる。著作者や政策立案者の理解が望まれる。
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Kindle版No.1538


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『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら vol.6』(川口晴美:詩、芦田みゆき:写真、小宮山裕:デザイン) [読書(小説・詩)]

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やがてわたしたちのうちの一人がいなくなる お母さんがいなくなったのと同じようにいなくなったのかもしれないね へいき わたしたちは増えたから わたしたちは母で妻で姉で妹で娘 わたしたちは羽ばたく
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 どことも知れぬ不可解な場所、双花町を訪れた「あなた」は、いつしか迷宮に足を踏み入れていることに気づく。長篇ミステリー詩と写真の幻想的コラボレーション、すべての謎が解かれる最終パート。Kindle版(00-Planning Lab.)配信は2015年9月です。


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でも、あなたはやって来た。幾重にも仕掛けた銀色の罠があなたを誘導し、あなたは町の扉を開いたのかもしれない。
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 どこか不穏で心をざわめかせる写真と、幻想ミステリーのような謎めいた雰囲気の長編詩。二つの創作物が電子媒体の上で重なり合い、読者を否応なく双花町という名の迷宮の、その奥へと引き込んでゆきます。


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あなたは夢の中を歩いているような感覚になる。そう、これはすべて夢なのかもしれない。きっとそうだ。そうして最後の、いちばん奥の部屋が開かれる。
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 最終巻。すべての秘密が暴かれ、登場人物たちの背景と関係が明らかにされる「解決篇」です。語られるのは、母-娘、姉-妹、という関係性の錯綜した迷宮。その最奥、ついに一部屋に揃った三人の女と「あなた」。ここから解放されるのは誰なのか。

 あー、もちろん「あなた」ではないことは予想してしかるべきですね。


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あなたは何から逃れてここまで来たのだろう。思い出せない、夢が、何度でも蘇る。そう、きっとあなたはあなたの少女を殺してきた。あなた自身である何かを埋めてきたのだ。
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 最終巻で謎解きされるとは聞いていたのですが、予想外にきちんと説明されたなあというか、一度も書かれたことのない「筋道の通った説明」を、これまでの双花町の雰囲気を壊さないまま書くというのは、いくらなんでもそれは無理ではないかと危惧していたのですが、なんとまあ、ちゃんと片づけていて凄い、です。

 というわけで、長篇詩でホラーでミステリー、しかも写真と言葉とデザインが三位一体となって作り上げられているという、なかなかに希有な作品です。完結したので今や一気読みも可能。色々な意味で、三人の女性に翻弄されてみたい方は、まずはvol.1からどうぞ。


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逃れられない町の名前が、

あなたの内側に
   白く輝きながら舞い降りる。
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 余談ですが、最新詩集『Tiger is here.』(川口晴美) を読むと、双花町についてさらにいくつかのことがらを知り得るかも知れません。


タグ:川口晴美
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『Tiger is here.』(川口晴美) [読書(小説・詩)]

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私のなかに散らばっている空間の欠片。都合よくまとめたりはできない物語の欠片。そこからここへ、ここからそこへ、詩の言葉は跳躍できるだろうか。強靱に、自由に、みえない先まで、行くことはできるだろうか。書きながら、星座(シュテルンビルト)という名の街をそれぞれの葛藤を抱えつつ跳躍してゆくキャラクターたちの青く光る軌跡を、強く、深く、思い浮かべていましたーー。
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「あとがき」より


 わたしのトラ。おいで、もっと遠くまで行こう。

 自分の心、郷里の母、アニメに出てくる架空の街、多摩動物公園、そして詩の言葉。いたるところに身を潜め、虎よ! 虎よ! あかあかと燃える。おはようからおやすみまで暮らしをみつめる猛獣詩集。単行本(思潮社)出版は2015年7月です。


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ほら、
見てごらんいちばん高い窓の縁に
わたしの虎がたったひとりで立っている
光のような黄色と闇のような黒を身にまとい
強くやわらかく背を撓らせて
天井近くを走る配管に軽々と飛び移り
おおきく口をあけて
Tiger is here!と
誰にも聴こえない咆哮を轟かせながら
幾重もの鉄骨を走り抜け
影の迷路を壊して落下する
光輝く濡れた牙がからっぽの空間を切り裂いてゆく
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「輝く廃墟へ」より


 「自分のことを詩の言葉でとらえるところから、もう一度始めるしかないんじゃないか。何か言えるとしたら、たぶんそれから」(「あとがき」より)ということで連載されたシリーズ作品を中心とした詩集です。

 タイトル通り、トラがあちこちにいて、解放したり、解放されたり、するのを待っています。まずは、ここに。


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あたらしい体になって誰よりも軽々と走る
夜のかたいアスファルトを踏み
点滅する信号に黒と黄色の波打つ毛を照らされ
閉ざされた駅の改札を飛び越えてホームを駆け
地下道を潜り抜け空地を横断する
捨てられているさまざまな形のゴミと冷たく伸びた草の先が腹をちくちく刺激して
からだじゅうがくすぐったくて痛くて吼えるように笑いたくなる
見られたっていい
隠れたりしない
いつかどこかで見覚えのある体に出くわしたら
なつかしいてのひらに鼻面を擦りつけてやろうか
それからあんぐりと口を開けて食べてしまおうか
かまわない
どこまでも逃れていける
近く遠い体は
暗闇の彼方に生きている
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「夜を走る」より


 そしてアニメのなかにも。


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 (たすけてタイガー
 ここにきてよ正義の壊し屋ワイルドタイガー)

凸 のかたちに海へせりだした街のことをかんがえる
シュテルンビルトと名づけられた場所のことを
凹 のかたちで海を抱き込んだちいさな町で生まれたわたしのからだの
深いところに招き入れる
三層構造のうつくしい巨大都市シュテルンビルト
そこには虎の名をもつ男がいて
職業はヒーローで中年で子持ちで崖っぷち
長い手足でガサツでおせっかいで自分のことはあとまわし
ひとをたすけるために星座みたいな街を駆け抜け
琥珀の瞳であかるく笑って
きたぞワイルドタイガーだ Wildtiger is here! って言う
それを聴けばなにもかも大丈夫な気がする声できっと言う
(たすけて)
枕をおしつけて呻くかわりに
きたぞワイルドタイガーだ Wildtiger is here! 、と
わたしの内側に何度もなんども響かせてみる
その手に触れることはできない
本当はどこにもない
シュテルンビルトは決して行くことのかなわない
アニメーションで描かれた光り輝く空間
けれどわたしのなかにある
もう帰ることのない小浜という名の町とおなじように
眠れない夜には思い浮かべることができる
何度もなんども繰り返し
少しずつ眠くなる

 (ここにきてよ正義の壊し屋ワイルドタイガー
  なにもかも壊してわたしをすくいあげてタイガー)
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「クラッシャーを夢みる」より


 夜だけではなく、多摩動物公園に行けば、昼も見ることが出来ます。


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そのあいだもずっと、わたしはトラのことばかり考えていた。わたしのトラ。

遠足で来た子どものように柵まで駆け寄ってしまう。じゅうぶんな距離を隔て、針葉樹林帯の斜面を模してつくられた空間に、アムールトラは三頭いる。目覚めて、いる。おおきなからだがうっそりと動き、歩く。撓る背のなまなましくうつくしい曲線。空気を切るように短く走り、やわらかくからだを伸ばして岩棚から岩棚へ移る瞬間の、重さがすべて消え失せてしまったかのような跳躍。黄色と黒の縞模様が波打つ。きっと掌で触れたら硬いに違いない毛皮の内側で、みっしりと漲って流れ動く肉。肉の熱。見つめながらわたしは汗をかく。顎をたどって落ちていく。

(中略)

わたしは何かを失ってしまったのだろうか。わたしの奥深く見えないところで水面が揺れて煌めく。凹のかたちをした湾に抱かれた海へと注ぐ二本の川。北と南の川に貫かれる小さな町。原子力発電所はそこからは見えなかった。帰ることはもうない。嚙み締める。あまい、だろうか。わたしのトラ。おいで、もっと遠くまで行こう。
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「水は遠くにある」より


 そして、何度も浮かび上がってくる郷里、そこにいた母のなかにも。


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ゴミ袋のなかには事故にあったとき父が着ていた作業着が入っていて
大量の血が染みこんだ布は真夏の二日を経てほどかれてすさまじいにおいを放ちました
漁港と魚市場のある町で育ったけれどこんなにおいはかいだことがない
わたしのなかをいま流れているものにとても近いはずの血が
生きている体から流れ出てしまえばこんなになるのだと
呆然としながら息をとめて
いつもてきぱきしていておしゃべりな伯母も無言のまま動かず
母だけが話し続けながら(だから息をとめることもなく)
ゴミ袋に両手をつっこんですっかり色の変わった作業着を広げ
内ポケットの底にあったキーホルダーを素手でさぐりあてて取り出しました
「ほら、あった」と幸福そうに笑っているこのひとは
誰なのだろう
病的なほどきれい好きで神経質で気が小さく
肉も生魚も苦手だから料理のためにさわるのも本当は嫌だと言ったあの母じゃない
獣のように血のにおいのなかで微笑んでいる
わたしはこのひとを知らない
濃い夏の夕暮れ深く
かろうじて左右の口角を吊りあげてうなずいたわたしは
おそらく生まれて初めて
たった一度だけ母を
畏怖しました
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「夏の果は血のように滴る」より


 シリーズ以外の作品も後半に収録されているのですが、何しろイメージが鮮やかで強烈なので、どうしてもトラ詩が印象に残ります。トラに託すように自分や郷里をストレートに織り込んだ作品が多く、猛々しくとも親しみを感じる、油断すると危険な、猛獣詩集です。


タグ:川口晴美
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『紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす』(武田砂鉄) [読書(教養)]

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紋切型の言葉が連呼され、物事がたちまち処理され、消費されていく。そんな言葉が溢れる背景には各々の紋切型の思考があり、その眼前には紋切型の社会がある。
(中略)
決まりきった言葉が、風邪薬の箱に明記されている効能・効果のように、あちこちで使われすぎている。どこまでも自由であるべき言葉を紋切型で拘束する害毒を穿り出してみたかった。言葉は人の動きや思考を仕切り直すために存在するべきで、信頼よりも打破のために使われるべきだと思う。
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Kindle版No.47、3349


 紋切型の言葉、思考、そして社会。決まりきった定型表現の空虚さをあげつらいつつ、その背後にある社会病理をえぐり出してゆき、言葉の復活を祈る。「口から出る8割が皮肉、残り2割が諦め」(Kindle版No.976)。著者、初の単行本。単行本(朝日出版社)出版は2015年4月、Kindle版配信は2015年8月です。

 「育ててくれてありがとう」
 「ニッポンには夢の力が必要だ」
 「若い人は本当の貧しさを知らない」
 「全米が泣いた」
 「国益を損なうことになる」
 「“泣ける”と話題の」
 「誤解を恐れずに言えば」

 あちこちで使われている決まりきった定型表現、紋切型の言葉を取り上げて批判する本です。


「ニッポンには夢の力が必要だ」より
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 うまいこと招致が成功してしまった2020年東京オリンピック・パラリンピックのスローガンは「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ。」だった。プロテインの代わりに、いや、おそらく併用で「夢」を飲み続けてはこのニッポンでサヴァイブを繰り返すEXILE的なセンスに満ちた、上滑りなスローガン。
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Kindle版No.345


 辛辣な皮肉や厭味が楽しいのですが、ただ言葉をあげつらうだけではなく、そのような(愚劣で空虚でみっともない)言葉がなぜ好まれるのか、その背後にある社会問題は何かを、真面目に読み解いてゆきます。


「育ててくれてありがとう」より
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役割分担の押しつけが堂々と闊歩している理由を訪ね歩くと、「オフィシャルな時に外向けに使う家族観」に行き着く。ゼクシィが「育ててくれてありがとう」をサンプルとして提示し、一生に一回(の予定)だというのに、コピペの手紙で涙を流すように働きかけてくることは、結果的に家族観を貧相に、そして一元的にする。
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Kindle版No.312


「そうは言っても男は」より
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 女はいくつもの「余計なお世話」を浴び、男は「そうは言っても男は」で保護される。(中略)旧来から流れる女性の役割を従順に担ってもらうことが少子化に歯止めをかける、と妄信している人たち。なぜそんな愚策を信じさせようとするのか。信じなければ男がいよいよ動かなくてはならなくなるから、「この道しかない」のである。
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Kindle版No.2661


 こうして、様々な社会問題を「そこから出てくる紋切型の言葉」をキーとして論じてゆきます。


「若い人は、本当の貧しさを知らない」
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 歴史が旧世代の安堵のためばかりに使われている。でも歴史は現在を見るために使われるべきなのだ。「若い人は、本当の貧しさを知らない」は、その現在から猛ダッシュで逃げている。結果として、歴史を知ることからも逃げている。
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Kindle版No.798


「全米が泣いた」より
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 未だに全米が泣いていて、文庫化が待望され続けているのは、ただ単に、絶賛・批判の天秤が絶賛に寄りまくっているくせに「釣り合っている」と言い張ってくるからにすぎない。ちっとも釣り合ってなんかいない。他人様の悪口をみんなではね除けることを絶賛のガソリンにしているくせに、これが「絶賛と批判のベストミックス」状態だと言い張る。
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Kindle版No.911


「国益を損なうことになる」より
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いつの間にか、国益という主語を平気で個人や組織が使うようになった。ヘリコプターのホバリングのように、この言葉を使えば、公平中立を保ちながら概観することができるという妄信と過信。強い言葉は自分の身動きを担保してくれる気がする。でも、気がするだけだ。
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Kindle版No.1355


「会うといい人だよ」より
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微動だにしない日常、パッとしない日々を、外的要因から探し当てようとはせずに、とにかく「それでも信じてみる」ことで興そうとする。そこから得られる結論は決まっている。今、僕らが暮らしている日々こそが僕らを肯定してくれるのであって、かけがえのないものはすでに目の前にあるもの、そう気付いたのさ、というオチ。
 昨今叫ばれるブラック企業をはじめとした労働の搾取はこういったスタンスを好物としているが、当人はそんな安っぽいシステムに気付くはずもなく、反知性主義を飛び越えた無知性至上主義の中であくせく暮らしてしまい、置かれた場所で素直に枯れまくってしまう。
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Kindle版No.1563


「誰がハッピーになるのですか?」より
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批評性が比較的強い原稿を出した際に、「面白いんですが、この原稿を読んで、誰がハッピーになるのですか?」と問われたことがある。(中略)
人が受け付けやすい「善」を投じることだけが文章の効能だと信じて止まない人に出会うとなかなかどうして、話しかける言葉を失ってしまう。(中略)
「読んだら誰かがハッピーになる」を前提にしてしまうと、ビリの女子高生の偏差値が上がった話しか受け取ることができなくなる。批評は、ジャーナリズムは、懸命にそこから逃れなければいけない。
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Kindle版No.2971、2975、3052


 ただの揶揄や冷笑ではなく、社会問題を指摘して得意気になるわけでもなく、「言葉の復活」を強く願う気持ち、まるで祈るようなその気持ちが、文章のあちらこちらから伝わってきます。


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悔しい。その場で起きていることが、舐められている。紋切型の言葉で片付けられる。未来あるいは今を一新するプランニング、そういう視野の広さばかりがウケる。流れている現在をつかまえるために、ありきたりの言葉を投じて一丁前を気取ることを決して許さなかった人たち。言葉で固まる現代を解きほぐすために鋭利な言葉を執拗に投じ続けた人たち。彼らは決して、“ハッピー”という帰結を目指しはしなかった。だからこそ、その言葉は今なお消費されないし、奮い立たせる言葉として神通力を持つ。人の気分をうまいこと操縦する目的を持った言葉ではなく、その場で起きていることを真摯に突き刺すための言葉の存在は常に現代を照射し続ける。いかに言葉と接するべきか、言葉を投じるべきか、変わらぬ態度を教えてくれる。言葉は今現在を躍動させるためにある。
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Kindle版No.3075


 というわけで、気軽に「こういう陳腐な表現、あるある」ネタとして楽しむことも出来るし、意表をついたところから社会問題に切り込んでゆく評論として受け取るもよし、言葉をめぐる真摯なエッセイとして読んでもよいという一冊です。


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