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『Tiger is here.』(川口晴美) [読書(小説・詩)]

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私のなかに散らばっている空間の欠片。都合よくまとめたりはできない物語の欠片。そこからここへ、ここからそこへ、詩の言葉は跳躍できるだろうか。強靱に、自由に、みえない先まで、行くことはできるだろうか。書きながら、星座(シュテルンビルト)という名の街をそれぞれの葛藤を抱えつつ跳躍してゆくキャラクターたちの青く光る軌跡を、強く、深く、思い浮かべていましたーー。
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「あとがき」より


 わたしのトラ。おいで、もっと遠くまで行こう。

 自分の心、郷里の母、アニメに出てくる架空の街、多摩動物公園、そして詩の言葉。いたるところに身を潜め、虎よ! 虎よ! あかあかと燃える。おはようからおやすみまで暮らしをみつめる猛獣詩集。単行本(思潮社)出版は2015年7月です。


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ほら、
見てごらんいちばん高い窓の縁に
わたしの虎がたったひとりで立っている
光のような黄色と闇のような黒を身にまとい
強くやわらかく背を撓らせて
天井近くを走る配管に軽々と飛び移り
おおきく口をあけて
Tiger is here!と
誰にも聴こえない咆哮を轟かせながら
幾重もの鉄骨を走り抜け
影の迷路を壊して落下する
光輝く濡れた牙がからっぽの空間を切り裂いてゆく
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「輝く廃墟へ」より


 「自分のことを詩の言葉でとらえるところから、もう一度始めるしかないんじゃないか。何か言えるとしたら、たぶんそれから」(「あとがき」より)ということで連載されたシリーズ作品を中心とした詩集です。

 タイトル通り、トラがあちこちにいて、解放したり、解放されたり、するのを待っています。まずは、ここに。


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あたらしい体になって誰よりも軽々と走る
夜のかたいアスファルトを踏み
点滅する信号に黒と黄色の波打つ毛を照らされ
閉ざされた駅の改札を飛び越えてホームを駆け
地下道を潜り抜け空地を横断する
捨てられているさまざまな形のゴミと冷たく伸びた草の先が腹をちくちく刺激して
からだじゅうがくすぐったくて痛くて吼えるように笑いたくなる
見られたっていい
隠れたりしない
いつかどこかで見覚えのある体に出くわしたら
なつかしいてのひらに鼻面を擦りつけてやろうか
それからあんぐりと口を開けて食べてしまおうか
かまわない
どこまでも逃れていける
近く遠い体は
暗闇の彼方に生きている
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「夜を走る」より


 そしてアニメのなかにも。


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 (たすけてタイガー
 ここにきてよ正義の壊し屋ワイルドタイガー)

凸 のかたちに海へせりだした街のことをかんがえる
シュテルンビルトと名づけられた場所のことを
凹 のかたちで海を抱き込んだちいさな町で生まれたわたしのからだの
深いところに招き入れる
三層構造のうつくしい巨大都市シュテルンビルト
そこには虎の名をもつ男がいて
職業はヒーローで中年で子持ちで崖っぷち
長い手足でガサツでおせっかいで自分のことはあとまわし
ひとをたすけるために星座みたいな街を駆け抜け
琥珀の瞳であかるく笑って
きたぞワイルドタイガーだ Wildtiger is here! って言う
それを聴けばなにもかも大丈夫な気がする声できっと言う
(たすけて)
枕をおしつけて呻くかわりに
きたぞワイルドタイガーだ Wildtiger is here! 、と
わたしの内側に何度もなんども響かせてみる
その手に触れることはできない
本当はどこにもない
シュテルンビルトは決して行くことのかなわない
アニメーションで描かれた光り輝く空間
けれどわたしのなかにある
もう帰ることのない小浜という名の町とおなじように
眠れない夜には思い浮かべることができる
何度もなんども繰り返し
少しずつ眠くなる

 (ここにきてよ正義の壊し屋ワイルドタイガー
  なにもかも壊してわたしをすくいあげてタイガー)
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「クラッシャーを夢みる」より


 夜だけではなく、多摩動物公園に行けば、昼も見ることが出来ます。


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そのあいだもずっと、わたしはトラのことばかり考えていた。わたしのトラ。

遠足で来た子どものように柵まで駆け寄ってしまう。じゅうぶんな距離を隔て、針葉樹林帯の斜面を模してつくられた空間に、アムールトラは三頭いる。目覚めて、いる。おおきなからだがうっそりと動き、歩く。撓る背のなまなましくうつくしい曲線。空気を切るように短く走り、やわらかくからだを伸ばして岩棚から岩棚へ移る瞬間の、重さがすべて消え失せてしまったかのような跳躍。黄色と黒の縞模様が波打つ。きっと掌で触れたら硬いに違いない毛皮の内側で、みっしりと漲って流れ動く肉。肉の熱。見つめながらわたしは汗をかく。顎をたどって落ちていく。

(中略)

わたしは何かを失ってしまったのだろうか。わたしの奥深く見えないところで水面が揺れて煌めく。凹のかたちをした湾に抱かれた海へと注ぐ二本の川。北と南の川に貫かれる小さな町。原子力発電所はそこからは見えなかった。帰ることはもうない。嚙み締める。あまい、だろうか。わたしのトラ。おいで、もっと遠くまで行こう。
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「水は遠くにある」より


 そして、何度も浮かび上がってくる郷里、そこにいた母のなかにも。


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ゴミ袋のなかには事故にあったとき父が着ていた作業着が入っていて
大量の血が染みこんだ布は真夏の二日を経てほどかれてすさまじいにおいを放ちました
漁港と魚市場のある町で育ったけれどこんなにおいはかいだことがない
わたしのなかをいま流れているものにとても近いはずの血が
生きている体から流れ出てしまえばこんなになるのだと
呆然としながら息をとめて
いつもてきぱきしていておしゃべりな伯母も無言のまま動かず
母だけが話し続けながら(だから息をとめることもなく)
ゴミ袋に両手をつっこんですっかり色の変わった作業着を広げ
内ポケットの底にあったキーホルダーを素手でさぐりあてて取り出しました
「ほら、あった」と幸福そうに笑っているこのひとは
誰なのだろう
病的なほどきれい好きで神経質で気が小さく
肉も生魚も苦手だから料理のためにさわるのも本当は嫌だと言ったあの母じゃない
獣のように血のにおいのなかで微笑んでいる
わたしはこのひとを知らない
濃い夏の夕暮れ深く
かろうじて左右の口角を吊りあげてうなずいたわたしは
おそらく生まれて初めて
たった一度だけ母を
畏怖しました
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「夏の果は血のように滴る」より


 シリーズ以外の作品も後半に収録されているのですが、何しろイメージが鮮やかで強烈なので、どうしてもトラ詩が印象に残ります。トラに託すように自分や郷里をストレートに織り込んだ作品が多く、猛々しくとも親しみを感じる、油断すると危険な、猛獣詩集です。


タグ:川口晴美
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