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『疾走光』(一方井亜稀) [読書(小説・詩)]

 「真冬の路地/角を曲がった先にも光は注ぎ/それがミライだと/冷えた指先で/雪をなぞる」

 季節感を重くはらんでいるような風景を鋭く切り取る詩集。単行本(思潮社)出版は、2011年04月です。

 「川向こうの団地は/花粉の舞い上がる季節/犬の遠吠えさえ聞こえず/列を作る子供たち女たちは/予防接種に忙しい」
  (『就眠』より)

 「ちらほらと/ネオンがつき始めた街に/カレーの匂いが/低空飛行する」
  (『倦怠』より)

 「205の札である/ポストが広告を嚙んだままのドア/呼び鈴はない/磨りガラスの先は浴槽だ/人の気配はなく/壁のひびを蟻が伝ってゆく」
  (『フォトグラフ』より)

 風景や景色をよんだ作品が多いのですが、皮膚感覚でとらえた不思議な季節感が漂っています。ありそうな、なさそうな、設定や物語。何の背景情報もなしに、映画の一部のシーンだけを見せられたような印象が残ります。

 「重力から解き放たれる/という誘惑に駆られながら/指先に力を込める/唇を堅く結ぶ/擦れ違う人々は銘々に/同じポーズを取り続け/ネギボウズの揺れる岸辺は/生気のない夢幻さながら/茂みの奥から傍観する/カメラの目に怯えながら/とにかくここが近道なのだ/言い聞かせるように上昇してゆく」

 「振り返ればそれは/天へと続く梯子/そのものではなかったか」

  (『終着駅下車』より)

 地下鉄の駅から地上までエスカレーターで昇ってゆく。ただそれだけのシーンを、こんな風に書いてしまう。すごい。ネギボウズの揺れる岸辺、天へと続く梯子。

 いつも見慣れている風景、毎年やってくる季節、繰り返す日常が、どこか劇的で、何かの予兆をはらんだ不穏なものに感じられる、そんなひりひりする一瞬は誰にでも訪れると思うのですが、それを言葉でとらえるというのは並大抵のことではありません。

 「眠い 恐ろしく眠いこんな日に限って鼻孔をくすぐる風/致死量を超える微粒子/死の接線に触れている時だって(何故だろう)血液は巡っていて/道端の吸い殻は全て/踏みつぶして歩くように努めています/そんな日々は常に健康/であった/側溝に嵌まってもがいた猫の残骸が/ささやかな風に揺れている」
  (『就眠』より)


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