SSブログ

『世界音痴』(穂村弘) [読書(随筆)]

 「気がつくと、ぼくは三十八歳で、ネクタイを締めて、総務課長で、妻もなく、子供もなく、ポセイドンもロプロスもロデムもなく、大トロの半額パックを手に持って、うまいかまずいか、新鮮か腐っているか、得か損かを考えている。いつのまに、こんなに遠くに来てしまったのか。「ああっ」(ああっ)(これでぜんぶなのか)(人生って)(ほんとうに)(まさか)(ぜんぶ)(これで)(そんな)」(Kindle版 No.504)

 歌人の穂村弘さん初めてのエッセイ集が電子書籍化されたので、Kindle Paperwhiteという電子書籍リーダーで読んでみました。単行本(小学館)出版は2002年03月、文庫版出版は2009年10月、電子書籍版出版は2013年01月です。

 日常生活の様々な場面でどうすれば自然に振る舞えるのか分からない、世界と自分との間に絶望的な溝を感じる、そんな気持ちをリアルに書いたエッセイ集です。「いや、これはないだろうさすがに」という滑稽さと、「あ、これは自分にも分かる分かる」という共感、その両方を感じさせる手際が見事。

 「飲み会なんて、ただ自然に楽しめばいいだけじゃないか、と不思議がられる。だが、私はまさにその「自然に」楽しむことが、いちばん苦手なのである。飲み会に出るぐらいなら、その間中、ずっと腕立て伏せとフッキンをしていた方がいいと思う」(Kindle版 No.264)

 「参加出来ない話題に対して、興味を示すひとも、ただにこにこしているひとも、退屈そうな顔を隠さないひとも、いずれもその振る舞いは自然なものにみえる。そして私にはその「自然さ」がどうしても身につけられない。おかしな云い方だが、ちゃんと退屈そうな顔をすることすら出来ないのだ」(Kindle版 No.1421)

 他人に対して「自然に」振る舞うことが出来ない、というか中に入って行けない。世界から容赦なく隔てられている、それを自覚させられる時間。飲み会などの社交行事が苦手な読者は、かなりの共感を覚えるのではないでしょうか。

 「私の顔はひきつっていたと思う。ひどい衝撃を受けていたのだ。そこに住みはじめて十五年ほど経っていたのだが、私は自室の窓が開くところをそのとき初めて見たのである」(Kindle版 No.296)

 「いざ映画が始まると、はやく終わらないかなと思う。つまらないのではない。面白い映画のときほど強くそう思う。(中略)これから自分がどきどきしたり感動したりするという、その期待と緊張が苦しくて、はやく楽になりたいのである」(Kindle版 No.1557)

 「本当は通勤途中のエスカレーターであんパンは食べない方がいいのである。でも、もう遅い。もう、食べるしかない。だって、封を破ってしまったんだもの」(Kindle版 No.244)

 「私の考えでは、夜中に無意識状態で菓子パンを食べても一つもいいことはない。カロリーオーバーになるし、虫歯になるし、体は「ちくちく」になるし、結婚できないし、何より人間としての尊厳が危ぶまれるのである」(Kindle版 No.370)

 15年間住んだ部屋の窓を開けたことがない(自分を取り巻く世界に対して能動的に関与する、という発想を持てない)、楽しいことや嬉しいことを体験するというその予感そのものが怖くて苦しい、通勤途中に、夜中にベッドで、菓子パンをむさぼり食ってしまう。インパクトあふれるエピソードが次々と登場します。

 菓子パンのくだりなど、「今でも初対面のひとに名乗ると、「ああ、あのベッドで菓子パンを食べる・・・」と云われることがあって、嬉しいような困ったような気持ちになります。それ以外のこともしてるんですけど」(Kindle版 No.1714)というくらい有名になったそうで、まあ四十歳を前にした歌人がすることじゃないかも知れません。

 というわけで、後に書かれる『現実入門』や『整形前夜』の原点。短歌作品のあの叙情の根っこに何があるのかを分かりやすく赤裸々に教えてくれるユーモラスかつもの悲しいエッセイ集です。

 「もっと早く短歌と出会っていれば、と思う。表現の形式を問わず、その時にしか書けないことが確かにあり、後から時間を遡ってそこにライブの生命を吹き込むことはできないのだ。(中略)地球から何パーセクも離れた恒星や凍りついた未知の頂のように遥かなものとして女性を捉えた歌に、私は間に合うことができなかった」(Kindle版 No.1314)


タグ:穂村弘
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: