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『ピアニストという蛮族がいる』(中村紘子) [読書(随筆)]

 「この私自身をも含めてこのピアニストという種族について、気取っていえば神話的感慨、社会的公正を期していうならば、洗練された現代の人間とはまこと異質な、言ってみれば古代の蛮族の営みでも見るみたいな不思議な感慨、を、或る感動と哄笑と共に催すことがある」(Kindle版 No.18)

 女性ピアニストである中村紘子さんが、『文藝春秋』に1990年から1992年にかけて連載した名エッセイ。単行本(文藝春秋)出版は1992年01月、文庫版の出版は1995年03月、電子書籍版の出版は2012年09月です。電子書籍版を、Kindle Paperwhiteという電子書籍リーダーで読みました。

 古今東西の大ピアニストを取り上げ、その数奇な人生や奇妙なエピソードを語ってくれる素晴らしく面白いエッセイです。登場するピアニストは奇人変人というべき変わった方が多いのですが、それも無理はないのだと最初にこう断りを入れています。

 「大体みんな、三、四歳の時から一日平均六、七時間はピアノを弾いているのだ。たった一曲を弾くのに、例えばラフマニノフの「ピアノ協奏曲第三番」では、私自ら半日かかって数えたところでは、二万八千七百三十六個のオタマジャクシを、頭と体で覚えて弾くのである。それもその一音一音に心さえ必死に籠めて・・・。すべてが大袈裟で、極端で、間が抜けていて、どこかおかしくて、しかもやたらと真面目なのは、当たり前のことではないだろうか」(Kindle版 No.21)

 この一文を書くためにだけに28,736個の音符を数え上げた著者がいうのだから説得力があります。そういうわけで、著名なピアニスト達のエピソード満載なのですが、これがまた。

 「滅多にコンチェルトを弾かなかったホロヴィッツは、理由を訊かれて「オーケストラは邪魔だから」と答えた」(Kindle版 No.2952)

 「ホロヴィッツはただ一度、パリでルービンシュタイン夫妻を夕食に招待したことがあり、あまりにも珍しい出来事であったのでルービンシュタインはわざわざオランダから夜行列車でパリに戻ったのだが、なんとホロヴィッツは、その約束をすっぽかして競馬に行ってしまった」(Kindle版 No.209)

 「「世界のピアニストには三種類しかない。ユダヤ人とホモと下手糞だ」と放言してニヤリと笑ったのはかのホロヴィッツだった」(Kindle版 No.339)

 と、最初のホロヴィッツだけでもお腹いっぱい。蛇足ながら、もちろんホロヴィッツはユダヤ人で同性愛者でした。

 24歳にもなってからチェルニーの教則本で本格的に練習し始めたという異常に遅いスタートから、ほぼ一日おきのコンサートをこなしながらなんと毎日17時間の猛練習をやり抜き、米国だけでも1500回以上の演奏会を行い、500万人の聴衆を魅了した挙げ句、うっかり独立ポーランドの初代首相となり、ヴェルサイユ和平会議の席上で「あの有名なピアニストが今やポーランド首相とは。お気の毒に、なんたる転落か」と嘆かれたという、イグナッツ・ヤン・パデレフスキー。

 四歳で最初のコンサートを開き、七、八歳の頃にはペルシャの宮廷ピアニストになり、十一歳で千回記念リサイタルを開いたというラウル・フォン・コサルスキー。「ひとくちに千回というけれども、これは四歳のデビュウから十一歳までほとんど休みなく2.555日に一度ぐらいの割合で演奏会をしていた勘定になる」(Kindle版 No.2325)

 住む家もない鉱山労働者のテントの中で生まれ、草原で拾ったカンガルーの子供を唯一の友とし、素足で野山を駆けめぐり、ボロ同然の服を一年中着ていたというのに、ピアノに出会うや奇跡的な才能を示し、一躍ロンドン音楽界の寵児となって、やがて映画スターになったアイリーン・ジョイス。

 「ショパンを弾きながら途中を忘れて盛大に間違え、自分で即興的に「作曲」して弾き終わったあと、聴衆に向かって、この方がいいのだ、と演説した」(Kindle版 No.2732)ウラディミール・ド・パッハマン。

 「不充分な演奏をしたら、聴衆に申し訳ない」(Kindle版 No.2916)と大真面目に主張して演奏会をドタキャンしまくったり、「拍手が少ないのに憤然とした余り、ステージの上から静かな客席に向かって一言「ブタに真珠よ」と捨てゼリフを吐いた」(Kindle版 No.3065)り、八十九歳のときにずっと年下のイタリア娘と結婚し九十六歳にして二時間の演奏会を平然とこなしてしまったり、ピアニストにまつわる面白い話には種切れというものがありません。

 中でも白眉は、日本最初のピアニストでもある幸田延、その弟子である久野久の二人の伝記でしょう。日本における西洋音楽の黎明期に活躍した二人の女性ピアニストの苦難の物語は涙なくして読めません。特に久野久に関する記述には力がこめられています。

 「久にはピアニストになるための音楽的条件と音楽的必然性が何ひとつ備わっていなかった。にもかかわらず、運命は彼女にピアノ以外の何物をも与えることを拒否するのである」(Kindle版 No.1609)

 「彼女と音楽との出逢い、関わり合いには何一つ豊かなもの幸せなものはなく、あるのは不安とつらさばかりであった。そして音楽に身を打ち込めば打ち込むほどにその不安は広がって、彼女から音楽はますます遠くへだたっていくのを彼女は知っていた」(Kindle版 No.1876)

 「名古屋での演奏会では、演奏の途中で指が裂け、血が吹き出してキイがまっ赤に染まってもなお弾き続け、聴衆を圧倒したという。きゃしゃで色白の足の不自由な娘が物の怪に憑かれたように全身全霊をこめてピアノに立ち向かう。満身の力をこめてピアノを叩くと、結い上げた髪はパラバラと肩に落ち、さしていたかんざしはどこかにすっ飛び、帯までもがゆるゆるとほどけていく・・・」(Kindle版 No.1296)

 大いなる悲劇へと向かう彼女の凄絶な人生を劇的に語りながらも、「同じピアニストとして私は、一体どうやったら「指先が破れて血がほとばしり出る」ような奏法になるのか、理解に苦しむ」(Kindle版 No.1792)と冷静に演奏技術の未熟さを指摘するところなど、さすがピアニスト。

 けっこう辛辣な文章が多いのも特徴的で、例えばこんな描写が。

 「ちょっと目の表情のきょとんとした、やや蓮っ葉な感じの極めて愛想の良い人だが、失礼ながら知性や教養といったものには程遠いタイプの人という印象であった」(Kindle版 No.1223)

 「日和見主義者で権力志向で酒飲みで、ときに音楽家としてもイイカゲンな、一言にいってヤな奴らだったようである」(Kindle版 No.2228)

 「女性ピアニストというのは、どうしても性格的には勝ち気で負けん気で強情でしぶとくて、神経質で極めて自己中心的で気位が高く恐ろしく攻撃的かつディフェンシヴで、そして肉体的には肩幅のしっかりとした筋肉質でたくましい、というタイプになってしまう」(Kindle版 No.3038)

 というわけで、出てくる伝記とエピソードが強烈な印象を残し、また文章から感じられる「勝ち気で負けん気で(中略)たくましい」パワーに魅了される、そんな傑作エッセイです。あまりの面白さに一気読みしてしまいました。


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