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『もうおうちへかえりましょう』(穂村弘) [読書(随筆)]

 「私に対するコメントのなかで、いちばん多かったのは「シャツの裾がジーンズのなかに入ってて変」というものだった。そんなの、と私は思った。そんなの、朗読の感想じゃないじゃないか。だが、何枚も何枚もそれが続くのだ」(Kindle版 No.412)

 話題になった『世界音痴』に続く、歌人の穂村弘さんの第二エッセイ集が電子書籍化されたので、Kindle Paperwhiteという電子書籍リーダーで読んでみました。単行本(小学館)出版は2004年05月、文庫版出版は2010年08月、電子書籍版出版は2013年02月です。

 自分は世界からはみ出している、というか世界に触ることが出来ない。どうも他人とズレているがそれをどうしていいのか分からない。誰もが共感するそんな困惑をユーモラスに書いた人気エッセイの第二弾です。

 もちろん短歌評論を初めとする真面目な文章も収録されていますが、やはり印象に残るのは読者をして「まあ、悪いことはいわないから、ムーミン谷に帰った方がいいよ。ほむほむ」と思わせるエッセイ。

 「本当の自分に生まれ変わりたいと思う。そう云うと、よくある愚かな願望のようで恥ずかしいのだが、云い訳をすれば私は小学一年生の時からそう思っていたのである。昨今の流行に乗った訳ではない。時代の方がやっと私の愚かさに追いついてきた」(Kindle版 No.119)

 「心が冷えると「悲しくなるポイント」は、ますます前にずれてゆく。最近では土曜日の夜にはもう悲しみの予兆がある。明日はまだお休みなのに、既にあさっての運命を予感して怯えているのだ。「今」の王様どころか、これでは完全に「未来」の奴隷だ」(Kindle版 No.402)

 「放尿することなく、膀胱の中身を自由に「飛ばす」超能力を想像する。屋久島の縄文杉の根もとに湯気を立ててどさっと落ちる僕のおしっこ。すっきりと軽くなる膀胱。いや、屋久島までは望まない。(中略)そう、おしっこは半径500メートル以内の自分以外の人間の膀胱にだけ飛ばすことができる。これは危険な力だ」(Kindle版 No.485)

 「その後、私は大人になった。子供時代の予感はあたって、立派なひとにはなれなかった。通勤電車に乗って「人生」を送る毎日のなかで、偉人伝を読むことはなくなり、代わりに月刊「連続殺人鬼」といった類の本を愛読するようになった」(Kindle版 No.1143)

 なんかこう、半分くらい「あるある」と共感させつつ、どこかで「でも自分の方がややまし」というみみっちい優越感を覚えさせる。人気が出るのも納得のエッセイが詰まっています。マンネリ感がないのが凄い。

 個人的に特に気に入ったのは、とにかく読書まわりのエッセイですね。

 「旅先で立ち寄った古本屋で特徴のある装幀が目にはいってどきっとする。だが、改めて見直すと『特別料理』と『無限がいっぱい』である。こんな旅先にまで先回りして『一角獣・多角獣』を取り除くとは、造物主の仕事の緻密さに舌を巻く思いがする」(Kindle版 No.1220)

 「煙草の値上がりのニュースを聞くと、反射的に嬉しい気持ちになる。何故、嬉しいのか自分でも一瞬わからないが、その分、高い本を買ってもいいことになるからなのだ」(Kindle版 No.1430)

 「地下鉄日比谷線のなかで「おれはあんたにひとめぼれさあんたは成長したらすこぶるつきの誰もかなわぬ美猫になるよ」とか「なんとすごいなんとすごい季節でしょう」などと無表情に呟きながら、ぶるふる震えている中年男がいたら、それは私である」(Kindle版 No.1563)

 他にも、自分の本のタイトルを『人魚猛獣説』にしようと提案したら編集者にたしなめられてショックを受けたとか、『アラベスク』を読んでいてラストシーンが近づくにつれて「くるぞくるぞ、あの永遠の一瞬が」どきどきするとか、高野文子の新刊を読むときは月齢などのバイオリズムを考慮しなければならないとか。

 というわけで、読者に共感と困惑をまき散らすエッセイ多し。後に書かれる『整形前夜』や『現実入門』などのエッセイ集に比べると粗削りに感じられますが、やはり何ともいえない魅力があります。


タグ:穂村弘
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