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『abさんご』(黒田夏子) [読書(小説・詩)]

 「目をとじた者にさまざまな匂いがあふれよせた.aの道からもbの道からもあふれよせた.」(Kindle版 No.739)

 第148回芥川賞受賞作が早くも電子書籍化されました。単行本(文藝春秋)出版は2013年01月、電子書籍版の出版は2013年02月です。電子書籍版を、Kindle Paperwhiteという電子書籍リーダーで読みました。

 幼い頃に母親を亡くし、父親と二人で暮らす娘。それぞれ自分の読書にふける学者らしき父親と文学少女。永遠に続くかと思われた二人の静かな生活に、しかし闖入者が現れる。新たに雇い入れた家政婦が父親に取り入って、次第に生活をコントロールしてゆくようになったのだ。後に彼女は後妻におさまることに。

 いづらくなった少女は家を出て、長い間実家とは音信不通に近い状態になる。やがて父親は病気で倒れ、帰郷した娘は病院でその死を看取ることに。そしてある朝、これまでの思い出が、そうあり得たかも知れない人生の分岐と共に、様々に想起されてゆく。

 というような話なんですが、これだけならいかにも「古くさい文学」という感じ。しかしこの作品のキモは、何といってもひらがなと造語を多用した横書き文章です。例えば。

 「いなくなるはずの者がいなくなることのとうとうないまま,親は死に,子はさらにかなりの日月をへだててようやく,らせん状の紅い果皮が匂いさざめくおだやかな目ざめへとまさぐりとどくようになれた.ぎゃくにいえば,そうなれたからたちあらわれたゆめだ」(Kindle版 No.21)

 「しるべの過剰な夏がしるべのかき消えた夏に移行して,死からまもなかったころよりももっとしたたかな死のけはいを,無いことのうちに顕たせたはずの夏は,そのことじたいをさえ見さだめきれなさのおぼろの中へ翳りかすませる.」(Kindle版 No.68)

 「まさぐりとどく」、「翳りかすませる」、「からめきおちてゆく」、「うけがう」。古語なのか、格調高い表現なのか、それとも著者の造語なのか、そこらへん判然としない印象的な言葉に幻惑されます。

 出来事の想起はまったく時系列順ではないし、シーン間のつながりもほとんど説明されません。固有名詞も出てきません。読者は能動的な読みを要求されます。

 「うなづくこともできないじょうきょうの中へ目ざめたじょうきょうじたいをりょうかいしたまばたきでこたえた.(中略)ありようのままをうけがい、すなわち死に向かうことをうけがい、さりげなくじょうずにすべりこんでいこうとさそいかけているようなことだった.」(Kindle版 No.638、644)

 「ひとりでねむりにつくということと,まったくべつのつごうからのはんぱなその日づけとのかかわりのうすさとおなじにのどかな,ちょうどその日づけまでころあいの日かずかというひかりまさっていく季節の,きげんのいいむつごとのほのやみだった.」(Kindle版 No.690)

 最初は戸惑うのですが、読み慣れてくるにつれ、さらに状況が分かってくるにつれて、この独特の表現が大いなる効果をあげてきます。「疎遠になっていた父親の死を看取った後、昔の生活のあれこれを思い出した」というだけの短い話に、何人分もの人生を俯瞰するような奥行きを感じるのです。

 というわけで、読み手を選ぶところがある作品ですが、文章はけっこうくせになります。どうやったらこういう表現を創り出すことが出来るのか、不思議でなりません。


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