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『錯覚の科学』(クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ) [読書(サイエンス)]

 バスケのパスを数えていると、画面にゴリラ(の着ぐるみ)が堂々と現れても気づかない。あの有名な動画を制作した著者達による認知心理学の一般向け解説書。えひめ丸事件、リーマンショック、脳トレブーム、モーツァルト効果など、最近の話題も多し。単行本(文藝春秋)出版は2011年2月。

 本書の原題は"The Invisible Gorilla"(見えないゴリラ)。この奇妙なタイトルは、認知心理学の分野でよく知られた動画に由来しています。何かに集中していると、人間は視界の中央を横切ってゆくゴリラにすら気付かない。それを実証した映像です。

 まさかと思うでしょうが、実際にパスを数えながら観てみると、約半数の人がゴリラが登場したことに気付かず、後から再確認してショックを受けるのです。私自身も試してみて、見事にゴリラを見過ごしてしまいました。人間の認知の限界というものをまざまざと実感させられました。

  著者たちによる「見えないゴリラ」のページ
  http://www.theinvisiblegorilla.com/videos.html

 本書は、そのゴリラ動画を作成した著者達による、錯覚や認知バイアスに関する一般向け解説書です。原書が出版されたのが2010年と新しく、人間の思い込み、錯覚、記憶改変、誤認識についての最近のトピックが満載されているのが嬉しい。

 全体は六つの章に分かれています。まず最初の「実験I えひめ丸はなぜ沈没したのか? 注意の錯覚」では、潜水艦の艦長が、えひめ丸の存在を視覚ではとらえていたにも関わらず認知できなかった、という事例を取り上げ、なぜこのようなことが起きるのかを解説します。

 バイクをいくら目立つようにしても交差点での事故は減らない。熟練パイロットでも着陸時に滑走路にいる他の航空機の存在を見落としてしまう。ここで明らかにされるのは、ゴリラの映像が示してくれたように、人間の注意力は予期してない事柄に対して極端に弱いという事実です。

 「実験II 捏造された「ヒラリーの戦場体験」 記憶の錯覚」では、ヒラリーが大統領選で敗北する原因の一つとなった履歴捏造発言を取り上げ、それがおそらく意図的な捏造ではなく、記憶の改竄と呼ばれる心理メカニズムによるものと考えられる理由を説明します。

 映画の大胆なミス(食べているものが途中で変わったり、死んだはずの兵士が次のシーンで歩いていたり)にほとんどの観客が気付かない理由。話していた相手が途中で別人と入れ替わる実験で、多くの人がそれに気付かないこと。重大事件が起きたときに何をしていたかの記憶が、時間経過と共にどんどん変容してゆくことを示した研究。様々な事例を通じて、私たちが「思い出した」記憶には後から手が加えられていることが明らかにされます。

 「実験III 冤罪証言はこうして作られた 自信の錯覚」では、レイプ事件の被害者が確信を持って犯人だと証言し、後に冤罪だと証明された事件を取り上げ、このような誤った確信がどのようにして生ずるのかを探ります。スキルの低い人ほど自信過剰になること、人は自信ありげな他人を信用する傾向が強いこと、など自信に関する錯覚の数々が示されます。

 「実験IV リーマンショックを招いた投資家の誤算 知識の錯覚」では、ある分野の専門家が陥る自信過剰、「自分はそれについて深く理解している」という確信がどんな事態を引き起こすのかが示されます。

 多くの人が自転車の仕組みを説明できないこと。プロジェクトの予定はなぜ狂うのか。そして投資家や金融業の専門家がサブプライム危機を見抜けなかったのはなぜか。こういった話題が取り上げられます。

 「実験V 俗説、デマゴーグ、そして陰謀論 原因の錯覚」および「実験VI 自己啓発、サブリミナル効果のウソ 可能性の錯覚」では、様々な迷信、疑似科学、陰謀論が取り上げられます。

 予防接種は自閉症の原因となる。寒い雨の日には関節炎が痛む。モーツァルトの音楽を聞くと頭が良くなる。人間は脳の潜在能力の10パーセントしか使っていない。映像に知覚できないほど短時間のサブリミナルメッセージを混ぜることで潜在意識に影響を与えることが出来る。脳トレのゲームをやることで老化やボケを予防できる。検証の結果、まったくのデタラメであることがはっきりしているにも関わらず、なぜ人はこういった俗説を信じ続けるのかが解説されます。

 通読してしみじみ感じるのは、「直観はあてにならない」ということ。迷ったときは最初の直観を信じろ、という格言は信じない方が良さそうです。

 というわけで、次から次へと登場するトピックを追うだけでも充分に楽しめる認知心理学の入門書です。注意力、記憶、自信、知識、原因、可能性、それぞれについて自分がどれほど間違いやすいかを知っておくことで、トラブルを避けることが出来るかも知れません。


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