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『このタワーがすごい! スカイツリーから「太陽の塔」まで』(鈴木重美) [読書(教養)]

 東京タワー vs 東京スカイツリー、太陽の塔と通天閣、法隆寺の五重塔、さらには大阪市環境事業局舞洲工場焼却塔まで。日本中、100のタワーを訪れ「タワー評論家」を名乗る著者が熱く語るタワーの魅力。新書(中央公論新社)出版は2011年7月です。

 最初から最後までタワーまみれ、塔づくしの一冊。何でも日本には「国宝、重要文化財の指定を受けている塔だけでも130基」(新書p.140)あるのだそうで、雨にも風にも地震にも負けず(ときどき雷に負けつつも)日本人は塔を建てるのが大好きだということが分かります。

 「人が住むような建物ならまだしも、どうして塔のような、ただ高いだけのものを作ろうとしたのだろう。そのころから私は、「不条理」という言葉では片づけられない、日本人の心の奥にある、塔に対する“精神性”を感じるようになった」(新書p.4)

 というわけで、日本人の心の奥底にある精神を求めて著者は全国の塔を訪ね歩きます。その数は100に達するというからすごい。

 まず「タワーの定義」という(ごく一部のマニアの間で)ホットな論争となっている話題を取り上げ、続いて東京タワーと東京スカイツリーへ。さらには東寺の五重塔、京都タワー、通天閣、太陽の塔といった関西の塔。北海道や沖縄に建つ慰霊塔。横浜マリンタワー。様々な名塔や珍塔。既に取り壊された塔。そして世界中で進められている摩天楼の高さ競争の現状まで。

 「とんがり君と四天王」(二重螺旋逆転)、「PLタワー」(超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔)、浅草の「人工衛星塔」など、名物タワーの紹介にも熱がこもっています。

 太陽の塔に惚れ込んだ著者による、岡本太郎が作った塔を全て回るという無謀な旅のレポート、タワーキャラ(塔のイメージキャラクター)の番付など、妙なコラムも充実。

 「私にとって、タワーは「見上げた時、元気が出る存在」だ。そこから人を魅了するエネルギーがほとばしっていればいいのである。登れなくてもかまわない。ビルだろうが、塔だろうが、鐘楼だろうが、過剰なエネルギーによって、私を惑わせる存在がタワーなのである」(新書p.23)

 塔に対する熱い想いが伝わってきます。

 ただ、それと同時に、どこか方向が間違っているような、狙っているのか天然なのか微妙なユーモアが随所に感じられて、それがまたイイ味を出しているんですね。

 例えば、東京タワーへの愛を表現するとき、著者は「東京タワーの主な倒壊史」を年表にしてしまいます。「1961年 モスラによる倒壊」から「2006年 日本沈没で倒壊」まで。

 その上で「中でも『ゴジラ FINAL WARS』の東京タワーの折れ方はまさに芸術」と絶賛。東京スカイツリーについても「どうしても倒してほしい。倒壊の美学を、カタルシスを味わわせてほしい」(新書P.53)。塔への愛としては屈折しているような気がしてなりませんけど。

 塔を褒めるときも、こんな感じ。

 「この塔を初めて見た時、その異様な姿にしばし言葉を失った。宗教という存在があれば、人はこうも奇抜なデザインを施すことが可能なのだろうか、と。そして、「変な塔」「珍塔」などと書こうものなら教団からお咎めを受けはしないか、そんなことを思ってしまう己の小ささを思い知らされた」(新書p.119)

 あるいはこんな感じ。

 「どう見てもつっかえ棒をしているようにしか見えない。老朽化をさらに痛々しく感じさせるつっかえ棒。この棒のおかげでもしかしたら解体の時期が早まってしまったのではないか」(新書p.172)

 さらにはこんな感じ。

 「施設の機能とは全く関係のない装飾を施し、批判を浴び続けた彼の作品は、私のような、全く意味もなく高く空に伸びるタワーを愛する者でさえ、「たしかに無駄かも」と思ってしまうほどである」(新書p.90)

 素直に褒めておけよ、と思いますが、おそらく著者なりの賛辞なのでしょう。

 さて、そうして全国の塔を巡ることで「日本人の心の奥底にある精神」は見つかったのでしょうか。そう、著者はこのように結論づけるのです。

 「ありが塔!」

 駄洒落かよっ!!


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