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『イカの心を探る  知の世界に生きる海の霊長類』(池田譲) [読書(サイエンス)]

 軟体動物であるイカは、なぜ不釣り合いとも思える巨大な脳を持っているのか。記憶力、社会性、自己認識、幼少期の刷り込みなど、次第に明らかになってきたイカの驚くべき精神活動の数々。専門家がイカの知能と「心」に迫った一般向けサイエンス本です。単行本(NHK出版)出版は2011年6月。

 タコやイカは軟体動物の一種で、まあ貝の仲間です。それなのに、体重あたりの脳重量を比較してみると、驚いたことに(一般的に軟体動物よりも「高等」と見なされている)魚類や爬虫類よりも大きく、鳥類や哺乳類にせまるというのです。彼らはそんなに(相対的に)大きな脳をいったい何に使っているのでしょうか?

 この疑問を追求してきたイカ研究の専門家が、現在までに判明していることを分かりやすく解説してくれたのが本書です。

 全体は五つの章および序章と終章から構成されています。まず序章でイカに関する雑学、そして研究のために彼らを研究室で飼育するのがどれほど困難であるかが語られます。終章は全体のまとめです。

 「第一章 イカの脳をさぐる」では、イカの脳や眼がどれほど立派なものであるかが示されます。「イカの脳は、その絶対的なサイズで見れば無脊椎動物では最大である。加えて、相対的なサイズで見れば、脊椎動物の仲の魚類と爬虫類よりも大きい」(単行本p.58)。というわけで、本書の中核をなす疑問が提示されることになるわけです。いったい、イカはその巨大な脳を何に使っているのでしょうか。

 「第二章 イカの社会性をさぐる」では、イカは漠然と群れているのではなく整然とした隊形を組んでおり、弱い個体を強い個体がガードすると共に、歩哨の役目を果たす個体がいる、といったことが明らかにされます。さらに繁殖時の駆け引きや、群れの中にも順位制がある、といったことも。

 でも驚くのはここから。何とイカの群れにはソーシャルネットワークがあり、研究者はイカのソーシャルグラフを書くことが出来るというのです。コミュニティの中核(ハブ)にいる個体と周辺的な個体があること、アオリイカでは社会的地位(順位)が高い個体がハブに位置するのに対して、トラフコウイカでは逆に地位が低い個体がハブとなっていた、など興味深い情報が次々と。

 「第三章 イカの賢さをさぐる」では、イカの記憶と学習に関する研究成果が示されます。単に学習するだけでなく、短期記憶と長期記憶があること、さらにエサの捕獲法やエサの好みなども遺伝的に決定しているのではなく「学習」によって学んでゆくこと、そして学習には臨界期がある(人間が一定年齢を過ぎると言語の習得が難しくなるのと同じ)といった、びっくりするようなことが書かれています。軟体動物ですよ。

 「第四章 イカのアイデンティティーをさぐる」では、いよいよイカに自己認識が可能か、という未知なるテーマに向かって突き進んでゆきます。まず、イカが他の個体を単に「同じイカ」とだけ認識するのではなく、馴染みのAさん、初対面のBさん、といった具合に個体識別していることが実験で明らかにされます。

 そして類人猿やイルカで行われたマークテストと呼ばれる実験(鏡に映った自分の像を見て、それが自分であることを認識しているか試す実験)をイカに対して実施した著者自身の研究について詳しく解説してゆきます。

 「第五章 イカの赤ちゃん学をさぐる」では、イカは生まれる前から(卵の中から)外界を観察し餌となる生物を記憶するという「食物刷り込み」があることが示され、またまたびっくりすることになります。

 何を食べればいいのかなど遺伝的に決定されていると思うのが普通ですが、環境に合わせて餌を替えるためか、イカは自分が何を食べるべきかを生まれる前に「学習」するというのです。その学習は特殊なもので、ちょうど鳥類の一部に見られる刷り込み(生まれて初めて見た「動くもの」を母親だと学習する機能)と同じように働くのだそうです。

 さらに、孤立して引きこもり状態で育ったイカは脳があまり発達しない、単色の背景だけを見て育ったイカは保護色をうまく使えない、などといったことも明らかにされ、イカが様々なことを「学習」して成長してゆくことが分かります。また健全な成長のためには仲間とのコミュニケーションが欠かせない、といったことも分かってきました。

 通読して感じるのは、軟体動物のくせに様々なことを「学習」して成長してゆくイカという生物の不思議さ。著者がイカやタコを「海の霊長類」と呼ぶのも納得がゆきます。大きな脳は、このために必要なのでしょう。

 文章は読みやすく、テーマは非常に興味深い一冊ですが、途中で話があちこちに飛ぶのがちょっと困りもの。「イカ話ばかり一直線に書いたら一般読者がついてこないだろう」と思ったのか、途中でいきなりタコの話になったり、鳥の話になったり、研究者仲間の話になったり。自分の体験談や苦労話や思い出話にちょっと触れているうちに、何だか止まらなくなることもしばしば。

 こういった脇道を楽しめないと、ちょっとイライラするかも知れません。思えば、名著として知られる『イカはしゃべるし、空も飛ぶ』(奥谷喬司)はここら辺の雑談や脇道が実に巧みだったような気がします(2009年08月25日の日記参照)。あの本を読んでイカの不思議さに魅せられた方、本書も合わせてどうぞ。


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