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『出合頭』(イデビアン・クルー、井手茂太、斉藤美音子) [舞台(コンテンポラリーダンス)]

 昨日(2011年10月30日)は、井手茂太ひきいるコンテンポラリーダンスカンパニー、イデビアン・クルーの最新作を観るために夫婦で川崎市アートセンターに行ってきました。

 しばらく活動を休止していたイデビアン・クルー。ようやく再開した前回公演は観ることが出来ず(チケットを買った回がちょうど東日本大震災のため中止となり、断念)、欲求不満がたまっていたのです。ひさしぶりの公演に期待が高まります。

 アルテリオ小劇場の床に白い(12畳くらいの)正方形の舞台を設けて、井手茂太さんを含む8名のダンサー達がそこで(あるいはその周囲で)踊ります。小道具としては椅子8脚が使われるだけ(実はミラーボールも出てくる)のシンプルな舞台です。

 特定の状況設定はなく、基本的に抽象ダンス作品です。しかし、そこは井手さんの振付。いきなり突拍子もない変な動きが出たり、複数のダンサーが相互にからんで小芝居みたいになったり、同時多発的に繰り出される小刻みなギャグやくすぐりも楽しく、最初は意味がありそうだった動きが何度も繰り返されているうちに意味が失われて何だか変なダンスになったりと、全体から滲み出る妙なおかしさは健在。

 静かなシーンが多いこともあって、これまでの作品と比べてちょっと控えめというか薄味に感じられましたが、これはこれでいいかな、と。まず何よりイデビアン・クルーのメンバーに再会できて嬉しい。

 井手茂太さんのダンスはやはり凄い。いっけんダンサーらしくない体型(ありていに云うと普通のおっさん)という印象なのですが、ここからいきなりすっとんきょーな動きが飛び出て、おおおっ、と驚嘆し、その流れるようなカッコいいダンスに心奪われてしまう。もう、普通にぺたぺた歩いているだけで何だか妙に可笑しく、そして心動かされてしまいます。ときめき。

[キャスト]

振付・演出: 井手茂太
出演: 斉藤美音子、中尾留美子、宮下今日子、依田朋子、佐藤亮介、中村達哉、原田悠、井手茂太


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『SFマガジン2011年12月号 特集:The Best of 2005-2010』(ジョン・スコルジー) [読書(SF)]

 SFマガジンの2011年12月号は、「The Best of 2005-2010」と題して、2005年から2010年に発表された海外SF作品五篇を翻訳掲載してくれました。

 冒頭に掲載されたのは、『トロイカ』(アレステア・レナルズ)。

 太陽系に突如現れた巨大構造体、その幾重にも殻をまとった姿から「マトリョーシカ」と名付けられた物体に接近する第二ソビエト連邦の有人探査船「テレシコワ」。いくつもの障壁を抜けてマトリョーシカ内部への侵入に成功した宇宙飛行士たちがそこで見たものとは。

 この探査ミッションから帰還した元宇宙飛行士の一人が精神病院から命がけで脱走する緊迫したシーンから始まる作品で、その逃避行シーケンスと過去の探査シーケンスが交互にカットバックで進んでゆくという構成です。

 探査で何が見つかったのか、政府が真相を隠蔽するために宇宙飛行士を軟禁しなければならなかった理由とは。そして、主人公が届けようとしている謎の物体が持つ意味は。様々な謎とサスペンスで読者をぐいぐい引っ張ってゆきます。

 『懐かしき主人の声』(ハンヌ・ライアニエミ)は、飼い主を奪われた犬と猫が一緒に旅に出て、艱難辛苦の末に協力して宿敵を倒し、ついに飼い主を解放しました、めでたしめでたし、という、どのディズニー映画だったっけ、みたいな話。この単純なプロットに、ナノテクやサイバーテックのガジェットを山ほど放り込み、目もくらむような切れ味に仕上げているところが特徴。

 サポート担当の犬が放った軌道上からのフラクタルコード奔流がファイヤーウォールを突破。「いまだ、いけ!」、猫を包む量子ドット繊維の戦闘アーマーが翼を展開し、敵地に向けて強襲降下を開始する。犬の移植手がガウスランチャーを構え、猫の脱出支援のために核ペイロードを発射。天に炸裂する純白の光球。

 ディズニーじゃないなあ。

 『可能性はゼロじゃない』(N・K・ジェミシン)は、アクシデントの発生確率が超自然的に高まったニューヨークが舞台。人々は、あらゆる祈り、お守り、迷信、ジンクスに頼ることで、この事態に適応していこうとしている。馬鹿げた迷信(でも今や実効がある)を大真面目に実践する、極めて現実主義的なニューヨーカーたちの姿がおかしい好短篇。

 『ハリーの災難』(ジョン・スコルジー)は、人気スペースオペラシリーズ『老人と宇宙』の番外篇。かつてペリーの同期生だったハリー・ウィルスン中尉は、外務部より奇妙な依頼を受ける。エイリアン種族、コルバ族との交渉をまとめるため、彼らの戦士と闘技場で一騎討ちをしてほしいというのだ。

 スコルジー宇宙におけるエイリアン種族は、どれもこれも「闘技場での決闘」で重要なことを決める、という悪癖があるようです。というわけで、ハリーはえらい目にあうことに。最初から最後まで、軽口の応酬やらコミカルなシーンやらが続く楽しいユーモア作品。

 『小さき女神』(イアン・マクドナルド)は、名作『ジンの花嫁』(SFマガジン2007年8月号掲載)の姉妹編。近未来のネパールで、生き神として選ばれた少女の成長がじっくり描かれます。

 ル=グィン『こわれた腕環』(ゲド戦記第二巻)を連想させるような、生き神としての宮殿生活。そして追放。インド大都市での辛い暮らし。人身売買のような結婚から逃げ出した彼女は、非合法AI密輸のために運び屋に仕立て上げられる。

 彼女の脳に埋め込まれたサイバーニューラルネットに搭載されたAIたちがデーモンとなってとり憑き、彼女は様々な自意識や複数人格を抱えたままデーモンをあやつる女神となってゆく。放浪の果てに、彼女は自らの居場所を見つけることが出来るのだろうか。

 何といっても、ヒンズー教の神々が息づく近未来インドの描写が素晴らしい。SFと神話が見事に融合していて、その幻想的な雰囲気には陶酔感を覚えます。文章力が桁違い。ラストもすごく感動的だし、今号掲載作のなかでは本作が最も気に入りました。いいですよこれ。

[掲載作品]

『トロイカ』(アレステア・レナルズ)
『懐かしき主人の声』(ハンヌ・ライアニエミ)
『可能性はゼロじゃない』(N・K・ジェミシン)
『ハリーの災難』(ジョン・スコルジー)
『小さき女神』(イアン・マクドナルド)


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『日本人が成功すんなら、アジアなんじゃねぇの?』(豊永貴士) [読書(教養)]

 今まさに高度経済成長真っ只中。地価も年商も急上昇中、しかも日本人なら簡単に思いつくような小さな商機がいっぱい。まずは日本人相手のビジネスからスタートしてよし。だから英語ダメでも無問題。さらに円高と最強パスポートが強力な武器に。さあ、今こそチャンス、沈みゆく日本を脱出してアジアで稼ごう、と煽りまくる本。単行本(KKベストセラーズ)出版は2011年10月です。

 アンコールワット遺跡の近くで「土産物クッキー」を売るだけで年商2億円。蚊取り線香や100円ライターをいち早くアジアに持ち込んだ人は大成功。タイ、ベトナム、カンボジア、シンガポール、インドネシア。高度成長中のアジア圏には、手にした金を使いたくて仕方ない人と、日本には普通にあるのに現地にはない便利なモノやサービスがいくらでも存在する。ビジネスチャンスだ。

 しかも、日本人は圧倒的に有利。タイなら日本人というだけで給料2倍、カンボジアでは国を叩き売るような外資優遇策を受けられる。円高で生活費はどんどん安くなっているし、日本のパスポートならどこにでも行ける。何より、高度経済成長のときに何がどうなるのか、既に経験済の日本人なら先読みも簡単。そして言葉は(英語も)まるでダメでも大丈夫。

 そこの君、日本で仕事に苦労するくらいならアジアで稼いでみないかっ!

 という煽りでいっぱいの本です。いやー、煽ること煽ること。あちこちに「ここだけの話」とか「えらいことです」とか巨大フォントでどかーんと書いてあり、このいわゆるフォントいじりがものすごくいかがわしい雰囲気をかもし出しています。

 もちろん、ただ煽るだけではなくて、具体的にタイで現地採用を狙う方法、ベトナムで起業するノウハウ、「明るい北朝鮮」ことシンガポールのビジネス環境、中小企業がカンボジアに進出すべき理由、といった具合に国別に具体的なことを教えてくれる上に、現地で成功した日本人へのインタビューが載っています。

 起業といっても現地法人を設立してどうのこうのという話ではなく、いきなりこういうレベルで持ちかけてくるのが凄い。

 「(海外旅行中に)日本なら普通にあるけど、アジアのその国にはないものを見つけたら、今度はそれを日本から持ってきて、スーパーの担当者にお小遣いをあげながらいってみる。(中略)試しでいいから、これをお店に置いて、売ってみてよ。売れたら儲けの半分は、あなたのお店にあげるから」(単行本p.207)

 「そんな感じで、見事に商談成立。(中略)そんな小さなことで、と思うかも知れないけど、これで大成功している人がいっぱいいるのが、今のアジアの現実だ。(中略)」(単行本p.208)

 読んでいると、日本で就職に苦労したり、リストラに怯えながら残業するのがアホらしくなってきます。文章は気さくというか雑というか軽薄というかブログっぽいというか、とにかく若い人に読んでほしいらしく、実に読みやすくなっています。

 というわけで、就職のことを考えると気が重い大学生の皆さん、仕事が嫌だが転職する勇気もない社会人の方々、子供の将来を憂えている親御さん達、読んでみるとよいかと思います。

 まずは興味半分でいいから本書に目を通して、その気になってきたらもう少し真面目な『アジアでハローワーク』(下川裕治)を読み、とりあえず現地視察にでも行ってみるかという気になったら『日本を脱出する本』(安田修)で各国の外国人就労制度について調べる、という手順が個人的なお勧めです。


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『植物診断室』(星野智幸) [読書(小説・詩)]

 シリーズ“星野智幸を読む!”、第12回。

 幼い息子に対して「暴力的でも抑圧的でもない成人男性のロールモデルになってほしい」という風変わりな依頼を受けた草食系男子。「独身男+母子」という家族の新しい形を模索する長編。夫でも父でもなく、ただ子供の精神的成長への影響のみ担うという「父性」は成立するのか。単行本(文藝春秋)出版は2007年1月です。

 主人公は、人づきあいにも恋愛にも興味がない三十代の独身男性。マンションの高層階に一人で住み、ベランダに土を敷きつめてそこに様々な植物を繁茂させています。趣味は徘徊。知らない町の細かい路地をくまなく歩き回ってゆく様子は、さながら土中に根毛をのばしてゆく植物のよう。

 いわゆる草食系というか、むしろ植物系というべき人物です。さらに彼は催眠状態で「植物に成りきった自分」を想像して癒されるという、何だか怪しげなセラピー「植物診断室」に通っていたりもします。植物になりたい、植物になって一人で静かにただ生きていたい、というのが願望。

 そんな彼が、離婚した後に二人の幼い子供を育てている女性から風変わりな依頼を受けます。元夫は支配欲の強い、暴力的、抑圧的な男で、上の息子がその影響を受けて成長するのを何としても避けたい。だから全く違うタイプの男である主人公に、息子の精神的成長に対して影響を与えてやってほしい、というのです。

 依頼を引き受けた主人公は、母子家庭に対して「暴力的でも抑圧的でもない成人男性というロールモデルを提供する」という仕事に取り組むことになります。母子と独身男性という組み合わせは、はたして家庭の新しい形を生み出すことが出来るのでしょうか。

 これまでの作品では、独身者だけのコミュニティを扱った『毒身』、死んだ後に植物になることを切望する女性が登場する『アルカロイド・ラヴァーズ』を連想させます。しかし、旧作に見られたような追い詰められた切迫感や憤激は感じられず、かすかな希望と静かな悲しみのようなものを感じさせる静謐な物語になっているのが印象的です。

 主人公の人物造形はかなり極端ですが、共感する、あるいは好感を持つ読者も多いんじゃないでしょうか。特に、家族関係に暴力性や支配欲を持ち込むことを隠そうともしないで、むしろ誇らしげにそれを「男らしさ」とか「父親の役割」とかいう男に辟易している方など。

 ヒロインの試みは、こういった旧弊な「男らしさ」や「父性」の再生産をくい止めるための草の根抵抗運動だと見なしてよいかと思います。ラスト近くで、靖国神社参拝問題がちらりと登場して、本作のテーマが単なる家庭内だけの問題ではなく国の構造そのものに深く根を下ろしていることが暗示されます。でも大きな話にするのを嫌ったのか、さらりとかわしてしまいますが。

 ラストに残されたのは、かすかな希望なのか、深い諦観なのか。いずれにせよ、いっけん軽めの家族小説のように見せかけて、実はかなり過激なフェミニズム小説なのではないか、という気がします。文章も含めてこの著者にしては非常に読みやすい作品で、単に「草食系男子が幼い子供やその母親と家族ごっこをする話」として読んでも充分楽しめますが。


タグ:星野智幸
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『跳躍者の時空』(フリッツ・ライバー) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

 「SF史上最高の猫」、ガミッチが活躍(したりしなかったり)するシリーズ5篇を含む全10篇を収録したフリッツ・ライバーの短篇集。猫たち、魔女、亡霊、そして幻想が織りなす魔法の物語。単行本(河出書房新社)出版は2010年1月です。

 『SFが読みたい!2011年版』においてベストSF2010海外篇第9位に選ばれたフリッツ・ライバーの短篇集です。SF色はほとんどなく、基本的に魔法と幻想が支配するダーク・ファンタジー作品が収録されています。

 まず前半は、作者の飼い猫をモデルとした「ガミッチ」が登場するシリーズ。いつの日か(たぶんコーヒーを飲めるようになったとき)自分は人間になるのだと信じていた仔猫時代を描く『跳躍者の時空』、いたずら盛りの若猫時代を描いた『猫の創造性』、この辺まではごく普通の猫小説。

 しかし、『猫たちの揺りかご』で宇宙人が登場、『キャット・ホテル』と『三倍ぶち猫』では魔女が登場して、一気にダーク・ファンタジーめいてきます。今や立派に成獣したガミッチが頼もしいこと。

 『『ハムレット』の四人の亡霊』は、古い劇場を舞台としたゴーストストーリー。「ハムレット」上演中に、役者が楽屋で死んでいることが判明。死後一時間が経過していた。では、彼が担当していたはずの「亡霊」を舞台上でさきほど演じたのは誰なのか。ウィジャ板は一つの名前をつづる。「S. H. A. K. E. S. P. E. A. R. E」と・・・。

 ちょっとしたひねりはありますが、それも含めていかにもオーソドックスな作品。どこに向かうのかさっぱり分からず途方に暮れるような他の短篇に比べて、安心して読めます。

 『骨のダイスを転がそう』は、サイコロ博打で死神に挑戦した一人のギャンブラーの物語。全体を漂っている「夢の中にいる感覚」が生々しく、思わず引き込まれます。もちろん夢オチだということは予想できますが、その処理も巧みで、にやりとさせられます。

 『冬の蠅』は、ある一家(夫、妻、子供)が夕食後にリビングでそれぞれの空想にふける話。客観的に見れば微笑ましい一家団欒の場なのですが、夫の空想があまりに強烈で(世界を闇から操る秘密結社への入会を勧誘されるシーケンスとか)、現実と虚構が入り混じっておかしなことになってゆきます。

 『王侯の死』は、作者自身の過去を織りまぜたと思しき青春小説。若くて、頭がちょっと良くて、生意気で、自分たちを新人類だと思っていて、SFを読まない世間を馬鹿にしていて、仲間うちでの小賢しい会話をクールだと信じていて、うわっ、なにこの既視感。

 話そのものは、一定の歳月ごとに現れる謎めいた友人が軸となって展開してゆき、SFっぽい(というよりオカルト妄想的)オチに辿り着きますが、プロットよりも細かい描写や会話に惚れ込んでしまう作品。個人的にはけっこう好み。

 最後の『春の祝祭』は、またもや魔女が活躍する奇妙なファンタジー作品。ある嵐の夜、厳重に隔離された研究所に住む数学者の部屋に、謎めいた美女が忽然と現れる。お勉強は得意だが女性にはさっぱり縁のない貧相な(SF読者の多くが感情移入しやすい)主人公は、その美女と(部屋に二人っきりでいても何をしていいやら分からないので)他愛もないゲームを始めるのですが・・・。

 かなり強引に読者を引きずり回した挙げ句に窓から突き落として知らんぷりするような作品ですが、どうにも憎めないというか、忘れがたい作品です。

 全体に、B級SFと、B級ホラーと、B級ファンタジー、それに通俗的オカルトをほどよく混ぜて、そこに魔法のような文章をつけてみたところ、レベルの高い幻想文学が出来上がってしまった、というような。どの作品にも、どこか奇妙なユーモアが漂っているのもいい感じです。

[収録作]

『跳躍者の時空』
『猫の創造性』
『猫たちの揺りかご』
『キャット・ホテル』
『三倍ぶち猫』
『『ハムレット』の四人の亡霊』
『骨のダイスを転がそう』
『冬の蠅』
『王侯の死』
『春の祝祭』


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