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『返信を、待っていた』(笙野頼子)(「群像」2019年1月号掲載) [読書(小説・詩)]

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 それでもピジョンが来てからの私は、とても良くなった。
(中略)
 このピジョンにより、ギドウをうしなった本質が今一旦隠れている。しかしそれで前に進もう、元に戻ろう、とすると、どっちにしろ地獄のようになってしまう。そこに言葉はないし正体もない。ただ大地の底で小さい火が燃えている。崖が向こうにある。かつて私を生かしていたものが全部滅亡している。それでも、怒りを維持する事で生命を維持している。どんな時も、今をやり過ごしても未来を憂えていたら、他人の人生を生きて蘇ってこれる。難病の若い人のブログを読んでいて、食べているおやつの写真を見る。この知らない人が死ぬことが嫌だと思う。

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「群像」2019年1月号p.26


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第123回。


 「どっちにしろ、どなたの足元にも、今からは地獄が来るのである」
 (「群像」2019年1月号p.31)

 今年亡くなった川上亜紀さんへの追悼。老猫との生活。そして、世にはびこる異常言語、女性差別、TTPとの闘い。後悔と怒りと希望。この一年間を「濁ったゼリー」で固めて川上亜紀さんに捧げたような壮絶短篇。掲載誌発売は2018年12月です。


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 今年のまだ寒い春、彼女の、モーアシビという、同人誌が届いた。
(中略)
 基本、ひとり同人誌だと思っていたそのモーアシビに、その号だけ参加人数が多いような気が私はしていた。それでまた、ふと不安になり、しかし読んでみると、亜紀さんのところの灰色猫氏が口を利くようになったという、飼い主本人の通信はあるし、他のメンバーの、方言の詩なども載っていて面白く、不安は消えた。この号はリニューアルかもしれないと結論した。或いは彼女に今体力がないのでそうしたのだろうとも。お礼のメールを打った。アドレスは生きていた。

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「群像」2019年1月号p.16


 ここで言及されているのは、おそらくモーアシビ第34号のこと。川上亜紀さんの最後の作品が掲載されているこの号については、私もブログに紹介記事を書きました。参考までにリンクをはっておきます。灰色猫。

  2018年01月24日の日記
  『モーアシビ 第34号』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-01-24


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 手紙が来てからすぐ、群像新人賞のパーティで亜紀さんと会った。滅多に文壇パーティには来ない、或いは初めてきたのだと彼女は言った。別にここ文壇なんかじゃないし、と私は一回り下の相手にふと抵抗したくなった。それと手紙の独特な感じが気になっていた。それは詩人の冷静さである。私は詩に縁遠い。
(中略)
 目鼻だちはともかく、なんとなく自分に似ている若い女性だった。それ以後は一度も会っていない。お互いに外に出る機会も少なく、体力もあまりにも足りなかった。
 なお、それは二十年程も前の話である。当時、彼女と共有している技術以外のものに、その時の私は気づいていなかった。難病、それも自己免疫疾患の数の少ないの、……自分の体が自分の敵になってしまうというその設定。

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「群像」2019年1月号p.18、19


 個人的な話ですが。

 私は川上亜紀さんとは一面識もないのですが、配偶者は「現代詩の会」で何度か同席したことがあるとのこと。会が終わった後、渋谷から新宿まで電車で移動するわずかな時間、彼女と話した。詩人仲間と一緒のときもあれば、ときおり二人だけで会話することもあった、と。

 配偶者によれば、最後に会ったとき川上亜紀さんは、今は小説の本を出したい、といっていたそうです。配偶者も私も、待っていれば小説が、もしかしたら長篇が読めるかもと、疑いもなくそう思っていたのです。


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 なんで長いのを書かないんだ、いつまで書かない、と私は心配していて、三秒位だけど腹立てていた事があった。それを本人に言わなくて本当によかった。だって今思えば彼女について、私は根本的な理解が欠けていたのだった。難病同士でも想像出来なかった。おそらく彼女のは詩人の体なのだ。
(中略)
 書けないというけれど少しずつずっと発表はしていた。というか短編はある。群像にはわざわざ見せなかったのか。他誌で不当な扱いをうけたこともあった。小説は体力がいるという話を、確か平田俊子さんと対談した時に聞いた。
 今は十一月で、彼女の最新刊となる短編集『チャイナ・カシミア』のゲラが家に来ている。私は十二月中に、この後書きを二十枚、書くことになっている。

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「群像」2019年1月号p.20、21


 配偶者によると、笙野頼子さんの話題になったとき、笙野頼子さんから年賀状が届くということを川上亜紀さんから教えてもらったそうです。気づかってもらって感謝しているという感じだったと。その川上さんがもういない。書かれるはずだった作品も失われて、いや、奪われてしまった。「徴税」されたのだ。


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 首相を許さない。難病でありながら、難病患者を売った。私達を人間だと思っていない。亜紀さんも私も、要は世界的医療複合体に食わせるエサなのだ。一個の桶のなかで、伝わる会話をしながら、生きたままおとなしく食われていけというのか?
 戦争法案のすぐあとで彼女のツイッターを発見した。国会前にいた。それでもそれ以前の事、一度、「安倍さん」と手紙がさん付けになっていた事があった。人の痛みの判る、しかし自分の事は他人事のように言ってしまう、それで誤解されるかもしれないやさしい人物。

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「群像」2019年1月号p.20


 関係者による追悼文が掲載されたモーアシビ第35号、そして現時点における川上亜紀さんの最新単行本(来年早々に『チャイナ・カシミア』の他にも作品集が出る予定だときいています)について書いたブログ記事にリンクをはっておきます。


  2018年07月11日の日記
  『モーアシビ 第35号』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-07-11


  2018年06月19日の日記
  『あなたとわたしと無数の人々』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-06-19



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『Kindleで読める笙野頼子著作リスト(内容紹介つき)』に『ウラミズモ奴隷選挙』を追加 [その他]

 電子書籍リーダーおよびアプリとして提供されているAmazon社の「Kindle」シリーズで読める笙野頼子さんの著作リスト(内容紹介つき)に、『ウラミズモ奴隷選挙』を追加しました。

『Kindleで読める笙野頼子著作リスト(内容紹介つき)』
https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-09-23


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『山よ動け女よ死ぬな千里馬よ走れ』(笙野頼子)(「民主文学」2019年1月号掲載) [読書(随筆)]

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 あるいは彼らが男尊的に女性を侮辱すれば、野党も保守勢力の票を呼び込めると考えているのか? でもそれで政権をとっても改革を望む女性は、国民は、また捕獲される。何もかもそれでは、元のままではないか? そこを改善すれば、選挙で戦争が止められるかもしれないのに。女性差別やめろ! それで山が動くかもしれないのに。まだ希望はあるのに。
 女よ死ぬな! 私はまず、自分が死ななくてよいように文学をやっている。
 なので「選挙勝たないと」など平気で言っている(文学の中でさえも)。
 しかし森鴎外だって言ったはずだよ? 文学は何をどんなふうに書いてもいいものだと。
 だからまたここに、最後に書いておく、能天気な希望? いや、イメージする事で前に進むんだ。

 山よ動け、女よ死ぬな、千里馬よ走れ。

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「民主文学」2019年1月号p.120


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第122回。

 文学に何が出来るのか。ひょうすべや猫キッチンを書いた理由。文学の役割。現代の政治状況。これらの話題についてひとつインタビューを……。
 民主文学からの依頼に対して、文学で応える作家。含みのある問いに蹴りを入れ、綱ひきちぎり、千里を駆けよ、文学という自由な馬。掲載誌発売は2018年12月です。


 「民主文学」2019年1月号に掲載された笙野頼子さんのエッセイ。「文学になにができるのか」という与えられたテーマに対して、最初から全力で撃ち返してゆきます。


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 マスコミとサブカルと時にアカデミまでが、寄ってたかって、文学の血を吸い、文学に口輪をはめ、文学の偽物を、三猿を前に出しておく、大新聞は東京電力の広告をまた受けてしまっている。やがてその三猿共さえいつかいなくなり、マスコミの人々は最終的には自分達が文学だと言いはじめるだろう。ついに戦争になりそうになる。すると「文学に何が出来るんだ、何も言わない、なぜ言わない」と言ってきやがるだろう。口輪をはめたまま殴ってくるだろう。
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「民主文学」2019年1月号p.114


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 だってこの国、というか権力それ自体は、民主でも純でも、文学を侮辱する事によって回っているからね、侮辱するためにそこに置いておいて、殴る専用で閉じ込めておいて、大マスコミは気に入ったおとなしい文学に仕事を「与えている」つもり? だけど文学は牙のある天馬、腹が減ったり或いは気が向いたりしたら、綱をきって飼い主の喉笛を嚙み千切る。
(中略)
 民主文学に出来る事? それならばさくっとクソバイスでもなんでも私でも言えるけどね。例えば幟を肉球新党のような素敵なのにしたら? とか。

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「民主文学」2019年1月号p.111、112


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 そもそも文学に出来ないことなんてあるんですかね? だってすごいですよ、この文学という馬は、いわば、千里の馬。
 どんなに時代が激変しようがしまいが要するに文学は万能、死なない馬。言葉がある限り始まりがある限り疑問とともにやって来て、育ってしまう馬。それはしかも一日千石の食物を与えれば千里を走る馬だ。でもあげなければ普通の馬にもおとるとどこかに書いてあったよ。
(中略)
 さあ、これが一日に千石の穀物を喰いつくして千里走るという、文学の馬だ。

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「民主文学」2019年1月号p.112、113


 近作について。特に、読みにくい、伝わらない、これまでの作品を踏まえないと読めない、といったご批判に対して。


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 話題になる事で反戦になるだろう。水道法改悪と戦っている、浜松の女性からも手紙がきた。笙野初読みでも一気ということだ。つまり読んで判らないのは難解なのではない、自分の背後にあるコードに気付いていないからだ。ていうか、文学は取り敢えずぐだぐだに見せかけつつ、今のままでは見えないものを引っかけて来ているよ。今はそれに手紙だけじゃなくパソコンがあるだろう。昔?
 ネットがなかった頃、文学叩きはこう言ったものだ、あんなものは誰ひとりも読まないのだと。しかしネットを開けたら、そこに読者はいた。

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「民主文学」2019年1月号p.116


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 まあその他にもまだまだ、何か言われるわけだけどね。しかもこれは「運動側」からのご意見になりがち、要するに私の文章の癖をなくせって、それで運動のよりよい道具(違うよ! 文学だよ!)になるってのか?
 けーっ! 私にはこの癖のあるぐだぐだ文章しか武器がないのにねえ。本が出版されているのはこの癖故なんだがねえ。つまりまさにこれを愛好する、タフで高度で何も恐れぬほんの小数の人々がいて、定価新品で買ってくれて、それで私はローンや猫の医者代を払う事ができるから生きているのだよ。少額カンパさえも可能になるのだよ。
 それを分かり安くするために書き直せ、思想のためお国のために、とか言うやつがいるなら、そいつはただ私を飢えさせ、路頭に迷わせる事を何とも思っていない。作家を奴隷かなんかだと思っているアホー、アホー、アホー、である。

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「民主文学」2019年1月号p.117


 でもって、文学の役割とは何か、という質問に対して。


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 本当の文学は「小さい」けど捕獲されにくい。文壇の端っことか時にその外にまででてしまって、捕獲の編み目から逃れ、「取り残されている」。そしてジャーナリズムがもうぴったり蓋をされている時代でも、統計の数字だけではとても感じられないような生々しい「嘘」を「適当」に書く事が出来る。見てきたような面で、「大嘘」をかますから。でも。
 これだと、「役割のない、その全体で存在する事が役割だよ」とでも言っておいた方が適切かもしれない。
 その上でただ、したい事をするんだな。そもそも自称フォイエルバッハ主義者のこの私が、あなたたち(今もマルクス主義者なの? ここ二十年批判してきたですけど)とついに、共闘しているよ。

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「民主文学」2019年1月号p.118


 先に引用した肉球新党のくだりもそうでしたが、「民主文学」に対する痛烈なイヤミを振り混ぜつつ、最後は性差別と政権という話題へなだれ込んでゆきます。暴れ馬のように。でもまっすぐに。


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 女と文学と政権は関係あるんだよ。だってなんかもうこの女差別戦前並だろうが。そしてこれがこの国の問題の歴史的中心だよ。必ず「贅沢だ」、「言い過ぎだ」、「もっと他の運動をやれ」とか言われたままで軽く見られ、後回しにされ、苦しんできた、ウーマンリブの問題、文学の問題。これでは女も選挙も文学も民主主義も絶望だろう。
 なんとかしないと駄目だ。そもそも現代への批評っても日本の女性に現代があったのか、近代さえあったのか。
 女への侮辱と文学への侮辱それはこの国においてあまりにも似ている。
 そして例えば、原発は「男」だよ、文学は「女だ」よ、今のところはね。

 男尊、それは原発そのものだ。彼らは従わず染まっていない女を許さない。侮辱して使い、汚し、歴史も来歴も内面も潰す、正しいふりをして一律にと言いながら女だけを潰して行く。その上で自分達は被害者面をするのだ。どんな反権力をしてもどんな反差別をしてもどんな立派な業績があっても、女と文学を叩くものは国を滅ぼす。

 そう、そもそも、女性差別をすれば選挙で「負ける」のだ。つまりは勝っても結果的に与党補完勢力にすぎぬものになるからだ。結局女性は絶望してしまう。右にも左にも、どちらにも勝たせても奴隷のままならば。本来の選挙権を持っていないのだと閉塞してしまう。次からは投票に行かない。そこに救いはない。

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「民主文学」2019年1月号p.119


 反権力、反差別を掲げて戦っている「左翼」の皆様が、男女問わず、女叩き、フェミ叩き、分断、マウンティング、被害者面、そればっかり頑張っている風景を見ていると、あっさり絶望に陥ってしまいそうになります。でも、文学はある。捕獲されることなく、疾走してる。そこに希望がある。いやまじで。



タグ:笙野頼子
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『「こころ」はいかにして生まれるのか 最新脳科学で解き明かす「情動」』(櫻井武) [読書(サイエンス)]

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 多くの人は、自分の行動のほとんどは、自分の確固たる意志が決めていると信じているだろう。しかし、神経科学の立場から言えば、多くの行動は意識下で選択されている。もちろん、より複雑化していく社会のなかでは、選択に必要な演算の一部は大脳皮質がおこなっているが、多くの場合は、「後づけ」の理由を見つけて意識や自我が選択していると思い込んでいるにすぎないのだ。
 つまり、あなたの行動を決めているのは意識ではなく「こころ」なのである。
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新書版p.7


 私たちの行動のほとんどは、意識ではなく「こころ」が決めている。その「こころ」を作り上げている脳機能「情動」について、最新知見を紹介する一冊。新書版(講談社)出版は2018年10月、Kindle版配信は2018年10月です。


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 脳は、感覚系や神経系、内分泌機能を介して全身と接続されている。脳と全身は、ユニットとして機能しているのである。「こころ」の源泉は脳で生成され、脳は全身の器官に影響を及ぼして「こころ」を表現する。しかし、その一方で、全身の器官もまた、脳に情報のフィードバックをして感情や気持ちを修飾し、「こころ」を変化させる。したがって、脳の状態に影響を与えるこれら生体内の要素を完全に再現しえないかぎり、「こころ」を理解したことにはならない。
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新書版p.4


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 多くの人は、「こころ」は高度な精神機能であり、その働きには、脳の中でももっとも進化した大脳皮質が大きな役割を果たしていると考えているかもしれない。
 しかし、大脳皮質が「こころ」に果たす役割は、実は多くの人が想像するよりずっと少ない。確かに大脳皮質は高度な情報処理システムではあるが、感情の動きや、性格傾向、行動選択などの「こころ」の本質をつくっているのは、もう少し脳の深部にある構造なのである。
 そこでつくられている、「こころ」の本質に深くかかわっているものを「情動」という。
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新書版p.5


 全体は終章を含めて8つの章から構成されています。


[目次]

第1章 脳の情報処理システム
第2章 「こころ」と情動
第3章 情動をあやつり、表現する脳
第4章 情動を見る・測る
第5章 海馬と扁桃体
第6章 おそるべき報酬系
第7章 「こころ」を動かす物質とホルモン
終章 「こころ」とは何か


第1章 脳の情報処理システム
――――
 「こころ」の動きをつくりだしているのは、脳のもっと深部の構造である。
 とはいえ、自分がいま「喜んでいる」「悲しんでいる」「幸せだ」などと感じていることを最終的に「認知」するのは、前頭前野を含む大脳皮質の機能だ。
――――
新書版p.18


 さまざまな情報を統合して、自分の置かれている状況を正しく理解する機能は、大脳皮質、とくに前頭前野で実行されている。「こころ」の状態を認知する大脳皮質の働きについて紹介します。


第2章 「こころ」と情動
――――
 情動は、自律神経系および内分泌系を介して、全身の機能に大きな影響を与える。むしろ、全身の応答を含めたものが「情動」という概念であると考えたほうがいい。こうした生理的な変化は正確に測定可能な情報であり、行動の変化とともに、これらの変化をとらえることにより、客観的に動物やヒトの情動をとらえて科学的に記述することが可能になる。情動とは、行動の変化と全身の生理的な変化から、対象となる動物やヒトの感情を客観的かつ科学的に推定したものであるともいえる。
――――
新書版p.48


 感情や心理と違って、「情動」は生理的変化や行動変化という形で客観的・科学的に測定できる。そして前頭前野の働きにより情動が「認知」されることで感情が生まれる。「こころ」と情動の関係を整理します。


第3章 情動をあやつり、表現する脳
――――
 感覚系からの情報は、視床を介して大脳皮質で処理されるとともに、並列の経路として扁桃体の外側に入力し、扁桃体で処理される。何かを物理的に「認知する」ことと、その何かについてなんらかの情動を惹起する、つまり「感じる」のは別の経路であり、脳の別の部分なのである。何かを感じとって「こころ」が処理するということは、その両者が組み合わさったものであるともいえる。
――――
新書版p.102


 情動は脳内でどのように処理されているのか。情動を生み出しコントロールする仕組みについて解説します。


第4章 情動を見る・測る
――――
 その動物の情動がどのような状態にあるかを知るには、行動、自律神経、内分泌がどのような状況になっているかを観察すればよいことになる。そのための具体的な方法が、さまざまに提案されてきている。
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新書版p.113


 情動を客観的・科学的に測定するにはどうすればいいのか。その具体的な方法について解説します。


第5章 海馬と扁桃体
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 記憶は均一にストアされるのではなく、常に重みづけされながら記録されていく。(中略)これは、記憶が情動によって重みづけされていることによる。記憶と情動は、「こころ」をつくるうえでどちらも欠かせない、車の両輪なのだ。
――――
新書版p.138


 情動と深い関係にある記憶。情動の記憶との関係について知られていることをまとめます。


第6章 おそるべき報酬系
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 腹側被蓋野のドーパミン作動性ニューロンから前頭前野に分泌されたドーパミンは、「主観的な快感」を増強する。一方、側坐核にドーパミンが分泌されると、「その結果のもとになったと脳が判断した行動」が強化される。つまり、ある行動Aを行った結果、ドーパミン作動性ニューロンが興奮し、側坐核にドーパミンが分泌されると、Aという行動をすることを嗜好するようになる。その結果、またドーパミンが分泌されれば、Aという行動がやめられなくなっていく。
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新書版p.167


 私たちに前向きな行動をうながすと共に、破滅的な行動ですら「病みつき」にしてしまうこともある脳の報酬系システム。その働きと威力について解説します。


第7章 「こころ」を動かす物質とホルモン
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 脳はニューロンからニューロンへと伝わる電気的信号と、こうした神経伝達物質を介したニューロン間の情報のやりとりによって機能している。したがって、「こころ」の働きも神経伝達物質の機能にきわめて強い影響を受けている。
――――
新書版p.180


 脳神経を作動させている神経伝達物質は、情動とどのような関係にあるのだろうか。情動に強い影響を与える神経伝達物質について解説します。


終章 「こころ」とは何か
――――
 「こころ」は脳深部のシステムの活動、いくつかの脳内物質のバランス、そして大脳辺縁系がもととなる自律神経系と内分泌系の動きがもたらす全身の変化が核となってつくられている。また、他者の精神状態は表情を含むコミュニケーションによって共感され、自らの内的状態に影響する。そして最終的には、前頭前野を含む大脳皮質がそれらを認知することによって、主観的な「こころ」というものが生まれるのである。
――――
新書版p.214


 脳と全身の相互作用さらに他者とのコミュニケーションによって情動が生まれ、それを大脳皮質が認知することで、主観的な「こころ」というものが生ずる。これまでの解説を総合して、「こころ」を作り上げる仕組みをまとめます。



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『怖い短歌』(倉阪鬼一郎) [読書(教養)]

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 たしかに、瞬間勝負の怖さ、思わずぞくっとする感じでは、短歌は俳句にかなわないかもしれません。しかし、俳句より言葉数が多くてより構築的な短歌ならではの怖さというものもまた、如実にあるはずです。
 本書では、そういった多彩な「怖い短歌」を集成しました。
――――
新書版p.3


 いきなり核心を突く「怖い俳句」の衝撃とはまた別に、言葉の配置や構造からにじみ出てくる怖さが「怖い短歌」にはある。怖さを感じさせる短歌を集めたホラー短歌アンソロジー。新書版(幻冬舎)出版は2018年11月、Kindle版配信は2018年11月です。


 怖い短歌アンソロジーといえば、三人の歌人による『怖いお話、うたいましょう』が有名です。ちなみに紹介はこちら。

  2013年10月22日の日記
  『怪談短歌入門 怖いお話、うたいましょう』
  (東直子、佐藤弓生、石川美南)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-10-22


 『怪談短歌入門』はコンテストの応募作から選ばれた新作が中心でしたが、本書は歌集から怖い短歌を集めたもので、『怖い俳句』に続く怖い詩歌シリーズの第二弾です。ちなみに同著者による短歌アンソロジーの紹介はこちら。

  2012年08月01日の日記
  『怖い俳句』(倉阪鬼一郎)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2012-08-01

  2017年01月31日の日記
  『猫俳句パラダイス』(倉阪鬼一郎)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-01-31


 本書では、短歌が表現している「怖さ」を9つのカテゴリーに分類しています。果たして本当に怖いのは、死者か、人の心か、それとも理解を超越した不可解さなのでしょうか。


[目次]

第1章 怖ろしい風景
第2章 猟奇歌とその系譜
第3章 向こうから来るもの
第4章 死の影
第5章 内なる反逆者
第6章 負の情念
第7章 変容する世界
第8章 奇想の恐怖
第9章 日常に潜むもの


第1章 怖ろしい風景
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ゆふぐれの神社は怖しかさぶたのごとくに絵馬の願ひ事あふれ
  栗木京子
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コインロッカーの長方体に区切られし扉の背後の闇、闇、闇
  小川太郎
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自爆テロのニュース見ながら「きゅうきゅうしゃ」「ばす」と画面を指さす子ども
  尼崎武
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雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁
  斉藤斎藤
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ぎしぎしと本の並べばもはやはや本とも思へず書店怖ろし
  佐藤通雅
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怪談の快楽を説く雑誌「幽」加門七海の写真が怖い
  藤原龍一郎
――――


第2章 猟奇歌とその系譜
――――
肉吊りの鉤に密かに血はしみて行方不明のひとり帰らず
  春日井建
――――
少年の肝喰ふ村は春の日に息づきて人ら睦まじきかな
  辺見じゅん
――――
       殺しのあと
   特に用事もないので
お庭にでて草引きなどする
  間武
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第3章 向こうから来るもの
――――
この部屋にたまごが来をり自らを卵といひて卵が来をり
  池田はるみ
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うしろの正面……誰もいる筈なき闇に言い当てられしわが名その他
  永田和宏
――――
ここは誰の記憶の町か 薄暗き駅舎に人の影うごめく
  谷岡亜紀
――――
運河から上がりそのまま人の間へまぎれしものの暗い足跡
  林和清
――――
夜の道に呼ばれてふいをふりかへるそこには顔があまたありすぎ
  林和清
――――
午前二時のロビーに集ふ六人の五人に影が無かつた話
  石川美南
――――
みゅみゅみゅみゅと鍵の穴から青虫がやってきて部屋くらいにふくれる
  伊舎堂仁
――――


第4章 死の影
――――
空が晴れていて波が高くて 死ぬには最高の日だと あなたは言う
  筒井富栄
――――
惨劇などはどこにでもある幕間に読む本にその隣席に
  笹原玉子
――――
鉄道で自殺するにも改札を通る切符の代金は要る
  山田航
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第5章 内なる反逆者
――――
不眠のわれに夜が用意しくるもの蟇、黒犬、水死人のたぐひ
  中城ふみ子
――――
だれぞ来て耳にささやく「なめくぢはある一瞬に空間を飛ぶ」
  小池光
――――
えいきゆうにしなないにんげんどうですか。電信柱の芯に尋ねる
  野口あや子
――――
山火事のごとく踊るよばんばらばんドッペルゲンガーばんばらばんばん
  渡辺松男
――――
これごっほ ごっほのみみよ これごっほ ごっほのみみよ がかのごっほの
  笹井宏之
――――
ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ
  中澤系
――――


第6章 負の情念
――――
一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと
  石川啄木
――――
致死量の睡眠薬を
看護婦が二つに分けて
キヤツキヤと笑ふ
  夢野久作
――――
三万で買いし女のいとしくてガス・バーナーでガングロにする
  森本平
――――
時効まであと十五年 もしここで指の力をゆるめなければ
  枡野浩一
――――
白いシャツにきれいな喉を見せている 少し刺したらすごくあふれる
  野口あや子
――――


第7章 変容する世界
――――
眼のない鳥や眼のない魚や眼のない少女が棲むその街は、夜だけの街
  松平修文
――――
土手降りて橋の腹部をつくづくと見上げる 世界は終はつてゐた
  佐藤通雅
――――
ひゃらーんと青い車が降ってきて商店街につきささる朝
  笹井宏之
――――
ひとひらの雲が塔からはなれゆき世界がばらば らになり始む
  香川ヒサ
――――


第8章 奇想の恐怖
――――
巨樹の高いところに引つ掛かる赤い服の人形が笑ふ 死んだあなたの声で
  松平修文
――――
滅んでもいい動物に丸つけて投函すれば地震 今夜も
  我妻俊樹
――――
尾鰭つかみ浴槽の縁に叩きつけ人魚を放つ仰向けに浮く
  我妻俊樹
――――
みずからの斬らるる音を聞きとめし耳たちか塚の奥でひしめく
  渡辺松男
――――
赤い血は神社の奥に運ばれつ門外不出の幼児ゐるらし
  大津仁昭
――――


第9章 日常に潜むもの
――――
献血かぁ 始発までまだあるしねと乗ったら献血車ではなかった
  伊舎堂仁
――――
こわれやすい鳩サブレーには微量なる添加物として鳩のたましい
  杉崎恒夫
――――
それはこんな顔だつかかいとふりむきし女のやうな茹卵むく
  吉岡生夫
――――
死にかけの鰺と目があう鰺はいまおぼえただろうわたしの顔を
  東直子
――――
その中がそこはかとなくこわかったマッチの気配なきマッチ箱
  佐藤弓生
――――
3番線快速列車が通過します理解できない人は下がって
  中澤系
――――



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