『返信を、待っていた』(笙野頼子)(「群像」2019年1月号掲載) [読書(小説・詩)]
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それでもピジョンが来てからの私は、とても良くなった。
(中略)
このピジョンにより、ギドウをうしなった本質が今一旦隠れている。しかしそれで前に進もう、元に戻ろう、とすると、どっちにしろ地獄のようになってしまう。そこに言葉はないし正体もない。ただ大地の底で小さい火が燃えている。崖が向こうにある。かつて私を生かしていたものが全部滅亡している。それでも、怒りを維持する事で生命を維持している。どんな時も、今をやり過ごしても未来を憂えていたら、他人の人生を生きて蘇ってこれる。難病の若い人のブログを読んでいて、食べているおやつの写真を見る。この知らない人が死ぬことが嫌だと思う。
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「群像」2019年1月号p.26
シリーズ“笙野頼子を読む!”第123回。
「どっちにしろ、どなたの足元にも、今からは地獄が来るのである」
(「群像」2019年1月号p.31)
今年亡くなった川上亜紀さんへの追悼。老猫との生活。そして、世にはびこる異常言語、女性差別、TTPとの闘い。後悔と怒りと希望。この一年間を「濁ったゼリー」で固めて川上亜紀さんに捧げたような壮絶短篇。掲載誌発売は2018年12月です。
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今年のまだ寒い春、彼女の、モーアシビという、同人誌が届いた。
(中略)
基本、ひとり同人誌だと思っていたそのモーアシビに、その号だけ参加人数が多いような気が私はしていた。それでまた、ふと不安になり、しかし読んでみると、亜紀さんのところの灰色猫氏が口を利くようになったという、飼い主本人の通信はあるし、他のメンバーの、方言の詩なども載っていて面白く、不安は消えた。この号はリニューアルかもしれないと結論した。或いは彼女に今体力がないのでそうしたのだろうとも。お礼のメールを打った。アドレスは生きていた。
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「群像」2019年1月号p.16
ここで言及されているのは、おそらくモーアシビ第34号のこと。川上亜紀さんの最後の作品が掲載されているこの号については、私もブログに紹介記事を書きました。参考までにリンクをはっておきます。灰色猫。
2018年01月24日の日記
『モーアシビ 第34号』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-01-24
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手紙が来てからすぐ、群像新人賞のパーティで亜紀さんと会った。滅多に文壇パーティには来ない、或いは初めてきたのだと彼女は言った。別にここ文壇なんかじゃないし、と私は一回り下の相手にふと抵抗したくなった。それと手紙の独特な感じが気になっていた。それは詩人の冷静さである。私は詩に縁遠い。
(中略)
目鼻だちはともかく、なんとなく自分に似ている若い女性だった。それ以後は一度も会っていない。お互いに外に出る機会も少なく、体力もあまりにも足りなかった。
なお、それは二十年程も前の話である。当時、彼女と共有している技術以外のものに、その時の私は気づいていなかった。難病、それも自己免疫疾患の数の少ないの、……自分の体が自分の敵になってしまうというその設定。
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「群像」2019年1月号p.18、19
個人的な話ですが。
私は川上亜紀さんとは一面識もないのですが、配偶者は「現代詩の会」で何度か同席したことがあるとのこと。会が終わった後、渋谷から新宿まで電車で移動するわずかな時間、彼女と話した。詩人仲間と一緒のときもあれば、ときおり二人だけで会話することもあった、と。
配偶者によれば、最後に会ったとき川上亜紀さんは、今は小説の本を出したい、といっていたそうです。配偶者も私も、待っていれば小説が、もしかしたら長篇が読めるかもと、疑いもなくそう思っていたのです。
――――
なんで長いのを書かないんだ、いつまで書かない、と私は心配していて、三秒位だけど腹立てていた事があった。それを本人に言わなくて本当によかった。だって今思えば彼女について、私は根本的な理解が欠けていたのだった。難病同士でも想像出来なかった。おそらく彼女のは詩人の体なのだ。
(中略)
書けないというけれど少しずつずっと発表はしていた。というか短編はある。群像にはわざわざ見せなかったのか。他誌で不当な扱いをうけたこともあった。小説は体力がいるという話を、確か平田俊子さんと対談した時に聞いた。
今は十一月で、彼女の最新刊となる短編集『チャイナ・カシミア』のゲラが家に来ている。私は十二月中に、この後書きを二十枚、書くことになっている。
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「群像」2019年1月号p.20、21
配偶者によると、笙野頼子さんの話題になったとき、笙野頼子さんから年賀状が届くということを川上亜紀さんから教えてもらったそうです。気づかってもらって感謝しているという感じだったと。その川上さんがもういない。書かれるはずだった作品も失われて、いや、奪われてしまった。「徴税」されたのだ。
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首相を許さない。難病でありながら、難病患者を売った。私達を人間だと思っていない。亜紀さんも私も、要は世界的医療複合体に食わせるエサなのだ。一個の桶のなかで、伝わる会話をしながら、生きたままおとなしく食われていけというのか?
戦争法案のすぐあとで彼女のツイッターを発見した。国会前にいた。それでもそれ以前の事、一度、「安倍さん」と手紙がさん付けになっていた事があった。人の痛みの判る、しかし自分の事は他人事のように言ってしまう、それで誤解されるかもしれないやさしい人物。
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「群像」2019年1月号p.20
関係者による追悼文が掲載されたモーアシビ第35号、そして現時点における川上亜紀さんの最新単行本(来年早々に『チャイナ・カシミア』の他にも作品集が出る予定だときいています)について書いたブログ記事にリンクをはっておきます。
2018年07月11日の日記
『モーアシビ 第35号』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-07-11
2018年06月19日の日記
『あなたとわたしと無数の人々』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-06-19
それでもピジョンが来てからの私は、とても良くなった。
(中略)
このピジョンにより、ギドウをうしなった本質が今一旦隠れている。しかしそれで前に進もう、元に戻ろう、とすると、どっちにしろ地獄のようになってしまう。そこに言葉はないし正体もない。ただ大地の底で小さい火が燃えている。崖が向こうにある。かつて私を生かしていたものが全部滅亡している。それでも、怒りを維持する事で生命を維持している。どんな時も、今をやり過ごしても未来を憂えていたら、他人の人生を生きて蘇ってこれる。難病の若い人のブログを読んでいて、食べているおやつの写真を見る。この知らない人が死ぬことが嫌だと思う。
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「群像」2019年1月号p.26
シリーズ“笙野頼子を読む!”第123回。
「どっちにしろ、どなたの足元にも、今からは地獄が来るのである」
(「群像」2019年1月号p.31)
今年亡くなった川上亜紀さんへの追悼。老猫との生活。そして、世にはびこる異常言語、女性差別、TTPとの闘い。後悔と怒りと希望。この一年間を「濁ったゼリー」で固めて川上亜紀さんに捧げたような壮絶短篇。掲載誌発売は2018年12月です。
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今年のまだ寒い春、彼女の、モーアシビという、同人誌が届いた。
(中略)
基本、ひとり同人誌だと思っていたそのモーアシビに、その号だけ参加人数が多いような気が私はしていた。それでまた、ふと不安になり、しかし読んでみると、亜紀さんのところの灰色猫氏が口を利くようになったという、飼い主本人の通信はあるし、他のメンバーの、方言の詩なども載っていて面白く、不安は消えた。この号はリニューアルかもしれないと結論した。或いは彼女に今体力がないのでそうしたのだろうとも。お礼のメールを打った。アドレスは生きていた。
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「群像」2019年1月号p.16
ここで言及されているのは、おそらくモーアシビ第34号のこと。川上亜紀さんの最後の作品が掲載されているこの号については、私もブログに紹介記事を書きました。参考までにリンクをはっておきます。灰色猫。
2018年01月24日の日記
『モーアシビ 第34号』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-01-24
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手紙が来てからすぐ、群像新人賞のパーティで亜紀さんと会った。滅多に文壇パーティには来ない、或いは初めてきたのだと彼女は言った。別にここ文壇なんかじゃないし、と私は一回り下の相手にふと抵抗したくなった。それと手紙の独特な感じが気になっていた。それは詩人の冷静さである。私は詩に縁遠い。
(中略)
目鼻だちはともかく、なんとなく自分に似ている若い女性だった。それ以後は一度も会っていない。お互いに外に出る機会も少なく、体力もあまりにも足りなかった。
なお、それは二十年程も前の話である。当時、彼女と共有している技術以外のものに、その時の私は気づいていなかった。難病、それも自己免疫疾患の数の少ないの、……自分の体が自分の敵になってしまうというその設定。
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「群像」2019年1月号p.18、19
個人的な話ですが。
私は川上亜紀さんとは一面識もないのですが、配偶者は「現代詩の会」で何度か同席したことがあるとのこと。会が終わった後、渋谷から新宿まで電車で移動するわずかな時間、彼女と話した。詩人仲間と一緒のときもあれば、ときおり二人だけで会話することもあった、と。
配偶者によれば、最後に会ったとき川上亜紀さんは、今は小説の本を出したい、といっていたそうです。配偶者も私も、待っていれば小説が、もしかしたら長篇が読めるかもと、疑いもなくそう思っていたのです。
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なんで長いのを書かないんだ、いつまで書かない、と私は心配していて、三秒位だけど腹立てていた事があった。それを本人に言わなくて本当によかった。だって今思えば彼女について、私は根本的な理解が欠けていたのだった。難病同士でも想像出来なかった。おそらく彼女のは詩人の体なのだ。
(中略)
書けないというけれど少しずつずっと発表はしていた。というか短編はある。群像にはわざわざ見せなかったのか。他誌で不当な扱いをうけたこともあった。小説は体力がいるという話を、確か平田俊子さんと対談した時に聞いた。
今は十一月で、彼女の最新刊となる短編集『チャイナ・カシミア』のゲラが家に来ている。私は十二月中に、この後書きを二十枚、書くことになっている。
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「群像」2019年1月号p.20、21
配偶者によると、笙野頼子さんの話題になったとき、笙野頼子さんから年賀状が届くということを川上亜紀さんから教えてもらったそうです。気づかってもらって感謝しているという感じだったと。その川上さんがもういない。書かれるはずだった作品も失われて、いや、奪われてしまった。「徴税」されたのだ。
――――
首相を許さない。難病でありながら、難病患者を売った。私達を人間だと思っていない。亜紀さんも私も、要は世界的医療複合体に食わせるエサなのだ。一個の桶のなかで、伝わる会話をしながら、生きたままおとなしく食われていけというのか?
戦争法案のすぐあとで彼女のツイッターを発見した。国会前にいた。それでもそれ以前の事、一度、「安倍さん」と手紙がさん付けになっていた事があった。人の痛みの判る、しかし自分の事は他人事のように言ってしまう、それで誤解されるかもしれないやさしい人物。
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「群像」2019年1月号p.20
関係者による追悼文が掲載されたモーアシビ第35号、そして現時点における川上亜紀さんの最新単行本(来年早々に『チャイナ・カシミア』の他にも作品集が出る予定だときいています)について書いたブログ記事にリンクをはっておきます。
2018年07月11日の日記
『モーアシビ 第35号』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-07-11
2018年06月19日の日記
『あなたとわたしと無数の人々』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-06-19
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