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『硝子の月』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

 2017年05月12日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんによる新作公演を鑑賞しました。上演時間60分の作品です。

 文字通り「硝子の月」が床に置かれていて驚きました。ガラスの破片を大量に集めて作られた「満月」が観客席から見て手前と奥に一つずつ、その間に「三日月」が配置されています。

 これらが照明に照らされて青白く光る様子は確かに月で、その神秘的な輝きに目を奪われます。その月の間を縫うようにして、月光を模した蒼白い照明に照らされながら静かにゆるやかに幻覚のように舞う佐東利穂子さん。

 厚手のドレスを着て足元が見えないこともあって、宙に浮いて滑っているように感じられます。何しろ動きが人外に凄いので、まるで天女か妖精か、あるいは妖怪のよう。照明が形作る円錐形の、光の囲いに囚われている、封じ込められている、という風にも見えます。

 一方、勅使川原さんは、どこか困惑したような、おどおどした様子で現れます。三日月を作る光におそるおそる触れてみるなどしながら、手足をぎくしゃくと痙攣させるような特徴的な動きを重ねてゆきます。いつもの神話上の存在みたいなオーラはなく、どこか人間くささを感じさせます。

 後半、やや唐突に泉鏡花の『高野聖』より「山蛭の森」のくだりの朗読が流れ、妖しい美女が登場する直前でぷつりと切れてしまいます。こうなると、どうしても、勅使川原さんが旅僧、佐藤さんが妖女、場面は月光に輝やく谷川、というイメージがぱぁーっと広がって。まあ、種明かしみたいなものでしょう。

 蒼く輝く満月をはさんで腰を下ろした二人が、それぞれガラスの小さな破片を手にとっては月の中央に投げ、ガラスの破片同士がぶつかる鋭い音が響きわたるシーンには息をのみました。ガラスという素材が、これほど美しく、恐ろしく、生々しく感じられる演出は初めてです。

 余談ですが、佐東利穂子さんの手作りという月の形をした飴が物販されていて、青い三日月型のを一つ、購入しました。もったいなくてまだ食べていません。


『人工知能の見る夢は AIショートショート集』(宮内悠介、林譲治、新井素子、井上雅彦、図子慧、矢崎存美、田中啓文、堀晃、高井信、かんべむさし、森下一仁、高野史緒、他) [読書(SF)]

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 この本に収められたショートショートは、人工知能学会の学会誌「人工知能」に掲載されたものです。人工知能学会では「未来を想像し、未来を創る」というテーマを掲げ、50周年を迎えた日本SF作家クラブ協力の下、2012年より様々なSF作家の方々に、学会誌に掲載するショートショートを依頼してきました。
(中略)
今回、学会の編纂とするにあたって、あえて小説の内容ではなく、小説に登場する人工知能の技術や使われ方に注目し、同じテーマを持つショートショートを3~4つずつ集め、8つの章を作りました。そして各章ごとに、その研究テーマを専門とする第一級の研究者に解説をいただき、現実サイドからの視点としています
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文庫版p.10、12


 人工知能学会の学会誌に掲載されたショートショートから選ばれた27編(+1編)をテーマ別に分類し、テーマごとにAI研究者による解説を追加した、AIテーマSFアンソロジー。文庫版(文藝春秋)出版は2017年5月です。

 SF作家によるAIテーマの短中編を集めそれに研究者の解説を付ける、という形式のアンソロジーとしては、『AIと人類は共存できるか?』が話題になりました。ちなみに単行本の紹介はこちら。

  2017年02月21日の日記
  『AIと人類は共存できるか?』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-02-21

 本書はいわばそのショートショート版。文庫版で300ページほどの分量に、小説27編、AI研究者の解説8編、さらに第4回星新一賞への応募作品(人工知能が書いた、というか、関与した小説)とその解説を詰め込んであります。

 ショートショートということでオチのある作品が多いのですが、正直いって類似パターンのオチが多すぎるように感じました。「ストーリーに関してはこちらから一切制限することはありませんでした」(文庫版p.11)とありますが、オチには何らかの制限をつけた方が良かったのではないでしょうか……。


[収録作品]

テーマ「対話システム」

『即答ツール』(若木未生)
『発話機能』(忍澤勉)
『夜間飛行』(宮内悠介)

 解説:稲葉通将

テーマ「自動運転」

『AUTO』(森深紅)
『抜け穴』(渡邊利道)
『姉さん』(森岡浩之)

 解説:加藤真平

テーマ「環境に在る知能」

『愛の生活』(林譲治)
『お片づけロボット』(新井素子)
『幻臭』(新井素子)

 解説:原田悦子

テーマ「ゲームAI」

『投了』(林譲治)
『シンギュラリティ』(山口優)
『魂のキャッチボール』(井上雅彦)
『A氏の特別な1日』(橋元淳一郎)

 解説:伊藤毅志

テーマ「神経科学」

『ダウンサイジング』(図子慧)
『僕は初めて夢を見た』(矢崎存美)
『バックアップの取り方』(江坂遊)
『みんな俺であれ』(田中啓文)

 解説:小林亮太

テーマ「人工知能と法律」

『当業者を命ず』(堀晃)
『アズ・ユー・ライク・イット』(山之口洋)
『アンドロイドJK』(高井信)

 解説:赤坂亮太

テーマ「人工知能と哲学」

『202X年のテスト』(かんべむさし)
『人工知能の心』(橋元淳一郎)
『ダッシュ』(森下一仁)
『あるゾンビ報告』(樺山三英)

 解説:久木田水生

テーマ「人工知能と創作」

『舟歌』(高野史緒)
『ペアチと太朗』(三島浩司)
『人工知能は闇の炎の幻を見るか』(神坂一)

 解説:佐藤理史


『即答ツール』(若木未生)
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「なかでも、このオススメの最高級機種には『あいまい数値化』機能がついてまして、迷っているときには『ペペロンチーノ気分が75パーセント、カツカレー気分が20パーセント、いっそ両方食べたい気分が5パーセント』という具合に、迷いの内訳が数値化されますー」
「まじすか。すごく便利だ。ならそのオススメのやつを買います」
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文庫版p.

 恋人から「メールへの返事が遅い」と叱られた男が、自分の気分を読み取って代わりに即効で返信してくれるAIエージェント付きのスマホを購入するが……。便利機能に振り回される人間関係という身近なトピックを扱ったユーモラスな作品。


『夜間飛行』(宮内悠介)
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「……連続飛行が6時間をオーバーしてる。そろそろ戻れる?」
「ああ」
「あと、時間外労働が60時間を超えてる。もっと自分を愛してあげて」
「それは余計なお世話だ」
「まあね。でも、パイロットの状態管理はアシスタント・インテリジェンスの役目」
「見た目はまるっきりカーナビだけどな」
「で、なんだっけ。近くのコンビニ?」
「違うよ!」
「急激な情動の変化を検出」
「うるさいよ!」
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文庫版p.38

 戦闘機のパイロットと、アシスタントAI(美人ボイス)の軽妙な会話。ゲームなどでお馴染みの設定を使ったコメディ作品。


『姉さん』(森岡浩之)
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 トラックを運転するのは、AIだ。だから、決め手はAIの能力だ。人間のほうも犯罪歴や健康状態などをチェックされるが、高度な知識や技術は要求されない。整備や修理は専門業者に任せればいいからだ。人間に要求される最も重要な資質は、AIとの相性に他ならない。それが優れていたおかげで、ぼくは採用されたのだ。
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文庫版p.72

 運転はすべてAI任せ。住居も持たず、トラックを住処として放浪生活するトラック運転手(運転しないけど)は、今や誰もが憧れる時代の花形。自動運転技術の普及による社会の変化を扱った作品。


『愛の生活』(林譲治)
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 そんなことが続いて、俺もわかってきた。カロリーが高いものを注文したり、買おうとしたりすると、トラブルが起こる。あのチラシのメモ書きが嫌でも思い出される。あの部屋は、あの女に呪われている。そうとしか思えない。きっと彼女は死んだのだ。
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文庫版p.91

 いわく付きの事故物件を安く借りた肥満気味の男。引っ越したその夜から、次々と怪奇現象に襲われる。霊障を避けるためには、どうやら規則正しい睡眠と食事、適度な運動、きちんとしたカロリー制限などを守るしかない。あれ、意外と健康的だよね。収録作中、駄洒落をオチに持ってきた唯一の作品。


『投了』(林譲治)
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 譜面から可能な盤面を予測し、最適な盤面を判断する。そうした将棋プログラムはすぐに人間の能力を追い抜いた。
 しかし、棋士や人工知能研究者からすぐに疑問の声があがりはじめる。つまり、プログラムは本当の意味で将棋を行っているのか? と言う疑問だ。
「対局の神髄は、人と人との将棋盤を介した駆け引きにある!」
 そうした意見により、将棋プログラムの開発方針は180度変わった。人間との駆け引きの要素が加味されたのだ。
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文庫版p.122

 盤外戦、心理的な駆け引きまでも巧みに行ってくるまでに進化した将棋ソフト。対戦する棋士が打った秘策とは。試合に負けて勝負に勝つ、そんな「大局観」を獲得したAIと人間の共謀関係を扱った作品。


『魂のキャッチボール』(井上雅彦)
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「死後の世界の住人との対話こそが、実は、AI研究の究極の目標のひとつだと言えるのです……」
 凜とした声で、中央の被験者の席に座った彼が言う。「それを示唆していたのは、例の〈電王戦〉で話題を呼んだ、あのコンピュータ将棋なのです」
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文庫版p.136

 死んでしまった家族と会話するためにAI技術を活用する。そんな目標に取り組んでいた研究者がついに完成させた装置とは。AIを使った幽霊、という発想がいかにもというか『異形コレクション 心霊理論』あたりに収録されていてもおかしくない作品。人工知能の応用よりも何よりも、「ナノマシンでエクトプラズムを再現」とか「3Dプリンタで霊体を造形」とか、こだわりギミックが印象に残ります。


『ダウンサイジング』(図子慧)
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 つまり、ぼくは次の段階にきたということだ。ステップをおりる。エラーを起こした脳の可動メモリのひとつをブロックして、外部記憶装置からの出力に切り替える。
 バージョンダウンがはじまった。
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文庫版p.161

 認知症の「治療」として外部記憶によるサポートを受けることになった患者。脳神経系の異常が起きるたびに該当箇所を切り離して外部システムに切り替えてゆくうちに、どんどん脳全体が萎縮してゆく。脳の「バージョンダウン」に伴う主観体験、というテーマに挑んだ意欲作。


『僕は初めて夢を見た』(矢崎存美)
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“夢”とはどんなものなのか、この時をずっと楽しみにしていたのだ。
 でも、やっとわかった。こうして思い出すと、この八年がずっと夢のようだった、と。
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文庫版p.173

 少年が目覚めたとき、ベッドの脇に見たことのないお兄さんが立っていた。彼は言う。「僕は君なんだよ」と。イーガン風のばりばり脳科学ハードSFですが、そういう感触を与えず、感傷的ファンタジーとして読ませるところが巧み。
 余談ですが、事前に「人工知能を搭載したぬいぐるみ、その名は“メカぶたぶた”」というような話を期待していたのですが、もちろん違いました(当たり前だ)。


『あるゾンビ報告』(樺山三英)
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多くの人々がわたくしの存在に思いを馳せ、思索を巡らせ、言葉を尽くし、議論を闘わせてこられました。わたくしが哲学的ゾンビと呼ばれる所以です。そうした歴史を経て今日、わたくしは晴れてみなさまの前に姿を現わすようになった。まことに感謝の念にたえません。
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文庫版p.250

 外見や言動は人間とまったく同じで原理的に区別が出来ないのに、意識も心もなく何も感じない。そんな架空の存在である哲学的ゾンビ。それがついに学会発表に立った。やたらと感謝したり恐れたり恐縮したり「している」と饒舌に語るゾンビ。しかし、その妙に慇懃無礼な言葉づかいからは、確かに背後にあるべき心や意識の存在が感じられない。文章の力だけで読者を煙に巻いてしまう作品。


『舟歌』(高野史緒)
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 それは数日前、僕のある友人から突然持ちこまれた仕事だった。知り合いの偉い博士が前代未聞の画期的な音楽AIを発明したので、そのテストに参加してほしいということだ。しかしその友人もどうやら、それがどんなもので、何をする装置なのか、まるで分かっていないようだった。彼によればそれは「すごい発明で、音楽の在り方を根本から変えるかもしれない、とにかくすごい、ものすごい発明」なのだそうだ。
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文庫版p.266

 新たに開発された「すごい音楽AI」のテストを引き受けた音楽家。芸術も文学もAIの方が人間よりも優れた創作をする時代に、音楽AIに新たな可能性など残されているのだろうか。創造性でもAIに追い越されたとき人間は何をすればいいのか、というテーマを掘り下げた作品。シリアスな作品ですが、主人公がオチを色々と予想した挙句に「さてはSF者か? 君は?」と言い放たれるシーンにはちょっと笑いました。


『人工知能は闇の炎の幻を見るか』(神坂一)
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『無理に修正しようとすればどんな問題が起きるか予想だにつきません。幸い、中二病というのは大抵、時間が経てば自然となおるものです。待つしかないでしょう』
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文庫版p.284

 社会インフラを支えている高度AIが、ちょーっと高度になり過ぎて、中二病を発症。人々は大混乱に陥った。中二病にかかっちゃうほどの強い人工知能という、なにげに痛いテーマを扱った爆笑作品。シンギュラリティを描いた作品かずあるなかで、「中二病を発症する」というプロットの説得力たるや。


『玉繭の間取り』(中家菜津子、装幀:カニエ・ナハ) [読書(小説・詩)]

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【緊急告知】文フリ F-1カニエ・ナハさんのブースで、昨年びーぐるに連載させていただいた「玉繭の間取り」をまとめた詩集を少数販売します。もちろん装幀はカニエさんです。立体的に飛び出す詩。隙間から覗くと一行だけが見えたり、見る方向を変えると短歌が消失したり。ぜひ遊びに来て下さいね
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これはもはや本なんだろうか。建築みたいでもあり、好きに間取りをつくれるドールハウスみたいだし、ピクニックセットとかレジャーシートみたいだし、アートピースみたいだ。
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中家菜津子氏による2017年5月6日付けツイートより
https://twitter.com/NakaieNatsuko/status/860826975337725953
https://twitter.com/NakaieNatsuko/status/860827757076291587


 2017年5月7日に開催された第二十四回文学フリマ東京にて入手した中家菜津子さんのポップアップ詩集。発行は2017年5月4日。装幀(というか製作)はカニエ・ナハさん。

 「季刊びーぐる」第31号から第34号に連載された詩作を、いわゆる飛び出す絵本、ポップアップブック仕立てにしたものです。折り畳まれた台紙を開くと、詩の書かれた紙パーツが立体的に飛び出してくるという仕掛け。これを何部も手作りした労力を考えると頭が下がります。

 各台紙はそれぞれ居間、台所、書斎、玄関という部屋を模していて、全体でタイトル通り「間取り」になっている、というこだわり。目次と表紙を合わせたようなページが一枚付いていて、こちらは裏面が銀色の反射鏡。姿見でしょうか。

 それぞれの部屋に対応する詩作がポップアップ部分に印刷されているのですが、分割されていて同時に全体を見ることが出来なかったり、隙間から覗き込むようにして読むしかなかったり、全体をひっくり返しつつ様々な角度から見ないと読めなかったりと、これまたびっくりするほどのこだわりデザインを感じさせます。


「Living Room」
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 雨上がり、死んでしまった人に裸を見つめられる。遺影の中の微笑みは、くだらない善悪から解き放たれているのに、抱きあったあとのわたしたちは、後ろの正面あたりがうしろめたい。れんめん、れんめん、連綿と遺伝子を交歓してここが、終点なのですか。
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 ポップアップしたパーツが合わさってドアも窓もない部屋が立体的に構成されます。詩は部屋の内側に書かれているので、上からこう、覗き込むようにして読むことに。他人の部屋や心を盗視しているような後ろめたさ。


「Dining Kitchen」
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 「蚕を飼ってみたいの、豚や牛と同じで家畜として殺す運命にあるもの」
君はそう言ったのに、「翼の退化した天使みたい」なんて言って愛玩している。愛を捧げたら飼われているのは君の方で。繭から羽化した白兎と昆虫のキメラみたいな生きものは、飛べないけれど翅を持ち、食べられないから口はない。
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 台紙を90度開くと細いパーツが三つ、テーブルのように、あるいは食器棚や食洗機の仕切りのように、立ち上がります。そのパーツに印刷された三行だけが、詩の中から、文字通り浮き上がって見えるのです。


「Library」
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 ひらけごま。薄暗い書斎のドアを開けよう。チェリーの床、オークの机、楢の書棚、そしてその棚に収められた本のページは樅や松やユーカリやポプラ、それに桑のパルプからできていて。加工された針葉の、広葉の木々が、今も森閑と立っていることに、君は気づく。言葉の葉擦れの音がざわめき出し、そのざわめきが君の耳と相似の葉を探した。
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 波形のパーツが貼り付けられており、書棚に見えます。台紙を開いている途中だと空っぽの白い書棚、十分に開いて別角度から見ると、一つ一つの「本背」に短歌が印刷されていることに気づきます。台紙の反対側には二つに折られた紙片が貼り付けられており、本を開くようにして紙片を開いて中身を読むことに。


「門出」
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玉繭の一頭孵り
   残された
 鱗粉まみれの
  蛹きらめく
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 ポップアップするパーツが三つ、玄関から外門までの石畳と塀でしょうか。詩と短歌が様々な方向に印刷されており、上から読んで、手前から読んで、ひっくり返してまた読むことに。



『時の渦 Vortex Temporum』(アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル振付、ローザス、アンサンブル・イクトゥス) [ダンス]

 2017年5月6日は、夫婦で東京芸術劇場プレイハウスに行ってローザスの公演を鑑賞しました。先日の『Fase』がローザスの原点だとすれば、こちらは現時点における到達点ともいえる『時の渦』、日本初演です。ローザスとイクトゥスによって「演奏」される60分。


[キャスト他]

振付: アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル
作曲: ジェラール・グリゼー
演奏: アンサンブル・イクトゥス


 アンサンブル・イクトゥスの七名と、ローザスのダンサー七名が、フランスの作曲家ジェラール・グリゼーの『時の渦 Vortex Temporum』を演奏します。

 『ドライアップシート』や『レイン』でのローザスとの共演を観たせいで、個人的にはローザスとセットで印象づけられているアンサンブル・イクトゥス。そのメンバーが、ピアノ、フルート、クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロを演奏します。

 第一楽章が終了すると、ローザスのメンバー六名が登場。各ダンサーがそれぞれ一つの楽器パートを担当し、それまで演奏されていた楽器のパートを、身体の動きにより「変奏」してゆきます。

 第二楽章以降はイクトゥスもローザスも一名追加されてそれぞれ七名になり、全員で舞台上をゆっくりと渦巻きのように動いてゆきます。歩きながら演奏するイクトゥスも凄い。グランドピアノすら渦に巻き込まれるようにして舞台上をゆっくりと移動します。

 先日の『Fase』では音楽の構造そのものをダンスで表現していましたが、今や楽譜を身体で「演奏」するところまで到達した振付には驚かされます。楽器による演奏と身体による演奏が合わさって、視聴する音楽が形成されてゆく様には大興奮。

 渦を巻く最終楽章のうねりもかっこいいのですが、個人的に最も印象深かったのは、第二楽章のあたりで照明が次第に暗くなり、風の音(というか、いびき音に聞こえた)が静かに響く場面。これから何かが起こるという予感のような期待と怖さに感情が昂ります。


タグ:ローザス

『ファーズ Fase』(アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル振付、ローザス) [ダンス]

 2017年5月3日は、夫婦で東京芸術劇場プレイハウスに行ってローザスの公演を鑑賞しました。ローザスの原点ともいわれる『Fase』、15年ぶりの来日公演です。しかもケースマイケル自身が出演、ほぼノンストップで踊るという、貴重な70分。


[キャスト他]

振付: アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル
出演: アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケル、ターレ・ドルヴェン


 スティーヴ・ライヒの初期作品より『ピアノ・フェイズ』『カム・アウト』『ヴァイオリン・フェイズ』『クラッピング・ミュージック』という四つの作品を用いて、音楽に合わせて踊る、というより音楽の構造を分析しそれを身体の動きで表現してみせる、という驚異の作品です。

 同じフレーズが無限に繰り返されるなか、それまで同期していた複数のフレーズが次第にずれて「うなり」を生じたり、再同期したり、自由自在に聴衆を翻弄するライヒの音楽。それを二人のダンサーが見事に視覚化してゆきます。

 市販DVDで何度も観て“知ってる”つもりになっていた作品ですが、実際の舞台は今回がはじめて。冒頭、白いワンピースを着た二人のダンサーがすっと立ち、背後の白い壁に三つの影が投影されている光景だけで、臨場感の違いにのけぞりました。二人の動きが少しずつずれて、重なる影に視覚的「うなり」が生じるシーンなども想像以上の迫力で、ライヒの音楽とも相まって目眩が誘発されます。

 映像との印象の違いが最も大きかったのは、ケースマイケルがソロで踊る『ヴァイオリン・フェイズ』。映像は森の中で踊っているせいかふわふわした印象も受けるのですが、無機的な背景で踊られると、その幾何学的に精微な反復運動に何ともいえない凄みを感じます。


タグ:ローザス