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『ロマンティックあげない』(松田青子) [読書(随筆)]


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ロンドンから電車で二時間ほどのところにノリッジという小さな街があって、そこの大学で行われている六言語の翻訳ワークショップに参加したのだ。このイベントの素敵なところは、翻訳家だけじゃなくて、課題になった作品の著者も参加するところだ。翻訳家は、わからないところや作品の意図を、作者本人に直截その場で確認することができる。日本語チームの今年の課題は、私の書いた『スタッキング可能』。一週間朝から晩までずっと、若き翻訳家の皆さんと一緒に過ごした。
(中略)
皆さん、日本を、日本文学を愛していた。誰が想像しただろうか。林芙美子を、笙野頼子を好きだという二十代のアメリカ人の女の子にここで会うと。『AKIRA』の金田のバイク以上にカッコいいものはこの世界にないと断言するイギリス人の男の人に会うと。日本文学を翻訳したいし、絶対にするという情熱を間近で見ることができて、幸せだった。
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単行本p.23


 映画、舞台、翻訳、フィギュアスケート、日常のあれこれ、そしてフェミニズム。『スタッキング可能』『英子の森』の著者が、好きなものと、嫌いなものについて、熱っぽく語り、ときに叫ぶ。『読めよ、さらば憂いなし』に続く第二エッセイ集。単行本(新潮社)出版は2016年4月です。

 前作では主に本について語っていましたが、本作ではもっと広い話題が取り扱われています。まず最初に登場するのは、テイラー・スウィフト。


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テイラー・スウィフトは現在進行形で復讐の女だ。彼女をよく知らない人でも、別れた男を題材にして歌をつくる恋多き女という話題をテレビや雑誌で見たことがないだろうか。彼女と別れると歌で復讐されるのだ。(中略)なんというか復讐の層が『インセプション』並みに深いというか、手当たり次第に世界に復讐しているというか、その火種が尽きない復讐心に圧倒される。見ていて飽きない。
(中略)
わからないのが、そういう彼女を、ころころ男を変える女だと非難する人たちがいることだ。わかってんのか。彼女はいじめられっ子の星、復讐の神であらせられるぞ。テイラー・スウィフトは、世のいじめられっ子のために、一人でも多く食い散らかすべきだ。イギリスのアイドルグループの子に手を出した時も、とうとうイギリスに上陸したかと誇らしくさえあった。ゴジラばりに男たちをなぎ倒していく彼女を、私たちは応援するべきだ。
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単行本p.11、12


 初手からアクセル踏み込んできます。二年の連載期間を経て、本書に収録された最後のエッセイが「テイラー・スウィフト再び」ですから、とにかくテイラー・スウィフトが本書全体を貫くテーマであることは間違いありません。

 他にも、何かが好きだ、かっこいい、と熱く語る(叫ぶ)エッセイは数多く収録されています。例えば、ミスター・スポックとか。


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いつスポックさんに会っても大丈夫なように、人指し指と中指、薬指と小指をひっつける、あのヴァルカン人の挨拶も仕事の合間に練習している。簡単だと思うかもしれないが、私はあんまり指先が器用でなく、「グワシ!」もいまだにちゃんとできないので、練習しておいたほうがいいのだ。
 普通恋に落ちるとほかのことが手につかなくなるというが、この恋は違う。スポックさんにどう思われるかを基準に物事を考える視点が生まれたため、ものすごく仕事がはかどるようになった。仲間たちの論理的でない言動に対して「非論理的です」と言うという、スポックさん名言があるが、さぼったりぼんやりしているのを彼が見たら、絶対「非論理的です」と言うと思う(それはそれで言われたいが。一回でいいから言われたいが)。彼にがっかりされたくない。だから私はがんばる。この恋は建設的で論理的な恋だ。この夏最大の思い出は、スポックさんに出会えたことでいい。現実とかもういい。
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単行本p.36


 スポックさんに対する思い入れはともかく、ダンサーのクリストファー・マーニーに対する思い入れに至っては、もはや建設的でも論理的でもない、やばいレベルに。


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 マシュー・ボーンの『SWAN LAKE』は、白鳥に取り憑かれた王子の物語なのだが、私は私で『SWAN LAKE』という作品と、王子役のクリストファー・マーニーに、完全に取り憑かれていた。(中略)私が家で仕事をしている間にも、この同じ東京(しかも電車で10分くらいで行ける渋谷)で『SWAN LAKE』を上演していて、今まさに王子が踊っていると考えただけで動機がし、気が気じゃない気分にさせられた。
(中略)
渋谷に行く用事がある際は、もしかしたらどこかでクリスとすれ違うかもしれないと思い、あなたの王子がいかに素晴らしかったかを全力で伝えられるように、頭の中で文章をシミュレーションし、わからない単語を辞書で引いて、そのチャンスに備えた。
(中略)
クリスとはすれ違うことができなかった。それでも、その瞬間クリスと同じ街にいることが幸せだった。ツアーが終ってしまってからも、渋谷に行く度、ここはクリスが踊っていた街だと思うと胸がいっぱいになり、もう意味がわからないのだが、クリスのおかげで渋谷が好きになった。
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単行本p.132


 他には、フィギュアスケートの話題。


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 確かに羽生選手にくまのプーさんは非常によく似合っているが、ブライアン・オーサーにもプーさんは異常に似合っていることを、我々は見過ごしてはならない。(中略)演技中の羽生選手をプーさんと一緒にリンクサイドで見守るオーサー、羽生選手の後ろをプーさん片手に歩くオーサー、羽生選手からプーさんを手渡され微笑むオーサー。オーサーとプーさんの素敵な瞬間をカメラはたくさん残してくれている。
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単行本p.85、86


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 グランプリファイナルの後には、全日本選手権がある。この放送が毎年問題なのである。女子グループの実況がどうにも変なのだ。というか、この時だけフィギュアスケートの実況に現れる男性アナウンサーがどう考えても異彩を放っているのだ。(中略)解説者席に同席している八木沼さんや荒川さんは毎年どのような気持ちで彼のポエムを受け止めているのだろうか。下手すると、彼の手元に置かれたポエムノートを、気を遣って見て見ないふりをして過ごしているのではないだろうか。私なら耐えられない。
 中でも今期一番だなと思ったのは、オリンピック出場が決まって感涙する鈴木選手の映像に合わせて、「28歳 はじめての頂点 最後の舞台 ここで本当の涙が流れていく 鈴木明子。スケートにめぐりあってよかった 挫折しても あきらめないで 夢をつないで だからこそ 最年長28歳となっても そして最後の全日本とはいえ まだ次に大きな舞台につなげてみせました 鈴木明子です」と、テレパシー実況を折り込みながら、長々と紡いだこの一節だ。
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単行本p.67、64


 このポエム、よく文字起こししたなあ、作家の覚悟というものはすごいなあと、書き写しながら、そう思いました。

 もちろん日常のあれこれ(「締め切り群の中にエッセイだけじゃなく小説が混ざっており、しかもそれがまだ一枚も書けていないため、メンタルに直行で影響を及ぼしている。腰も痛いの。現実逃避のあまり、思わず賃貸物件ページを熟読してしまう」単行本p.156)やら、女性差別(「登場人物に白いワンピースを着せる人たちに言いたいのだ。あなたは、一瞬でも生理について考えたことがあるかと」単行本p.26)やら、切れ味のよい筆致でぐりぐり押してくるエッセイてんこ盛り。



タグ:松田青子
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『「超」怖い話 丙(ひのえ)』(松村進吉) [読書(オカルト)]

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 やせ細った黒猫は書斎のケージの隅で力なくうずくまり、それでも私が腕を入れると、骨ばった顔をこすりつけて最後の時を惜しんでいた。
 そのまま三日、四日と猫はケージの中にいた。私は本書の原稿がひとつ書きあがるたびに腕を突っ込み、硬い顔を撫でた。
 そして五日目、あと何話かで原稿が仕上がるという頃。私が台所でコーヒーを淹れようと書斎を出た。そのたった数分の間に、黒猫はケージの中で息を引き取っていた。
 私は愕然として骨と皮だけになった身体を抱いた。
 こいつは臨終を見せまいとしたのだ、としか思えなかった。
 私が茶虎の死で、あんなに悲しんだから。
 もう人間の涙を見たくなかったのだ。
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文庫版p.5


 松村進吉さんによる実話怪談シリーズ最新作。文庫版(竹書房)出版は2016年8月です。
 『セメント怪談稼業』を読んで大いに感銘を受け、個人的に苦手な(だって怖いから)実話怪談本も、この人が書いたものだけは読むようにしています。ちなみに『セメント怪談稼業』単行本読了時の紹介はこちら。


  2015年04月09日の日記
  『セメント怪談稼業』(松村進吉)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-04-09


 最新作である本書の「まえがき」では、飼い猫のうち茶虎と黒猫が死んだときのことが書かれており、『セメント怪談稼業』の読者として涙を禁じ得ません。


 さて、本書には、まだ名前のついていない、キャラクター化される前の「妖怪」に遭遇した話がいくつも収録されているのが印象的です。

 まずは、背後から追いかけられる系。追いかけてくるのは、服とかトイレットペーパーとか。


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 さっきまでぱたぱたぱたぱた、とずっと近くで聞こえていた音は、もうしてない。
 つまりあの音は――あの、ワンピースの音だったのではないか。
 町内に入って以降、ずっとあの服が。
 私の頭上のすぐ後ろを飛んで、ついて来ていたということでは。
 怯えるあまり、池田さんは涙を滲ませながら真っ黒な住宅地を走り抜けた。
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文庫版p.172


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 その後、数分でそのトイレットペーパーは芯まで転がり切り、そこで突然命を失ったようになってハラリと風に巻かれ、民家のブロック塀にまとわりついた。
 混乱していた永瀬さんはとりあえずひと安心した。
 これが、マンションまで届く長さでなくて良かった。
 シングルロールではなく、ダブルだったのかも知れない。
 永瀬さんもダブル派である。
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文庫版p.139


 空飛ぶワンピース。転がるトイレットペーパー。妖怪に追いかけられるという恐怖体験なのに、意外におちゃめな雰囲気も。特に、ほどけきって息絶えるトイレットペーパーには愛嬌のようなものさえ感じます。「永瀬さんもダブル派である」という、怪談としてうっかり踏み外してしまったような一文も魅力的。

 続いて、天井から降りてくる妖怪。これは怖いです。


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「怖かったですよ、こっちは本当に命懸けなんですから。大体そんな、物心ついたばっかりの子供が生きるか死ぬかのやり取りなんて、普通しないじゃないですか」(中略)
 それは一体何の話か、と訊くと「じゃんけんですよ」とのこと。
「当時住んでいた借家にはね、夜、布団に入ると――僕とじゃんけんをしに、天上から降りてくる奴がいたんです」
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文庫版p.55


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 当たり前だが、天井に人が出入りできる穴などない。
 そもそもその男は、垂直に二メートル以上もジャンプして姿を消している。
 住み続けられる訳がなかった。
 数ギガバイトにおよぶ長い動画は、「持っていると新しい部屋にも追いかけてくる気がして」即座に、削除してしまったという。
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文庫版p.115


 前者は、子供の頃、天井からぶら下がって降りてきたやつと命がけのジャンケン勝負をしていたという話。後者は、留守中に小物が紛失するのを不審に思って室内に監視カメラを仕掛けて録画したところ、天井から黒いやつが落ちてくるシーンがはっきり映っていたという話。現代でもやっぱり天井からさがってくる妖怪は健在なんだ。

 さらには、こっそり室内に入ってくる妖怪。


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 羽根のあるガンダムと、銃器を抱えた青いガンダムの間。
 そこに、見慣れない人形があった。
 明らかにプラモデルではない。まるで紙粘土を適当にこねてつくったような、雑な体型の人形である。
(中略)
 出し抜けに人形がバッ、と彼女の視線から逃げるように走り出した。
 「ひッ、ひいッ……?」
 仰天して身を引くと、人形は棚の上からポンと飛び、ボテッと音を立てて床に落ちた。
 まるで発狂した猫のように、ガッガッガッガッ、と恐ろしい勢いで部屋の引き戸を押し広げたかと思うと、その僅かに出来た隙間に体を捩じ込む。
 そしてそのまま――トタタタタタタッ、と廊下を走って行ってしまった。
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文庫版p.84


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(いやだ、いやだ……! 怖い! 怖い!)
 続いて彼女が思ったのは、「恐怖」からの連想で、常日頃お姉さんによって頭に刷り込まれた、「一九九九年、ノストラダムスの大予言」であった。(中略)
(いやだ……。お願いです。どうか人類を滅ぼさないでください。一九九九年になっても、何もしないでください)(中略)
 とんでもない発想のようだが彼女は至って真剣、命がけの祈りだった。
 額にはびっしりと玉の汗が浮き、瞬きもせずにカマキリ人間を注視する。
 すると――その、赤く小さな逆三角形の顔がコクリ、と小さく頷いたように、彼女には見えた。

「……で、そのあとすぐにクルッて反対を向いて、また網戸から出て行ったんです」
 あのようなものを見たのは後にも先にも、あの夏の日だけだったと小林さんは云う。
 あなたはそうやってこの話を笑うが、自分は本当に怖ろしかったのだ、と。

 大方の予想どおり、人類は滅びることなく世紀を跨いだ。
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文庫版p.162


 こっそりガンプラに混じって立っていて、見つかると必死で逃げる生き人形も変に可愛いのですが、何といっても本書のハイライトは「ノストラダムスの大予言を外して下さいと子供から真剣にお願いされ、仕方なく頷いて、ちゃんと約束を守ったカマキリ型宇宙人」ではないでしょうか。カマキリ型宇宙人(インセクトイド、あるいはマンティスマン)は目撃例も多く、凶暴だとされていますが、意外と義理堅いというか、押しに弱いタイプなのかも知れません。それにしても「あなたはそうやってこの話を笑うが」というライブ感あふれる一言に思わず吹き出してしまいました。

 他にも、ニンゲンからポケモンまで、今も妖怪は跳梁跋扈しているようです。


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 腕だけしかないそれは、肘のところで樹木のように枝分かれし、ふたつの手へと続いている。丁度、アルファベットのYの形である。
 それらの都合十本の指が、スクリュー基部の太い鉄の筒をがっしりつかんでいる。
 根本は、浜に晒された古い水死体のように、血の気のない肉と骨の断面。
 なんだこれは。本当に死体なのか。
 いや、本当に「人間の」死体なのか。
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文庫版p.97


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「……タッちゃんはポケモン見たことある?」
 ふいに、それまでのはしゃいだ様子とは違った神妙な口調で訊ねる甥。
 その視線は少し離れたところに座る、自分の両親達の様子を窺っている。
「ポケモン? ああ、そりゃあ何回かは、お前と一緒に見たじゃないか。映画も連れてってやったろ」
「ううん、テレビとかじゃなくて――ここで」
「……ここで?」
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文庫版p.156


 後者は「神社の境内にポケモンがいた」という話なんですが、書かれた時点では怪談だったろうに、ポケモンGOが大ヒットした今となってはごくありふれた会話にしか思えないという、世の変化がいちばん怖い。



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『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら paper version 3』(川口晴美:詩、芦田みゆき:写真、小宮山裕:デザイン) [読書(小説・詩)]


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芦田みゆきさんの写真32枚と、川口晴美さんの詩から抜粋した32篇の言葉たちを、それぞれ2枚ずつ、裏表が異なる組み合わせにして、合計で64枚のカードになっています。(中略)アイデア次第でいろいろな楽しみ方ができる「双花町」です。
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 2016年7月10日は、夫婦で江戸東京博物館に行って、行列の出来ている「大妖怪展」を尻目に、詩の同人誌即売会「第20回 ポエケット」に参加してきました。そこで購入したものです。

 これは、『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら』のスピンオフ作品。

 これだけでは説明不足と思われますので補足しておきますと、まず『双花町』はKindleで配信されている全6篇から構成された長編ホラーミステリ詩。不穏な言葉と、不穏な写真を、不穏な構成で組み合わせた、不穏な作品です。読了時の紹介はこちら。


  2014年10月08日の日記
  『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら vol.1』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-10-08

  2014年10月21日の日記
  『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら vol.2』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-10-21

  2015年01月27日の日記
  『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら vol.3』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-01-27

  2015年06月09日の日記
  『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら vol.4』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-06-09

  2015年07月27日の日記
  『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら vol.5』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-07-27

  2015年09月03日の日記
  『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら vol.6』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-09-03


 この、最初から電子書籍としてのみ配信された『双花町』の、"paper version"という謎めいた存在。といっても電子書籍を紙に印刷したものではなく、『双花町』を構成している言葉と写真を、『双花町』とは異なる方法で再構成したものになっており、おそらくデザイン担当の小宮山裕さんのこだわりが形になっちゃったものだと思われます。

 "paper version 1"は入手し損ねたのですが、"paper version 2"を手に入れたときの紹介はこちら。


  2015年07月06日の日記
  『双花町についてあなたが知り得るいくつかのことがら paper version 2』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-07-06


 "paper version 2"は箱の中に『双花町 vol.2』を構成していた言葉と写真が色々な形で具現化したものが詰め込まれていたのですが、今回の"paper version 3"はすっきりとしたカードデッキになっています。64枚のカードはそれぞれ表には『双花町 vol.3』の言葉の断片、裏には写真が、それぞれ印刷されています。

 基本的には、言葉と写真をランダムに組み合わせて自分だけの『双花町』を作る、ということでしょうが、説明書には「ポーカーのようなもの」「連詩のようなもの」「神経衰弱、ババ抜き」「かるた」といった遊び方も提案されています。

 次の"paper version 4"はどのようなものになるのか。色々と想像してしまいます。


タグ:川口晴美
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『声ノマ 全身詩人、吉増剛造展』 [読書(教養)]

「ごあいさつ」より
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吉増はこれまで、詩篇のみならず、先鋭的な朗読パフォーマンス、多重露光による写真、銅板に文字を刻んだオブジェ、ロードムーヴィーのような映像など、様々なジャンルの作品を制作してきました。この「全身詩人」的な在り方を高く評価して、今回、美術館という場所で、詩人の展覧会を開催することにつながりました。
(中略)
 本展には、日記、写真、銅板のオブジェ、カセットテープ、原稿、映像作品が大量に展示されます。原稿には最新作の〈怪物君〉のための数百葉も含まれます。そうした物質としての作品と並行して、非物質的な吉増の声も展示されます。
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 2016年7月31日は、夫婦で東京国立近代美術館に行って「声ノマ 全身詩人、吉増剛造展」を鑑賞しました。本書は会場で購入したカタログです。

 250ページ近い分厚さに、日誌・カセットテープ(声ノート)・銅板・写真・原稿など展示されていた作品の一部を収録した上、声ノートの一部を収録したCD二枚が付録としてついてくるという、気合の入ったカタログです。

 吉増剛造さんはもちろん日本を代表する詩人なのですが、福生市民としては、どうしても「地元の著名文化人」という印象が強く。近所の図書館でも「吉増剛造コーナー」は常設されていますし、住民なら誰でも吉増剛造さんの『ふるさと福生』を暗誦できます。後者は嘘ですが。ちなみに吉増剛造さんの単行本読了時の紹介はこちら。


  2015年05月20日の日記
  『ことばの古里、ふるさと福生』(吉増剛造)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-05-20

  2015年05月19日の日記
  『静かな場所』(吉増剛造)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-05-19


 今回の展示は九つのエリアに分かれており、「日誌・覚書」「写真」「銅板」「〈声ノート〉等」「自筆原稿」「映像」「怪物君」といった具合にエリア毎にテーマを分けて展示してあります。大半の展示場所は薄暗く、四方からぼそぼそと「声」が聞こえてきて、そもそも吉増剛造さんの作品の雰囲気がそうなのですが、まことに呪術的結界というかオカルト空間というか、うっかりあちらに足を踏み入れてしまった、そういう場所になっています。真夏の肝試し。

 凄いのが最後のエリア9。テーマは「コラボレーション」ということで、吉増剛造さんと他のアーティストのコラボレーション映像がループ上演されているのですが、私たちが行った日には、何と舞踏家の大野一雄さんとのパフォーマンス映像が流されていました。

 大野一雄さんといえば舞踏の第一人者。「最も尊敬を集めている日本人ダンサーの一人」(『コンテンポラリー・ダンス 徹底ガイド HYPER』(乗越たかお)より、単行本p.134)なのですが、実のところ映像ですら観たことがなかったので。まさか、まさか、ここで観ることになるとは。不意打ちです。

 パンフレットによると「吉増が55歳の時、つまり1994年に舞踏家の大野一雄と釧路湿原で行ったパフォーマンスの記録映像」とのこと。大野一雄さんの動き。吉増剛造さんの朗読。背景となっている湿原の雰囲気と相まって、この世の光景でない感がひしひしと。



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