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『読んでくれてありがとう/書いてくれてありがとう(小山田浩子『穴』文庫版解説)』(笙野頼子) [読書(随筆)]

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このようにして「穴」は、21世紀にもまだ「穴だらけじゃ! 穴だらけじゃ!」わはははは、快作じゃよ! わははははは。
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文庫版p.207


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第105回。

 「2010年新潮新人賞受賞作の「工場」で世に出た作者に、私は、マジ注目した」。笙野頼子さんによる、『穴』(小山田浩子)文庫版の解説です。文庫版(新潮社)出版は2016年7月。

 『穴』(小山田浩子)の文庫版読了時の紹介はこちら。


  2016年08月09日の日記
  『穴』(小山田浩子)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-08-09


 『読んでくれてありがとう/書いてくれてありがとう』は、この文庫版に収録されている解説です。タイトルの「書いてくれてありがとう」はもちろん『穴』のことですが、「読んでくれてありがとう」は『二百回忌』(笙野頼子)のことなんですね。


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最後の葬儀の場の、「いっぽんばな」争いまで来たところで、なぜ著者が私にこの文を求めたのかを理解した、つもりになった。
 2010年新潮新人賞受賞作の「工場」で世に出た作者に、私は、マジ注目した。すると、好きな雑誌のインタビューで「二百回忌」という拙作を好きだと彼女は、言ってくれていた。
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文庫版p.202


 確かに、何だかどんどん老人が増えてゆく葬儀シーンをはじめとして、死者がよみがえって生者と入り混じり時間や空間も変になってゆく感じ、そういえば『二百回忌』を連想させるものが。

 全体を大きく俯瞰しつつ、細部に慎重に目配り、しかも文章が超絶という、ものすごい解説になっています。


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 滅多に出ぬ葬儀でその場所から、「生命」が萌え出るのを見る、事がある。晴天のその日出会う新緑や遠い海が、痛みながら輝く。読経の声や袈裟の動きの繰り返しさえ、重く悲しい。なぜかふっと、生きている実感が立ち上がるのだ。また夜の灯の下で、時に襖の影の言い争いなどが、煩わしさの中に薔薇の新芽のように、生命を放つ。悲しくても争っても世界は生きていて、それはかけがえがない。とても困難なフレームに押し込められていても。
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文庫版p.202、203


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 この作品、生き物も時間も、声までも触れてくる。暗く影を落とす時代において、或いは今も変わらぬ女性の困難の中で、けしてめでたくはない、だけどすべてが見渡せる混在的時間を、仕止めてきている。貴重な本物の絵を、自然の怖さ時間の豊かさをも込めて描く。
(中略)
 理不尽や不可解が実は環境である事、死者が、というより今まで見えなかった人や物が見える日が来る事、また、どんなにきつくてもその中で生命が尊い正体をあらわす事。
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文庫版p.203


 そして、冒頭から順番に、丁寧に、慎重に、『穴』を読んでゆきます。


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 さて、そろそろ、ほら、ホラー? フィクション、襲来! それは謎の黒動物、不思議を呼ぶ存在。名前はまだないからアナホリィヌ?とか(勝手に)? 私には虐待された老犬に思えてならない。が、その動きが案外にはやく、これが素の生命の時間ってことか。その、掘った巣穴に落ちて引き上げられた時、フィクション?ていうか?リアルフィクションていうか?アナホリィヌの祟りか?
 穴から出てきたとき、さあ大変! 彼女は「お嫁さん」になっていたのだった。
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文庫版p.206


 アナホリィヌ(穴堀犬?)という命名にしびれた。

 なお、『いたちなく』については、こんな記述が。


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実はいたちが座敷に上がってくる環境で昔下宿していた事があるので、作者がここまで配慮して書いていても、私は、なんつか辛い
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文庫版p.207


 余談ですが、「いたちが座敷に上がってくる環境で昔下宿していた」というのを念のために確認してみたところ、確かにそんな描写がありました。ご参考まで。


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 京都の大学に入学して初めて私は彼女を「知った」。「友人」になった。そこは、イタチの入ってくる築三十五年の、庭に築山と枝垂れ桜のある、朝の光が差すと床の間の底から明るくなる、仮住まいだった。
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『幽界森娘異聞』講談社文芸文庫版p.17


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 学生時代、京都の河原町五条にある築三十五年程の女子下宿から、歩いて立命館大学の当時広小路にあった法学部に通っていた。(中略)毎日のように、隙あらば入って来るイタチが畳の上を走り回る下宿で、鼠の断末魔の悲鳴など聞きつつ、夜は一応勉強で徹夜したり、ついつい何か読んだり、ひとりよがりな「作品」を書いたり独言したりしていて、午後からたまにふらふらと学校に出掛けた。
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『ドン・キホーテの「論争」』単行本p.93


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自分の体は、既に木で作った十字形の墓標のようなものに変り果てていた。そしていつしか、ここ数年来天井裏を小さい丸い音を立て走り回っていたのが、一匹のイタチではなく数匹のネズミだったと、気付かせられていた。その続きで、あまり長く住みすぎたという事にさえもすらすらと気付いた。
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『夢の死体』単行本p.121



タグ:笙野頼子
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