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『穴』(小山田浩子) [読書(小説・詩)]


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獣は傾斜のそこまできつくない土手をぽこぽこと降りた。どうも蹄があるようだった。脇に生えている尖った草が私の肌を撫でた。水面が黒く光ってちらついた。一歩進むごとに無数の何かを踏み砕く気配がした。虫か、その死骸かもっと別の動物かゴミか植物か、糞か蠅か、それが次々と私の靴の下でしなり、砕け、めりこんだ。蟬の声が平板に繰り返された。きゃああ、きゃああという子供の歓声が遠くから聞こえた。草むらには古雑誌や空き缶などがまぎれていたが、それも、濃い緑色の中に混じるとまるで天然自然の何かのように見えた。獣の尻が草の間に隠れようとした。私は脚を踏み出した。そこに地面はなかった。
 私は穴に落ちた。
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文庫版p.43


 「人生で一回は正社員になりたかったなあ」。仕事を辞めて夫の実家の隣に引っ越した語り手は、黒い獣に導かれて「穴」に落ちる。その先は、生者と死者の区別も曖昧なワンダーランド、日本の田舎のリアルだった。単行本(新潮社)出版は2014年1月、文庫版出版は2016年7月です。


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私はそこまで自分を捧げたい仕事をしていない。ひどい苦痛もないが充実もない。歯を食いしばるほどの困難も感じたことがないし天に昇るような感動を覚えたこともない。忙しくて辛いとか給料の割にきついとか思うことは多々あるが、そのせいで疲れきってもいるが、別にそんなのは私だけではないだろう。やっているのは私でなくてもできる仕事だし、それ自体に不満を覚えるほど若くも世間知らずでもないつもりだ。
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文庫版p.12


 非正規労働者として安価に使い倒されてきた語り手。同僚との会話も愚痴ばかり。
「人生で一回は正社員になりたかったなあ」「私も人生で一度は専業主婦になりたい」


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 もし仮に、仮にだけど、妊娠したら、臨月まで働かされて一回解雇されて、一年後だか何だかに席が空いてたらまた再雇用で、もし再雇用してもらえたって、どうせパートなんだよ。空いてなかったらそもそも雇ってくれないだろうしさ。正社員なら自動で一年休ませてもらえて三年間時短勤務できて、その間も給料もらえるしボーナスも全額じゃないけどあるししかも自治体からの補助金とかまで出るんだよ。同じ人間かっつうの」
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文庫版p.21


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「ダンナさん、自分の方が早い時とかは作ってくれたりする?」「いやあ、そりゃ、頼めば一日や二日はやってくれるでしょうけど……何ていうか」私が言葉を探して口を閉じると、彼女は勢いよく鏡の方を向き、映った自分自身を睨みつけながら「言えないよね。わかるわかる!」と叫んだ。「私も言えないよ。思うけどね。作っとけよって。アンタの方が早い日だけは作っとけよ! って。でも言えないよねえ、なんでだろうねえ。私も正社員なら対等に言えるのかなあ」
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文庫版p.22


 「同じ人間かっつうの」「私も正社員なら対等に言えるのかなあ」。もはや身分制度というべき格差に分断され、延々と搾取されるばかりの生活。鈍い諦念とともに働いていた語り手に、不意に「幸運」が舞い込んできます。夫の実家の隣に引っ越して、専業主婦になるという道が開けたのです。おめでとう松浦あさひさん。


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「でもさあ、松浦さんいなくなったらその分の仕事は誰がするんだろうね」
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文庫版p.23


 ヒヤリとする同僚の言葉を背に、松浦あさひは夫とともに田舎に引っ越します。実家にいるのは夫の両親と、義祖父。ぽっかりと広がる空白の時間。


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それまで朝から晩まで働いていたのが嘘のような気がした。朝から晩まで働かないと生活できない私と、昼前には一通りの用事が済んであとは夕食を作るまで呆然としていてもいい私と、本当に同じ人間だろうか。一週間で飽きる、と思ったが実際は一日で飽きた。そして、一度飽きてしまえばそれは普通になった。
(中略)
私が、今までしていた、非正規とはいえフルタイムの仕事は、実は、家賃がただになり、その他の諸経費が安くなれば別に絶対必要ではないものだったのだ。そのことに、私は徒労を感じていた。正社員に比べれば大したことがないであろうがそれなりにのしかかっていた業務や、責任や、愚痴や苦痛は、全てアパートの中空の2DK分の価値しかなかったのだ。それが姑らの好意でただになれば、別に私の労働はなくてもやっていけるのだ。人生の夏休み、もしかしたらそれは終わりが来ないかもしれないのだ。どうして夫は毎日深夜まで働いて、私だけが楽しい夏休みを享受していていいのだろう。
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文庫版p.32、66


 ひたすら携帯電話をいじくっている夫。完全マイペースな姑。雨の日でも庭の水撒きをしているコミュニケーションとれない義祖父。やばいやばいやばい。これはどう考えても「好意」でも「夏休み」でもなく、一家全員の介護を押しつける気まんまんとしか思えません。早く早く、逃げて、逃げて。

 読者の心の声をよそに、「楽しい夏休みを享受」していることに後ろめたさを覚える語り手は、白ウサギならぬ黒い獣を追って、土手の「穴」に落ちてしまいます。もちろん、その先はワンダーランド。田舎の嫁ランド。


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お嫁さん、と呼ばれる度に妙な気がした。お嫁さん、と私は今まで呼ばれたことがあっただろうか。働いている限りは名前で呼ばれたし、そうでなくてもお嫁さん、と呼びかけられたことはなかった。といって、この世羅さんに、私は松浦あさひですと名乗って、あさひさんと呼ばれたり姑のようにあさちゃんと呼ばれたりするのもおかしな気がした。世羅さんからすれば松浦さんと言えば姑の代の人を指すのだろうし、夫は息子さんになるのだろうし、となれば私はお嫁さんだ。私はお嫁さんになったのだ。とっくになっていたのに気づかなかったのだ。
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文庫版p.50


 「私はお嫁さんになったのだ。とっくになっていたのに気づかなかったのだ」。個人名を失い、松浦家の「お嫁さん」として扱われる不思議空間に、すでに取り込まれていることに気づく語り手。そこは、異界。

 河原にあるたくさんの穴から子供たちがぼこぼこ湧いてくるし、葬式には異様に多くの老人が集まってくるし、ここでは死者のよみがえりがごく普通にあるらしい。というより、生者と死者の区別が曖昧になって。


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路上にも、民家の窓にも、どこにも誰もいなかった。まるで、日のあるうちは出歩かないようにという決まりでもあるかのようだった。あるのかもしれない。私が知らないだけなのかもしれない。それともこの辺りには誰も住んでいないのかもしれない。私と義兄と義祖父と獣と蟬しかいないのかもしれない。
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文庫版p.95


 そんな異界で、誰からも関心をもたれないまま、家に閉じ込められて一日中ずっと義理の両親と祖父を介護しつつ、家事育児もさせられるという、見える、見えるぞ、そんな田舎の嫁地獄。


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蟬の声と義祖父の水撒きの音に囲まれて、珍妙な舌出し犬スリッパの姑と携帯電話を握った夫とに挟まれて、赤ん坊に乳を与えている自分を想像するだけで私は滅入った。それが絶対に嫌だとは思えない。それは幸せなのかもしれない。働かないならせめてそれを願うべきなのかもしれない。
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文庫版p.67


 「働かないならせめてそれを願うべきなのかもしれない」。これまでどれだけ自尊心を踏みにじられ自己肯定感を損なわれてきたのかと。ああ。

 アリスは目を覚ましてこちらに戻ってきましたが、はたして「ずっとぼんやりしている自信がある。何せ覚醒していたら毎日やりきれないのだ」(文庫版p.69)という松浦あさひさんは、戻ってこられるのでしょうか。というか、戻るって、どこに?

 文庫版には、他に不妊とイタチ駆除を扱った『いたちなく』、その続篇『ゆきの宿』の二篇が収録されています。



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