『「超」怖い話 丙(ひのえ)』(松村進吉) [読書(オカルト)]
――――
やせ細った黒猫は書斎のケージの隅で力なくうずくまり、それでも私が腕を入れると、骨ばった顔をこすりつけて最後の時を惜しんでいた。
そのまま三日、四日と猫はケージの中にいた。私は本書の原稿がひとつ書きあがるたびに腕を突っ込み、硬い顔を撫でた。
そして五日目、あと何話かで原稿が仕上がるという頃。私が台所でコーヒーを淹れようと書斎を出た。そのたった数分の間に、黒猫はケージの中で息を引き取っていた。
私は愕然として骨と皮だけになった身体を抱いた。
こいつは臨終を見せまいとしたのだ、としか思えなかった。
私が茶虎の死で、あんなに悲しんだから。
もう人間の涙を見たくなかったのだ。
――――
文庫版p.5
松村進吉さんによる実話怪談シリーズ最新作。文庫版(竹書房)出版は2016年8月です。
『セメント怪談稼業』を読んで大いに感銘を受け、個人的に苦手な(だって怖いから)実話怪談本も、この人が書いたものだけは読むようにしています。ちなみに『セメント怪談稼業』単行本読了時の紹介はこちら。
2015年04月09日の日記
『セメント怪談稼業』(松村進吉)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-04-09
最新作である本書の「まえがき」では、飼い猫のうち茶虎と黒猫が死んだときのことが書かれており、『セメント怪談稼業』の読者として涙を禁じ得ません。
さて、本書には、まだ名前のついていない、キャラクター化される前の「妖怪」に遭遇した話がいくつも収録されているのが印象的です。
まずは、背後から追いかけられる系。追いかけてくるのは、服とかトイレットペーパーとか。
――――
さっきまでぱたぱたぱたぱた、とずっと近くで聞こえていた音は、もうしてない。
つまりあの音は――あの、ワンピースの音だったのではないか。
町内に入って以降、ずっとあの服が。
私の頭上のすぐ後ろを飛んで、ついて来ていたということでは。
怯えるあまり、池田さんは涙を滲ませながら真っ黒な住宅地を走り抜けた。
――――
文庫版p.172
――――
その後、数分でそのトイレットペーパーは芯まで転がり切り、そこで突然命を失ったようになってハラリと風に巻かれ、民家のブロック塀にまとわりついた。
混乱していた永瀬さんはとりあえずひと安心した。
これが、マンションまで届く長さでなくて良かった。
シングルロールではなく、ダブルだったのかも知れない。
永瀬さんもダブル派である。
――――
文庫版p.139
空飛ぶワンピース。転がるトイレットペーパー。妖怪に追いかけられるという恐怖体験なのに、意外におちゃめな雰囲気も。特に、ほどけきって息絶えるトイレットペーパーには愛嬌のようなものさえ感じます。「永瀬さんもダブル派である」という、怪談としてうっかり踏み外してしまったような一文も魅力的。
続いて、天井から降りてくる妖怪。これは怖いです。
――――
「怖かったですよ、こっちは本当に命懸けなんですから。大体そんな、物心ついたばっかりの子供が生きるか死ぬかのやり取りなんて、普通しないじゃないですか」(中略)
それは一体何の話か、と訊くと「じゃんけんですよ」とのこと。
「当時住んでいた借家にはね、夜、布団に入ると――僕とじゃんけんをしに、天上から降りてくる奴がいたんです」
――――
文庫版p.55
――――
当たり前だが、天井に人が出入りできる穴などない。
そもそもその男は、垂直に二メートル以上もジャンプして姿を消している。
住み続けられる訳がなかった。
数ギガバイトにおよぶ長い動画は、「持っていると新しい部屋にも追いかけてくる気がして」即座に、削除してしまったという。
――――
文庫版p.115
前者は、子供の頃、天井からぶら下がって降りてきたやつと命がけのジャンケン勝負をしていたという話。後者は、留守中に小物が紛失するのを不審に思って室内に監視カメラを仕掛けて録画したところ、天井から黒いやつが落ちてくるシーンがはっきり映っていたという話。現代でもやっぱり天井からさがってくる妖怪は健在なんだ。
さらには、こっそり室内に入ってくる妖怪。
――――
羽根のあるガンダムと、銃器を抱えた青いガンダムの間。
そこに、見慣れない人形があった。
明らかにプラモデルではない。まるで紙粘土を適当にこねてつくったような、雑な体型の人形である。
(中略)
出し抜けに人形がバッ、と彼女の視線から逃げるように走り出した。
「ひッ、ひいッ……?」
仰天して身を引くと、人形は棚の上からポンと飛び、ボテッと音を立てて床に落ちた。
まるで発狂した猫のように、ガッガッガッガッ、と恐ろしい勢いで部屋の引き戸を押し広げたかと思うと、その僅かに出来た隙間に体を捩じ込む。
そしてそのまま――トタタタタタタッ、と廊下を走って行ってしまった。
――――
文庫版p.84
――――
(いやだ、いやだ……! 怖い! 怖い!)
続いて彼女が思ったのは、「恐怖」からの連想で、常日頃お姉さんによって頭に刷り込まれた、「一九九九年、ノストラダムスの大予言」であった。(中略)
(いやだ……。お願いです。どうか人類を滅ぼさないでください。一九九九年になっても、何もしないでください)(中略)
とんでもない発想のようだが彼女は至って真剣、命がけの祈りだった。
額にはびっしりと玉の汗が浮き、瞬きもせずにカマキリ人間を注視する。
すると――その、赤く小さな逆三角形の顔がコクリ、と小さく頷いたように、彼女には見えた。
「……で、そのあとすぐにクルッて反対を向いて、また網戸から出て行ったんです」
あのようなものを見たのは後にも先にも、あの夏の日だけだったと小林さんは云う。
あなたはそうやってこの話を笑うが、自分は本当に怖ろしかったのだ、と。
大方の予想どおり、人類は滅びることなく世紀を跨いだ。
――――
文庫版p.162
こっそりガンプラに混じって立っていて、見つかると必死で逃げる生き人形も変に可愛いのですが、何といっても本書のハイライトは「ノストラダムスの大予言を外して下さいと子供から真剣にお願いされ、仕方なく頷いて、ちゃんと約束を守ったカマキリ型宇宙人」ではないでしょうか。カマキリ型宇宙人(インセクトイド、あるいはマンティスマン)は目撃例も多く、凶暴だとされていますが、意外と義理堅いというか、押しに弱いタイプなのかも知れません。それにしても「あなたはそうやってこの話を笑うが」というライブ感あふれる一言に思わず吹き出してしまいました。
他にも、ニンゲンからポケモンまで、今も妖怪は跳梁跋扈しているようです。
――――
腕だけしかないそれは、肘のところで樹木のように枝分かれし、ふたつの手へと続いている。丁度、アルファベットのYの形である。
それらの都合十本の指が、スクリュー基部の太い鉄の筒をがっしりつかんでいる。
根本は、浜に晒された古い水死体のように、血の気のない肉と骨の断面。
なんだこれは。本当に死体なのか。
いや、本当に「人間の」死体なのか。
――――
文庫版p.97
――――
「……タッちゃんはポケモン見たことある?」
ふいに、それまでのはしゃいだ様子とは違った神妙な口調で訊ねる甥。
その視線は少し離れたところに座る、自分の両親達の様子を窺っている。
「ポケモン? ああ、そりゃあ何回かは、お前と一緒に見たじゃないか。映画も連れてってやったろ」
「ううん、テレビとかじゃなくて――ここで」
「……ここで?」
――――
文庫版p.156
後者は「神社の境内にポケモンがいた」という話なんですが、書かれた時点では怪談だったろうに、ポケモンGOが大ヒットした今となってはごくありふれた会話にしか思えないという、世の変化がいちばん怖い。
やせ細った黒猫は書斎のケージの隅で力なくうずくまり、それでも私が腕を入れると、骨ばった顔をこすりつけて最後の時を惜しんでいた。
そのまま三日、四日と猫はケージの中にいた。私は本書の原稿がひとつ書きあがるたびに腕を突っ込み、硬い顔を撫でた。
そして五日目、あと何話かで原稿が仕上がるという頃。私が台所でコーヒーを淹れようと書斎を出た。そのたった数分の間に、黒猫はケージの中で息を引き取っていた。
私は愕然として骨と皮だけになった身体を抱いた。
こいつは臨終を見せまいとしたのだ、としか思えなかった。
私が茶虎の死で、あんなに悲しんだから。
もう人間の涙を見たくなかったのだ。
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文庫版p.5
松村進吉さんによる実話怪談シリーズ最新作。文庫版(竹書房)出版は2016年8月です。
『セメント怪談稼業』を読んで大いに感銘を受け、個人的に苦手な(だって怖いから)実話怪談本も、この人が書いたものだけは読むようにしています。ちなみに『セメント怪談稼業』単行本読了時の紹介はこちら。
2015年04月09日の日記
『セメント怪談稼業』(松村進吉)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-04-09
最新作である本書の「まえがき」では、飼い猫のうち茶虎と黒猫が死んだときのことが書かれており、『セメント怪談稼業』の読者として涙を禁じ得ません。
さて、本書には、まだ名前のついていない、キャラクター化される前の「妖怪」に遭遇した話がいくつも収録されているのが印象的です。
まずは、背後から追いかけられる系。追いかけてくるのは、服とかトイレットペーパーとか。
――――
さっきまでぱたぱたぱたぱた、とずっと近くで聞こえていた音は、もうしてない。
つまりあの音は――あの、ワンピースの音だったのではないか。
町内に入って以降、ずっとあの服が。
私の頭上のすぐ後ろを飛んで、ついて来ていたということでは。
怯えるあまり、池田さんは涙を滲ませながら真っ黒な住宅地を走り抜けた。
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文庫版p.172
――――
その後、数分でそのトイレットペーパーは芯まで転がり切り、そこで突然命を失ったようになってハラリと風に巻かれ、民家のブロック塀にまとわりついた。
混乱していた永瀬さんはとりあえずひと安心した。
これが、マンションまで届く長さでなくて良かった。
シングルロールではなく、ダブルだったのかも知れない。
永瀬さんもダブル派である。
――――
文庫版p.139
空飛ぶワンピース。転がるトイレットペーパー。妖怪に追いかけられるという恐怖体験なのに、意外におちゃめな雰囲気も。特に、ほどけきって息絶えるトイレットペーパーには愛嬌のようなものさえ感じます。「永瀬さんもダブル派である」という、怪談としてうっかり踏み外してしまったような一文も魅力的。
続いて、天井から降りてくる妖怪。これは怖いです。
――――
「怖かったですよ、こっちは本当に命懸けなんですから。大体そんな、物心ついたばっかりの子供が生きるか死ぬかのやり取りなんて、普通しないじゃないですか」(中略)
それは一体何の話か、と訊くと「じゃんけんですよ」とのこと。
「当時住んでいた借家にはね、夜、布団に入ると――僕とじゃんけんをしに、天上から降りてくる奴がいたんです」
――――
文庫版p.55
――――
当たり前だが、天井に人が出入りできる穴などない。
そもそもその男は、垂直に二メートル以上もジャンプして姿を消している。
住み続けられる訳がなかった。
数ギガバイトにおよぶ長い動画は、「持っていると新しい部屋にも追いかけてくる気がして」即座に、削除してしまったという。
――――
文庫版p.115
前者は、子供の頃、天井からぶら下がって降りてきたやつと命がけのジャンケン勝負をしていたという話。後者は、留守中に小物が紛失するのを不審に思って室内に監視カメラを仕掛けて録画したところ、天井から黒いやつが落ちてくるシーンがはっきり映っていたという話。現代でもやっぱり天井からさがってくる妖怪は健在なんだ。
さらには、こっそり室内に入ってくる妖怪。
――――
羽根のあるガンダムと、銃器を抱えた青いガンダムの間。
そこに、見慣れない人形があった。
明らかにプラモデルではない。まるで紙粘土を適当にこねてつくったような、雑な体型の人形である。
(中略)
出し抜けに人形がバッ、と彼女の視線から逃げるように走り出した。
「ひッ、ひいッ……?」
仰天して身を引くと、人形は棚の上からポンと飛び、ボテッと音を立てて床に落ちた。
まるで発狂した猫のように、ガッガッガッガッ、と恐ろしい勢いで部屋の引き戸を押し広げたかと思うと、その僅かに出来た隙間に体を捩じ込む。
そしてそのまま――トタタタタタタッ、と廊下を走って行ってしまった。
――――
文庫版p.84
――――
(いやだ、いやだ……! 怖い! 怖い!)
続いて彼女が思ったのは、「恐怖」からの連想で、常日頃お姉さんによって頭に刷り込まれた、「一九九九年、ノストラダムスの大予言」であった。(中略)
(いやだ……。お願いです。どうか人類を滅ぼさないでください。一九九九年になっても、何もしないでください)(中略)
とんでもない発想のようだが彼女は至って真剣、命がけの祈りだった。
額にはびっしりと玉の汗が浮き、瞬きもせずにカマキリ人間を注視する。
すると――その、赤く小さな逆三角形の顔がコクリ、と小さく頷いたように、彼女には見えた。
「……で、そのあとすぐにクルッて反対を向いて、また網戸から出て行ったんです」
あのようなものを見たのは後にも先にも、あの夏の日だけだったと小林さんは云う。
あなたはそうやってこの話を笑うが、自分は本当に怖ろしかったのだ、と。
大方の予想どおり、人類は滅びることなく世紀を跨いだ。
――――
文庫版p.162
こっそりガンプラに混じって立っていて、見つかると必死で逃げる生き人形も変に可愛いのですが、何といっても本書のハイライトは「ノストラダムスの大予言を外して下さいと子供から真剣にお願いされ、仕方なく頷いて、ちゃんと約束を守ったカマキリ型宇宙人」ではないでしょうか。カマキリ型宇宙人(インセクトイド、あるいはマンティスマン)は目撃例も多く、凶暴だとされていますが、意外と義理堅いというか、押しに弱いタイプなのかも知れません。それにしても「あなたはそうやってこの話を笑うが」というライブ感あふれる一言に思わず吹き出してしまいました。
他にも、ニンゲンからポケモンまで、今も妖怪は跳梁跋扈しているようです。
――――
腕だけしかないそれは、肘のところで樹木のように枝分かれし、ふたつの手へと続いている。丁度、アルファベットのYの形である。
それらの都合十本の指が、スクリュー基部の太い鉄の筒をがっしりつかんでいる。
根本は、浜に晒された古い水死体のように、血の気のない肉と骨の断面。
なんだこれは。本当に死体なのか。
いや、本当に「人間の」死体なのか。
――――
文庫版p.97
――――
「……タッちゃんはポケモン見たことある?」
ふいに、それまでのはしゃいだ様子とは違った神妙な口調で訊ねる甥。
その視線は少し離れたところに座る、自分の両親達の様子を窺っている。
「ポケモン? ああ、そりゃあ何回かは、お前と一緒に見たじゃないか。映画も連れてってやったろ」
「ううん、テレビとかじゃなくて――ここで」
「……ここで?」
――――
文庫版p.156
後者は「神社の境内にポケモンがいた」という話なんですが、書かれた時点では怪談だったろうに、ポケモンGOが大ヒットした今となってはごくありふれた会話にしか思えないという、世の変化がいちばん怖い。
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