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『ぶたぶたラジオ』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

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「そうですかねえ。今のラジオでもたまに真似事みたいなのをやるんですが、なんかこう……モヤモヤしちゃうんですよね」
 小さな手をぐわっと伸ばして(全然伸びてないけど)、細かく震わせる。おそらく「モヤモヤ」を表現するための動作であろう。不思議と伝わる。
「あまり人に言えない悩みでも、聞いてくれそう、答えてくれそうと思うのが、ぶっちゃけ人気の悩み相談なんだと思うんです。山崎さんの声には、そういうトリガーがあるように思えるんですよね。言ってしまえば、けったいな悩みであっても、という――」
 それは暗に「お前以上にけったいな存在などない」と言っていることにならないだろうか、高根沢。
 しかしぬいぐるみは特に気にする様子はなく、
「そうですかねえ……」
 と言う。そして、今度は小さな手を身体の前でぎゅっと交差させる。これは多分、腕を組んでいるのだろう。身体にシワが寄る。目間のシワはさらに深くなった。
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文庫版p.26


 ローカルラジオ局のパーソナリティーとしても活躍している「ブックス・カフェやまざき」の店長さんが、東京のAMラジオ局で「悩みごと相談コーナー」を受け持つことに。大好評ぶたぶたシリーズ、今回はぶたぶたのラジオ番組出演にまつわる三つの物語を収録した短篇集。文庫版(光文社)出版は2017年12月です。

 見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、中身は頼りになる中年男。そんな山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。「ぶたぶた」シリーズはそんなハートウォーミングな物語です。

 今回は『ぶたぶたの本屋さん』の山崎店長が再登場する続篇です。といっても前作を読んでいる必要はまったくありません。ちなみに前作の紹介はこちら。

  2014年07月15日の日記
  『ぶたぶたの本屋さん』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-07-15


[収録作品]

『ぶたぶたにきいてみよう』
『運命の人?』
『ずっと練習してたこと』


『ぶたぶたにきいてみよう』
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「ぶたぶたさんはおいくつなんですか?」
 いいぞ明日美、自然な質問だ。ところが返事に驚かされる。
「だいたい四十代半ばくらいですね」
 だいたい! いきなり曖昧! ていうか他人事! 自分でもよくわかっていないのか? ぬいぐるみだから!?
 ブースの外を見ると、みんな同じように驚いた顔をしている。リスナーは今のを訊いてどう思ってるの?
(中略)
 こんなふうに、「ぶたぶたさんにきいてみよう」は始まった。
 一ヶ月ほどたったが、リスナーからの評判はいい。「ぶたぶたさんは不思議な人」という感想がとても多い。「話していることがちょっとズレていて、いったいどういう人なんだろうと気になってしまいます」というのが、リスナーの意見の代表だろう。
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文庫版p.83、89

 リスナーから寄せられた悩みに山崎ぶたぶた氏が回答する、東京AMラジオ番組の悩みごと相談コーナー「ぶたぶたにきいてみよう」がスタート。
「僕は人じゃないから、ほんとはよくわかんないんですけどね」(文庫版p.143)などと衝撃的なことをさらりと口にする山崎ぶたぶた氏、渋い中年男性の声にどこかちょっとズレているトークで、たちまち人気者に。


『運命の人?』
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 でも、一緒に番組をやっていくうちに、小動物なんてとんでもない、とわかってきた。悩み相談への答えは的確だし、ぬいぐるみとしての視点も入って聞いていて楽しい。それは、ぬいぐるみだと知っているからかもしれないが、知らないリスナーたちからの評判もいい。
 何よりぶたぶたの人柄がとてもいい。はっきり言って完璧な人だ。思慮分別にあふれ、優しい気づかいのできる人。家族を大切にしている働き者。そして語り口穏やかないい声の持ち主。
 ぬいぐるみじゃなければ、好きになっていたかも。ぬいぐるみだから、男性として好きというより、かわいいゆるキャラ的な好きでいられるのがありがたい。
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文庫版p.120

 ぶたぶたのことが気になって仕方ない女子アナウンサー。飲み会の後で、かなり強引に帰路を共にする。誰かに目撃されたら週刊誌に「人気女子アナ、深夜の密会デート」とか書かれてしまう? いやいや夜道でぬいぐるみに話しかけているイタい女にしか見えないから大丈夫。というか、ぬいぐるみ相手に恋愛相談、という状況がそもそも大丈夫じゃないような気も。


『ずっと練習してたこと』
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 いつしか波留は、ぶたぶたが本当にこのぬいぐるみだと思うようになっていった。
 いや、変なことを言っているな。つまり、山崎ぶたぶたという人が、このぬいぐるみそのものだ、と考えるようになった、ということだ。それなら、「手作り」と言わなかったことへの説明もつく。しかも、そう思ってラジオを聞いていると、今までちょっと不思議なやりとりだと思っていた部分がしっくり行くことに気づいたのだ。
(中略)
 そんなことを考えるのが最近楽しい。おいしく料理ができた時、あるいはどこかへ遊びに行った時など、ぶたぶたが一緒にいたらどんな感想を言ってくれるかな、と想像するだけでもわくわくしてくる。
 楽しいことだけでなく、仕事で失敗したり、家族とケンカして落ち込んだり、あるいは今まで悩んでいた焦燥感に襲われても、ぶたぶただったらどんなふうに慰めてくれるだろう、と考える。すると、いつの間にか微笑んでいたりして、気持ちが楽になっているのだ。
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文庫版p.188、189

 自称ぬいぐるみ。番組ホームページに掲載されている写真もピンクのぶたのぬいぐるみ。謎の中年男、山崎ぶたぶた氏のラジオ番組を楽しみにしているリスナーの女性が、いつしかぶたぶたさんが本当にぬいぐるみだったら、そしてそばにいてくれたら、という空想というか妄想というか二次創作? でいやされるようになってゆく。そしてあるとき気がつく。「ブックス・カフェやまざき」に行けば、本物の山崎さんに会えるじゃないか。

 ぶたぶたをよく知っているが会ったことはない、いつか出会うことを空想してはふふふふ。そんな「読者に近い立ち位置」の主人公がついに登場。これもラジオ番組という状況設定のおかげです。そして癒しキャラとしての真価を存分に発揮しまくるぶたぶた。タイトルの意味が分かったとき、「私も練習してた!」と読者が共感する作品。

 私もずっと練習してますよ。


タグ:矢崎存美
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『イリュミナシオン ランボーの瞬き』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

『ある理性に』(詩集『イリュミナシオン』収録)より
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 おまえの指が太鼓を一打ちすると、すべての音がぶっ放され、新しいハーモニーが始まる。

 おまえが一歩踏み出すと、新しい人間たちが動員され、そして彼らの進軍とあいなる。

 おまえの頭が横を向く、新しい愛だ! おまえの頭が振り向く、――新しい愛!
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『ランボー全詩集』(アルチュール・ランボー、鈴木創士:翻訳)
河出文庫版p.97


 2017年12月10日は、夫婦でシアターχに行って勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんによる公演を鑑賞しました。2017年7月にKARAS APPARATUSで上演された作品のシアターχバージョンです。上演時間は60分。

 最初から最後まで音響が流れ続ける舞台です。クラシックからロックまで様々な音楽の断片、喧騒や生活音、虫の音、工場かエンジンの排気音を思わせるノイズ、ときおり人の声、さらにコンピュータゲームのような各種デジタル音などがごた混ぜになったような激しいノイズが叩きつける空間を、一人の苦悩する若者が彷徨います。

 KARAS APPARATUS版に比べて舞台が広くなって、特に背面の壁が広々としているので、彷徨ってる感がさらに強調されています。

 騒音のなかで苦しみ、痙攣し、のたうち、壁や床を叩き、少し穏やかになった瞬間を逃さず壁に向かって全力で言葉を書きつける。特にこの「詩を書く」という振付が印象的で、後半になると「書こうとして書けずに脱力し膝から崩れ落ちる」という動きが繰り返され、観る者の胸を打ちます。

 ダンスの動きは大きく、激しく、いかにも情熱と、舞い上がりと、その反動に苦しむ若者の姿が浮かび上がります。来ていた上着を脱いで丸めてサッカーボールにして蹴る、といった若々しい振付も印象的。というか勅使川原三郎さんが「己の才能を持て余し、自意識に振りまわされる思春期のガキんちょ」に見えるのが凄い。


『精霊』(詩集『イリュミナシオン』収録)より
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 おお、彼の息、彼の頭、彼の疾走よ。諸形態と行動の完全さの恐るべき敏捷さ。
 おお、精神の豊穣さと宇宙の広大さよ!
 彼の肉体! 夢見られた救出、新たな暴力と交叉した恩寵の粉砕だ!
 彼の視力、彼の視力! 彼の後にはすべての昔ながらの跪拝と高尚な労苦。
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『ランボー全詩集』(アルチュール・ランボー、鈴木創士:翻訳)
河出文庫版p.156


 佐東利穂子さんは、そんな若者の姿を静かに見つめる黒衣の女として舞台に登場します。いかにも若者らしい夢想なのか、詩の霊感なのか、舞台上を滑るように静かに歩き続け、消えたり現れたりしながら、若者を翻弄するかのような彼女。その存在感はハンパなく、まるで舞台を支配しているかのようにも見えます。

 KARAS APPARATUS版に比べて衣装が少し変化しているせいか、それとも演出に工夫があるのか、ときどき老齢男性に見える瞬間があり、そんなときは「傑作と引き替えにおまえの魂を渡せ」などと若き詩人に契約を迫る悪魔のような、そんな不吉な印象を残したり。


『妖精』(詩集『イリュミナシオン』収録)より
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 そして高価な輝きよりも、冷たい感応よりも、かけがえのない書割りと時の喜びよりも、さらに優れた彼女の両目とダンス。
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『ランボー全詩集』(アルチュール・ランボー、鈴木創士:翻訳)
河出文庫版p.136


 照明効果はいつもの通り素晴らしいのですが、今作では勅使川原三郎さんが彼方の光芒(イリュミナシオン)を眩しげに見つめるというシーンが何度か繰り返されるせいで、実際には見えない光芒を観た、という印象が残ります。

 KARAS APPARATUS版では最後の最後に勅使川原三郎さんが振り上げた拳で光芒をつかむ、という演出だったと記憶していたのですが、シアターχ版では暗闇に向かって堂々と拳を突き上げて終わりました。

 このラストシーンがやっぱりかっこいい。どう見ても人生経験の浅い若者が才能にまかせて書きつけたと分かるランボーの詩が、それでも多くの人々を惹きつけてやまないのは、このどうしようもないかっこよさのおかげだよなあ、と思いました。


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『九月の白い薔薇 ――ヘイトカウンター』(笙野頼子) [読書(随筆)]

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 十月の始め、週刊金曜日に小池知事の行いを千のプラトーにある、捕獲装置という概念をつかって説明していた。フェミ気取りで反原発だの企業課税だのを出しては引っ込めいちいち紛らわす、本質なき偽物の野党ぶりっこ。選挙民を騙せば勝ちの装置。誰も騙されぬようにその言説を私は必死で分析して述べた。終わって家に帰ると立憲民主党が立ち上がっていた。
 あっという間の何週間かで、自民は圧勝したけど権力は野党共闘への恐怖を露にしていた。支えた共産党の「惨敗」と何喰わぬ顔で書く大新聞が嫌で、私は赤旗に選挙総括を書いた。けして党員ではない、ずっと批判してきた。しかし今、ここにだけは真実、ほんの少しでも「保守」ののぞみがある(十月の末、さる方のお世話で、飼主様急死の老猫を迎える、命名ピジョン)。
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「群像」2018年1月号p.167


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第114回。

 ヘイトデモに対するカウンターに参加した体験を中心に書かれたエッセイです。「群像」2018年1月号に掲載されました。


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 五月に猫をなくして立てなくなった。それでも八月の始めに本を出した。本の表紙にした亡き猫の顔は、戦争を止めるよ、とロックな眼差しで訴えている。ヘイトと経済収奪と戦争は三位一体、と主張するこの新作には、「さあ、文学で戦争を止めよう」という「あんまりな」題名を付けてしまっていた。
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「群像」2018年1月号p.165


 まずは最新長篇とギドウのこと。いきなりここで泣ける。ちなみに、最新作の紹介はこちら。


  2017年08月03日の日記
  『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-08-03


 そしてヘイトカウンターに参加した体験が語られてゆきます。


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 それでも明けて九月一日の朝、両国駅最寄り横綱町公園慰霊祭に向かった。というのも関東大震災で虐殺された方々を悼む会に、今年から新種の嫌がらせが加わったそうなので、ヘイトカウンターをかねた取材に、私は行こうとしていたのだった。
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「群像」2018年1月号p.165


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今もネットを見ていたら、災害があるたび、同じデマが流れる。ヘイトな彼らはいつも、デマを流す。嘘と判ってするの恥ずかしくない? でもそれこそそれよ、相手を蔑んでいるから出来る事だ。
 嫌な時代がどんどん近づいて来て、あっという間にもう目の前にある。しかもヘイトスピーチに対してやっと解消法が出来て、してはいけない事になったはずなのに……。
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「群像」2018年1月号p.166


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 今、この戦前とは何か、それは上が規則を破り公約法律議会全部、本質を失わせ捕獲する世界。そして外国からフェミ認定で褒められた初の女性(極右)都知事は、慰霊祭への追悼文を出さないようにした。ばかりかそのお供養に対抗する嫌がらせ的法事が、このみんなの広場横綱町公園において許可されている。それはお供養の紛らわしい偽物、主催するのは極右女性団体。だけど今や、右も左もない。ここはTPPの平気な人達が、保守を自称する国。
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「群像」2018年1月号p.166


 今もひとり戦い続けている著者のまっとうに通じる言葉が、心に染みこんできます。そして最後に、さり気なく、読者に対する報告が。ほっとした。ほっとしたよ。

 ピジョン、平和の象徴。戦争を止めよう、言葉を取り戻そう。


タグ:笙野頼子
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『したたかな寄生 脳と体を乗っ取る恐ろしくも美しい生き様』(成田聡子) [読書(サイエンス)]

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 本書では、それらの共生関係の中でも、小さく弱そうに見える寄生者たちが自分の何倍から何千倍も大きな体を持つ宿主の脳も体も乗っ取り、自己の都合の良いように巧みに操る、恐ろしくも美しい生き様を紹介します。
 まるで犬の散歩のようにハチの意のままに付いていくゴキブリ、生きながら自分の体内を食われ続けるイモムシたち、さらに食われた後にも自分の体を食べた憎き寄生者の子どもたちを守ろうとするテントウムシ、泳げるわけもないのに体内の寄生者に操られて入水自殺するカマキリ、本来オスであったにもかかわらずメスに変えられ寄生者の卵を一心不乱に抱くカニ、そして私たち人間でさえ体内に存在する小さな別の生き物に操られているかもしれないという研究例などがあります。生物たちのそれぞれの生きる戦略がせめぎ合う共生の世界にようこそ。
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新書版p.13


 自分の都合の良いように宿主の行動をコントロールする寄生者たち。寄生生物の思わずぞっとするような巧みな生態を紹介してくれるサイエンス本。単行本(幻冬舎)出版は2017年9月、Kindle版配信は2017年9月です。


「1 自然界に存在するさまざまな共生・寄生関係」
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 ロイコクロリディウムに寄生され、脳を操られたカタツムリは、なぜか昼間に動き出し、ふらふらと鳥に見つかりやすい木に登っていき、明るく目立つ葉っぱの表面へ移動します。それだけでも、鳥に捕食される確率は上がりますが、寄生者ロイコクロリディウムはさらにあと一工夫加えます。ロイコクロリディウムはカタツムリの触角をまるで鳥の大好物のイモムシのように見せかけるのです。
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新書版p.17

 カタツムリを操って自殺させる吸虫。様々な共生関係・寄生関係を紹介します。


「2 ゴキブリを奴隷化する恐ろしいエメラルドゴキブリバチ」
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脳手術をされたゴキブリは、麻酔から覚めると何事もなかったようにすっくと自分の脚で立ち上がります。元気に生きてはいますが、逃避反射をする細胞に毒を送り込まれているので、もうハチから逃げようと暴れたりはしません。いわゆるハチの言いなりの奴隷になっているのです。ゴキブリは自分の脚で歩くこともできますし、毛繕いなど自分の身の回りの世話をすることもできます。ただし動きが明らかに鈍くなり、自らの意思では動かなくなります。
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新書版p.43

 ゴキブリに精密な脳手術を施して意のままに動く奴隷にする寄生ハチ。その驚異的とも言えるあくどい生態を紹介します。


「3 体を食い破られても護衛をするイモムシ」
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 80個もの卵を産み付けられ体の中身を食い荒らされ、そのうえ体の表面の皮のあらゆる場所が破られているのですから、さすがにそろそろ死んでしまいそうですが、寄生されたイモムシはどういうわけか死んではいません。その姿がまるでゾンビのようなのです。
 そして、寄生されていたイモムシはただ生ける屍になっているのではありません。驚くべきことに、自分の体内を食いつくしたブードゥー・ワスプの蛹を全力で守る行動をし始めるのです。
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新書版p.54、56

 全身を食い荒らされながらも、すぐには死なずにゾンビとなって寄生ハチの幼虫を守り抜くイモムシ。寄生バチが宿主をぼろぼろになるまで利用し尽くす無情な生態を見てゆきます。


「4 テントウムシをゾンビボディーガードにする寄生バチ」
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 そうして、体中を食い荒らされながらも生き続け、意思を奪われ、ボディーガードをしていたテントウムシは、最終的にどうなるのでしょうか。死を迎えて当然だと思われるでしょうが、寄生されたテントウムシの4分の1が回復し、元の生活に戻ります。しかし、せっかくゾンビボディーガードから奇跡の生還を果たしたにもかかわらず、その生還したテントウムシの一部は、再び同じ種類のハチに寄生されてしまうのです。
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新書版p.62

 寄生バチから脳に感染するウイルスを打ち込まれ、ゾンビボディーガードにされるテントウムシ。しかも一部は殺さず生還させ、何度も「再利用」するという寄生バチのえげつない生態を紹介します。


「5 入水自殺するカマキリ」
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川の渓流魚が得る総エネルギーの60パーセント程度が、寄生され川に飛び込んでいたカマドウマであることがわかったのです。(中略)カマドウマが飛び込めないようにした区画では、渓流魚は水に飛び込む大量のカマドウマを食することができないので、他の水生昆虫類をたくさん捕食していました。そして魚のエサとなったこれら水生昆虫類のエサは藻類や落葉だったため、河川の藻類の現存量が2倍に増大し、川の虫の落葉分解速度は約30パーセント減少したことがわかったのです。
 このように、小さな寄生者であるハリガネムシが、昆虫を操り、入水させることは、河川の群衆構造や生態系に、大きな影響をもたらすことが実証されました。
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新書版p.70、71

 ハリガネムシに寄生され入水自殺させられるカマキリなどの昆虫の総量は、何と河川にすむ渓流魚が得る総エネルギーの60パーセントに達するという。河川の生態系を支えるほど大量の昆虫を自殺させるハリガネムシの驚くべき生態を紹介します。


 きりがないのでこのくらいにしておきますが、他にも

「アリを操り死の行進をさせる菌類や吸虫」

「アリを薬物中毒にして自分が分泌する蜜しか消化できないように改造する樹」

「カニを奴隷化してひたすら自分の卵を育てさせるフジツボ」

「エビに群れを作らせるサナダムシ」

「カエルの手足を増やして奇形化させる寄生虫」

などのびっくりするような寄生のやり方が次から次へと紹介され、最後は私たち人類も寄生者に操られて性格や行動をコントロールされているかも知れないというトピックに至ります。

 知らなかったことも多く、また知っていた寄生行動についても最近の研究により明らかになった新しい情報が追加されていたりして、最後まで飽きさせません。


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『大野一雄について』(川口隆夫) [ダンス]

 2017年12月3日は夫婦で彩の国さいたま芸術劇場に行って、川口隆夫さんの公演を鑑賞しました。伝説的な舞踏家、大野一雄さんの公演を記録映像から完コピして再現したという2時間(+プレパフォーマンス30分)の舞台です。

 個人的に、大野一雄さんの記録映像といえばただ一度だけ、詩人の吉増剛造さんと一緒に映った映像を観たことがあるだけです。

  2016年08月01日の日記
  『声ノマ 全身詩人、吉増剛造展』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-08-01

 まず開演時間の30分前から、屋外でのプレパフォーマンスが始まります。大野一雄さんの『O氏の肖像』(1969年)を再構成したもので、あちこちに一見無造作に置かれたゴミのような雑多なアイテムを使って、川口隆夫さんがうろつき周りながらパフォーマンスを繰り広げます。

 観客はその周囲を取り巻くようにしてぞろぞろと移動。川口隆夫さんが急に突進してくると海が割れるように左右に避けたり。そうこうするうちにも、新たに到着した観客が次々と集まってきて、屋外はかなりの混み具合に。

 開演時刻が過ぎてもパフォーマンスは続き、やがて「O氏の肖像」という垂れ幕を下ろした後、川口隆夫さんはよろめくようにホールに入ってゆきます。そのまま後をついてゆく観客たちに必死で「チケットを拝見します!」と叫ぶ劇場スタッフの皆さん。

 という具合に最初から心をつかむ公演です。大野一雄さんの代表作である『ラ・アルヘンチーナ頌』(1977年)、『わたしのお母さん』(1981年)、『死海』(1985年)からの抜粋シーンを、記録映像の音声だけを流して、舞台上で画像を再現してゆきます。

 様々な感情がダイレクトに胸に刺さってくるような感じ。ちょっとした手の動きからも、視線の動きからも、情動がほとばしるようなダンス。

 川口隆夫さんが目の前の床を「どんっ」と踏みならすとき、わずかにずれて、古い録音の中から大野一雄さんが立てているであろう「どんっ」という足音がかすかに響く。この数秒のずれが効果的で、まるで40年の時差が数秒に圧縮されたような、あるいは40年の時を隔てて二人がいっしょに踊っているような、そんな不思議な感慨を覚えます。

 終演後の花束贈呈(これも映像のコピーなのでしょうか)と、それに続くパフォーマンスが胸にせまってきて、けっこう泣きそうになりました。


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