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『月と太陽の盤 碁盤師・吉井利仙の事件簿』(宮内悠介) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]


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 盤は宇宙、石は星――碁盤とは魔術の道具さ。ときに盤は持ち主の力になるし、あるいは人一人を蘇らせることだってある。逆に言えば、持ち主の力を削ぐことだってあるし、殺すことだってある。いいか、俺は本気で言っているんだぜ。
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単行本p.106


 碁盤師。数百年の樹齢を重ねた榧の質を見極め、切り出し、碁盤という「宇宙」を作り出す創造主。「放浪の碁盤師」と呼ばれる名工、吉井利仙とその弟子の愼は、まるで碁盤の魔力に魅入られたような事件の数々に挑む。謎の死を遂げた碁盤師、贋作師との知恵比べ、囲碁のタイトル戦前夜に起きた半密室殺人事件、……。

「物心が揃いました。――あとは、盤面に線を引くだけです」

 盤の宇宙を探求する『盤上の夜』でデビューした著者による、碁盤が軸となるミステリ連作短篇集。単行本(光文社)出版は2016年11月、Kindle版配信は2016年11月です。


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 利仙は五十一歳。
 碁盤師である。
(中略)
 立木から材を選び、すべてを一人で仕上げる、いまでは数少ない碁盤師である。年の多くを山で過ごし、木を見る時間にあてている。
 そのうちに誰が呼んだか――放浪の碁盤師。
(中略)
 榧は、囲碁盤や将棋盤に用いる木材である。だが、何百年という樹齢を重ねて、ようやく盤を切り出すに足る大きさに育つ。良い立木ほど、伐られてしまっている。
 盤そのものの需要も、徐々に減ってきた。
 そこで、利仙は職人としての幕を引くべく、最後の盤を作ろうと考えた。技術の粋を集めた、魔力を持つ究極の盤を。そうして、最高の榧を求めて彷徨っているようなのだ。
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単行本p.8、209、211


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 愼は十六歳。
 囲碁棋士である。
 将来を嘱望される、同世代の稼ぎ頭でもある。いずれは名人本因坊を分け合う逸材とも言われているが、まだ本人の興味は、名誉よりも目の前の一局にある。
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単行本p.52


 碁盤師としての己の技術のすべてを注いだ究極の盤を作り出す。そのための材料となる榧を求めて全国の山を彷徨う「放浪の碁盤師」こと吉井利仙。彼を師として慕う若き囲碁棋士の愼。この二人がいわばホームズとワトソンの役割になり、碁盤がからむ事件を解決してゆくミステリ連作です。二人に加えて、愼と共に研鑽を積んできた女流囲碁棋士の衣川螢衣、そして利仙の兄弟子でありながら贋作師となった安斎優が絡んできて、この四名がレギュラーとして活躍します。

 特に利仙とは陰陽の関係にあるライバル、贋作師の安斎の存在感は際立っています。どこか超然として冷淡に見える利仙よりも、いかにも人間くさく、やたら饒舌で、悪人なのに憎めない安斎のほうが、むしろ共感を呼ぶかも。


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 それからさ。俺が錬金術師を目指したのは。つまり――自分の盤を作るのをやめ、偽の宇宙に身をやつしたのはね。
 俺は思うのさ。
 人間は、何を契機に本物と偽物に分かれるのか。生きかたか、志の強度のようなものか。あるいはもっと身も蓋もなく、心的外傷(トラウマ)のごときものに左右されてしまうのか。まあそれでもいいさ。俺の作る贋金には、金以上の価値があると確信できるからな。
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単行本p.114


 人の理を超越した純粋論理としての囲碁、情念うずまく勝負師の世界としての囲碁。二人は、碁盤という宇宙が内包するものの両面をそれぞれ象徴しているようでもあります。


[収録作品]

『青葉の盤』
『焔の盤』
『花急ぐ榧』
『月と太陽の盤』
『深草少将』
『サンチャゴの浜辺』


『青葉の盤』
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「形が見えた気がします」利仙がつづけた。「かつてこの山で何があったのか。元哉や真夫は、昭雪の死にかかわっているのか。そして、この部屋の盤がなぜよくないのか」
 突然に並べ立てられてもわからない。
 戸惑っていると、「物心が揃いました」と利仙が静かに宣言した。
「――あとは、盤面に線を引くだけです」
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単行本p.34

 山中で不審な死を遂げた碁盤師。その娘から事情を聞いた利仙は、誰にも解けなかったその謎を、一面の盤から鮮やかに解き明かしてみせる。

 漆を塗った日本刀で天面に線を引いてゆく盤作りの最後の仕上げ、物心揃ってやっと成し遂げることが叶うという「太刀盛り」。推理をその工程になぞらえる利仙の決めゼリフ「――あとは、盤面に線を引くだけです」が初登場します。


『焔の盤』
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 それ以前に、既存の盤をコピーするというのは可能なのか。かつて利仙は、木目は盤の指紋のようなものだと言っていた。
(中略)
「木目は囲碁盤の指紋。二つと同じものはない。絵画のような贋作は、通常はできないと考えてよいでしょう。できないから、わたしたちも写真や記憶を頼りに鑑定をする。逆に言えば、だからこそ盲点も生まれる」
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単行本p.72

 利仙の兄弟子にしてライバル、盤の贋作師である安斎優が初登場。「俺のは本物以上の魔術品さ。志は、おまえと変わりゃしねえ」「いっさいが歪んだこの世界は、俺の盤にこそふさわしいと思わないか?」(単行本p.61、62)とうそぶく安斎を前に、利仙は著名な碁盤の真贋鑑定に挑む。虚虚実実の駆け引きの果てに、はたして騙されるのはどちらか。


『花急ぐ榧』
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 我知らず、こんなつぶやきが漏れた。
「……どうして、人間ってやつは花を急ぐんだろうな」
「花を急がないのは、植物の特権です」
 応える利仙の表情は穏やかでね。むしろ、利仙こそが一本の木であるようにも見えたよ。
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単行本p.113

 かつてある女性をはさんで三角関係にこじれた若き日の利仙と安斎。利仙が囲碁棋士をやめ、安斎が正道を外れて贋作師になった、その過去を封じた一面の碁盤。安斎優が一人称で語る二人の因縁。


『月と太陽の盤』
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「この事件は、さまざまな点で倒錯している。まず一般的な目からすれば、笠原先生の死は借金苦から来る投身自殺に見えたはずなんだ。ところが、この場は碁のタイトル戦の前という特殊状況下にあった。大切なタイトル戦を前に自殺する棋士はいないし、対局相手を殺す棋士などいない」
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単行本p.191

 囲碁のタイトル戦の前夜、屋内で墜落死した九星位、笠原八段。彼を突き落とすチャンスがあったのはただ一人、挑戦者である須藤六段。現場は、落下によって上から入ることは可能だが脱出は不可能な半密室。なぜか切られていた被害者の髪の謎。わざわざタイトル戦の前夜に事件が起きた理由は。

 消息不明の利仙にかわって、囲碁界を揺るがすこの大事件に挑むのは、若き棋士の愼と螢衣。だが数十年前の因縁、囲碁界の闇、事件の政治利用を企む理事たちの派閥争い、さらには宮内庁の役人から例の贋作師まで怪しい人物が入り乱れるこの事態を、十代の二人は解決することが出来るのだろうか。愼は精一杯、師のセリフを真似て言う。
「ここまでこれば、あとは――盤に、線を引くだけだよ」


『深草少将』
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「煩悩を避け、石と盤のみの世界を生きる――それは、一つの生きかたであると思います。でも、わたしがそうするしかないのに対し、あなたには選択肢があります」
 利仙の眼光が、徐々に鋭くなってきた。
「この世は無常かも知れません。けれど、現実に存在していて、そして美しい。九相図を見て煩悩を断つにせよ、いまある生を言祝ぐにせよ、それは見る側の心一つです」
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単行本p.230

 棋士として岐路に立つ愼。榧の実を通して、利仙が愼に伝えようとしたこととは。螢衣の恋心は実るのか。そして、利仙と安斎は、ともに探し求めてきた、魔力を持つ究極の盤を作るための特別な榧を見つけることが出来るのだろうか。シリーズに決着をつける最終話。


『サンチャゴの浜辺』
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「蜃気楼の蜃は巨大な蛤だと言います。その巨大な蛤が見せるいっときの夢が、蜃気楼なのだと」
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単行本p.258

 最高級の碁石(白石)の原料となる蛤。日本でも希少になったその蛤が、メキシコのどこかで産出しているという。噂を聞いた利仙は現地を訪れてみるが……。ドイツ、メキシコ、日本。囲碁が結びつける不思議な縁を描く、シリーズ番外篇。



タグ:宮内悠介
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