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『かつて孤独だったかは知らない』(和田まさ子) [読書(小説・詩)]


――――
リスが木の枝を
水のように走っていく
しずかな今日を複雑にしない
あらゆる方法を考えている
――――
『色彩』より


 ロンドン、異邦人としての生活。ここでは人外になることも出来る。異国で暮らす日々を情感をこめてえがく詩集。単行本(思潮社)出版は2016年9月です。


――――
キッチンの壁には
ブエノスアイレスの夜の街角で
少年が横向きに立つ大きな写真
ここで迷路に入ったと
もっともらしくいうのはたやすいが
おそらくちがう
懐かしい夢をまだ見ているのだ
――――
『ブエノスアイレス』より


 ロンドンでの暮らし、異邦人としての生活。これまでの日々から抜け出して、一人ぼっちになるための儀式が始まります。


――――
もっと泣くために
つよく一人を思うために
アールズコートという街に来た
ここで
新しい名前で呼ばれたい

やがて
湿気を含んだ薄暮が覆いはじめた
きっと
雨になる
きっと
犬になっても生きることを選ぶだろう
――――
『雨になる』より


 言葉も通じない、しがらみのない他人との、新たな出会いも。


――――
チアーズ
また乾杯のグラスがふれる
あなたとわたしのそれぞれの年月が交差する
ロンドンのパブで
わたしはどんなことでも話す気になっている
知り合ったばかりの彼女が
かつて孤独だったかは知らないが
知っているのは今日からのこと
息の仕方
断定するときの顔の表情
うつむく角度
それらを知れば
全部だ
――――
『乾杯』より


 数多く登場するロンドン描写のうち、個人的には地下鉄の情景が印象に残りました。


――――
なにかのボタンを押すように
カードを改札に押し付けて
部屋ほどもあるリフトに乗り
あとは地下鉄に運ばれていくだけだ
煤と轟音と
鉄がこげるような匂い
ロンドンのこの匂いが
感情に張り付いてくる

昨夜
どこで降りたのか
わたしは
――――
『真夜中の地下鉄』より


――――
忙しい人たち
エレベーターから落ちないように
斜めに体を傾けて
もっと傾けて
でも屈伏しない練習
エレベーターが止まっても
何一ついわずに
こつこつと歩く
課題その一
もっと体を傾けて
――――
『メモリアル』より


 そして、前作『なりたいわたし』でもおなじみの、生活にうんだときふと人外のものになりたいと思い、ついついなってしまう癖。そもそも異邦人としていること自体もそうだし。


――――
夜中に
わたしの裏庭を歩く
小さな草たち
ふるえている花
どんな亡霊と出会っているのか
花に手を置き
つめたいと感じることがなぐさめとなる
感情の葉脈に
どくどくと血が流れ
またたくまに夜を食らう狐になる
そうやって人に知られず
この街の夜に
わたしは自在ないきものになる
――――
『敷石』より


――――
木の高さの世界のことはまだ学んでいない
それを
鳥が教えてくれるから
身を折りたたんで
待っている
遠くからくる一羽
わたしを通過するだけの鳥かもしれない
だとしても
この世を分け合った兄弟
思い切り獰猛な性格の鳥が来てほしい
模倣し
世を渡る貧者となる
――――
『しあわせな午後』より


 というわけで、生活のしんどさと逃避を歌ってきた詩人が、異国の地であれこれ解放されたような寄る辺のないような、そんな逸脱の景色のなかでしたたかに歌う、情感豊かな第三詩集です。


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海辺
水際
沼地
愉悦はその向こうにある
ことばを踏んで
濡れてこの世を渡りたい
反時代的に
歌って行くよ
――――
『ロンドンのネズミ』より



タグ:和田まさ子
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