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『居酒屋ぶたぶた』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]


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 みんな、なんてことのない愚痴から、「それをここで言う?」というような悩みまでぶたぶたに話しかける。
 彼はみんなの悩みをまさに「受け流す」という感じで聞いている。そして、「これを食べなさい」とおでん種をおすすめしてくれる。話し終えてそれを食べると、みんななぜか満足そうに帰っていく。
 ぶたぶたは、その人の悩みを解消することはできないけれど、身体と心をおでんであっためる術なら持っているのだ。
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文庫版p.134


 居酒屋店主、バーテンダー、おでん屋のおやじ、ソムリエ。様々な職業に就いている山崎ぶたぶた氏と楽しく食べ、飲み、身も心も暖かく。酒場にまつわる五つの物語を収録した短篇集。文庫版(光文社)出版は2016年12月です。


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 しかし、六花の期待を裏切り、ぬいぐるみはその樽のようなシェーカーを両手(?)で持ち上げ、リズミカルに振り始めた。全身で。
 なんだろうか、この――おもちゃ屋の店先でワンワン震えながら動く犬のおもちゃを見ているような気分は。微笑ましいけれど、どことなく哀愁が漂うような。
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文庫版p.62


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 ワイングラスをのぞきこむような体勢でグラスをつかんだぶたぶたは、そのままワインをぐるぐると揺らし始めた。身体全体を使って。グラスがなかったら、手を前に突き出して腰を回しているようにしか見えない。ちょっと危なっかしくもある。グラスがけっこう動くので、つるっと滑らないか不安だ。
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文庫版p.174


 見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、心は普通の中年男。山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。「ぶたぶた」シリーズはそういうハートウォーミングな物語です。

 今回はお酒を出す店にまつわる話を五篇収録した短篇集です。カクテルを抱えて全身シェイク、グラスに抱きついて腰を振るテイスティング、作中作としてぶたぶたが語る実話系怪談と、見せ場もたっぷり。


[収録作品]

『居酒屋やまざき』
『忘れたい夜』
『悩み事の聞き方』
『珊瑚色の思い出』
『僕の友だち』


『居酒屋やまざき』
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 カウンターから大将の耳が見える。ひらひらしたその耳は右側がそっくり返っていた。たまに鼻の先がもくもく動いているのが見える。
 少しずつ姿を現してはいるが、全貌はまだ未見だ。しかし、やはり公園で見たあのぬいぐるみなんだと思う。
 どうして全貌を明らかにしてくれないのかな? ここにいる客は、みんな知ってるんだろうか。
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文庫版p.26

 近所にある居酒屋「やまざき」はつまみのうまさが絶品。しかも、店主はどうやらぬいぐるみらしい。料理のうまさに何度も通うことになる主人公だが、あるとき子育てに疲弊した妻が発作的に家出してしまう……。料理のうまさの描写が印象的な導入篇。


『忘れたい夜』
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「ぬいぐるみが動いてるみたいに見えるんだけど――」
 あ、気づいてたんだ。なーんだ、残念、と話を続けようとした時、ちょっといたずら心が芽生えた。
 と言っても、
「ぬいぐるみってなんですか?」
 と言っただけなのだが。
 市野は六花の答えに真っ青になった。
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文庫版p.60

 嫌な上司の誘いを断りきれず、銀座のバーに連れてこられた若い娘。明らかに酔い潰してお持ち帰りしようという魂胆見え見えの相手の毒牙から、どうやって逃れるか。しかし、バーテンダーがピンク色のぶたのぬいぐるみだったことから、事態は思わぬ方向に。


『悩み事の聞き方』
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 実は、家にあるぬいぐるみにちょっと話しかけてみたりしたのだ。ぶたぶたに愚痴を言えたら楽になるかしら、と思って。
 でも実際は、全然楽にならなかった。そりゃそうだ。うちにあるぬいぐるみは熊だし、しゃべったりしないし、おでんをよそってもくれない。
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文庫版p.121

 失業してうつ状態になった主人公は、気分転換に立ち寄った先でぶたぶたの立ち食いおでん屋を見つける。みんなが酒を飲みながらぶたぶたに悩みや愚痴をこぼし、おいしいおでんを食べて、身も心もあったかくなって帰ってゆく。誰にも悩みを相談できずにいた主人公は、ぬいぐるみになら愚痴を言えるのではないかと期待するが、なかなか勇気が出ない……。


『珊瑚色の思い出』
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 だが、今日あのぬいぐるみの講座を聞いて、奈保子はとてもショックを受けた。なぜ今まではショックを受けなかったんだろう。他の講師も、みんなあんなふうに含蓄があり、多様な内容を話してくれた。
 それは、彼らが人間だったからだ。みんな自分よりも優れている人だから、ああいうふうに立派な話もできて、仕事もたくさんできるのだろう、と納得していた。
 でも、今日の講師はぬいぐるみだった。
 ぬいぐるみが働いているのに、あたしはいったい何をしているんだろう、と思ったのだ。自分はぬいぐるみ以下なのか。ぬいぐるみよりも働けない、役立たずなのか。
 人間なのに――。
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文庫版p.156

 一度も就職することなく専業主婦になった主人公は、友人の仕事に感銘を受け、自分も働いてみようと決意する。だがソムリエとして活躍しているぶたぶたと出会って、いきなり落ち込んでしまう。ぶたぶたと出会った反応が「落ち込む」という珍しいパターン。


『僕の友だち』
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 じゃあ、なんでホラーの担当になったのか……やはり容姿か。容姿のせいか!? しゃべるぬいぐるみ自体がホラーだからか!?
(中略)
 なんだかとにかく、ぶたぶたが怖かった。まばたきのない点目で一点をじっと見つめ、ひたすらしゃべり続ける姿が。この狭い飲み屋の照明が薄暗く、時折ゆらつくのがまたいやな感じだった。
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文庫版p.196、220

 飲み屋のイベントで、臨場感たっぷりに実話系怪談を語るぶたぶた。どんな話なのか、ぜひお確かめください。ぶたぶたと出会った反応が「怖い」という珍しいパターン。



タグ:矢崎存美
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