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『珍妙な峠』(町田康) [読書(小説・詩)]


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 世の中の人はいけてる感じの仕事で何億も稼ぎ、十代の娘が歌い踊ってそれを盛り上げている。みんな軽い鞄を持って軽やかに飛翔している。
 なのに俺だけが不当に重い、手首がもげそうな、肩から腕が抜けそうな鞄を持って重苦しく地べたを這いずり回っている。奈落にめり込んでいっているような気すらする。こんなだったらいっそのこと腕が抜けてしまえば良いのに、と思っている。そしたら片目を潰して白い着物着て、「姓は丹下、名は左膳」と絶叫しながら太刀を振りかざし、総理官邸に突入して射殺されたるのに、なんて思う。というのは、こんなことならいっそうのこと戦争でも始まればよいのに、と思うのと同じ気持ちである。
 しかし、戦争もおこらなければ腕ももげず、俺はずっと重い荷物を持ち続けて頭脳が痺れていて、なんだかもう、自棄、みたいな感じで、「俺の文学になんぼの価値があるかは知らん。ただ、もうこれ以上、重い思いをするのは嫌だ。人並みに大手を振って歩きたい」そんなことが切れ切れに頭に浮かんで、それで気がつくと、カートに追加、と書いてあるボタンをクリック押ししてしまっていたのである。
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単行本p.8


 シリーズ“町田康を読む!”第55回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、消費社会における正気の渡世の難しさを語りつつバイ貝から宿屋めぐりをへてリフォームの爆発にまで至ってしまう長篇小説。単行本(双葉社)出版は2016年11月です。


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俺の小説は、特定の感受性の持ち主にしか受けぬ、という困った性質があり、そう売れるものではなく、時給に換算すると最低賃金にも満たぬ銭しか貰えぬのである。
 そんなだったら苦労して小説を書くより、もっと爽快な仕事がありそうなもので、にもかかわらず、なぜ小説を書く、みたいな陰気な仕事に従事しているのか、そのこと自体が自分にとってのけっして越えることができない珍妙な峠で、まるで理解できない。
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単行本p.18


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 俺はこれまでなにをしてきたのだろうか。ただただ、珍妙な峠道を歩いてきた。
 俺はこれからどこにいくのだろうか。
 そりゃあ、ずっとここに寝っ転がっている訳にもいかない。傷が治ったらここを出てまた峠道を歩くことになるのだろう。でもさあ、俺はいつまで峠道を歩いているのだろうか。いつか峠を越えて里に町にいたることができるのだろうか。
 どうもできる気がしない。ずっと峠道を歩いているような気がする。そして、峠道で血を吐いて倒れて死ぬるような気がする。
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単行本p.98


 生きていくだけで勝手に溜まりゆく鬱。それを晴らそうとして買い物をすれば、蓄えが乏しくなり、したらば生きてゆくために仕事をしなければならず、そしたら勝手に溜まりゆく鬱。この罠からいったいどうやって抜け出すか。『バイ貝』でもついに結論が出なかったこの現代消費社会が抱える大問題に、新たな視点から取り組む語り手。


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 そこで俺はいろんなことを検討したが、最優先したのは高いのがよいか安いのがよいか、という点である。
 高いものと安いものにはそれぞれの長所と短所があった。高いものは価格が高いという難点があり、安いものには価格が安いという利点があるが、視点を変えると高いものには価格が高いという利点があり、安いものには、それが安物であるという難点があったのである。
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単行本p.29


 ここまで深く考察したにも関わらず、結局は買い物に失敗してしまう語り手。絶望のあまり、とうとうJ-POPを歌う心境に。


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ありのままの自分を認めてあげよう。つまりはJ-POPの精神だ、と悟ったのである。
 自分を信じる、自分を愛する、そして、人と繋がる。信じ合う。助け合う。
 そのうえで、普通に楽天ショップとかでギターを買う。それが、そんななにげない日常が、実は自分にとってもっとも必要なことだったのだ。
(中略)
 ああ、ギターを弾きながら歌ったら自他ともによい気分になると思っていたのに。夢が壊れました。
 悲しい出来事が起きてしまいました。なっじみー、ないまあちー、さすらああってー、みようか。っていうか、いま現在、さすらっている。
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単行本p.39、48


 どこをさすらっているのか。それが珍妙な峠。理も法もなくただひたすらお金とモノに振り回される、そんな渡世の浅ましきバイ貝。

 珍妙な峠を越えて「普通の世界」に帰還し、まっとうに生きる。そのためにあがく語り手は、峠道で暴漢に襲われて怪我をし、宿屋に逗留して傷を癒しつつ、気がつけば宿屋めぐり。

 その後も賃貸部屋で炊飯器を購入して飯を炊いたりホームベーカリーなど購入してパンを焼いたり豪邸に美人嫁と住んでむっさ年収の高い感じの友人たちを招いてホームパーティーを開いたらええよなあと夢想したりしているうちに、何だか人を殺めてしまったりして、ついには四千万円の現金を手に自宅を購入し、リフォームの爆発に至るわけです。そんな渡世の先にあるものとは。


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 この峠を越せば、この峠を越えれば、きっとその先には明るくて自由な世界が開けているに違いない。
 俺はそう信じて苦しい峠道を歩き続ける。というか、俺にはそれしか選択肢がない。なぜなら道は一本道で、そして後戻りしてルート変更するのは絶対に不可能だし、もし可能だったとしてもあの激流を生きて渡れたのはよほどの僥倖であり、もう一度、渡ろうとすれば、流されて溺死するのは確実であったからである。
(中略)
 そう思ったとき、俺の頭のなかにある恐ろしい考えが浮かんだ。それは考えるだに恐ろしいことだった。俺は次のように思ったのだ。
 理と法のある世界など元々なかったのではないか。俺は非道いところから非道いところへ移動しているに過ぎないのではないか。峠道とはその境界の道に過ぎず、この田舎の国道も、あの場末も紛れもない、俺が前に居て、そしていまも居る世界ではないのか。つまり俺が峠より急流に居たり、理と法のある世界に帰還するというのは夢と同じようなものではないのか。
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単行本p.4、208


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五分走ると風景が変わった。それまでは、寂れた観光地、歳をとって爺になってしまった妖精が途中で宅急便が来たため煮込み過ぎてべらべらになったマルチャン正麺を泣きながら食べている、みたいな町だったのが、ぼんやり覇気のない青年とリスカ癖のある暗い目をした少女が、就職もしないまま四十五になって出会い、お互いの考えていることがまったくわからないまま、なぜか男女の関係になって、話すこともないまま、ただ歩き回っている。なにが楽しいのかときどき写真とか撮ってる。みたいなことが似つかわしい町並みに変わった。
(中略)
 道はそして急であった。そして曲がりくねっていた。あの珍妙な峠を車で通ったらこんな感じなのかな、と思い、それからすぐに、いやさ、と思った。
 いやさ、俺は別に珍妙な峠を抜け出した訳じゃない。つまりそう、前の世界に戻った訳じゃない。というか、前の世界なぞ、ははは、ない。
 何度もかみしめた思いがまた頭に浮かんだ。
 いまこそ俺は珍妙な峠にいる。こここそが珍妙な峠なんだ。
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単行本p.233、235


 というわけで、途中ちょっとぐだぐだで疲れるのですが、自宅を購入しようとするあたりから激烈に面白くなってゆき、最後は文章のちからでねじ伏せられる心地好さ。珍妙な峠道を歩くすべての人に。



タグ:町田康
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