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『錆からでた実』(束芋、森下真樹、鈴木美奈子) [ダンス]

公演パンフレットより
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『錆からでた実』との付き合い、丸3年になります。
2013年青山円形劇場、2014年京都芸術劇場を経て作品は一度は完成したのかもしれませんが、完成したら終ってしまいます。永遠につくり続けるサグラダファミリアのように、この作品にも完成はないのかもしれないという願望があります。
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森下真樹


 2016年7月10日は、夫婦で東京芸術劇場に行って束芋さん(美術)と森下真樹(振付)のコラボレーションによる映像芝居『錆からでた実』を鑑賞しました。

 初演を観てから3年。あのとき、きたまりさんが青山円形劇場の舞台上で「ここ、なくなっちゃうの?」と呟いた通り閉館されてしまったり、まあ色々とありました。ちなみに、初演鑑賞時の紹介はこちち。

  2013年10月28日の日記
  『錆からでた実』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-10-28

 今回は再演というわけではなく、ほぼ完全に作り直した新作となっています。初演では三名が踊りましたが、今作で踊るのは鈴木美奈子さん一人。森下真樹さんは振付に専念し、束芋さんが美術だけでなく構成と演出も担当しています。ちなみに、最初と最後のシーンで、束芋さんは鍵盤打楽器による演奏にも参加していました。


[キャスト他]

構成・演出・美術: 束芋
振付: 森下真樹
ダンス: 鈴木美奈子
音楽: 粟津裕介、田中啓介


 ぼんやりとした、薄暗い、少し怖い、夢のような、束芋さんの美術が半透明スクリーンに投影され、鈴木美奈子さんがその手前で踊ったり、その背後で踊ったり、ときに映像が彼女の服(白いワンピース)に投影されたり、照明の具合で映像の向こうに演奏者(粟津裕介、田中啓介)の姿が浮かび上がったりして、映像とダンスと音楽が一体化した舞台が展開してゆきます。

 執拗に繰り返される断片的イメージ(白い鳥、畳、箱、など)と、ミニマル・ミュージック風の音楽がうまく調和していて心地好いのですが、個人的にはダンスが面白くなくて不満。音楽や映像を邪魔しないように、調和するように、という配慮なのでしょうが、特に感慨をうまない無色の動きばかりに思えて、どうにも欲求不満がつのります。初演時の川村美紀子さんの印象が強すぎて無意識に比較してしまうせいかも知れませんが。



タグ:森下真樹

『おばあちゃんのシラバス(「文藝」2016年秋号掲載)』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

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「当時からツイッターはあったんだよ、あの時TPP難病で検索してみたら、小さい小さい泣き声の『滝』が出来ていた。ぽつぽつといつまでも涙が垂れていた。言いたくても言えないよ体力も声も。クーデターするだけの体力が欲しいよ!
(中略)
でももし、皆気がついていたらきっと経済が下がっても体制を動かしただろうね。だって国が終わるだけじゃない。生活、ていうかにんげん、ぜんぶ喰われるんだから」。
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文藝2016年秋号p.432


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第104回。

 子殺し人喰い妖怪ひょうすべにひょうすべられる国にっほん。埴輪詩歌の祖母、憤死した埴輪豊子は、何を遺そうとしたのか。来週以降のこの国を描く、シリーズ第四弾。


 すいません。前回の『ひょうすべの約束』の紹介で「おそらく完結篇」と書いてしまいましたが、すみやかに最新作が掲載されました。最後に「参考文献は単行本刊行時に」(文藝2016年秋号p.433)と記してあるので、今度こそ完結篇ではないかと思うのですが……。


 ちなみに、これまでに発表された「ひょうすべシリーズ」の紹介はこちら。


  2012年10月08日の日記
  『ひょうすべの嫁(「文藝」2012年冬号掲載)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2012-10-08

  2013年01月07日の日記
  『ひょうすべの菓子(「文藝」2013年春号掲載)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-01-07

  2016年04月07日の日記
  『ひょうすべの約束(「文藝」2016年夏号掲載)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-04-07


 おんたこから、ひょうすべ。にっほんから、だいにっほん。この道を。力強く、前へ。


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 昔は、例えば国民年金に入っていないと、ご近所が親に文句を言ってきた。しかし今では火星人遊廓の美少女兵とかメイドたん介護をやっていないと「世間様」が怒って来るのだった。ともかく少女が飴一個でも嬉しそうに喰っていれば、またハンカチ一枚でも自己の所有物を持っていれば、被害者意識の塊となる政府だった。
(中略)
「輝くお年寄り法案」が通って年寄りの「自発的安楽死」も増えた。マスコミはせっせとそれに協力した。混合診療とは何か? ひとことで言うと「びんぼうにんはしね」である。赤ちゃんも消えた。子供を産むだけで百万キモータかかる。「もともとにっほん人ほど子供の嫌いな国民もないと思うよ。赤ちゃんにさえも自分で行列に並べ、迷惑をかけるなといいかねない国だからね」。
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文藝2016年秋号p.428、430


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「民主主義ってなんだ? それは決して本当の権力や責任者を責めないこと、そして弱くて普通の十人の中の九人がだまって一番弱いひとりを喰うことなんだねえ、(中略)何があってもにこにこして行列に並ぶ十人から一番弱いものが前に押し出されぱたっと倒れる、人喰いはそれを喰って帰る。立派な多数決だ。その九人の中からまた弱いものをうまく押し出したやつは褒美が貰える。ほら本土は沖縄を喰ってきた。大家族は嫁を喰ってきた。金持ちから税金を取らないで一番弱いやつが誰かを必死で探すんだよ。
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文藝2016年秋号p.429


 そんな来週以降の、いや今の、この国において、埴輪詩歌の祖母である埴輪豊子は、膠原病のために死にかけていました。薬さえあれば助かる命。でもグローバル企業がそんな「弱者特権」を許すはずもなく。


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 人喰い条約TPPに調印した人殺し政府の責任において、薬を奪われあるいは適正価格の薬を買うことが出来ず、ついにこの島国の薬価を掌で転がす事が出来るようになった世界企業のえらいさんたちの笑い転げる天が下で患者達は。
(中略)
最後には理性も意識も言葉も感覚も熱と痛みに奪われて彼らは殺されて行った。もとい、彼らというか、殆ど彼女ら、である。膠原病は女性に多い病気だった。ただ薬さえ飲んでいれば、専門職でも開業医でも看護師でも、純文学作家でもなんでもできる人々が、或いはたとえ社会的な労働をしていなくても、家事や介護や子育てという労働に一家を支えていた人々が、或いはもし両親の世話になっていたとしても愛されて愛されて一家の中心であった人々が、ていうか嫌われてても生きたいだろ! 当然じゃないか! それが大馬鹿の読まず判で殺されていった。人喰い条約が喰っていったのだ。
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文藝2016年秋号p.428


 埴輪豊子は孫である詩歌に教育を遺そうとします。借金のかたに火星人少女遊廓に売り飛ばすためだけに作られた「輝く男女平等基金」(女性に対するえげつない性的搾取のことを我が国では、輝く、とか、活躍、とか呼ぶのです)の奨学金ローンを使って大学に行かせるのではなく、自ら家庭教師をするというのです。ちなみに豊子さんは大学の非常勤講師でした。


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「……卒論は小説、政治学はお家でミクロ政治学、ていうよりかどうしてこんな時代になったかを自分の体験からせめて理解しようよ。だけど今年はともかくシラバスの一年です、シラバスというのは講義概要という意味ですからね」。肉の中に針が入っている、寝ていても痛くて眠れないとおばあちゃんは言った。
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文藝2016年秋号p.427


 容赦なく悪化する膠原病の症状。一寸刻みにひょうすべに喰われる凄絶な痛みに苦しみに屈伏してゆく豊子。悔しい、悔しい、悔しい。


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薬がまだあるかもと泣きながら探す事があった。孫は貯金箱を割って一錠だけ買ってあげた。
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文藝2016年秋号p.433


 たった一年で亡くなってしまった祖母。結局シラバスだけで終わってしまった「おばあちゃん大学」。そしてその「最終講義」。それを受け取るのです。 私たちは。



タグ:笙野頼子

『義経記』(高木卓:翻訳) [読書(小説・詩)]

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あまりに派手で現代的な書き方なので訳者の筆の勢いではないかと疑いさえ抱く。原文と照合したらその通りに書かれてある。もはや脱帽するしかない。
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文庫版p.651


 室町時代初期に成立したという軍記物『義経記』の現代語訳。文庫版(河出書房新社)出版は2004年11月です。


 何しろ『ギケイキ 千年の流転』(町田康)が激烈に面白かったので、原典も読んでみようと思ったのです。でも悲しいかな古文を読むだけの教養がない。というわけで、高木卓さんによる現代語訳『義経記』を手にとりました。ちなみに『ギケイキ』読了時の紹介はこちら。

  2016年07月05日の日記
  『ギケイキ 千年の流転』(町田康)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-07-05


 さて、原典は軍記物ということだし、史実に沿って、しごくまじめに書かれているのだろうと思っていたのですが、いやー、これが違いました。全然、違いました。

 まず史実に対するリスペクトがどのくらいかと申しますと、例えば源平合戦のくだりはこうです。


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 義経は、寿永三年(1184)に京都へいって、都から平家を追い払ったが、まず一ノ谷(神戸市須磨区のあたり)、その翌年は屋島、壇ノ浦と、各地で忠節をつくし、ひとびとにさきがけて力のかぎり戦って、翌年、ついに平家をほろぼした。
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文庫版p.187


 以上です。

 え、マジ? たったこれだけ?

 全8巻におよぶ長大な『義経記』、現代語訳にして文庫版600ページの大作なのに、義経が平家と戦うシーンはこの一文だけ。いまさら説明するのもたるいし、みんなよくご存じだろうし、そもそも誰も源平合戦とか興味ないよね? てな感じで、ばっさり省略します。大胆。

 その他の記述にしても、翻訳者が微妙にいらだちをみせた注釈をつけるほど。


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史実にたいして、原文は、記述に不備が多すぎ、また叙述のしかたも、物語の流れをさえぎっている観がある――訳者
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文庫版p.41


 史実から外れまくり、物語の流れをばんばん遮ってまで、いったい何が書かれているのかと申しますと、これが義経や弁慶のキャラ立て面白エピソードなんですよ。


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「どうかお旗あげのことは、清盛どのがこの世を去ったのちに、実行にうつしてくださいませんか」
 義経は、これをきいて、ああこやつは日本一の卑怯なおろかものだ。おのれ、こやつめを、……とは思ったが、力がおよばないので、その日はそこでくらした。
 たよりにならないものには、執着ものこしてはならないと、義経は、その夜、まよなかごろ、陵のやしきに火をかけた。そうして、あますところなく、すっかりやきはらって、じぶんは、かきけすように姿をけした。
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文庫版p.62


 いきなり炎上。いきおいで味方殲滅。ヤンキー気質というか、高橋ヒロシ氏の漫画に出てきそうなタイプ。しかし、類はなんとやら、というわけで。


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 弁慶はこれをみて、さしあたりじぶんは仏法の敵となるだろう。すでにこれほどの罪をおかしたからには、このうえ大衆の多くの坊など助けておいたところで何になろう、とそう思って、ふもとの西坂本へ走りくだると、たいまつをもやして、のきをならべた多くの坊々に、いちいち火をつけてまわった。火は谷から峰へと、焼けひろがっていった。もともと、山をきって崖づくりにたてた坊ばかりだったから、なに一つのこらず焼けうせて、わずかにのこるものは土台石ばかりとなった。
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文庫版p.146


 「たよりにならない味方は燃やしつくす」というトップ、「すでに大罪を犯したし、せっかくだからすべて燃やしとこう」という家来。この組み合わせはまずいよ。というか、二人とも炎上が好きすぎると思う。

 では、他の登場人物はどんな感じかというと。


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若党どもが四、五人、猪の目をきざんだまさかり、やき刃の大鎌、なぎなた、大づえ、打棒などを、手に手にもって、たったいま大あらそいをすませてきたといったようすで、さながら主人の四天王のように、あとにしたがってきた。
(中略)
そうして、あたりで犬がほえたり、風がこずえをならしたりしても、
「だれか、あれを斬れ」
といいつける用心ぶかさで、その夜は一睡もしないであかした。義経は、なんという殊勝な男だろうと思った。
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文庫版p.67、71


 殊勝なのかー。

 世が世ならモヒカン刈りでヒャッハーとかV8!V8!とか叫びながらバイクにまたがって全力疾走して自爆するような連中を率いる明らかにヤバい人。誰あろう彼こそが伊勢三郎義盛なんですが、まあそれはそれとして、明らかに何かキメてる風のヤバい人から、「こいつについていけば大暴れしていっぱい殺せるぜうへへ」と信頼されるところが義経の人望。


 しかも、義経のビジュアルはこうです。


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 色の白さはもとより、おはぐろでそめた歯、ほそくかいたまゆ、そうして被衣をかかげたそのすがたは、さながら、むかしの松浦佐用姫が、夫を見おくって領巾をふったすがたも、こうかと思いあわされるほどであり、ことに寝みだれ髪の、どこかなまめかしいふぜいは、うぐいすの羽風さえいとう、いたいけな、あでやかさである。れいの、唐の玄宗皇帝のころなら楊貴妃に、また漢の武帝のころなら李夫人にくらべたいような、美しいすがたであった。
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文庫版p.48


 16歳の少年の容姿を、いちいち絶世の美女にたとえるという……。これは、今でいう「美少女化」ですね。

 翻訳者も注釈にて、史実では義経の容姿はアレだったことを指摘した上で、「義経を美貌の持ち主とする本書の記述を比べると、本書の志向するところがうかがえる」(文庫版p.623)と書いておられます。翻訳者がいうところの「本書の志向」というのが具体的に何を指しているのかは微妙ですが、個人的な意見としては、これ、いわゆる「二次創作」でしょう。

 聴衆にウケた話、世間に流布している伝承、それらをつぎはぎして作り上げたというか、今でいうなら世に出回る「薄い本」を集めて編集した「義経パロ集大成」とか「ベストヒット九郎ちゃん伝説」とか、そんな感じでしょうか。

 というわけで、義経の美少女化、史実ぶったぎる面白ネタ、人気キャラのパロディや創作エピソード満載、「史実にこだわらず、語りの力によって源義経たち人気キャラに“今”の魅力を吹き込んで読者を喜ばせる」ことを試みた室町時代の二次創作。平成の言葉を駆使して同じことを試みた『ギケイキ 千年の流転』(町田康)の原典。人気キャラをパロディ化したり勝手なエピソードを創作したりして楽しむのは、今も昔も変わらないわけですね。



『ギケイキ 千年の流転』(町田康) [読書(小説・詩)]


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私は小さきものです。幼きものです。寄る辺なきものです。けれども速いです。猛烈に速いです。私は努力して速くなったのです。私はどんなところにでも現れることができます。私は遍在です。私の努力は人間の限界を超えていました。なぜそんなことが可能だったか。それは私は私なりに説明できますが、それは多分に文学的です。すればするほど説明と言うより弁明になっていくでしょう。
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Kindle版No.914


 シリーズ“町田康を読む!”第53回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、室町時代初期に成立したという軍記物『義経記』の巻1から巻3までを、義経はんご本人が、活き活きとした言葉を駆使したぶっちぎり現代文学として語り直してくれるギケイキパンク長篇。単行本(河出書房新社)出版は2016年5月、Kindle版配信は2016年5月。


 いわゆる義経伝説を確立させたことで名高い『義経記』。無教養なので“ヨシツネキ”と読むのだとばかり思っていたのですが、実は“ギケイキ”が正しい読みなんだそうです。そして今、『ギケイキ』。タイトルからして原典に忠実。話の展開も原典に忠実。語りは現代文学。義経はんご本人が、平成を生きる私たちのために、非常に分かりやすい言葉で自身の人生を語りまくってくれます。あおりまくってくれます。


 どのくらい分かりやすいかというと、例えば、地名は「千葉県」「岡山県」といった具合に現代のものになっていますし、細かい場所の説明はこんな感じ。


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 ってことで私は今若の兄さんの阿野庄のお宅にお邪魔した。阿野庄というのは、いまも言うとおり沼津の辺で、つい先日、偶然、通りかかって、あっ。ここだった。と、八百四十年前のことを思い出した。ハックドラッグとか、なんか変なラーメン屋とかはできてるけど、あの辺、あんま変わってない。
 今若さんの家はいまで言うと国道一号の原東町の交差点から県道一六五号に入り、県道二二号、通称・根方街道にぶつかって、左に曲がってちょっと行ったあたりにあった。
「いやあ、どうもどうも」
「どうもどうもどうもどうも」
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Kindle版No.862


 登場人物の紹介はこんな感じ。


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 そんなこんなで京都に着いたのだが、とりあえずどこかに落ち着かんとあかんね、ちゅうことで、山科の知人のところに行った。
 というとその知人って誰? と多くの人がすぐ問うだろうが、申し訳ない、言えない。なぜ言えないかというと、その末裔がいまもって京都に住んでいるからだ。というと、ナール。ここで実名を出すとその人たちが迷惑するんだね。という人があらっしゃるだろうがそうではない。実は私はその人たちを極度に嫌っており、ここで実名を出すことによってその人たちが、「ほーらね、私たちは、かの有名なギケイキに名前が載るほど有名で由緒正しい家系なのよ」と鼻をふくらませて誇るのがむかつくから敢えて名前を出さない。おほほ。ざまあみろ。ぼけが。
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Kindle版No.1708


 しかし、何といっても素晴らしいのは、声がそのまま聞こえてくるような、臨場感たっぷりの会話でしょう。


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「だから、近頃、なにかと噂の、源氏のあの人ですよ。左馬頭殿の息子に決まってるじゃないですか」
「あの、謀叛を企ててるという?」
「そうですよ。すっげぇ、すっげぇ。本物の源氏の大将ですよ。ナマ源氏ですよ」
「バカな男だな。鼻血出てるじゃないか。そのナマ源氏がなんの用でオレのところに来たんだよ。こっちには用はないよ」
「ところが向こうにはあるんですよ。なんの用、って決まってるじゃありませんか。謀叛ですよ、謀叛。それであなたのところに来たんですよ。なんで、って、あなたに味方になって貰おうと思って来たんですよ。怖っ。ああ、怖っ」
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Kindle版No.1802


 手に汗握る対決シーン。


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「じゃあ、リーダー。洞に向かって怒鳴ってください」
「おお。いま呼ぶわい。呼ぶけどあれやなあ、なかにもしそいつがおったらええけど、もしおれへんかったら儂、アホみたいやな。こんな凶悪な恰好して、だーれもおれへん木ぃに向かってアホンダラとか言うてんねんもんなあ」
「まあ、そう言わんと怒鳴ってください」
「わかった。ほんだら怒鳴るでぇ。おいっ、こらあっ。落ち目の源氏のヘタレ、来とるやろ。来てんねやったら隠れてんと出てこんかい、あほんだらっ」
「じゃかましわいっ。おどれが湛海かっ。殺したら、ぼけっ」
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Kindle版No.2210


 心の葛藤と超克、繊細な心理描写。


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 初めのうちは、情けない思いが優勢であった。情けない思いは強い気持ちを見て爆笑し、「ぶっ細工のくせに、なにが、高貴の血ぃじゃ。近所に高須クリニックなかったんか」などと言った。言われた強い気持ちは激しく傷つき、額がぱっくり割れた。情けない思いはその割れた額をスパナで無慈悲に打った。強い気持ちはもんどり打って倒れた。そこへ、情けない思いが、膝を落としてきた。ところが、強い気持ちはすんでのところでこれを躱した。その結果、情けない思いは膝を激しく打ち付け、のたうち回って痛がった。強い気持ちは、「なめとったらあかんど、この、ど庶民があっ。確定申告はお早めにー」と絶叫しながら、その後頭部を蹴りつけた。情けない思いは血反吐を吐きながら俯せに倒れた。後はもう一方的であった。
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Kindle版No.2979


 そして政治。


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「定刻までまだちょっと時間がありますが全員揃いましたので会議を始めさせて頂きます。ええっと、まず、お手元の資料にあります、議案1、熊野別当弁聖による姫君拉致問題とこれにかかわる熊野攻略問題、でありますが、これについて事務局から説明させます。おいっ、事務局、説明して」
「はいっ。ええ、事務局の、ハセベ、と申します。本日はよろしくお願いします。いま、左大臣様よりお話のありました、議案1、熊野別当弁聖による姫君拉致問題とこれにかかわる熊野攻略問題について私の方からご説明申し上げます」
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Kindle版No.2546


 謀略。


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 そしてなにより効いたのが呟き作戦で、恰も呟きのごとき短い文章を紙に書き、これを町や村の至るところに貼って歩くのである。
 どんなかというと、「@shugyosha 書写山の学頭って菊門のことしか考えてないよね」とか、「@shugyosha 修行者の人は書写山だけは行かない方がいいよ。書写山は修行者を使い捨てにするブラックテンプルだよ」とか、「@shugyosha 知り合いの彼女が昨日、自殺しました。戒円って人にレイプされたそうです」とか、「@shugyosha 書写山の本尊ってパチモンらしいね。張りぼて」といったようなことを書いた紙を貼って歩くのである。
 そして、そんなことを人々が容易に信じたのか、というと、人々はこれを呆れるほど簡単に信じ、「おい、知ってるか。書写山の坊主って毎晩、酒飲んで麻薬吸うて乱交パーティーしとおるらしいど」「ほんまかいな」「ほんまやがな」って感じで噂が広がっていった。
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Kindle版No.3272


 そしてロマンス。


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「ねぇ、姫君」
「なに」
「その開け放した戸から見える夜空をごらん。お星が、うんとうんと綺麗だよ」
「あっ、本当だ。本当に綺麗だ。ねぇ、クロクロ様」
「なんだい、姫君ちゃん」
「あそこでふたーつ、くっついて光ってるお星様があるでしょ。あれって私とクロクロ様みたいじゃない?」
「え、見えないよ」
「え、なんでなんでなんで、あそこで、ほら、すっげぇ、光ってるじゃん」
「ぜんぜん見えないよ」
「ええええっ、なーんで。なんで見えないのー」
「うそうそ。見えてるよ」
「もー、イジワルー」
「ごめんね、怒った?」
「怒ったあ」
「ああ、姫君ちゃんを怒らせてしまった。僕はなんてひどいことをしちゃったんだろう。死のうかな」
「うそ。怒ってない」
「ホントに?」
「ぜんぜん怒ってない」
「ホントに?」
「ホントに」
「好き?」
「好き」
「僕も好き」
「好き好き」
「好き好き好き好き」
「好き好き好き好き好き好き好き」
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Kindle版No.1950


 なぜ書き写そうと思ったのか。


 そういうわけで、それはそれはもうギケイキパンクなのですが、ときおり義経はんがこっちに向かって、思わず、ぎくっ、とするようなことを言い放つMCすごいのです。


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あの頃は神威・神徳、霊異・霊徳、というものが目に見えて実際にあったので、そういう実際的、現実的感覚だった。神仏を祈れば現実の戦いに勝つことができたし、敵がもっと祈れば負けた。
 そして祈りもまた実際的だった。だから権力財力のある奴の祈りには勝てない。金融資本主義とどこが違うの? って感じでしょ。
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Kindle版No.213


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 でもそれって戦場での話でしょ。って、アホか。人の話のなにを聞いているのだ。あの頃、私たちに「日常」なんてなかったのだ。暴力。そして謀略。これをバランスよく用いなければ政治的に殺された。だからみんな死んだんだよ。私も死んだんだよ。
 っていうか、いろんなマイルドなもので擬装されてわかんなくなってるけど私から見ればそれはいまも変わらない。っていうか、擬装されてわかんない分、いまの方がやばいかも知れない。謀略がいよよ激しいのかも知れない。知らない間に精神的に殺されてゾンビみたいになってる。奴隷にされているのに気がつかないで自分は勝ち組だと思ってる。おほほ、いい時代だね。
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Kindle版No.996


 というわけで、打倒平家の旗揚げをした源頼朝のもとへ義経はんが駆けつけるところで本書は終わります。原典でいうと、巻1から巻3まで、だいたい全体の1/3に相当します。ですからあと二冊はギケイキするだろうなー、と。続きが楽しみです。



タグ:町田康

『Co.山田うん ダンスライヴ with 芳垣安洋アンサンブル』 [ダンス]

 2016年7月3日は、夫婦で東京芸術劇場シアターイーストに行って山田うんさんの公演を鑑賞しました。日によって出演者も構成も異なる、音楽とダンスのライヴ公演。私たちが観たのは第三夜「アンサンブル」です。四名が演奏し、四名が踊る、70分の舞台。


[キャスト他]

2016年7月1日 第一夜 ソロ
  音楽: 芳垣安洋
  ダンス: 飯森沙百合、伊藤知奈美、川合ロン、木原浩太、山田うん

2016年7月2日 第二夜 デュオ
  音楽: 芳垣安洋、高良久美子
  ダンス: 荒悠平、飯森沙百合、川合ロン、木原浩太、小山まさし、西山友貴

2016年7月3日 第三夜 アンサンブル
  音楽: 芳垣安洋、高良久美子、助川太郎、太田惠資
  ダンス: 川合ロン、木原浩太、城俊彦、西山友貴


 ソロ、デュオ、アンサンブル、というタイトルからも分かるように、主役は楽器演奏で、ダンサーたちの身体も楽器の一つとして演奏に参加しているという印象が強い公演です。ちなみに楽器演奏者は、以前に観たCo.山田うん『七つの大罪』と同じメンバーです。

 最前列に座っていたので、目の前で様々な楽器が打ち鳴らされる様を目の当たりに。打楽器の音圧が顔面にばんばん当たってくるような感触、大迫力です。ゆおんゆおんとかちきんかきんとか奇妙な音が響くたびに演奏者の方を見てしまい、あれなんだろう、とか、あれをこう叩いたりさすったりするとこんな音がするのかー、と感心したりして、その間にダンスの動きを見逃してしまうことも多々ありました。視線を左右往復させ続けることになり、けっこうつらい。

 思わず息を飲むようなバランス動作、二人で組んで遊星からの物体Xリフト、緊張感あふれる距離感を見せつつ、舞台袖からいきなり飛び込んできてばったりチェブラーシカ倒れ、など山田さんらしい動きを満喫できるダンスも気持ちよかった。

 クールでどこか愛嬌のある川合ロンさんのダンスが個人的にお気に入りで、その強いキャラクターが場を引っ張っているような印象を受けます。何となくストーリー性が感じられるとか。

 終演後にアップテンポのアンコール演奏が始まった、と思ったらいきなり山田うんさんを含む三名のダンサーが乱入してきて総勢七名でがんがん踊るというオチがあって、大いに盛り上がりました。三夜続けて観ると、また違った感動が得られたのかも知れません。



タグ:山田うん