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『おばあちゃんのシラバス(「文藝」2016年秋号掲載)』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

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「当時からツイッターはあったんだよ、あの時TPP難病で検索してみたら、小さい小さい泣き声の『滝』が出来ていた。ぽつぽつといつまでも涙が垂れていた。言いたくても言えないよ体力も声も。クーデターするだけの体力が欲しいよ!
(中略)
でももし、皆気がついていたらきっと経済が下がっても体制を動かしただろうね。だって国が終わるだけじゃない。生活、ていうかにんげん、ぜんぶ喰われるんだから」。
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文藝2016年秋号p.432


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第104回。

 子殺し人喰い妖怪ひょうすべにひょうすべられる国にっほん。埴輪詩歌の祖母、憤死した埴輪豊子は、何を遺そうとしたのか。来週以降のこの国を描く、シリーズ第四弾。


 すいません。前回の『ひょうすべの約束』の紹介で「おそらく完結篇」と書いてしまいましたが、すみやかに最新作が掲載されました。最後に「参考文献は単行本刊行時に」(文藝2016年秋号p.433)と記してあるので、今度こそ完結篇ではないかと思うのですが……。


 ちなみに、これまでに発表された「ひょうすべシリーズ」の紹介はこちら。


  2012年10月08日の日記
  『ひょうすべの嫁(「文藝」2012年冬号掲載)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2012-10-08

  2013年01月07日の日記
  『ひょうすべの菓子(「文藝」2013年春号掲載)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-01-07

  2016年04月07日の日記
  『ひょうすべの約束(「文藝」2016年夏号掲載)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-04-07


 おんたこから、ひょうすべ。にっほんから、だいにっほん。この道を。力強く、前へ。


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 昔は、例えば国民年金に入っていないと、ご近所が親に文句を言ってきた。しかし今では火星人遊廓の美少女兵とかメイドたん介護をやっていないと「世間様」が怒って来るのだった。ともかく少女が飴一個でも嬉しそうに喰っていれば、またハンカチ一枚でも自己の所有物を持っていれば、被害者意識の塊となる政府だった。
(中略)
「輝くお年寄り法案」が通って年寄りの「自発的安楽死」も増えた。マスコミはせっせとそれに協力した。混合診療とは何か? ひとことで言うと「びんぼうにんはしね」である。赤ちゃんも消えた。子供を産むだけで百万キモータかかる。「もともとにっほん人ほど子供の嫌いな国民もないと思うよ。赤ちゃんにさえも自分で行列に並べ、迷惑をかけるなといいかねない国だからね」。
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文藝2016年秋号p.428、430


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「民主主義ってなんだ? それは決して本当の権力や責任者を責めないこと、そして弱くて普通の十人の中の九人がだまって一番弱いひとりを喰うことなんだねえ、(中略)何があってもにこにこして行列に並ぶ十人から一番弱いものが前に押し出されぱたっと倒れる、人喰いはそれを喰って帰る。立派な多数決だ。その九人の中からまた弱いものをうまく押し出したやつは褒美が貰える。ほら本土は沖縄を喰ってきた。大家族は嫁を喰ってきた。金持ちから税金を取らないで一番弱いやつが誰かを必死で探すんだよ。
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文藝2016年秋号p.429


 そんな来週以降の、いや今の、この国において、埴輪詩歌の祖母である埴輪豊子は、膠原病のために死にかけていました。薬さえあれば助かる命。でもグローバル企業がそんな「弱者特権」を許すはずもなく。


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 人喰い条約TPPに調印した人殺し政府の責任において、薬を奪われあるいは適正価格の薬を買うことが出来ず、ついにこの島国の薬価を掌で転がす事が出来るようになった世界企業のえらいさんたちの笑い転げる天が下で患者達は。
(中略)
最後には理性も意識も言葉も感覚も熱と痛みに奪われて彼らは殺されて行った。もとい、彼らというか、殆ど彼女ら、である。膠原病は女性に多い病気だった。ただ薬さえ飲んでいれば、専門職でも開業医でも看護師でも、純文学作家でもなんでもできる人々が、或いはたとえ社会的な労働をしていなくても、家事や介護や子育てという労働に一家を支えていた人々が、或いはもし両親の世話になっていたとしても愛されて愛されて一家の中心であった人々が、ていうか嫌われてても生きたいだろ! 当然じゃないか! それが大馬鹿の読まず判で殺されていった。人喰い条約が喰っていったのだ。
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文藝2016年秋号p.428


 埴輪豊子は孫である詩歌に教育を遺そうとします。借金のかたに火星人少女遊廓に売り飛ばすためだけに作られた「輝く男女平等基金」(女性に対するえげつない性的搾取のことを我が国では、輝く、とか、活躍、とか呼ぶのです)の奨学金ローンを使って大学に行かせるのではなく、自ら家庭教師をするというのです。ちなみに豊子さんは大学の非常勤講師でした。


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「……卒論は小説、政治学はお家でミクロ政治学、ていうよりかどうしてこんな時代になったかを自分の体験からせめて理解しようよ。だけど今年はともかくシラバスの一年です、シラバスというのは講義概要という意味ですからね」。肉の中に針が入っている、寝ていても痛くて眠れないとおばあちゃんは言った。
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文藝2016年秋号p.427


 容赦なく悪化する膠原病の症状。一寸刻みにひょうすべに喰われる凄絶な痛みに苦しみに屈伏してゆく豊子。悔しい、悔しい、悔しい。


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薬がまだあるかもと泣きながら探す事があった。孫は貯金箱を割って一錠だけ買ってあげた。
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文藝2016年秋号p.433


 たった一年で亡くなってしまった祖母。結局シラバスだけで終わってしまった「おばあちゃん大学」。そしてその「最終講義」。それを受け取るのです。 私たちは。



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