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『怪獣記』(高野秀行) [読書(オカルト)]


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 十八年前のコンゴの怪獣探査以来、これまでいろんな未知動物を探してきたが、自分が“目撃者”になったのは初めてであった。
「何だろう?」
「何でしょうね」
 私は笑いながら今度は末澤と同じ会話を繰り返した。末澤もやっぱりへらへらと笑っている。
「何だろう」という以外に言葉がない。そして、なんだか妙におかしくて笑ってしまう。
 あー、これが当事者の感覚なのかと私は口元が緩んだまま思った。
(中略)
 どうしてこう目撃証言が曖昧なんだろうとよく思っていたが、実際に今自分が目の前にしているもの、それを言葉で表現することができない。曲がりなりにも言語表現で飯を食っている人間なのにだ。
(中略)
 今私たちが見ているものは、巨大UMAかどうかは別として、ジャナワールの「正体」である可能性が高いなと私は思った。
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Kindle版No.2194、2201、2211


 トルコのワン湖に棲息するとされる謎の怪獣、ジャナワール(ジャノ)。その真実を求めて現地に向かった辺境作家を待っていた驚愕の事件。UMA探しの顛末を詳細に描いた興奮のノンフィクション。単行本(講談社)出版は2007年7月、文庫版出版は2010年8月、Kindle版配信は2016年5月です。


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 UMAというのは一種の病気であり、感染力は強い。近くに強力な症状を発症している患者がいると、「そんなもんにかかってなるものか」という自分の意志とは関係なく、罹患することがある。
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Kindle版No.87


 UMA好きの知人から、トルコの湖に謎の巨大怪獣「ジャナワール」が棲んでいる、映像もある、と聞いた高野秀行氏。どうせインチキだろうと思いつつ、念のため調査しているうちに出くわした一冊の本。これがヤバかった。


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 仰天である。今までいろいろなUMA関係の資料にあたってきたが、目撃者の顔写真と氏名・年齢・住所・職業・電話番号まで掲載されたものなんて見たことがない。
 未知動物業界は曖昧さのうえにかろうじて成り立っているので、他の人間がそれを調べようとしてもできないように仕組まれている場合が多い。映像資料も写真も目撃談も、目撃者の身元はもちろんのこと、参考文献や出典すら明記されておらず、「~らしい」「~だという」の連発。それが「ヤラセ」を横行させる温床となっている。
 しかし、この本はフェイクじゃないと私は確信した。その証言内容はまだわからないが、この本とそれを書いた人は真剣であり、純粋な人であることは疑いようがない。
 だとすると……。
 私の心臓は今はじめて動き出したかのようにバクンバクンと音を立てた。
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Kindle版No.213


 「未知動物業界は曖昧さのうえにかろうじて成り立っている」などと斜に構えたようなことを口にしながら、いきなり「この本はフェイクじゃない。疑いようがない」などと口走って、心臓バクンバクンさせながら、そのままトルコに飛んでいってしまう。さすがは高野さん。

 しかし、現地でのジャナワールの扱いはこうでした。


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 イスタンブールに着いてから、「ジャナワールを探しに来た」というと、ホテルでも旅行代理店でも、どこでも大笑いされている。ジャナが本場トルコではお笑いのネタにすぎないというのが悲しい
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Kindle版No.724


 ひるまずに探索を続ける高野さんは、ついにジャノを撮影したという有名な「コザック・ビデオ」の真相に迫ります。それは、……どうしようもなくしょぼい真相でした。


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 我ながら意外なことに、有名なコザック・ビデオのフェイクを確認した時点で、私は日本にいたときより、俄然ジャナに関心を持ち始めていた。
 政治やヤラセという何重もの覆いをすべて排除したらジャナはどんな姿を見せるのか。それとも残りは何もないのか。
 今、ちゃんとした情報を握り、客観的にジャナを調査できる人間は世界でたったひとりしかいない。
 もちろん私だ。やっと出番が来たという気すらする。
 ジャナは今まさに既知の未知動物から未知の未知動物になったのだ。
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Kindle版No.973


 ほぼ唯一の証拠といえるビデオがフェイクだと判明した時点で肩を落として帰国するのが普通だと思うのですが、そこでなぜか発奮して「ジャナは今まさに既知の未知動物から未知の未知動物になったのだ」と、意味はいまひとつよく分からないものの力強く宣言して、さあ、そこから精力的に聞き取り調査を開始しますよ。何日もかけて湖を一周しながら目撃証言を集めるのです。ここからが本領発揮だ!


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私たちに対するこの辺の人たちの温かさは素晴らしいものがある。顔をあわせれば必ず声をかけてくれるし、お茶屋に行けば、勘定をとらない。いい年して酔狂なことに邁進している私たちを、バカにもしない。いや、しているのかもしれないが、態度には出さない。にこやかに見守っている。
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Kindle版No.1476


 現地の人々の温かさ、風景の美しさ、料理の美味しさ。クルド問題とトルコの政治状況。様々な話題が次から次へと書かれ、旅行記としても大満足の出来栄え。しかしながらジャナワールに関する決定的な証言は得られないまま湖を一周。こうしてUMA探しの旅も終わりが近づきます。


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 小一時間して私たちは立ち上がり、彼らと握手した。最初とは見違えるほどにこやかで「また調査に来ていただきたい」と言われた。
 また、はないだろう。これで「調査」は終了なのだから。
 ワン湖のジャナワール、それは伝説だった。世界でも稀なこの特殊な湖が生み出した幻だった。
 そう結論づけた私は、何かやり遂げた充足感と心地よい疲労を感じながら、村をあとにした。
 まさかその数十分後に大騒動が勃発するとは夢にも思わずに。
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Kindle版No.2124


 突然、湖を指差して叫ぶカメラマン。

「あ、何か黒いものがいる! あれ、なんだ!?」(Kindle版No.2151)

 なにその典型的なセリフ。いや、え、マジですか?


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 正体不明なものを見ると興奮せずに困ってしまう。これは発見だった。
 困惑しているから、みんなでへらへらするしかないのだ。
 正体が巨大UMAだと確信しているイヒサンだけが興奮していたのも、それを逆の意味で証明している。
 物体が遠くに、しかも水のなかにいるというのも困惑の要因だ。とりあえず向こうがこちらに害を与えることもないし、私たちが向こうを追いかけたり捕まえたりできるわけでもない。
 そんな思考を巡らせている私をあざ笑うかのように、いくつものバカでかいものが浮いたり沈んだりを繰り返している。
 なにか、「陽気な無力感」というものを感じる。「これをあとで人に訊かれても困るな……」と私はぼんやり思った。
 今まで目撃談が切迫してないとか情熱がないとか言いたい放題だったが、今になって「そりゃそうだ」とわかる。なにしろ、目の前で見ているときですら困惑しているのだ。それをあとで他人に説明したらますます困惑するに決まっている。ただ不思議なものというのは、切迫とか情熱という感情とは無縁なのである。
 私たちはこうして二十分ほど目撃を続けるというか眺めていた。
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Kindle版No.2228


 そして、ここが凄いのですが、高野さんは現場に行って潜ってみるのです。巨大な何かを目撃した、まさにその場所で、ただ一人、おもちゃのボートに乗って。


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私は沖合をどんどん進んでいく。
 風景も変わってきた。雑音が消え、静けさが増す。両側には反射で銀色にみえる岩山。前はただただ水。それが西日を受けて、黄金色に輝いていた。ときどきすーっと一陣の風が吹き、止む。
 なんだか「もっていかれそうな」気分だ。
 そのなかをひとり、ほとんどすっ裸の私は幼児用ボートでただひたすら前進していく。
 何の因果かわからないが、こんなところでこんなことをやっている自分がいる。それは奇妙な幸福感に満ちていた。自分はなんと自由なんだろうと思った。
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Kindle版No.2598


 幸福とは、自由とは、こういうことだ。ちょっとだけうらやましいけど、真似できそうにありません。というか潜るシーンなど読んでるだけで怖い。

 というわけで、UMA探しの旅で本当に何か目撃してビデオ撮影までしちゃったという希有な体験。UMA好きの夢をまんまかなえてしまったようなノンフィクションです。異色のトルコ旅行記として読んでも素晴らしい。

 ちなみに、ウィキペディアで「ジャノ」を調べると、本件についてちゃんと書かれていました。


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2006年、日本の作家・UMA研究家の高野秀行が、コザックの発見を追跡調査中にヴァン湖でジャノの撮影に成功、上記諸事情を含めた一部始終を著書「怪獣記」で公表した。
高野の撮影したジャノは生物と言うには大きすぎ、かつ「潮を噴きながら浮き沈みするだけ」という生物らしからぬもので、映像を鑑定した専門家は「湖底から噴出するガスが湖底の泥を膨張させて泡状に押し上げる時、泥泡から漏れ出すガスが「潮噴き」に見えているのではないか」という意見を述べている。
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ウィキペディア日本語版「ジャノ」より(2016年7月20日時点)



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『ロミオとジュリエット』(小野寺修二、カンパニーデラシネラ) [ダンス]

 2016年7月18日は、夫婦で東京芸術劇場シアターイーストに行って小野寺修二さん率いるカンパニーデラシネラの再演を鑑賞しました。6名の出演者が踊る70分の公演です。


[キャスト他]

振付・演出: 小野寺修二
出演: 斉藤悠、崎山莉奈、王下貴司、大庭裕介、藤田桃子、小野寺修二


 以前、廃校となった中学校を再利用した「IID 世田谷ものづくり学校」で観たことがある作品ですが、そのときは観客数わずか60名、全員が舞台上にいて芝居に参加しているような感じでした。ちなみに前回鑑賞時の紹介はこちら。


  2011年09月24日の日記
  『ロミオとジュリエット』(小野寺修二、カンパニーデラシネラ)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2011-09-24


 今回は観客数もずっと多いのですが、舞台のぐるりと囲む形で座席が配置されており、こじんまりとした感じが残っています。舞踏会や結婚式など、観客も一緒に踊ったり花を投げたりして「参加」するシーンもあり、会場全体が舞台という印象です。

 子供連れの観客が多く(パンフレットによると小中学校を回って上演しているとのこと)、最初から賑やかで楽しい雰囲気。幼い子供にとって70分の舞台はけっこう長く、途中で飽きてしまうのではないかと懸念しましたが、みんな最後まで引き込まれているようで良かった。

 前回も思ったことですが、やはり全体の雰囲気を引っ張ってゆく藤田桃子さんが素晴らしい。彼女が立っているだけで何か面白いことが起きるという予感に胸が高まります。噛み合わない会話の途中で唐突に脱力して始まるダンスがものすごく気持ちよく、特に空中に張られたロープが作る四角形とともに主役二人が踊るシーンなど、記憶にあるよりもずっと感動しました。崎山莉奈さんはソロで踊るシーンも頑張っていてぐっときましたし、キャベツとトマトの名演技も光っていました。



タグ:小野寺修二
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『ドクターぶたぶた』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]


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 高い技術が必要とされる手術だが、それでもこれだけ速い人は見たことがなかった。正確だが躊躇もなく、大胆に、だが的確に腫瘍を切除していく。
 モニターだけ見ていると、ぬいぐるみがやっているとはとても思えない。しかし視線を下に落とすと、彼にとっては重そうというか、持ち上げるのすら無理そうな内視鏡のハンドルのレバーを巧みに操る山崎先生が。あの指すらないひづめのような手先で、どうしてこんなに繊細な手術ができるのか。(中略)彼はぬいぐるみである以外は本当に完璧だった。
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文庫版p.67


 大人気「ぶたぶた」シリーズ最新作。今回の山崎ぶたぶた氏はお医者さん、それも外科医ですよ。ばりばり手術しますよ。でも、ぬいぐるみに手術される患者は心中とても穏やかではなく……。文庫版(光文社)出版は2016年7月です。


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 さて、今回のぶたぶたに関しては、ついに――と思う方もいらっしゃるのではないかと。私としても「ついに!」ですよ。(中略)
 とにかく、今まで何度か書こうと思いながら先延ばしにしてきたドクターぶたぶたの話をみなさまにお届けできることとなりました。
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文庫版p.211


 見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、心は普通の中年男。山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。「ぶたぶた」シリーズはそういうハートウォーミングな物語です。

 ドクターぶたぶた。もし彼の姿をどこかで見かけたら、たぶん、そのときは彼はメスをにぎって奇跡を生みだしているはずである……。みたいな話を想像する読者も多いでしょうが、大丈夫、山崎先生は医師免許を持ってます。いや当然ですが。それと、ぶたぶたがメスを握る姿は想像しがたい、というか想像したくないなあ、と思っていたのですが、山崎医師の専門は内視鏡・腹腔鏡手術。なるほど、そうきたか。

 どうせ手術中は意識ないし、すべて任せる他はないのだから、執刀医がぬいぐるみだろうと何だろうと同じこと。理屈ではそうなんですが、実際に「執刀医はぬいぐるみです」と説明された状況を想像してみて下さい。それはやはり躊躇するというか、葛藤があると思います。拒絶反応を示す患者がいるのも無理ない。でも、人間の医師なら信用できるのに、ぬいぐるみだと駄目だというのなら、それはなぜなのでしょうか。

 全四篇(+ショートショート一篇)から構成される連作短篇集ですが、ほぼすべての話が前述のような葛藤をテーマにしています。悩む患者、決断する患者、あるいは拒絶されたときの山崎医師のストレス。様々な物語を通じて、読者は改めて考えることになります。私たちが「他者を信頼する」ということについて。

 まあ、白衣に聴診器のぶたぶた、若い研修医たちをつき従えて教授回診するぶたぶた、バッティングセンターで吹っ飛ばされるぶたぶた(今作最大の見せ場、だと思う)、といった名シーンの数々を楽しめばいいんですけどね。


『窓際の人形劇』
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「あの……本当にこの……山崎先生が手術をなさるんでしょうか?」
 おそらく誰でも訊くだろうことを言う。
「はい、わたしが行います」
「山崎先生はこの病院の内視鏡と腹腔鏡手術の八割を行っておりまして、ほぼ成功させています」
「ほぼ!」
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文庫版p.29

 執刀医がぬいぐるみだと知って動揺する患者。しかし、写真を見て思い出した。以前、ケーキ店の窓際にいるのを見たことがある。ケーキ、美味しそうに食べてた。それだけのことでなぜか生まれてくる謎の信頼感。手術前は不安と葛藤と迷いでいっぱいだったのに、終ったとたん「はっきり言って期待はずれだった。だって、手術中の山崎先生を全然見られなかった!」(文庫版p.39)と思ってしまう、その心の動きの説得力。


『妄想の種』
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手洗い(?)をし全身手術着というか、布やシリコンやゴーグルなどにくるまれた山崎先生が入ってきた。
 ち、ちっちゃ! 何これ、おくるみかよ、と心の中でツッコむ。ゴーグルの向こうの点目の凶暴なまでのかわいさに、桃香は悶絶しそうになった。写真撮りたい! SNSに載せたら、ものすごいことになりそう!
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文庫版p.65

 新米看護師の立場から見た山崎医師の手術。関係者なら誰もが信頼する腕前。だが「そんな……ぬいぐるみに手術されるなんて……」と不安と動揺で泣き崩れる患者を安心させることが出来ない自分。ちょっと落ち込んだ彼女は、気分転換のためにうなぎ屋に向かう。そこでばったり山崎先生と出くわして……。「うなぎとバッティングセンターはけっこう鉄板だよ」(文庫版p.92)と語るぶたぶたのストレス解消法とは。患者に拒絶されると山崎ぶたぶたも落ち込むのだという、当たり前の事実に気付いてはっとする短篇。


『優しい人』
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 今「怖い」と思うのは、またそれをくり返してしまうことだった。気持ちだけで行動したくない、でも割り切れない。正しく選択したとしても、それを信じられなかったら、やっぱり「失敗」だ。
 自分の弱さがいやだった。誰かのせいにしたかった。あの病院をすすめた大叔母の、菜実子の話を聞いてくれない夫の、そして、ぬいぐるみなのに手術なんかする山崎医師のせいに。
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文庫版p.129

 四年前、山崎医師の執刀を拒絶して別の病院に移った患者。再発して再び手術が必要になったとき、担当として割り当てられた執刀医は、あのときと同じぬいぐるみだった。また同じことをくり返すのか、でも別の道を選んでもやはり後悔するのではないか。心の中で増殖してゆく「後悔」という病巣を、はたして摘出できるのか。自らの決断と他者を信頼することをめぐる葛藤をえがく、連作の中核として全体を引き締める物語。


『恋かもしれない』
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 あ、あれはぶたぶた先生が乗ってるんだ。
 あまりにも遠くて、合図もできなかったが、今日もああやって田舎の道を走っていくんだ。
 祖母は、こんなことを言っていた。
「ぶたぶた先生に会いたいと思っても、丈夫だと会えない。でも、その方がいいんだよね」
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文庫版p.196

 田舎に住んでいる祖母の様子がおかしい。電話で「ぬいぐるみの医師が家にやってくる」などと口走る。認知症の初期症状ではないか。就活ストレスで胃を傷めていた大学生が、母に言われて様子を見に祖父母の家にやってくる。そこで胃痛発作を起こした彼は、山崎医師に胃カメラを飲まされるはめに。「癒しの化身という感じ」(文庫版p.169)という山崎医師が患者から厚く信頼されている理由は、手術の腕前でも、ぬいぐるみの外見でもないことを、しみじみと理解するのだった。


『祖母の決断』
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その黒い点目を見ているうちに、以前見たケーキ店の窓際を思い出した。
 いや……いや、まさか。そんな偶然はないだろう。あったとしても、この状況は……あまりにもファンタジーだ。ありえない。別のぬいぐるみだ。
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文庫版p.207

 エピローグ的に配置された「おまけのショートショート」。祖母の付き添いでやってきた主人公は、そこにいる医師が以前ケーキ屋の窓際で見かけたぬいぐるみにそっくりだということにショックを受ける。「ありえなさ」の基準が一瞬ぶっとんでしまう上の引用シーンに思わず笑ってしまいました。



タグ:矢崎存美
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『枕元の本棚』(津村記久子) [読書(随筆)]


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 小学生の時、図鑑好きが高じて図鑑を作ろうとしたことがある。現実にあるものについてではなくて、自分自身で考え出した動物や植物についての図鑑である。(中略)今も、小説を書くことの最終的な目的の一つとして、図鑑を書きたいとは思っている。
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単行本p.149


 図鑑好き、豆知識好き、検索依存。雑多な情報の収集に喜びを見出す作家が自身の愛読書について語る読書ガイド。単行本(実業之日本社)出版は2016年7月です。


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 当時、世界のヒエラルキーは、すべてチョウによって決まっていた。美しいチョウがたくさんいるニューギニアと南アメリカに比べて、チョウの種類が少なくて比較的地味な日本やヒマラヤや北アメリカやヨーロッパはどうでもいい場所だった。
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単行本p.92


 世の中には図鑑好きの子供がいて、そういう子はひたすら図鑑をながめて暮らし、大人になってからも豆知識を集めることに熱中するらしい。作家の津村記久子さんは、まさにそういう人のようです。そんな人が「究極の図鑑」を手に入れると、こんなことに。


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インターネットが手元にやってきてからというものの、もう際限なく調べ物をしてしまうのだ。(中略)疲れていたり物事がうまく行かなくて理性が減少している時は、何を知りたいのかが仕分けられなくなってきて、なんでもかんでも検索してしまう。目が辛いし、心に引っかかる不快なこともある。ときどきは掘り出し物の記述を探り当てるものの、それが脊髄反射的検索の産物であったことはあまりないので、それはやめたいと思っている。視力の無駄遣いである。情報なしに機嫌よくやっている、自転車に乗っている時や風呂に入っている時のわたしはなんなのだろうか? と怒りすら覚える。
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単行本p.238、239


 怒りがそっちに向かうのかー。

 本書はそんな津村記久子さんが自身の愛読書について紹介してくれる読書ガイドです。様々な分野の本が紹介されていますが、やはり図鑑が数多く取り上げられています。雑多な知識を集めることの喜びと興奮が熱く語られ、多少なりとも似たような性向を持つ読者なら大きく頷くことでしょう。

 個人的には、自分自身について率直に語っている箇所が印象深く。


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 書けば書くほどわからなくなっていく。それが、自分が文章を書く仕事をしてきた上での実感である。昔の文章などを読み返す機会があると、ちょっともう今よりぜんぜんましだったりして、いつからこんなに下手になったのかと愕然とするし、「好きだから書くの!」というようなモチベーションも、ほとんど燃え尽きている。あるのはただ、これが自分の職能なので、あまりにもあまりなところにまで落ち込まないように監視して、「このぐらいならなんとか」というレベルを保持するという義務感である。
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単行本p.137


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人を見れば自分を嫌っていると思うし、人間関係への負の志向は、仕事や生活にも越境してきて、エレベーターに乗るたびに挟まれる自分を想像するし、交差点を渡る時には、必ず車が突っ込んできて吹っ飛ばされることを考えている。職場では間違いなく嫌われているし、文章の仕事をもらえるのも、技術を持っているからではなく、気が小さそうなので締め切りを守るだろうと思われているからのはずだ。
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単行本p.173


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常に、何らかの病気のリスクを自分自身の体や生活に見いだしては怯えている。肉食気味の生活は大腸がんに、魚を食べずDHA不足であることからアルツハイマーに、頭の右側だけが痛む時があるので脳梗塞に、生活が夜型であることから乳がんに、祖父母が患い、自分も炭水化物が本当に好きなことから糖尿病に、それぞれ順番に患うと思ってきた。
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単行本p.177


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文章を書くために、夜中の二時に起き出して、風呂に至るまで、自分の通る場所の電気を少しずつ付けていきながら、ともかく鈍く安心する。暗いことがあまり好きではない、というのもあるのだが、こんな時間でも起きて動いていていい、と思える。ときどき、風呂に浸かりながら、自分は一日いくらまでならこの電気の使用に払えるのだろう、と考える。
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単行本p.182


 ああ、二度寝シリーズや『くよくよマネジメント』を書いた人だなあ。

 ネガティブ思考と心配性がほとんど趣味のようになってきて、思わず笑ってしまう記述もあります。


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ヒグマが怖くて、クマ情報を漁りまくっていた時期がある。本書で取り上げられているように、死んだふり、目鼻にパンチ、鈴によるクマ除けはもちろん、「人間を襲って味を占めたクマに鈴の音は逆効果」という情報までも吸収し、ならどうしたらクマに遭遇した時に確実に逃亡できるのか、としばし絶望的な気分で暮らしたりしていた。
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単行本p.56


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 ペップ・グアルディオラに関する記事は、目に留まったら必ず読むようにしている。理由は、自分の好きな選手が、グアルディオラとハゲ方が同じなので参考にしたいのと、グアルディオラの、ときどき訝しいまでのネガティブな発言に、非常な興味を覚えるからである。
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単行本p.244


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今までも大概、ヤギとかインコとかミツバチとかヒヒのほうが人間よりえらい、と思い続けてきたけれども、ますますその思いが強くなる。(中略)わたしは、常にどう生きたら良いかを模索していて、ロールモデルを探し出したいと思っている。できれば、人間であることが望ましいのだけれども、実はインコでもハチでもよい。
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単行本p.88、94


 しかし、他人様みな我より偉し自虐趣味、というわけではなく、自分にとって大切な個性であるネガティブ思考に他人が干渉してくることには強く反発します。誇り高い人なのです。津村さんの小説の主人公がいつもそうであるように。


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 日々を大切に生きなさい、という言葉は、本当に聞き慣れた凡庸な物言いである。そんなこと言ったって、わたしもみんなもくそ忙しくてそんな暇はないんだよ、雑に生きながら、明日に自分の体を届けるっていうだけでもう死に物狂いなんだよ、セールストークだか優越感のためだか知らないけど、軽々しくそんなことを言って追いつめないでくれ。(中略)きれいごとにかこつけて、物やサービスを売りつけようとしてくる人、「大切に生きていない人」を諭すことによって何かを奪い取ろうとする人、日々を楽しむ「余裕」の裏には、有象無象の思惑が渦巻いている。
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単行本p.117


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 メディアにおいて商品やサービスを売ろうとする人々は、そのために嘘をつき、不安をあおったり人をおだてたりする。本音を話しているという態のえらい人たちは、その実、地位にあぐらをかいて、誰の目にも明らかな誰かの弱点をあげつらいながら自分の居場所に糊を塗っているだけだ。
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単行本p.175


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積極的にこちらの欠点を指摘してくるような人は、人に欠点を指摘している場合ではないぐらいの人格的な問題を抱えていることがほとんどだったりするから、関わらない方がよいということになる。(中略)問題は、利害関係のない人が、彼ないし彼女自身の自尊心やその他複雑な感情のために、他人に「あなたのためを思って」などという枕詞つきで発する、直截に手厳しい批判であったり、やんわりとはしているけれども、皮膚組織に染みこんで拭えなくなるようなねっとりした助言である。そんなことを言ったって、その人にお金が入ったりするわけではないので、言葉は一見、善意の元に発されたアドバイスのように見える。でも本当は、金銭が絡まない分、よけいにたちの悪い脅迫であったりする。そうやって他人を操作し、感情的な報酬を得ようとする人間は、幼稚園の砂場から、老人ホームの談話室まで、人生のいたるところに出現する。
――――
単行本p.175、


 「明日に自分の体を届けるっていうだけでももう死に物狂いなんだよ」とか「積極的にこちらの欠点を指摘してくるような人は、人に欠点を指摘している場合ではないぐらいの人格的な問題を抱えている」など、読者を救ってくれる名言の数々。

 というわけで、ネガティブ思考、心配性、情報収集癖、という自覚のある方なら誰もが気に入る一冊です。『くよくよマネジメント』に強い共感を覚えた方にもお勧めします。ただし、上で引用したような箇所はむしろ余談の類。ほとんどの記述は様々な本の紹介です。読書ガイドして活用するのが本書の正しい使い方でしょう。



タグ:津村記久子
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『アステロイド・ツリーの彼方へ 年刊日本SF傑作選』(大森望、日下三蔵、藤井太洋、宮内悠介、上田早夕里) [読書(SF)]


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あっと驚く新発明から、ノアの方舟、自動販売機、狸、ビリヤード、源氏物語、平行世界、無人探査機などなど、ありとあらゆる題材が扱われている。(中略)この一冊を読むだけでも、いまの日本SFの多様性が実感できるはずだ。
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文庫版p.8


 2015年に発表された日本SF短篇から選ばれた傑作、および第七回創元SF短編賞受賞作を収録した、恒例の年刊日本SF傑作選。文庫版(東京創元社)出版は、2016年6月です。


[収録作品]

『ヴァンテアン』(藤井太洋)
『小ねずみと童貞と復活した女』(高野史緒)
『製造人間は頭が固い』(上遠野浩平)
『法則』(宮内悠介)
『無人の船で発見された手記』(坂永雄一)
『聖なる自動販売機の冒険』(森見登美彦)
『ラクーンドッグ・フリート』(速水螺旋人)
『La Po'esie sauvage』(飛浩隆)
『神々のビリヤード』(高井信)
『“ゲンジ物語”の作者、“マツダイラ・サダノブ”』(円城塔)
『インタビュウ』(野崎まど)
『なめらかな世界と、その敵』(伴名練)
『となりのヴィーナス』(ユエミチタカ)
『ある欠陥物件に関する関係者への聞き取り調査』(林譲治)
『橡』(酉島伝法)
『たゆたいライトニング』(梶尾真治)
『ほぼ百字小説』(北野勇作)
『言葉は要らない』(菅浩江)
『アステロイド・ツリーの彼方へ』(上田早夕里)
『吉田同名』(石川宗生)


『ヴァンテアン』(藤井太洋)
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「その点バイオハックは違う。世界中の人が扱ってるから働きもよく分かってるし、ツールもたくさんある。そのおこぼれで私みたいなプライベーターが挑戦できるの。あなたが3Dプリンターを買い集めるのと同じ。作って試せるのって凄いことよ」
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文庫版p.26

 豆、パプリカ、サラダ菜、トマト、そして羊羹。いますぐ使えるものでとりあえず作って、試す。見た目はジャーサラダそっくりな手作りDNAコンピュータが、やがて世界を変えてゆく。DIYハッカー精神あふれる力強いハードSF。


『小ねずみと童貞と復活した女』(高野史緒)
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『白痴』と『アルジャーノン』の合体は十代の頃からやってみたかったし、それに『ドウエル教授』や『ソラリス』等、高野史緒という作家を造ってきた数々のワクワクを召還し、「悪ふざけの続き」を思う存分させてもらった。(中略)この世のすべてのワクワク、特にSFのワクワクと、それを共有する全ての仲間たちに感謝したい。
――――
文庫版p.79

 あの事件の後、白痴に戻ったムイシュキン公爵はどうなったのか。実は、開発されたばかりの知能向上薬により、実験動物であるネズミ(名前はアルジャーノン)と共に天才化していたのだった。ナスターシャを復活させる方法を探し求め、ドウエル教授の首と共同研究していた語り手は気付く。そうだ、惑星ソラリスに行けばイイじゃん(以下略)。


『法則』(宮内悠介)
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 僕は確信した。
 あのときオーチャードを殺せなかったのは、僕が使用人であったからなのだ。
 ――この世界は、ヴァン・ダインの二十則によって支配されている世界なのだ。
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文庫版p.122

 推理小説を書く上で守るべき規則をまとめたヴァン・ダインの二十則。それは物理法則よりも優先し、絶対的にこの世を支配しているのだ。そのことに気付いた語り手は、それを逆手にとった完全犯罪を目論むが……。「ふざけたほうの宮内悠介」による論理アクロバット。


『聖なる自動販売機の冒険』(森見登美彦)
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「飛んできた自動販売機たちの中に見えた。あったかいきつねうどんが出てくる自動販売機。未来的な技術を結集して『きつねうどん』を出すなんて、人類って可愛いなあと思う」
「きつねうどんが食べたくなったな」
「今でもあるのかなあ、あの自動販売機……」
 我々は自動販売機たちが飛び去った彼方を見つめていた。
――――
文庫版p.190

 残業中、ビルの屋上に出てみた語り手は、奇妙な自動販売機を発見する。それは人類の次なる進化をうながす2015年宇宙の自動販売機、なのか。それより気になるのは隣のビルの屋上にいる美女。そして見よ、夜空を埋めつくす自動販売機の大群を。そこにはチェリオの姿さえ……。深夜の自動販売機の明滅にSFを感じてしまう抒情作品。


『インタビュウ』(野崎まど)
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野崎 しかしなぜ我々はこんなところに居るんでしょう。
香月 野崎君、それは言っちゃいけない。早川書房刊行のSF作品は実は全てノンフィクションで、作家や編集がこうして定期的に宇宙取材に出てネタ集めをしていることが知られてしまったら世界中がパニックになるだろうし、多分早川書房も潰れる。
――――
文庫版p.262

 新作『know』が話題になっている野崎まど先生のインタビュー記事。場所は未開惑星。そこには「インタビューの会話」そっくりの声で吠える巨大怪獣インタ・ビウィが棲息していた。あらすじ付きの書影を吐く怪獣、『know』の表紙カバー絵で対抗だ。SFマガジンに掲載されるはずだったのがボツを喰らった(わかる)幻の作品が年刊日本SF傑作選に選ばれるという椿事。


『アステロイド・ツリーの彼方へ』(上田早夕里)
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 メインベルト彗星から無数の微生物が宇宙空間へ撒き散らされるように、バニラもまた、アステロイド・ツリーの彼方、遥か遠くの惑星へ向けて旅立っていった。
 僕は、それを甘い感傷に彩られた記憶として心に留めるようなーーそんな人間にはなりたくないと思っている。
 生命とは何か、知性とは何か。
 その問いに対する好奇心と探究心を満たすために、僕たち人類が何をしたのか、いつまでも覚えておくつもりだ。
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文庫版p.516

 テレプレゼンス技術により、地上にいながらにして宇宙探査が可能な時代。語り手は「宇宙探査機搭載用AIの世話」という仕事を引き受ける。見た目は猫そっくりの自律ロボット型AI「バニラ」と次第に打ち解けてゆく語り手だが、バニラという存在には隠された秘密があった……。SFを使って「人間とは何か」を切実に問い続けてきた作家が、「人間はなぜ“人間とは何か”を切実に問い続けるのか」を問う。


『吉田同名』(石川宗生)
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 深夜0時30分頃、政府主導の下、警察署、市役所が合同で『吉田大輔氏大量発生対策本部』を緊急発足。続く1時、大輔氏に取り囲まれたまま何時間も身動きが取れずにいた通行人や住民の救出に向け、大輔氏の搬出作業を決定。(中略)翌朝には用意した全施設への収容が完了したが、各収容人数が2、300パーセントを超過してもなお四丁目の半分は大輔氏に占められていた。
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文庫版p.524

 第七回創元SF短編賞受賞作。突如、何の理由もなく二万人近くに増殖した吉田大輔氏。とりあえず施設に分散収容されたものの……。同一人物が大量に増殖したらどうなるか。居住は、食料は、社会への影響は。同一人物たちによる共同生活はどのような形をとるだろうか。風刺的な、あるいは幻想文学的なシチュエーションを、徹頭徹尾あくまで現実的にシミュレートする奇妙な作品。



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