『義経記』(高木卓:翻訳) [読書(小説・詩)]
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あまりに派手で現代的な書き方なので訳者の筆の勢いではないかと疑いさえ抱く。原文と照合したらその通りに書かれてある。もはや脱帽するしかない。
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文庫版p.651
室町時代初期に成立したという軍記物『義経記』の現代語訳。文庫版(河出書房新社)出版は2004年11月です。
何しろ『ギケイキ 千年の流転』(町田康)が激烈に面白かったので、原典も読んでみようと思ったのです。でも悲しいかな古文を読むだけの教養がない。というわけで、高木卓さんによる現代語訳『義経記』を手にとりました。ちなみに『ギケイキ』読了時の紹介はこちら。
2016年07月05日の日記
『ギケイキ 千年の流転』(町田康)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-07-05
さて、原典は軍記物ということだし、史実に沿って、しごくまじめに書かれているのだろうと思っていたのですが、いやー、これが違いました。全然、違いました。
まず史実に対するリスペクトがどのくらいかと申しますと、例えば源平合戦のくだりはこうです。
――――
義経は、寿永三年(1184)に京都へいって、都から平家を追い払ったが、まず一ノ谷(神戸市須磨区のあたり)、その翌年は屋島、壇ノ浦と、各地で忠節をつくし、ひとびとにさきがけて力のかぎり戦って、翌年、ついに平家をほろぼした。
――――
文庫版p.187
以上です。
え、マジ? たったこれだけ?
全8巻におよぶ長大な『義経記』、現代語訳にして文庫版600ページの大作なのに、義経が平家と戦うシーンはこの一文だけ。いまさら説明するのもたるいし、みんなよくご存じだろうし、そもそも誰も源平合戦とか興味ないよね? てな感じで、ばっさり省略します。大胆。
その他の記述にしても、翻訳者が微妙にいらだちをみせた注釈をつけるほど。
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史実にたいして、原文は、記述に不備が多すぎ、また叙述のしかたも、物語の流れをさえぎっている観がある――訳者
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文庫版p.41
史実から外れまくり、物語の流れをばんばん遮ってまで、いったい何が書かれているのかと申しますと、これが義経や弁慶のキャラ立て面白エピソードなんですよ。
――――
「どうかお旗あげのことは、清盛どのがこの世を去ったのちに、実行にうつしてくださいませんか」
義経は、これをきいて、ああこやつは日本一の卑怯なおろかものだ。おのれ、こやつめを、……とは思ったが、力がおよばないので、その日はそこでくらした。
たよりにならないものには、執着ものこしてはならないと、義経は、その夜、まよなかごろ、陵のやしきに火をかけた。そうして、あますところなく、すっかりやきはらって、じぶんは、かきけすように姿をけした。
――――
文庫版p.62
いきなり炎上。いきおいで味方殲滅。ヤンキー気質というか、高橋ヒロシ氏の漫画に出てきそうなタイプ。しかし、類はなんとやら、というわけで。
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弁慶はこれをみて、さしあたりじぶんは仏法の敵となるだろう。すでにこれほどの罪をおかしたからには、このうえ大衆の多くの坊など助けておいたところで何になろう、とそう思って、ふもとの西坂本へ走りくだると、たいまつをもやして、のきをならべた多くの坊々に、いちいち火をつけてまわった。火は谷から峰へと、焼けひろがっていった。もともと、山をきって崖づくりにたてた坊ばかりだったから、なに一つのこらず焼けうせて、わずかにのこるものは土台石ばかりとなった。
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文庫版p.146
「たよりにならない味方は燃やしつくす」というトップ、「すでに大罪を犯したし、せっかくだからすべて燃やしとこう」という家来。この組み合わせはまずいよ。というか、二人とも炎上が好きすぎると思う。
では、他の登場人物はどんな感じかというと。
――――
若党どもが四、五人、猪の目をきざんだまさかり、やき刃の大鎌、なぎなた、大づえ、打棒などを、手に手にもって、たったいま大あらそいをすませてきたといったようすで、さながら主人の四天王のように、あとにしたがってきた。
(中略)
そうして、あたりで犬がほえたり、風がこずえをならしたりしても、
「だれか、あれを斬れ」
といいつける用心ぶかさで、その夜は一睡もしないであかした。義経は、なんという殊勝な男だろうと思った。
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文庫版p.67、71
殊勝なのかー。
世が世ならモヒカン刈りでヒャッハーとかV8!V8!とか叫びながらバイクにまたがって全力疾走して自爆するような連中を率いる明らかにヤバい人。誰あろう彼こそが伊勢三郎義盛なんですが、まあそれはそれとして、明らかに何かキメてる風のヤバい人から、「こいつについていけば大暴れしていっぱい殺せるぜうへへ」と信頼されるところが義経の人望。
しかも、義経のビジュアルはこうです。
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色の白さはもとより、おはぐろでそめた歯、ほそくかいたまゆ、そうして被衣をかかげたそのすがたは、さながら、むかしの松浦佐用姫が、夫を見おくって領巾をふったすがたも、こうかと思いあわされるほどであり、ことに寝みだれ髪の、どこかなまめかしいふぜいは、うぐいすの羽風さえいとう、いたいけな、あでやかさである。れいの、唐の玄宗皇帝のころなら楊貴妃に、また漢の武帝のころなら李夫人にくらべたいような、美しいすがたであった。
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文庫版p.48
16歳の少年の容姿を、いちいち絶世の美女にたとえるという……。これは、今でいう「美少女化」ですね。
翻訳者も注釈にて、史実では義経の容姿はアレだったことを指摘した上で、「義経を美貌の持ち主とする本書の記述を比べると、本書の志向するところがうかがえる」(文庫版p.623)と書いておられます。翻訳者がいうところの「本書の志向」というのが具体的に何を指しているのかは微妙ですが、個人的な意見としては、これ、いわゆる「二次創作」でしょう。
聴衆にウケた話、世間に流布している伝承、それらをつぎはぎして作り上げたというか、今でいうなら世に出回る「薄い本」を集めて編集した「義経パロ集大成」とか「ベストヒット九郎ちゃん伝説」とか、そんな感じでしょうか。
というわけで、義経の美少女化、史実ぶったぎる面白ネタ、人気キャラのパロディや創作エピソード満載、「史実にこだわらず、語りの力によって源義経たち人気キャラに“今”の魅力を吹き込んで読者を喜ばせる」ことを試みた室町時代の二次創作。平成の言葉を駆使して同じことを試みた『ギケイキ 千年の流転』(町田康)の原典。人気キャラをパロディ化したり勝手なエピソードを創作したりして楽しむのは、今も昔も変わらないわけですね。
あまりに派手で現代的な書き方なので訳者の筆の勢いではないかと疑いさえ抱く。原文と照合したらその通りに書かれてある。もはや脱帽するしかない。
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文庫版p.651
室町時代初期に成立したという軍記物『義経記』の現代語訳。文庫版(河出書房新社)出版は2004年11月です。
何しろ『ギケイキ 千年の流転』(町田康)が激烈に面白かったので、原典も読んでみようと思ったのです。でも悲しいかな古文を読むだけの教養がない。というわけで、高木卓さんによる現代語訳『義経記』を手にとりました。ちなみに『ギケイキ』読了時の紹介はこちら。
2016年07月05日の日記
『ギケイキ 千年の流転』(町田康)
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-07-05
さて、原典は軍記物ということだし、史実に沿って、しごくまじめに書かれているのだろうと思っていたのですが、いやー、これが違いました。全然、違いました。
まず史実に対するリスペクトがどのくらいかと申しますと、例えば源平合戦のくだりはこうです。
――――
義経は、寿永三年(1184)に京都へいって、都から平家を追い払ったが、まず一ノ谷(神戸市須磨区のあたり)、その翌年は屋島、壇ノ浦と、各地で忠節をつくし、ひとびとにさきがけて力のかぎり戦って、翌年、ついに平家をほろぼした。
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文庫版p.187
以上です。
え、マジ? たったこれだけ?
全8巻におよぶ長大な『義経記』、現代語訳にして文庫版600ページの大作なのに、義経が平家と戦うシーンはこの一文だけ。いまさら説明するのもたるいし、みんなよくご存じだろうし、そもそも誰も源平合戦とか興味ないよね? てな感じで、ばっさり省略します。大胆。
その他の記述にしても、翻訳者が微妙にいらだちをみせた注釈をつけるほど。
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史実にたいして、原文は、記述に不備が多すぎ、また叙述のしかたも、物語の流れをさえぎっている観がある――訳者
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文庫版p.41
史実から外れまくり、物語の流れをばんばん遮ってまで、いったい何が書かれているのかと申しますと、これが義経や弁慶のキャラ立て面白エピソードなんですよ。
――――
「どうかお旗あげのことは、清盛どのがこの世を去ったのちに、実行にうつしてくださいませんか」
義経は、これをきいて、ああこやつは日本一の卑怯なおろかものだ。おのれ、こやつめを、……とは思ったが、力がおよばないので、その日はそこでくらした。
たよりにならないものには、執着ものこしてはならないと、義経は、その夜、まよなかごろ、陵のやしきに火をかけた。そうして、あますところなく、すっかりやきはらって、じぶんは、かきけすように姿をけした。
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文庫版p.62
いきなり炎上。いきおいで味方殲滅。ヤンキー気質というか、高橋ヒロシ氏の漫画に出てきそうなタイプ。しかし、類はなんとやら、というわけで。
――――
弁慶はこれをみて、さしあたりじぶんは仏法の敵となるだろう。すでにこれほどの罪をおかしたからには、このうえ大衆の多くの坊など助けておいたところで何になろう、とそう思って、ふもとの西坂本へ走りくだると、たいまつをもやして、のきをならべた多くの坊々に、いちいち火をつけてまわった。火は谷から峰へと、焼けひろがっていった。もともと、山をきって崖づくりにたてた坊ばかりだったから、なに一つのこらず焼けうせて、わずかにのこるものは土台石ばかりとなった。
――――
文庫版p.146
「たよりにならない味方は燃やしつくす」というトップ、「すでに大罪を犯したし、せっかくだからすべて燃やしとこう」という家来。この組み合わせはまずいよ。というか、二人とも炎上が好きすぎると思う。
では、他の登場人物はどんな感じかというと。
――――
若党どもが四、五人、猪の目をきざんだまさかり、やき刃の大鎌、なぎなた、大づえ、打棒などを、手に手にもって、たったいま大あらそいをすませてきたといったようすで、さながら主人の四天王のように、あとにしたがってきた。
(中略)
そうして、あたりで犬がほえたり、風がこずえをならしたりしても、
「だれか、あれを斬れ」
といいつける用心ぶかさで、その夜は一睡もしないであかした。義経は、なんという殊勝な男だろうと思った。
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文庫版p.67、71
殊勝なのかー。
世が世ならモヒカン刈りでヒャッハーとかV8!V8!とか叫びながらバイクにまたがって全力疾走して自爆するような連中を率いる明らかにヤバい人。誰あろう彼こそが伊勢三郎義盛なんですが、まあそれはそれとして、明らかに何かキメてる風のヤバい人から、「こいつについていけば大暴れしていっぱい殺せるぜうへへ」と信頼されるところが義経の人望。
しかも、義経のビジュアルはこうです。
――――
色の白さはもとより、おはぐろでそめた歯、ほそくかいたまゆ、そうして被衣をかかげたそのすがたは、さながら、むかしの松浦佐用姫が、夫を見おくって領巾をふったすがたも、こうかと思いあわされるほどであり、ことに寝みだれ髪の、どこかなまめかしいふぜいは、うぐいすの羽風さえいとう、いたいけな、あでやかさである。れいの、唐の玄宗皇帝のころなら楊貴妃に、また漢の武帝のころなら李夫人にくらべたいような、美しいすがたであった。
――――
文庫版p.48
16歳の少年の容姿を、いちいち絶世の美女にたとえるという……。これは、今でいう「美少女化」ですね。
翻訳者も注釈にて、史実では義経の容姿はアレだったことを指摘した上で、「義経を美貌の持ち主とする本書の記述を比べると、本書の志向するところがうかがえる」(文庫版p.623)と書いておられます。翻訳者がいうところの「本書の志向」というのが具体的に何を指しているのかは微妙ですが、個人的な意見としては、これ、いわゆる「二次創作」でしょう。
聴衆にウケた話、世間に流布している伝承、それらをつぎはぎして作り上げたというか、今でいうなら世に出回る「薄い本」を集めて編集した「義経パロ集大成」とか「ベストヒット九郎ちゃん伝説」とか、そんな感じでしょうか。
というわけで、義経の美少女化、史実ぶったぎる面白ネタ、人気キャラのパロディや創作エピソード満載、「史実にこだわらず、語りの力によって源義経たち人気キャラに“今”の魅力を吹き込んで読者を喜ばせる」ことを試みた室町時代の二次創作。平成の言葉を駆使して同じことを試みた『ギケイキ 千年の流転』(町田康)の原典。人気キャラをパロディ化したり勝手なエピソードを創作したりして楽しむのは、今も昔も変わらないわけですね。
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