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『重力波は歌う アインシュタイン最後の宿題に挑んだ科学者たち』(ジャンナ ・レヴィン:著、田沢恭子・松井信彦:翻訳) [読書(サイエンス)]


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 三人が研究に励んだ「闇の中を探しまわる年月」は、三人の誰も想像すらしなかったほど長期に及んだ。三人とも、崇高な――「一点の曇りもない理解」への突破口が開かれる――瞬間を一目見ようと努力を続けた。だが、汚点やその他もろもろが、ウェーバーの件が、どうしても付いて回った。三人はわなにはまっていた。グループ間の競争は彼らを駆り立てる一方だった。三人とも引き返せなかった。この山登りの視界は頂上に向けてしか開けていなかった。(中略)この頂へ向かう途上で、私たちはウェーバーを失い、ロン・ドレーヴァーも失ったに等しい。それでもなお、頂上を目指す者は増えていく。落伍者には目もくれず、ほかの者がその穴を埋めて、山登りは続く。探索が止むことはない。山を登る者たちは歩みを速め、衝突の音をとらえようと突き進んでいく。
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単行本p.104、144


 14億光年かなたで衝突した太陽質量の29倍と36倍のブラックホール。レーザー干渉計重力波観測所「LIGO」は、そのとき放出された時空のさざなみ=重力波を検出したと発表した。奇しくもアインシュタインが重力波の存在を予言してからちょうど100周年だった。
 陽子直径の1万分の1という極微のゆらぎを検知するLIGOの着想から完成に至るまでの困難を生々しく描いたサイエンス本。単行本(早川書房)出版は2016年6月、Kindle版配信は2016年6月です。


 世界を駆け抜けた「重力波の検出に成功」というニュースの背後で、どのようなドラマが展開されていたのかを描いた一冊です。それは想像を絶するような艱難辛苦の道のりでした。例えば、予算獲得とか。


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財団から資金拠出の勧告が出されたことによって、議会の承認を目指す長い闘いが始まった。一部の議員はLIGOを攻撃の標的とした。ヴォートによると、このプロジェクト(そしておそらく科学全般)が資金の無駄遣いだと思っていたからだ。
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単行本p.171


 そして設置場所をめぐる政治闘争。


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この方針転換はひとえに政治的なものだった。共和党政権が、上院の多数党院内総務を務める民主党のミッチェルを困らせてやろうと決めたのだ。メイン州のために尽力したヴォートだったが、議会で味方となってくれたミッチェルを失った。議会はまだ建設費の支出を承認していなかった。議会の基準では、金額自体は大したものではなく、国の予算全体からすればわずかな支出だった。金額よりも測りにくいが大事なのは、政治的な価値だった。
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単行本p.178


 科学者である著者が政治家をどのように思っているかがよく分かります。ようやく政治の話が片づいて建設が始まってからも、トラブルは続きます。何しろ、そこはアメリカ。


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「ヨーロッパ人の目に、アメリカ人はどうかしていると映っていることでしょう。なにしろアメリカらしい事件が起こってますからね。片方の観測所ではピックアップトラックがアームのトンネルに激突し、もう片方では銃弾が撃ち込まれる。これでハンバーガーが絡む事件でも起これば完璧です」
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単行本p.225


 LIGOを破壊しかねない脅威はピックアップトラックや銃弾やハンバーガーだけではありませんでした。獰猛な肉食魚やワニやクモの侵入、森の伐採による大振動、キリスト教原理主義者による反対運動、ありとあらゆる妨害がLIGOを、そこで働く人々を、そして内部の極限真空状態を、脅かしたのです。

 しかし、最大の困難さは人間関係にありました。LIGOに関わった人々がお互いについて語っている言葉を並べてみるだけで、このプロジェクトの成功には奇跡が必要だったということがしみじみと分かります。


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「私は役職に就くと必ず、自分の上の役職者がバカだと感じ、最も重要な任務を負っているのは自分だと思わずにはいられませんでした。出世のはしごを上がっていっても、いつも私の上にはバカがいました」
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単行本p.182


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「ロビーほど洞察力と創造力に富んだ者はいなかった。彼ほど問題解決に秀でた者もいなかった。そして、彼ほど問題を起こすことに長けた者もいなかった」
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単行本p.170


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「人に対して理不尽な憎悪を抱きかねない男で、しかも自分の軽侮の対象がまさに軽侮に値するとほかの人たちに信じ込ませるのがとてもうまいのです。私は過去の経験からそれを知っていました」
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単行本p.205


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「彼は基本的に私のアイデアには何でも反対でした。この話に無理やり割り込んできて別なやり方を試して実行したがっているような感じで……もう一つ不愉快だったのは、合同ミーティングの場で、物事を進めるための派手な計画やら何やらを日程とかも含めてぶちまけるので、私は、なんと言うか、彼が仕切ろうとしているように感じました。ですが、機能していた技術は私たちが開発したものでした。そして、そのもとがどれも私のアイデアだったことが特に気に入りませんでした」
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単行本p.115


 激しい嫉妬、競争意識、敵意、憎悪、極限のプレッシャー。絶え間ない諍いは、ついに衝突に発展し、主要研究者の一人が「追放」されるに至ります。


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「誰もこの話を蒸し返したがりません。残念ながら、それが今では公式な記録に残されています。しかし、あなたの本にまで書かなくてもよいのではないでしょうか」
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単行本p.215


 関係者の肉声があまりにも生々しく、読んでいて衝撃を受けます。「あなたの本にまで書かなくてもよいのではないでしょうか」と言われながら平気で書いてしまう著者も大したもの。「科学者たちを理想化することなく、欠点も含めて人間として描いている」と評されるサイエンス本は多いのですが、ここまでえげつなく赤裸々に内幕を暴露したものは少ないだろうと。

 しかし、あらゆる困難を乗り越えて、レーザー干渉計重力波観測所「LIGO」はついに完成します。


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 こうしたごく初期から出発して、各グループが長年にわたって労力を注ぎ込むうちに、干渉計は複雑さを増していった。私は今回ラボを訪れるまで、どこぞの干渉計の簡素な図面しか見たことがなかった。だが、実物と図面は、本物の人体と人形の絵文字くらい違う。実物は長年にわたる研究、飛躍的な進歩、試行錯誤、大量の地道な作業の末に、現実の物体として姿を現したものだ。
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単行本p.99


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「アイデアを出すことと実際に手を付けることは大違いですから。別物なんです。若い人たちがアイデアを思い付き、どこかで発表して、自分のものにしたあと、その実現のために自分では指一本動かさないのを目にすると本当に腹立たしくなります。彼らは苦労して最後まで見届けたわけではありません。称えられるべきは、そして発表すべきは、そのアイデアを実現した人たちですよ」
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単行本p.97


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 改良型LIGOが設置され、較正され、運用が始まるのを誰もが待ち望んでいた。その目標期限を懐古と感傷と切りのいい10の倍数が際立たせる。アインシュタインが重力波に関する論文を発表して100周年となる2016年のことだ。
 ワイスはこう語った。「2016年までに検出を達成するには働き続けなければなりません。これはとりわけ重要なことだと思います。そういう年になってほしいですからね。そんな100周年を迎えたい。呪文のように唱えています。アインシュタインの論文100周年までに検出しなければ、とね」
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単行本p.235


 本文はこうして終るのですが、エピローグで最新情報が語られます。何と観測をはじめた途端に重力波が飛び込んできたのです。これまでの不遇を埋め合わせるような幸運、と言いたいところですが、おそらく私たちの宇宙は巨大ブラックホール同士の衝突といった重力波源に満ちあふれているのでしょう。


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 数十億年前、二つの大きな恒星が互いのまわりを回りながら存在していた。まわりに惑星があっかもしれないが、この連星系は惑星を宿すには不安定すぎていたかもしれないし、組成が単純すぎていたかもしれない。やがて片方が死に、次いでもう片方が死んで、ブラックホールが二つできた。そして漆黒の中、おそらく10億年単位の時間、互いのまわりを回っているうち、最後の200ミリ秒で衝突・合体し、その二つに出せる最大の重力波を宇宙空間に放った。
 その音は14億光年のかなたからこちらへやってきた。14億光年のかなたからだ。
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単行本p.264


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 この衝突が私たちに送ってきたのは、人類がこれまで検出してきたなかでビッグバン以来最も高エネルギーの単独事象であり、重力波としてのそのエネルギーは太陽の明るさの1000億倍の1兆倍分もあった。検出器は、太陽質量の29倍のブラックホールと36倍のブラックホールからなるペアによる最後の4周回を捉えていた。わずか数百キロしか離れていなかったこの二つは、光速にかなり近い速さで互いのまわりを回っていた。相手に向かって互いに落ち込んでいくとき、二つがあまりに近づいたことから、事象の地平線が歪んで衝突・合体し、でこぼこが均され、リングダウンを経て、太陽質量の60倍を超えるおとなしいブラックホールになった。この最後の数周回から、衝突・リングダウンまでという、記録された信号の持続時間は200ミリ秒だった。干渉計が検出したのは長さ4キロのアームに生じた、陽子の幅の約1万分の1という変化で、これはソーンらが何十年も前に理論化したまさにその範囲内のずれだ。
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単行本p.261


 「0.2秒」の間に二つのブラックホールが相互周回・衝突・合体し、「太陽の明るさの1000億倍の1兆倍分」のエネルギーが重力波となって放出され、それが「14億年」かけて地球に到達したまさにそのとき、稼働してわずか「2日目」の改良型LIGOがそれを「陽子の幅の約1万分の1という距離の変化」として検出した……。極大から極微まで、数字の極端さに目がくらみます。人類がこれをやってのけた、ということに感動を覚えます。



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