『枕元の本棚』(津村記久子) [読書(随筆)]
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小学生の時、図鑑好きが高じて図鑑を作ろうとしたことがある。現実にあるものについてではなくて、自分自身で考え出した動物や植物についての図鑑である。(中略)今も、小説を書くことの最終的な目的の一つとして、図鑑を書きたいとは思っている。
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単行本p.149
図鑑好き、豆知識好き、検索依存。雑多な情報の収集に喜びを見出す作家が自身の愛読書について語る読書ガイド。単行本(実業之日本社)出版は2016年7月です。
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当時、世界のヒエラルキーは、すべてチョウによって決まっていた。美しいチョウがたくさんいるニューギニアと南アメリカに比べて、チョウの種類が少なくて比較的地味な日本やヒマラヤや北アメリカやヨーロッパはどうでもいい場所だった。
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単行本p.92
世の中には図鑑好きの子供がいて、そういう子はひたすら図鑑をながめて暮らし、大人になってからも豆知識を集めることに熱中するらしい。作家の津村記久子さんは、まさにそういう人のようです。そんな人が「究極の図鑑」を手に入れると、こんなことに。
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インターネットが手元にやってきてからというものの、もう際限なく調べ物をしてしまうのだ。(中略)疲れていたり物事がうまく行かなくて理性が減少している時は、何を知りたいのかが仕分けられなくなってきて、なんでもかんでも検索してしまう。目が辛いし、心に引っかかる不快なこともある。ときどきは掘り出し物の記述を探り当てるものの、それが脊髄反射的検索の産物であったことはあまりないので、それはやめたいと思っている。視力の無駄遣いである。情報なしに機嫌よくやっている、自転車に乗っている時や風呂に入っている時のわたしはなんなのだろうか? と怒りすら覚える。
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単行本p.238、239
怒りがそっちに向かうのかー。
本書はそんな津村記久子さんが自身の愛読書について紹介してくれる読書ガイドです。様々な分野の本が紹介されていますが、やはり図鑑が数多く取り上げられています。雑多な知識を集めることの喜びと興奮が熱く語られ、多少なりとも似たような性向を持つ読者なら大きく頷くことでしょう。
個人的には、自分自身について率直に語っている箇所が印象深く。
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書けば書くほどわからなくなっていく。それが、自分が文章を書く仕事をしてきた上での実感である。昔の文章などを読み返す機会があると、ちょっともう今よりぜんぜんましだったりして、いつからこんなに下手になったのかと愕然とするし、「好きだから書くの!」というようなモチベーションも、ほとんど燃え尽きている。あるのはただ、これが自分の職能なので、あまりにもあまりなところにまで落ち込まないように監視して、「このぐらいならなんとか」というレベルを保持するという義務感である。
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単行本p.137
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人を見れば自分を嫌っていると思うし、人間関係への負の志向は、仕事や生活にも越境してきて、エレベーターに乗るたびに挟まれる自分を想像するし、交差点を渡る時には、必ず車が突っ込んできて吹っ飛ばされることを考えている。職場では間違いなく嫌われているし、文章の仕事をもらえるのも、技術を持っているからではなく、気が小さそうなので締め切りを守るだろうと思われているからのはずだ。
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単行本p.173
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常に、何らかの病気のリスクを自分自身の体や生活に見いだしては怯えている。肉食気味の生活は大腸がんに、魚を食べずDHA不足であることからアルツハイマーに、頭の右側だけが痛む時があるので脳梗塞に、生活が夜型であることから乳がんに、祖父母が患い、自分も炭水化物が本当に好きなことから糖尿病に、それぞれ順番に患うと思ってきた。
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単行本p.177
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文章を書くために、夜中の二時に起き出して、風呂に至るまで、自分の通る場所の電気を少しずつ付けていきながら、ともかく鈍く安心する。暗いことがあまり好きではない、というのもあるのだが、こんな時間でも起きて動いていていい、と思える。ときどき、風呂に浸かりながら、自分は一日いくらまでならこの電気の使用に払えるのだろう、と考える。
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単行本p.182
ああ、二度寝シリーズや『くよくよマネジメント』を書いた人だなあ。
ネガティブ思考と心配性がほとんど趣味のようになってきて、思わず笑ってしまう記述もあります。
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ヒグマが怖くて、クマ情報を漁りまくっていた時期がある。本書で取り上げられているように、死んだふり、目鼻にパンチ、鈴によるクマ除けはもちろん、「人間を襲って味を占めたクマに鈴の音は逆効果」という情報までも吸収し、ならどうしたらクマに遭遇した時に確実に逃亡できるのか、としばし絶望的な気分で暮らしたりしていた。
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単行本p.56
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ペップ・グアルディオラに関する記事は、目に留まったら必ず読むようにしている。理由は、自分の好きな選手が、グアルディオラとハゲ方が同じなので参考にしたいのと、グアルディオラの、ときどき訝しいまでのネガティブな発言に、非常な興味を覚えるからである。
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単行本p.244
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今までも大概、ヤギとかインコとかミツバチとかヒヒのほうが人間よりえらい、と思い続けてきたけれども、ますますその思いが強くなる。(中略)わたしは、常にどう生きたら良いかを模索していて、ロールモデルを探し出したいと思っている。できれば、人間であることが望ましいのだけれども、実はインコでもハチでもよい。
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単行本p.88、94
しかし、他人様みな我より偉し自虐趣味、というわけではなく、自分にとって大切な個性であるネガティブ思考に他人が干渉してくることには強く反発します。誇り高い人なのです。津村さんの小説の主人公がいつもそうであるように。
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日々を大切に生きなさい、という言葉は、本当に聞き慣れた凡庸な物言いである。そんなこと言ったって、わたしもみんなもくそ忙しくてそんな暇はないんだよ、雑に生きながら、明日に自分の体を届けるっていうだけでもう死に物狂いなんだよ、セールストークだか優越感のためだか知らないけど、軽々しくそんなことを言って追いつめないでくれ。(中略)きれいごとにかこつけて、物やサービスを売りつけようとしてくる人、「大切に生きていない人」を諭すことによって何かを奪い取ろうとする人、日々を楽しむ「余裕」の裏には、有象無象の思惑が渦巻いている。
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単行本p.117
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メディアにおいて商品やサービスを売ろうとする人々は、そのために嘘をつき、不安をあおったり人をおだてたりする。本音を話しているという態のえらい人たちは、その実、地位にあぐらをかいて、誰の目にも明らかな誰かの弱点をあげつらいながら自分の居場所に糊を塗っているだけだ。
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単行本p.175
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積極的にこちらの欠点を指摘してくるような人は、人に欠点を指摘している場合ではないぐらいの人格的な問題を抱えていることがほとんどだったりするから、関わらない方がよいということになる。(中略)問題は、利害関係のない人が、彼ないし彼女自身の自尊心やその他複雑な感情のために、他人に「あなたのためを思って」などという枕詞つきで発する、直截に手厳しい批判であったり、やんわりとはしているけれども、皮膚組織に染みこんで拭えなくなるようなねっとりした助言である。そんなことを言ったって、その人にお金が入ったりするわけではないので、言葉は一見、善意の元に発されたアドバイスのように見える。でも本当は、金銭が絡まない分、よけいにたちの悪い脅迫であったりする。そうやって他人を操作し、感情的な報酬を得ようとする人間は、幼稚園の砂場から、老人ホームの談話室まで、人生のいたるところに出現する。
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単行本p.175、
「明日に自分の体を届けるっていうだけでももう死に物狂いなんだよ」とか「積極的にこちらの欠点を指摘してくるような人は、人に欠点を指摘している場合ではないぐらいの人格的な問題を抱えている」など、読者を救ってくれる名言の数々。
というわけで、ネガティブ思考、心配性、情報収集癖、という自覚のある方なら誰もが気に入る一冊です。『くよくよマネジメント』に強い共感を覚えた方にもお勧めします。ただし、上で引用したような箇所はむしろ余談の類。ほとんどの記述は様々な本の紹介です。読書ガイドして活用するのが本書の正しい使い方でしょう。
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