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『雨をよぶ灯台』(マーサ・ナカムラ) [読書(小説・詩)]

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白いボーイングが一機、暗い鉄塔の上を通り過ぎていく
その後を、鉄塔を軽々とまたぐ、巨大な白い看護婦が追いかけていく
「薬師如来様だ!」
酔っ払いの男の叫び声がする
鉄塔のサイレンが鳴り出した
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「赤い洋灯の点く歌合わせ」より


 民話のような怪談のような奇妙な話の断片。どうやったのか想像できない秘密めいた構成。話題作『狸の匣』の著者による最新詩集。単行本(思潮社)出版は2020年1月、新装版が2020年6月に出版されています。


 まず、いま自分が何を読んでいるのかわからなくなる瞬間が次々にやってくる『狸の匣』はすごかった。ちなみに紹介はこちら。


2017年12月18日の日記
『狸の匣』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2017-12-18


 本作でも、いっけん物語の形をとっているように思える詩が多く、ついついこれは怪談だなとか、そう思って読み進めてしまうわけです。


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 変な話をしたい。
 保育園の頃、私にはお父さんが二人いた。それは母が、二人の男の妻をかけもちしていた、という意味ではない。「ほんもののおとうさん」とは別に、「ほんもののおとうさん」そっくりの、「にせもののおとうさん」が家を出入りしていたのである。
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「おとうさん」より


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スナック『真紀』の飾り窓が、
荒く息をするように光っては消える。
光だと思ったものは、真っ白な男の顔だった。
真紀という名前の男が、このスナックで死ぬまで働いて、以来店は閉まっているものの、前を人が通るたびに白い顔が貼りつくのである。
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「篠の目原を行く」より


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商店街の大門を抜けた
休日の空はすでに昏くなってしまった
居酒屋の灯りは店先まで流れ出ている
チンドン屋が居酒屋の中に入っていくのが見えた
客たちの笑い声は一層昂ぶっている

実はあの居酒屋はだいぶ前に閉まったんだよ、見に行ってごらん
隣を歩いている男が言う。2人で居酒屋の前まで行くと
朱い電灯の明かりは消え
埃を厚く被ったシャッターが眼前にかかっていた
チンドン屋も消えた
駄菓子屋にも汚れたシャッターがかかっていた
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「御祝儀」より


 ところが物語を信頼して読み進めるうちに、どうも様子がおかしくなってゆき、困惑することになります。


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祖母は幼い頃
家の厠の白い電灯に
亡くなった叔父の笑顔が
点いているのを見たという

(実家は我々の異界である)

私は机に挟まった金魚を
つまんで外に出してやった
金魚は縄を跳ぶように 跳ねて
神棚へと走り去った
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「家の格子」より


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桂の木が隣の赤いポストを吸って、ポストが枯れてしまった
月の盤面が桂の葉に巻かれている
実家には過去の自分がいて、
帰ると父の後ろから飛び出してきて
私を殺そうとするので家に帰れなくなった
近くに老人介護施設がある
暗くなった部屋で眠る老婆の記憶が届く
髪を結った女が、しだれた枝に手紙を結んでいる
近づいても、女との距離は一向に縮まらない
ホログラムのように、小さく遠くに浮かんでいる
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「付け文」より全文引用


 それでも物語を読んでいるという感触だけはしっかりしているので、読んでいる間は納得してしまう。でも目が覚めたあとに思い出してみると、わけがわからない。そういう体験を繰り返すことになる不思議な詩集です。これはいったいどういう仕掛けなのか。


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仏が頭まで水に浸かり、映像が雨水に融け出してゆく。
母の布団に針を撒いた
新しい男の顔が描かれた敷物の上で生活をした
病院の窓硝子に心臓が映った
僧侶がタモで映像をすくい上げている。わたしの足下まで仏も広がってしまって、果たしてすくえるのだろうか。
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「鯉は船に乗って進む」より


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私はあの島まで歩いて行って、
這う百足に手を合わせ
祖母から小遣いをもらう
風呂に浸かりながら、
山から落ちた男が
大仏の手の上で目覚めた話など聞かせてもらう
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「篠の目原を行く」より


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 滑走する包丁も、向きさえ合わなければ平気だったが、その間も蝉はせわしなく「緑青緑青緑青緑青」と啼いて、私は本当に不安になってしまった。手を見ると、爪の生えた指は合わせると全部で十本あり、一つずつ確実に指を折れば講義終了だった。
 不均衡の排水溝が刻まれた爪先から、心はもう、部室にあった。
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「出せ」より





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『引きこもりてコロナ書く #StayHomeButNotSilent』(笙野頼子)(「群像」2020年10月号掲載) [読書(小説・詩)]

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 私の言いたいこと? 疫病を軸にして見ないと何も見えないほどこの国は土俗に支配されている。無論世の中には良い土俗も沢山あって私なんかは土俗がなかったらもう死んでいるとまでも思っているけれど、しかし連中のやっている黒土俗は絶対に認めない。だいたい本人たちに土俗も何も何の意識もないのだから。そもそも今、セーフのやっている事それはただの殺神道コロしんとう、黒魔術、死ね死ね団である。
(中略)
 我が国のセーフは古代以下なのだ。最近は特に、古代の来歴とかさえ知らないでやっている。こうしてただ単に苦しむ国びとを出来るだけ無残な方法で苛め殺せば、自分の繁栄は保証されると、悪魔契約などせずに悪魔忖度でやってしまう。
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「群像」2020年10月号p.73、92


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第134回。


 疫病から見えてくるこの国の実態に文学的仮構をもって切り込む。「群像」2020年10月号に掲載された、生き延びるための呪い返し。掲載誌出版は2020年9月です。


「ふん絶望なんかしないよ何でも書いてやる。そして? 生き延びるのだ」
(「群像」2020年10月号p.74)


 なぜ政権は平気で人々を見殺しにし、社会基盤を切り崩し、自分たちのお仲間の利権のためなら国が滅んでもいいという態度を隠そうともしないのか。信じがたいほど怠惰なのか、愚鈍なのか、無慈悲なのか、邪悪なのか。いや、それは古代から続く、というか古代よりも劣化した呪術を何も考えず「勤勉に」実行しているだけなのだ。


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 ひとことでいうとそれは、ケガレ、ハライ、ミソギによる呪術である。最近はリセットなどと表現する悪魔もいる。とはいえ、一般的になら、これ、ケガレの悪用さえしなければ普通のおまじない。ていうか、権力の手に渡った時に怖いだけのもの。なのに……。
(中略)
 このケガレをハライとセットにして強者から弱者に向かって使うようになった瞬間、小さい御祓いは恐怖の権力芸に化けてくるのである。それは強者から弱者への、……。
 罪のなすり付け、不幸の原因よばわり、存在自体を悪者扱いする差別、貧乏や苦しみを押しつけた上での、自己責任化。むろんそうしておいて追放、時には処刑するのである。要するに……、弱い善人に何かひどい事の「責任」を取らせるのだ。
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「群像」2020年10月号p86


 とにかく自分より弱い立場の相手にケガレを押しつけてつぶし、なかったことにする。声をあげる人を叩く。それは政権だけでなく日本中に蔓延している呪い、黒土俗、邪法。


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 土俗の中には古代の民を苦しめるために当時の権力が使っていたものがある。それを退化した今の時代のセーフが、鈍感で冷たい「市民」に叩き込んで、誰かを殺して富を生む、そういう経済システム(というかただの悪魔信仰)に仕立て上げたのだ。というか第二次大戦の頃とかも結局そんなもので、新世紀に来てさらに「なんでもあり」になって、……でも思えばそんなに飛躍した結論ではなかったのだった。(中略)そもそも二十年近くも前から書いている事なのだ。ところがそれが二〇二〇年とうとう時代そのものと一致、リアル私小説になってしまった。
 結果、「古代日本の邪悪な権力土俗」のはずが今まさに現代が邪悪な古代となってしまっている。
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「群像」2020年10月号p.99


 ところで、その昔、日本人撲滅の呪詛をかけていた死ね死ね団って結局勝ったんじゃないの?


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 今までにその事はさんざん書いた。つまり感情を動かしている人々を見たときに、見なかったことにしてなかったことにする、薄ら笑いして横を向いている(そういう彼は昔の私を古臭いルサンチマンだけのヒステリーのフェミニズムだと言った)それは少しも科学的でも開明的でもない態度だと思う。むしろそれこそがこの国の一番無知蒙昧で鈍感で低劣な死ね死ね団殺神道、令和まで続くハヤト殺しの「国家神道」そのものなのだ。
(中略)
 要するに徹底して何にも対処しない。不幸も犯罪もなかった事にする、その被害者までも沈黙させる。もしそれでも被害者が負けなければ、いないことにする。ついに被害者が死ねば死者に自分達の罪を被せ、黒歴史の責任をすべて押しつける。
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「群像」2020年10月号p.100


 そういう世の中で、疫病感染が致命的になりかねない難病を抱えた作家は、マスク確保など生き延びるために手を尽くす。だが貯金はどんどん減ってゆく。難病、貧困、猫を抱えて引きこもるしかない作家。こんなとき、国に、政治に、なにを期待すべきなのか。


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 ではそのような「今の政権に期待するものは」? 無論、私にはある。それは一択である。さあ、……。
 閉店しろ。今の内閣には真先に閉店して貰いたい。何がセーフかお前らこそがもっともアウトでデンジャラスだ。なのでコロナを消すまでにまずお前らが消えろ。
 この土俗を奪って科学や神道のふりだけしてきたネオリベ悪魔教、グローバル死ね死ね団め! だってお前らが辞めなかったら私が死ぬんだよ。(中略)医療費がなくなる前にお前らをやっつけて生き延びないと駄目だ。
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「群像」2020年10月号p.77


 もうこうなったら呪術には呪術、というか祈りと文学で対抗するしかない。


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 今、セーフが逮捕されるように呪いをかけている。というかあの変なマスク等に込められていた(後述)呪いを叩き返すために家の荒神様に祈っている。生きるための頑張りで味噌汁にも凝っている
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「群像」2020年10月号p.77


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 結局私はここ七年ほどもずっとセーフを批判してきた。
 ていうか何よりも身の回りを書いていた。そこから全てが未来までも見えると今も、信じているからだ。
(中略)
 だって生霊返しの根本はまず、それが誰からの呪いなのかというか呪われているという事実を自覚する事だから。本来、儀式なしでもそれだけでも返しは出来てしまう。権力に怒る、それは観音経さえもお許しになる事だ!
 返すぞ、返してやる! マスク早く来い!
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「群像」2020年10月号p.78、125


 身の回りの「瑣末な」ことをひたすら書くことで古代と現代をつなぎ、見えなくされたものを見せる。邪悪な呪術の正体を見破る。それが文学の力。そう、「読者は私の本がないと生きていけない」(「群像」2020年10月号p.121)


 ちなみに、その後の展開については以下をお読みください。

笙野頼子資料室 お礼とお知らせ近況報告 2020年9月7日付け追記
https://restless.adrgm.com/text/kinkyo202008.html#PS





タグ:笙野頼子
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超常同人誌「UFO手帖4.0」掲載作品 シリーズ 超常読本へのいざない 第5回 『伝染するパラノイア 夜更けの円盤私小説』を公開 [その他]

 馬場秀和アーカイブに、超常同人誌「UFO手帖4.0」(2019年11月刊行)に掲載された作品を追加しました。


シリーズ 超常読本へのいざない 第5回
『伝染するパラノイア 夜更けの円盤私小説』
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~babahide/bbarchive/SpBookInvitation05.html


 ちなみに「UFO手帖4.0」の紹介はこちら。


2019年11月14日の日記
『UFO手帖4.0』(Spファイル友の会)
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2019-11-14



 なお次号「UFO手帖5.0」は、2020年11月22日に開催される第31回文学フリマ東京にて頒布予定です。



タグ:同人誌
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『内なる町から来た話』(ショーン・タン、岸本佐知子:翻訳) [読書(小説・詩)]

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 緻密な油絵のタッチで描かれるのは、都会の風景の中に置かれた動物たちの、シュールな光景だ。ビルの高層階に住むワニ、都会の夜空に浮かぶシャチ、弁護士とともに裁判所の階段を上がるクマ、空港のロビーで獲物をついばむワシ……。見つめているうちに、いろいろな思いがわいてくる。彼らはなぜここにいるんだろう? 何を考えているんだろうか? もしや人間界への侵略? だが、やがて気づかされる。唐突に自然界に現れたのは人間のほうじゃないのか。後からやって来てこの星の景色を塗りかえ、王のように君臨している人間たちは、彼らの目にどう映っているんだろう。そう、彼ら物言わぬ動物たちは、まさに人間の姿を映す鏡なのだ。
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「訳者あとがき」より


 高層ビルの87階に住んでいるワニたち。アパートの部屋で沈みつつあるブタ。重役室に並ぶカエル。空港のロビーで獲物をしとめるワシ。そしてカバーイラストにもなっている都市の夜空を泳ぐムーンフィッシュ。日常に闖入した動物たちの物語を、美しい絵と鋭い文章で語る絵本。単行本(河出書房新社)出版は2020年8月です。


 同じ著者による『遠い町から来た話』の姉妹編というべき絵本です。


2011年10月17日の日記
『遠い町から来た話』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2011-10-17


 すべての物語は特定の動物が主役となっており、それが私たちの日常にごく当たり前のように存在する様子を語ります。


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 なぜわたしたちはあんなに争ったのだろう。なぜあんなに残忍で、冷淡で、利己的で、孤立していて、この高い崖の上で、あんなにも孤独だったのだろう。(中略)サメ、クマ、ワニ、フクロウ、ブタ、肺魚、ムーンフィッシュ、オウム、ハト、蝶、ハチ、トラ、犬、カエル、カタツムリ、猫、ヒツジ、馬、ヤク、シャチ、ワシ、カバ、サイ、キツネ……彼らに美しい名前を与えたことが、せめてものなぐさめだ。
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 個人的に気に入った話は、沈みゆくブタの話、夜空からムーンフィッシュを釣った話、大人には見えないフクロウが現れる病院の話、天才少年がカバの夢をみる話、クマが人類を訴える話、そして肺魚が私たちには見えない超文明を築き上げる話など。


 もちろん絵が素晴らしいのですが、冒頭の一文を読むだけで続きが気になって仕方なくなる作品も多く、小説のテクニックにも感心させられます。


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ワニが八十七階に住んでいる。しかも、すこぶる快適に。
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蝶はランチタイムにやって来た。
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アパートの、ぼくらの家のいちばん奥の部屋にブタが一匹いて、沈みかけている。
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ある昼下がり、重役たちが全員カエルに変わった。
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クマが弁護士をつけた。
じつにシンプル、かつ恐ろしい。
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『黄色い夜』(宮内悠介) [読書(小説・詩)]

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「ひどい国だな」
「ああ。でも、じきにそうじゃなくなる」
 兵士の背を目で追いながら応じると、一瞬、ピアッサが怪訝そうな顔をした。
「なぜ?」
「ぼくがE国を乗っ取るからさ」
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単行本p.13


 カジノで成立している砂漠の国。そこに建つ塔の最上階では掛け金の上限がなく、勝てば国を乗っ取ることも出来るという。その最上階を目指す日本人、ルイの目論見とはなにか。単行本(集英社)出版は2020年7月です。


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 いまも昔も、E国の産業はカジノ一本。
 石油は出ず、ろくに作物も育たない。E国のカジノは、そんな土地に建った巨大な螺旋状の塔だ。塔にはカジノのためにホテルがあり、銀行があり、商店があり、その他あらゆる営みが集約されている。塔は常に建設途中で、いまも上へ上へと伸びているという。(中略)階が上がるにつれて、賭けの金額は上がっていく。刺激に飢えたヨーロッパのハイローラーたちは、六十階のヘリポートに直接乗りこんでくる。そのさらに上、最上階では掛け金の上限がないという。仮に世界ランクの富豪が最上階に乗りこみ、全財産をルーレットの赤に賭け、それで赤が出たとする。そうすれば、この国はもう彼のもの。これがE国の原則だ。
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単行本p.10、21


 塔の姿をしたカジノに乗りこんできた一人の若者が、真剣勝負を通じて仲間を一人また一人と増やしてゆき、彼らの協力を得てついに最上階に到達する。死闘の果て、塔の頂点で待ち受けている最後の勝負の行方やいかに……。というといかにもギャンブル漫画にありそうな設定とプロットに思えますし、実際その期待は裏切られません。舞台となるカジノがいかにもバベルの塔なのでラストも予想できてしまうし、そっちの期待もちゃんとかなえてくれる親切設計。

 しかし、『あとは野となれ大和撫子』や『遠い他国でひょんと死ぬるや』といった政治や戦争をめぐるシリアスな物語を独特のゆるさで一気に読ませてしまう作品を書いた作者のことですから、本作も一筋縄ではゆきません。スリルあふれるギャンブル勝負の背後で、国や文化という誰もが抱える普遍的な狂気とその共存をめぐる物語が流れてゆきます。個人的には『エクソダス症候群』との関係が気になりました。





タグ:宮内悠介
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