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『誤作動する脳』(樋口直美) [読書(随筆)]

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 ある日の午前十時ごろ、スーパーの屋外駐車場をゆるゆると徐行していたとき、バックミラーに垂れ下がる、とても大きなクモを突然見つけました。足の短いタランチュラのような、丸々した不格好な黒いクモで、みかんほどの大きさがありました。(中略)すぐに車を停め、顔を寄せてじっと見つめると、太く硬そうな毛の一本一本と、いくつも並ぶ複眼の目がくっきりと見えました。グロテスクな細部にぎょっとした途端、クモはストンと下に落ちました。(中略)
 あれだけはっきり見えたものが実在しないとは、どうしても信じられません。幻視ではなかったことを証明するために、私は躍起になってクモを探し続けました。
「たしかにいた。きっといる!」
 本当はいなかったのだと自分を納得させる方法が、私には見つけられなかったのです。
 いないクモを探しながら、シートに涙が落ちました。
――私の頭は、どうなってしまったんだろう。
――この脳は、この世界は、これからどうなってしまうんだろう。
 それは幻視にいちばんおびえていた時期でした。幻視が怖かったのではありません。私は、私が恐ろしかったのです。
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単行本p.62、63


 脳内の情報処理が誤作動したとき、世界はどのように感じられるのか。現実と区別のつかないリアルな幻視や幻聴、時間と空間の喪失、症状と付き合ってゆくための様々な工夫、そして医師を含む世間の誤解や無理解。レビー小体型認知症を患った著者がその体験を当事者として語った衝撃と感動の一冊。単行本(医学書院)出版は2020年3月です。


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 その日も私は、いつものように一人で居間にいました。家族は仕事や学校に出掛けています。突然、隣室からガサガサという物音。驚いて扉を見つめると、中からは、せわしなく引き出しを開けたり、物を動かし続ける音が……。
――誰かいる! 何か探してる!
 しかし、泥棒であれば、隣の部屋にいる私の存在を知らないはずはありません。窓をこじ開けて侵入した物音もありませんでした。あんなに大きな物音を立て続けているのも変です。もしかして……。
 おそるおそる少しだけ開いた扉から見る部屋には、人影も物色された跡もなく、物音はすでに消えていました。これは診断されたころに何度か経験した幻聴です。
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単行本p.44


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 私の知る同病の方は“人”が見えはじめたとき、「霊が見えるようになったと思って、お祓いに行った」と言いました。お祓いの話は、その後も何人もの介護家族から聞きました。私と同じように面識のない他人の姿だけが見える方もいれば、亡くなった家族が見える方もいました。
「なぜおばあちゃんが居間にいるんだろう。おばあちゃんは亡くなったのに……。本当に不思議だった」と語った方がいました。その不思議さが、私にはよくわかります。「百聞は一見にしかず」というように、私たちは自分が見ているものこそが、確かな現実だと受け止めます。それが実在しないと考えることは、とても難しいのです。
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単行本p.61




目次
「1 ある日突然、世界は変わった」
「2 幻視は幻視と気づけない」
「3 時間と空間にさまよう」
「4 記憶という名のブラックボックス」
「5 あの手この手でどうにかなる」
「6 「うつ病」治療を生き延びる」




「1 ある日突然、世界は変わった」
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 自分では数あるヘンな出来事の一つとして受け流していたことが、一般的には深刻な症状だったと偶然知ったことがあります。音源の方向や時間がずれる現象です。
 目の前のスマホの着信音が背中のほうから聞こえてくる。観ているテレビの音が右隣の台所から聞こえてくる。テレビでしゃべっている人の口の動きと声がズレている……ということが以前からありました。しかし「不思議なこと」にはもう慣れっこです。脳が音の情報処理を誤るとこんなことも起こるんだなと思っただけで、気にも留めませんでした。
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単行本p.32


 感覚異常、幻視、幻聴。レビー小体型認知症による脳の誤作動が引き起こす症状を、主観体験として生々しくレポートします。


「2 幻視は幻視と気づけない」
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「この世界の何が本物で何が幻なのか、私にはもう区別がつかないんだ。私は、私を信じることも、私が目にする世界を信じることも、もうできないんだ」と思いました。進行の早い病気だとどこにも書いてありましたから(現在はそれを否定する医療者が増えています)、幻視はこれから日々増殖して、私の世界を徐々に塗りつぶし、その混乱のなかで一人で生きていくことになるのだと信じていました。
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単行本p.66


 自分を信じることも、目にする世界を信じることも、もう出来ないんだ……。世界が崩れてゆくような感覚、世間の無理解や嘲笑的な態度。レビー小体型認知症の患者が感じる絶望、そして希望と喜びの光が差し込むまでの経緯を詳しく語ります。


「3 時間と空間にさまよう」
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 私には、時間の遠近感、距離感がありません。来週も来月も半年後も、感覚的には、遠さの違いを感じません。過去も同じです。もちろん言葉の意味は理解できますが、感覚が伴わないのです。今からどのくらいの時間が経てば来週になるのか、来月が来るのか、見当がつきません。(中略)
 時間という一本の長いロープがあり、ロープには隙間なく思い出の写真がぶら下がっています。ロープをたぐり寄せると、写真は次々と手元に現れます。ロープには時間の目盛りがあり、人はその目盛りから一瞬でロープをたぐり(遠くなるほど曖昧になるとはいえ)必要な記憶を引っ張り出すことができます。
 私には、そのロープがありません。
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単行本p.101、102


 過去や未来を把握する能力が失われ、周囲の時空がひずんで見知らぬ街に放り出されたように混乱する。時間と空間をとらえる力が弱まったとき、世界がどのように感じされるのかを説明します。


「4 記憶という名のブラックボックス」
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 人間は、ダメだと思った途端にダメになるのかもしれません。間もなく毎日使っていた内線番号が突然思い出せなくなり、忘れるはずのない単純な仕事の手順が突然わからなくなり、同僚を呼ぼうとしたら名前が出てきませんでした。
 いつも何でも忘れたり、覚えられないわけではありません。ただそんな瞬間が、前触れなく突然やって来るのです。でもそれは規則正しく忘れることよりも恐ろしいと、そのとき感じました。どんなミスするかわからない自分に耐えられなくなり、脳の結果が出る日を待たずに仕事を辞めました。体調不良も限界まで来ていました。
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単行本p.141


 忘れるはずのない簡単なことを忘れてしまう。記憶が引き出せなくなる。そのとき、どのように対処すればいいのか。記憶という支えを失った生活について教えてくれます。


「5 あの手この手でどうにかなる」
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 魚を手に取ろうとすると目玉がギョロリと動く、肉の入ったプラスチックトレー1パックがスーッと横に移動していく、火事かと思う煙の塊がある……。店内でひどい悪臭がする幻臭も何度かありました。(中略)
 そんなときは、視点を変えて解決策を探る力も失っているので、「店員さんに聞く」という簡単な手段も思い浮かばず、倒れそうになりながら、ひたすら歩き続けるのです。行方不明になった認知症高齢者が信じられないほど遠くまで歩いたと聞くたびに、あのときの私と同じだったのではないかと想像し、胸がつまります。
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単行本p.193


 症状と付き合いながら生活を続けてゆくにはどうするか。患者にとってもっとも困難な家事のひとつである料理を取り上げ、どのような工夫によりその困難を乗り越えていったのかを紹介します。


「6 「うつ病」治療を生き延びる」
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 今でも、なぜあんなことになってしまったんだろうと思います。もし私に薬の知識が少しでもあれば、もし私に医療の相談ができる友人や知人がいたら、もし薬剤師が私の異常に気づいて……。たくさんの「もし」が、今も渦を巻きます。しかし私は、医師の指示どおりに毎日欠かさず薬を飲み続け、五年十か月間、うつ病患者として同じ総合病院に通院することになったのです。(中略)それは私にとって、真っ黒なドブに捨てられた歳月です。取り返しのつかない過ちです。その代償に私はたくさんのものを失ったのです。大切な仕事も、信頼も、人間関係も、笑い声のある家庭も、打ち込んでいた趣味も、自分への自信も、若さが残されていた四十代も……。
 あの日々を思い出そうとすると、今でもパブロフの犬のよだれのように涙が出てきます。うつ病と言われた日から長い年月が経つのに、それは今でも生傷のままなのです。
 でも、その傷こそが、この病気の当事者として、名前と顔を出して声をあげる原動力になったことは間違いありません。何もせずに死んでいくとしたら、私の人生はみじめすぎると思いました。
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単行本p.209


 「うつ病」と誤診され、薬物治療によりどんどん悪化していった心身の状態。「治療」により六年近くの人生を奪われた怒りと悲しみ。レビー小体型認知症に関する知識を普及させることへの強い動機となった誤診体験について血と涙の言葉で語ります。





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