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『「おしどり夫婦」ではない鳥たち』(濱尾章二) [読書(サイエンス)]

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 この本では、不倫や浮気、子殺し、雌雄の産み分けなど、一般にはあまり知られていない鳥たちの生態を取り上げます。そのとき、興味深い鳥の生態を紹介するとともに、それが進化の中で形作られてきたこと、環境に適応してうまくできていることをお伝えしたいと思います。(中略)「おしどり夫婦」のイメージは、いわば虚像です。利己的に見えることもある真の姿を知ってこそ、鳥のオスとメスの関係を理解することができます。この本を通して、鳥の行動や生態が同性のライバルや異性を含む周囲の環境に適応してうまくできていること、鳥たちが必死に生活していることを感じていただければ、著者として望外の喜びです。
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単行本p.iv


 「おしどり夫婦」という言葉があるように、雌雄がつがいを作って仲むつまじく子育てをするというイメージが強い鳥類。だが実際には、彼らは厳しい環境のなかで様々な繁殖戦略を駆使して生き残ってきた野生動物なのである。浮気、子殺し、寄生など、興味深い繁殖行動を中心に、鳥の生態と進化を教えてくれるサイエンス本。単行本(岩波書店)出版は2018年8月です。


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 特に、日本人の優れた研究を積極的に取り上げました。ときには、調査の工夫や苦労話などを本人から聞きとり、研究現場の様子も伝わるように努めました。多くの若い日本人研究者が、科学的に意義のある優れた研究をし、それを国際的な学術誌に論文として発表しています。しかし、残念ながら、その研究成果や彼らの研究活動はあまり知られていません。
(中略)目を覚ましている時間の大半は研究のことを考えているという生活を何年もして仕上がったのが、この本で紹介したひとつひとつの研究成果です。
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単行本p.111


 厳しい淘汰圧にさらされているがゆえに進化の威力がはっきりと表れることが多い鳥類の繁殖行動。その最新の研究成果と、それがどのようにして進化してきたと考えられているのかを紹介する一冊です。全体はプロローグを含めて6つの章から構成されています。


『プロローグ 少しでも多くの子を残す性質が進化する』
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 北米のツバメでは、巣立ちまでに死亡したヒナの16%が子殺しによるものであったことがわかっています。実際に、独身のオスがよそのヒナをつついて殺すところが観察されています。(中略)卵やヒナを殺すというのは、目を背けたくなる行動です。親によるヒナ間の差別的な給餌や、親による卵やヒナのいる巣の遺棄も、消極的な子殺しと言えそうな、私たちにとっては感覚的に受け入れ難い行動です。しかし、これが、少しでも多くの子を残したものが生き残るという厳しい自然の中で淘汰され、進化してきた鳥の真の姿なのです。
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単行本p.9、11


 つがい相手の「質」の予測に基づいて子の雌雄を産み分けるオオヨシキリ。自分の子に対する扶養援助を得るために正妻(第1メス)の子を殺すイエスズメ。性比を調整するためにオスのヒナを選択的に殺すオオハナインコ。まずは鳥の子育てに関する読者の先入観を解消してゆきます。


『1.オスは多くのメスとの交尾を求める』
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 ショウドウツバメではヒナの14%(巣の36%)で、南極で仲睦まじく子育てをするアデリーペンギンでもヒナの9%(巣の11%)でつがい外受精が見つかっています。一夫一婦の種で最もつがい外受精率が高いのは、オオジュリンです。なんとヒナの55%がつがい外受精で、巣の86%につがい外のヒナが含まれていました。
 もちろん、つがい外受精が見つかっていないコチョウゲンボウやモリムシクイのような種もいます。しかし、150種以上の研究結果を調べたところ、90%以上の種でつがい外受精が起きていたというまとめもあり、多くの種でオスが混合繁殖戦略を採用しているのは明らかだと言えましょう。(中略)人間には、つがい相手が抱卵で忙しいときに一夫多妻やつがい外交尾に走るとは身勝手だ、とも思えますが、少しでも多くの子を残そうとする、このような性質が進化するのは、自然界の理と言えます。
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単行本p.23、33


 一夫一婦制を採用しながら、過半数のヒナが浮気(つがい外交尾)で生まれていることが判明したオオジュリン。パートナーの浮気(つがい外交尾)を阻止するために不眠不休で見張りをするツバメ。ライバルを精子の量で圧倒すべく数百回も交尾するオオタカ。なるべく多くのメスに子を産ませたいがメスの浮気は断固阻止したい、オスの繁殖戦略のあれこれを見てゆきます。


『2.メスは相手を選り好みする』
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 アマサギのつがい外交尾は、オスが採食のために巣を離れ、メスだけが巣に残っているときに起こりました。メスだけが巣にいると、よそのオスがつがい外交尾をねらってメスに近づいてきます。そのとき、メスはつがい相手(夫)よりも優位なオスだと交尾を受け入れ、劣位なオスだと攻撃することが多かったのです。
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単行本p.44


 浮気(つがい外交尾)を狙うのはメスも同じだが、その理由は異なる。受精を確実にするため、子の遺伝的多様性の確保、オスからのプレゼント(求愛給餌)目当て、そして「夫が期待外れだった」から。つがい成立後のメスによるオスの選択について見てゆきます。


『3.子育ては悩みが多い』
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 鳥たちにとって子育ては大仕事です。場合によっては、自らの寿命を縮めていると言ってもよいでしょう。それだけに、子を育てるときの労力の配分は、少しでも有効なものとなるよう調節されているのです。しかし、ヒナの性を調節するのが、なぜ父親だけだったり母親だけだったりするのか、子の性をどのようにして知るのかなど、まだまだ謎が残っていると言えましょう。
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単行本p.61


 子の性別によって子育てにかける手間を調節するオオヨシキリ。自らは子を作らずヘルパーとして他のつがいの子育てを手伝うオナガ。子育てに対する労力配分をめぐるオスとメスの繁殖戦略を見てゆきます。


『4.捕食や托卵を防ぐには?』
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 1回托卵を受けた後、托卵鳥の卵を排除せずにおけば、2回目に托卵されるときに抜き取られるのは、自分の卵となるか、最初に托卵したメスの卵となるか五分五分です。つまり、排除しないことで自分の卵が生き残る可能性が出てくるわけです。卵がふ化した後で、ヒナを排除すれば自分の子を残すことができます。
 実際のところ、ヒナを拒絶する宿主は卵の排除を行なっていないようです。熱帯の宿主たちは、托卵された卵を「防波堤」にして自分の卵を守り、ヒナになってから対応するという戦略をとっていると考えられます。
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単行本p.93


 猛禽類がやってくると種を越えた多くの個体が共同でモビング(擬攻)を行なう鳥たち。親と子が会話して捕食者に対する行動を調節するシジュウカラ。そしてカッコウに代表される托卵行動。托卵鳥と宿主鳥の激しい攻防戦から進化してきたそれぞれ高度に発達した戦略。ヒナが無事に育つまでの生き残りをかけた繁殖戦略を見てゆきます。


『5.人間生活の影響』
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 夜の照明でつがい外交尾がさかんになるという驚きの現象も起きています。アオガラではふつう1巣あたり平均0.5羽のヒナがつがい外受精によるものですが、夜も明るいなわばりでは平均2羽のヒナがつがい外受精でした。
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単行本p.101


 夜の照明によるつがい外交尾の増加。騒音によるオスのさえずりの周波数変化。そして地球温暖化に対する適応。人間による環境への干渉が、鳥たちの繁殖戦略にどのような影響を与えているかを見てゆきます。



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『バレエ・ロレーヌ公演』 [ダンス]

 2018年9月17日は、夫婦でKAAT神奈川芸術劇場に行って、フランスのバレエ団「バレエ・ロレーヌ」のトリプルビル公演を鑑賞しました。野心的な振付家たちが、それぞれの時代に行ったバレエやモダンダンスの「お約束」をぶち壊す挑戦。


『DEVOTED』(2015年初演、振付:ベンゴレア&シェニョー)

 9名のダンサーたちが踊る25分の作品。ミニマルミュージックを背景に、バレエの基本テクニックであるポワントを解体してゆきます。いっけん揃っているようで、実はばらばらな衣装、化粧、そして動き。ポワント苦手そうなダンサーが必死こいて爪先立ちで頑張って足がくがくさせながら立っている姿を長々と見せつけておいて、こういういじめが本当に美しいですか、皆さんの好きなバレエ公演もこれと同じですよね、と問いかけてくるような感じ。観客のなかで、素直な感動と、疑問と、罪悪感がまぜこぜになりつつ、インパクトあるラストへとなだれ込む、強烈な印象を残す作品。


『STEPTEXT』(1985年初演、振付:ウィリアム・フォーサイス)

 4名のダンサーたちが踊る20分の作品。ぶつ切りにされ、断片的、発作的に差し込まれるバッハの調べを背景に、それを無視するかのようにシャープでハイスピードで謎めいた動きが炸裂。音楽と動きの調和とかダサいよね、と問いかけてくるような感じ。ガラ公演などで観る機会の多い人気演目ですが、やっぱりカッコいい。


『SOUNDDANCE』(1973年初演、振付:マース・カニンガム)

 10名のダンサーたちが踊る17分の作品。強烈なノイズ(おそらくエンジンの排気音をベースに様々な機械音を混ぜた騒音)をバックに、抽象ダンスが繰り広げられます。美しい音楽とか感動的なストーリーとか、ダンスに必要ないよね、と問いかけてくるような感じ。何だか素朴に純粋に色々な動きを試しているようなダンサーたちが実に楽しそうに見えて、耳障りなノイズが気にならなくなってくる多幸感あふれる作品。



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『行け広野へと』(服部真里子) [読書(小説・詩)]

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野ざらしで吹きっさらしの肺である戦って勝つために生まれた
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金印を誰かに捺してやりたくてずっと砂地を行く秋のこと
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よろこびのことを言いたいまひるまの冷たいカレーにスプーン入れて
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花降らす木犀の樹の下にいて来世は駅になれる気がする
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三月の真っただ中を落ちてゆく雲雀、あるいは光の溺死
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あなたの眠りのほとりにたたずんで生涯痩せつづける競走馬
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 思いがけない比喩、不意打ちのような描写。これまで出会ったことのない言葉の組み合わせが、これはあり、いやむしろなぜ今までなかったのか、という驚きをもたらすメタファー歌集。単行本(本阿弥書店)出版は2014年10月、Kindle版配信は2018年9月です。


 喜びや悔しさなどの力強い感情を、これまで思ってもいなかった言葉の組み合わせで表現してのけた歌の数々、すごい、嬉しい。


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野ざらしで吹きっさらしの肺である戦って勝つために生まれた
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金印を誰かに捺してやりたくてずっと砂地を行く秋のこと
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冬晴れのひと日をほしいままにするトランペットは冬の権力
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よろこびのことを言いたいまひるまの冷たいカレーにスプーン入れて
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幸福と呼ばれるものの輪郭よ君の自転車のきれいなターン
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 静かで繊細な気持ちも、そうくるかあという斬新な比喩を用いて表現されており、一瞬よくわからないけどあとからあとから何となくぴったりの例えのような気がしてくる不思議さ。


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花降らす木犀の樹の下にいて来世は駅になれる気がする
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印字のうすい手紙とどいて中国の映画の予告編のような日
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たったいま水からあがってきたような顔できれいな百円を出す
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草刈りののちのしずもり たましいの比喩がおおきな鳥であること
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海蛇が海の深みをゆくように オレンジが夜売られるように
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感情を問えばわずかにうつむいてこの湖の深さなど言う
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 アクロバット的なメタファーを駆使して、ごくありふれた光景を超現実的イメージに昇華してしまう歌も素敵です。


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東京を火柱として過ぎるとき横須賀線に脈打つものは
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フォークランド諸島の長い夕焼けがはるかに投げてよこす伊予柑
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鉄塔は天へ向かって細りゆくやがて不可視の舟となるまで
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地方都市ひとつを焼きつくすほどのカンナを買って帰り来る姉
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青空からそのまま降ってきたようなそれはキリンという管楽器
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 はじめて読んだのに、前から知っていたような気がする、そんな不思議な幻想的光景が脳裏に浮かんでくる体験にはしびれます。


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夜空から無数の輝く紐垂れて知らない言葉なんて話さない
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三月の真っただ中を落ちてゆく雲雀、あるいは光の溺死
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あなたの眠りのほとりにたたずんで生涯痩せつづける競走馬
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人の世を訪れし黒いむく犬が夕暮れを選んで横たわる
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花曇り 両手に鈴を持たされてそのまま困っているような人
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冬の火事と聞いてそれぞれ思い描く冬のずれから色紙が散る
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 ぐっとくるキーフレーズにしびれ、それが今まで一緒に使われたことがないような他の言葉としっくりきている様に驚き、現実の感情や光景を巧みに表現していることに感心する。こういう比喩もありなのか、という感動を覚える歌集です。



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『少年の改良』(町田康) [読書(小説・詩)]

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 私はその音楽を懐かしく思いながら少年にまた問うた。
「君はロックが好きなのか」
 少年は大きく頷いた。
「君はロックのどういうところが好きなのか」
 さらに私が問うと少年は大きく目を見開いて言った。「私らはラブ&ピースのようなものを好いとる。平和を愛する心じゃ。後は反権力じゃ。贋の権威を毀つです、ほて……」
「それで?」
「ほて、ほて……」
 少年は頬を紅潮させて言葉を詰まらせた。思いはあるのだがそれに相応する言葉が出てこないようだった。
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Kindle版No.63


 シリーズ“町田康を読む!”第65回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、ロックに憧れる少年を思い止まらせるために、ロックの本質について大いに語る中篇。Kindle版配信は2018年9月です。


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 女は相談事があると言った。嫌な予感がしたが顔が美しいので我慢して聞くと十七歳になる息子のことだと言う。(中略)先週頃より息子は、学校をよしてロックで身を立てたい、と言い、またその決意を不退転のものとするため二の腕に彫り物を入れると言った。けれども女の見るところ、息子にそんな才能があるとも思えず、女は、思いとどまるように説得してほしい、と言った。
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Kindle版No.11、22


 もう学校なんて止めて俺はロックに生きてゆくぜ。そう言い出した息子を説得して思い止まらせてほしい。美人から頼まれた語り手は、本物のロックミュージシャンがどういうものかを見ればきっと幻滅するだろうと考え、少年を連れてライブハウスに向かいます。

 ロックとは何だろう。ロックな生き方とは何だろう。何しろ著者が著者なので、場末のしょぼいライブで演奏しているロックバンドの描写はとってもリアル。


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 なんだこりゃあ。と言う声が私の内側から起こるはずだった。ところがそんな声は起こらなかった。むしろ私はこれを当然のこととして受け止めて違和感を覚えなかった。なぜなら、それこそが私がロックの本質と考えることだったからだった。
 つまり演劇。彼らは各々、その役割を演じているのであり、実生活にあってはほぼ同質の人間であった。闘え、と言うものと、融和せよ、と言うもの。否定せよ、と言うものと、肯定せよ、と言うものがいま入れ替わったところで、誰も気が付かないし、当人のなかに矛盾も葛藤も生じない。その思想は衣装や鬘と同じものであり、「生き様」は文字通りひとつのシンプルな様式であったのである。したがってロックを貫くのは、「いまさら別の役を一から演じるのは面倒くさい。億劫。しんどい」「長いことかかって 作り上げたキャラクターやイメージを壊したくない」ということに過ぎず、それは言ってしまえば自己保存本能に基づく行動、すなわち、保身、であった。にもかかわらず多くのロッカーは啓蒙的な姿勢をとって、娯楽を提供していると明言しない。
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Kindle版No.282


 はたして少年は幻滅したのでしょうか。


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「どうだ、君の考えるロックとは随分違うだろう? 君の志は銃弾に撃ち抜かれたようになったんじゃないのかな?」
 少年は鼻を膨らませ、そして言った。
「なんぼうにもロックですがな。私らはむずかしいことはわからぬ。私らはそのときの快味で満足じゃ。心のなかは永日でがす。鶏の饂飩啄む日永かな、と学校で習いましたが。私はまるっきりカメラ小僧じゃ。もうなにもわからん。あんたの写真を撮ったろ。私らはそれがロックじゃ」
 そう言って少年は私の写真を撮った。
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Kindle版No.313


 私らはそれがロックじゃ。うぃーういる、ろっくゆー。



タグ:町田康
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『雪子さんの足音』(木村紅美) [読書(小説・詩)]

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 テーブルのおかずがほとんどなくなると、一瞬、盗聴を怖れるみたいに辺りを見回す。唾を飲み込み、声をひそめ訊いてきた。
「あのね……、毎日、雪子さんとだけ会ってばかりいて、不満とか、ほんとにない?」
 いつのまにかストッキングをぬぎ、素足になっている。千紘や理江なら、この季節は夏服の色あいに合わせて欠かさないペディキュアなど塗られていない生の爪が眼に入り、帰り時だと判断し立ちあがった。
「べつに」
「ないとすると、それはそれで心配」
 しつこくて、壁時計を見やり答えた。
「しょっちゅう、お小遣いをくれるし、外食よりずっと身体にいいものを作ってくれるし。いまは、これも一種のバイトでおばあちゃんと理想の孫ごっこをしてるようなものだと割りきって、利用させてもらってるだけだよ」
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単行本p.40


 かつて住んでいたアパート「月光荘」の大家が孤独死したという新聞記事を読んだ男は、自分がそこで下宿していた二十年前のことを思い出してゆく。安アパートの一室で繰り広げられた、どこか歪んだ三人の交流、それぞれの孤独のありかたを描いた長篇。単行本(講談社)出版は2018年1月、Kindle版配信は2018年1月です。


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「ぼくは今日はこれで」
「そう? 小野田さんともお会いになりたければ、こんどは三人で食事会をしましょうね。あの方とわたしは、この部屋をサロンと名づけているの。仕事や人間関係の悩み、芸術、時事問題について、なんでも自由に話しあえるように」
「ええ、……いや、会いたい、というわけじゃないですけど。よかったら」
「これからも、手紙を出していい?」
「でも、ぼくもいろいろ用事が」
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単行本p.16


 月光荘の大家である雪子さんは、家族を失って独りぼっちになった寂しさを紛らわせるためか、自分の居室を「サロン」と名づけて下宿人と交流しています。サロンに集ったのは、大家である雪子さん、大学生の薫、そして薫と同い年の社会人である小野田さん。祖母と二人の孫という年齢構成。この三人の交流が物語の軸となります。

 雪子さんは薫を孫のようにかわいがり、何かと世話をやいてきます。サロンで食べさせるだけでなく、食事を作って部屋まで持ってくる、お小遣いを渡す。面倒くさい交流を避けようとする薫ですが、雪子さんの強引さに押し切られてゆくのでした。


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「お気に召さないのなら、言い方を変えましょうか。わたしは若い芸術家志望者のパトロンになりたいの。本を買ったり映画を観たりする足しにしてください。どうせ、頂いてる家賃のなかから返しているのだし」
「でも、……いや、もちろん、助かりますけど」
「わたしのささやかな望みをかなえてもらえませんか」
「そうまで言うのなら……、じゃあ」
(中略)
 冷静に考えると、仕送りを節約できるのは魅力だった。向こうは若い人に接するのが生き甲斐と化していて、互いに純粋に得するだけだと言い聞かせた。
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単行本p.28、29


 他人からの干渉を嫌う薫は、いやいやながら「おばあちゃんと理想の孫ごっこ」のバイトだと割りきって付き合っていたのですが、やがて雪子さんが勝手に部屋の鍵をあけて掃除するに及んで激しく拒絶することに。

 世話焼きの大家さん。若い男がそれをわずらわしいと思う気持ちも分かるのですが、しかし、老人相手に被害者意識をつのらせる薫もちょっと冷たいのでは。などと思うわけですが、やがて薫という視点人物の異様な冷淡さがちらりちらりと見えてきて、読者はどんどん不安な気持ちに。

 雪子さんが抱えているのは家族の喪失という分かりやすい孤独ですが、薫という視点人物が抱えているのは、他人に対する共感の欠落から生ずる、自分では気づくことが出来ない類の深刻な孤独に思えてきます。

 どうやら穏当なのは、出番が少ない三人目の登場人物、小野田さんだけか。と思ったら。


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「でも、養子縁組すればこの土地を受け継いで、ずっと、高円寺に住めるのに。東京でいちばん好きな町でしょう?」
「まあね」
「わたしは、いいかもしれない、って思ってるよ。田舎には帰りたくないし」
「そりゃ、ぼくも」
「じゃあ、ふたり揃って、あの人の子供にならない?」
 告白を通り越しプロポーズめいて聞こえた。身を引き口ごもると、さらに瞳をかがやかせ顔を近づける。
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単行本p.85


 ああ、この人の距離のつめ方もおかしい。自己評価低すぎるというか、自尊感情がどこか決定的に傷つけられ壊されたような、そんな陰惨な匂いがする。原因はたぶん父親。

 世話焼きのおばあさんと若い男の面倒くさい交流を描いた話だと思って読み進め、いつしか小野田さんという人物のことがやたらと気になってきます。彼女は何を考えているのか。いつも雪子さんと何を相談しているのか。彼女は何に賭けたのか。

 最後にその後のことがさらりと書かれています。雪子さんの孤独死は冒頭で感じたほど孤独な印象ではないし、小野田さんは孤独を受け入れ生きてゆく覚悟を手にしたことがほのめかされ、読後感は悪くありません。薫は、まあ、他人と深く関わることが出来ない人は、自分の孤独に気づくことなく、変わらずに生きてゆくしかないと思います。



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