『あるくことば』(松岡政則) [読書(小説・詩)]
――――
あるくという行為は
ことばをすてながら身軽になるということだ
――――
『どこにいるのか』より
どんどんおかしくなってゆく世の中。それでもあるく、たべる、身体からはじめる。
『口福台灣食堂紀行』の著者による、旅と命の詩集。単行本(書肆侃侃房)出版は2018年9月です。
旅を背景に、歩く食べるといった身体の営みを鮮やかに描いてみせる著者。これまでに読んだ詩集の紹介はこちらです。
2015年10月21日の日記
『艸の、息』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-10-21
2012年09月19日の日記
『口福台灣食堂紀行』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2012-09-19
言葉がいとも簡単に捕獲され悪用されてしまう嫌な世の中で、ひとまず身体に任せてみる。前半は、そういう作品が印象に残ります。
――――
どくどくと夏のいのち
くる日もくる日も坂をのぼるいのち
容赦のないいい夏だと思った
夏がこれほど夏であったためしはない物を言うな
――――
『ラジオ』より
――――
道ばたに落ちていた茎をかまうことはない齧ってみる
ここでは誰しもが未熟になる
半分でいられる
あとは島のいいなりになればよいのだ
――――
『ラジオ』より
――――
これからのみどり
ことばをもたないものらの輝き
外聞はもういい
身ごしらえこそが清しい
――――
『これからのみどり』より
――――
あまずっぱい匂いの坂道
これが六月のみだらなのか
ヤマモモがいっぱい落ちているほらいまも落ちている
ここにはただ泣ける歓びがある
――――
『やまもも』より
やがて、少しずつ何かが回復してきたかのように、怒りや苦しみといった感情がストレートに表現されるようになってゆきます。ふざけるなよ、この国、この社会、この世間。
――――
過剰な接続で
誰しもが疲れている
わたしらは知っている
知っていてなにもしないでいる
よわいものがよわいものを喰らうどん底
ひとがひとを信じるとはどういう刹那をいうのだったか
集団化していくわたしら、
「正気」が保てなくなるわたしら、
もうどんな顔でいたらいいのかわかりません
――――
『聲嗄れ』より
――――
爆心地の方からなにかくるいっぱいくる口のようなもの
――――
『聲嗄れ』より
――――
あり得たかもしれないもうひとつの生、のようなもの
それが旅の本位だろう
あるく、という宿病
詩を書く、という闇
環りの海には
ひとを孤絶させるちからがある
わたしはひきょう者の気もちがわかる
――――
『うみのたまもの、はたけのくさぐさ』より
――――
聲を聞き当てることと移動をつづけることは一つことだろうか
あるくはおやおやの無念おやおやの聲に振り回されるよろこび
――――
『聲のよろこび』より
そして、個人的にどうしても魅了されてしまう、口福台灣食堂紀行。
――――
午飯に喰うた牡蠣オムレツもマコモタケスープもぶちくそうまかった
こぎたない食堂なのになんともうまいものを出しやがる
店の親仁にピンインをからかわれ
台灣はこれっきりかもしれん
もう一食たりともおろそかにはできん
――――
『あんぴんらおじぇ』
――――
いいやみなまで言うな
いーらんに行けば
いーらんに行きさえすればなんとかなる
――――
『宜蘭』より
――――
いーらんにはわからないことしかない、そんな気がする
すべてがその場かぎりになる歓び、
ことばでは制御できないことども、
あるかなければいけないひとなのだわたしは
こんなもんじゃないこんなもんじゃないわたしは
にっぽんとたいわんにだけ残る戸籍制度
いーらん、いーらん
ひとの名前はみなわすれたい
――――
『宜蘭』より
あるくという行為は
ことばをすてながら身軽になるということだ
――――
『どこにいるのか』より
どんどんおかしくなってゆく世の中。それでもあるく、たべる、身体からはじめる。
『口福台灣食堂紀行』の著者による、旅と命の詩集。単行本(書肆侃侃房)出版は2018年9月です。
旅を背景に、歩く食べるといった身体の営みを鮮やかに描いてみせる著者。これまでに読んだ詩集の紹介はこちらです。
2015年10月21日の日記
『艸の、息』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-10-21
2012年09月19日の日記
『口福台灣食堂紀行』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2012-09-19
言葉がいとも簡単に捕獲され悪用されてしまう嫌な世の中で、ひとまず身体に任せてみる。前半は、そういう作品が印象に残ります。
――――
どくどくと夏のいのち
くる日もくる日も坂をのぼるいのち
容赦のないいい夏だと思った
夏がこれほど夏であったためしはない物を言うな
――――
『ラジオ』より
――――
道ばたに落ちていた茎をかまうことはない齧ってみる
ここでは誰しもが未熟になる
半分でいられる
あとは島のいいなりになればよいのだ
――――
『ラジオ』より
――――
これからのみどり
ことばをもたないものらの輝き
外聞はもういい
身ごしらえこそが清しい
――――
『これからのみどり』より
――――
あまずっぱい匂いの坂道
これが六月のみだらなのか
ヤマモモがいっぱい落ちているほらいまも落ちている
ここにはただ泣ける歓びがある
――――
『やまもも』より
やがて、少しずつ何かが回復してきたかのように、怒りや苦しみといった感情がストレートに表現されるようになってゆきます。ふざけるなよ、この国、この社会、この世間。
――――
過剰な接続で
誰しもが疲れている
わたしらは知っている
知っていてなにもしないでいる
よわいものがよわいものを喰らうどん底
ひとがひとを信じるとはどういう刹那をいうのだったか
集団化していくわたしら、
「正気」が保てなくなるわたしら、
もうどんな顔でいたらいいのかわかりません
――――
『聲嗄れ』より
――――
爆心地の方からなにかくるいっぱいくる口のようなもの
――――
『聲嗄れ』より
――――
あり得たかもしれないもうひとつの生、のようなもの
それが旅の本位だろう
あるく、という宿病
詩を書く、という闇
環りの海には
ひとを孤絶させるちからがある
わたしはひきょう者の気もちがわかる
――――
『うみのたまもの、はたけのくさぐさ』より
――――
聲を聞き当てることと移動をつづけることは一つことだろうか
あるくはおやおやの無念おやおやの聲に振り回されるよろこび
――――
『聲のよろこび』より
そして、個人的にどうしても魅了されてしまう、口福台灣食堂紀行。
――――
午飯に喰うた牡蠣オムレツもマコモタケスープもぶちくそうまかった
こぎたない食堂なのになんともうまいものを出しやがる
店の親仁にピンインをからかわれ
台灣はこれっきりかもしれん
もう一食たりともおろそかにはできん
――――
『あんぴんらおじぇ』
――――
いいやみなまで言うな
いーらんに行けば
いーらんに行きさえすればなんとかなる
――――
『宜蘭』より
――――
いーらんにはわからないことしかない、そんな気がする
すべてがその場かぎりになる歓び、
ことばでは制御できないことども、
あるかなければいけないひとなのだわたしは
こんなもんじゃないこんなもんじゃないわたしは
にっぽんとたいわんにだけ残る戸籍制度
いーらん、いーらん
ひとの名前はみなわすれたい
――――
『宜蘭』より