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『少年の改良』(町田康) [読書(小説・詩)]

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 私はその音楽を懐かしく思いながら少年にまた問うた。
「君はロックが好きなのか」
 少年は大きく頷いた。
「君はロックのどういうところが好きなのか」
 さらに私が問うと少年は大きく目を見開いて言った。「私らはラブ&ピースのようなものを好いとる。平和を愛する心じゃ。後は反権力じゃ。贋の権威を毀つです、ほて……」
「それで?」
「ほて、ほて……」
 少年は頬を紅潮させて言葉を詰まらせた。思いはあるのだがそれに相応する言葉が出てこないようだった。
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Kindle版No.63


 シリーズ“町田康を読む!”第65回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、ロックに憧れる少年を思い止まらせるために、ロックの本質について大いに語る中篇。Kindle版配信は2018年9月です。


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 女は相談事があると言った。嫌な予感がしたが顔が美しいので我慢して聞くと十七歳になる息子のことだと言う。(中略)先週頃より息子は、学校をよしてロックで身を立てたい、と言い、またその決意を不退転のものとするため二の腕に彫り物を入れると言った。けれども女の見るところ、息子にそんな才能があるとも思えず、女は、思いとどまるように説得してほしい、と言った。
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Kindle版No.11、22


 もう学校なんて止めて俺はロックに生きてゆくぜ。そう言い出した息子を説得して思い止まらせてほしい。美人から頼まれた語り手は、本物のロックミュージシャンがどういうものかを見ればきっと幻滅するだろうと考え、少年を連れてライブハウスに向かいます。

 ロックとは何だろう。ロックな生き方とは何だろう。何しろ著者が著者なので、場末のしょぼいライブで演奏しているロックバンドの描写はとってもリアル。


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 なんだこりゃあ。と言う声が私の内側から起こるはずだった。ところがそんな声は起こらなかった。むしろ私はこれを当然のこととして受け止めて違和感を覚えなかった。なぜなら、それこそが私がロックの本質と考えることだったからだった。
 つまり演劇。彼らは各々、その役割を演じているのであり、実生活にあってはほぼ同質の人間であった。闘え、と言うものと、融和せよ、と言うもの。否定せよ、と言うものと、肯定せよ、と言うものがいま入れ替わったところで、誰も気が付かないし、当人のなかに矛盾も葛藤も生じない。その思想は衣装や鬘と同じものであり、「生き様」は文字通りひとつのシンプルな様式であったのである。したがってロックを貫くのは、「いまさら別の役を一から演じるのは面倒くさい。億劫。しんどい」「長いことかかって 作り上げたキャラクターやイメージを壊したくない」ということに過ぎず、それは言ってしまえば自己保存本能に基づく行動、すなわち、保身、であった。にもかかわらず多くのロッカーは啓蒙的な姿勢をとって、娯楽を提供していると明言しない。
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Kindle版No.282


 はたして少年は幻滅したのでしょうか。


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「どうだ、君の考えるロックとは随分違うだろう? 君の志は銃弾に撃ち抜かれたようになったんじゃないのかな?」
 少年は鼻を膨らませ、そして言った。
「なんぼうにもロックですがな。私らはむずかしいことはわからぬ。私らはそのときの快味で満足じゃ。心のなかは永日でがす。鶏の饂飩啄む日永かな、と学校で習いましたが。私はまるっきりカメラ小僧じゃ。もうなにもわからん。あんたの写真を撮ったろ。私らはそれがロックじゃ」
 そう言って少年は私の写真を撮った。
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Kindle版No.313


 私らはそれがロックじゃ。うぃーういる、ろっくゆー。



タグ:町田康
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