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『うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間』(先崎学) [読書(随筆)]

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「学が経験したことをそのまま書けばいい。本物のうつ病のことをきちんと書いた本というのは実は少ないんだ。うつっぽい、とか軽いうつの人が書いたものは多い。でも本物のうつ病というのは、まったく違うものなんだ。ごっちゃになっている。うつ病は辛い病気だが死ななければ必ず治るんだ」
 私はすこしずつ書いてみることにした。そして、二ヶ月半くらいかかってここまできた。つまりこの本は、うつ病回復期末期(と心から信じたい)の患者が、リハビリも兼ねて書いたという世にも珍しい本なのである。
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単行本p.177


 2017年8月、空前の将棋ブームの最中、突然の休場を発表した先崎学九段。将棋ファンの憶測が飛び交うなか、そのとき彼はうつ病で入院していたのだ。発病、入院、そして緩やかな回復。はたして将棋界への復帰はかなうのか。将棋界を牽引してきた棋士による生々しいうつ病体験記。単行本(文藝春秋)出版は2018年7月、Kindle版配信は2018年7月です。


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 一時間のうち五分くらいは現役へ戻ろうと考え、そのたびに猛烈な不安に襲われたが、まだふわふわとした不安だった。絶望すら感じる気力がまだなかった。絶望と希望は裏表である。人は希望を感じるのと同じくらい、絶望を感じるのにもエネルギーがいるのだ。
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単行本p.54


 というわけで、先崎学九段によるうつ病の闘病記です。発病、入院生活、回復期、復帰に向けたリハビリ。ほぼ時系列に沿って主観体験がリアルに書かれており、(医療的な知識ではなく体験としての)うつ病について具体的に知ることが出来ます。


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 ここからの十日間ほどは、まるではずみがついた滑車のように私は転げ落ちていった。日に日に朝が辛くなり、眠れなくなり、不安が強くなっていった。不安といっても具体的に何か対象があるわけではない。もちろん将棋に対する不安はあったが、もっと得体の知れない不安が私を襲った。そして決断力がどんどん鈍くなっていった。ひとりで家にいると、猛烈な不安が襲ってくる。慌てて家を出ようとするが、今度は家を出る決断ができないのだった。
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単行本p.8


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 夜もどんどん眠れなくなっていった。十時にベッドに入るのだが、一時くらいに目が覚めてしまう。そこからまた医者にもらった睡眠薬を追加で飲んで寝るのだが、四時には起きてしまい、辛い朝を迎えることとなる。うつ病の朝の辛さは筆舌に尽くしがたい。あなたが考えている最高にどんよりした気分の十倍と思っていいだろう。まず、ベッドから起きあがるのに最短でも十分はかかる。ひどい時には三十分。その間、体全体が重く、だるく、頭の中は真っ暗である。
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単行本p.10


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 うつの不眠の辛さは凄まじいものがある。健康な時ならば本を読んだり、うとうとしたりしてやり過ごせるだろう。だがうつの時は、まず軽く眠るということができない。頭の中に靄がかかっているくせに、悪いことだけ考えられるのだ。起きながらずっと悪夢を見るよりないわけである。
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単行本p.49


 幸いにも兄が精神科医だったおかげで、素早く入院することになった著者。入院生活の描写にも興味深いものがありますが、個人的に、回復に向けた兆しが見えてくるあたりが印象に残りました。


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 それは不思議な感覚だった。狭いシャワー室でシャワーを浴びた時、私は少しだけ気持ちよく、そしてそのかすかな心地よい感覚にすごく懐かしいものを感じたのである。
 その後はすぐ昼食である。そこでも私はちょっとだけ美味しいと感じた。私はなぜか食欲だけはあり、病院食を毎日全部たいらげていたのだが、味覚というものが麻痺していたのだろう、味を感じることがなく、ただ流し込むだけだった。食べて横になっていると、ムラムラとなった。アレっと思ったら頭の奥から「エロ動画が観たい」とサインが送られてきた。これも非常に懐かしい感覚だった。届きたてのタブレットで慎重に音を消して観てみた。下半身の生理的反応はなかったが、ちょっぴり満足感があった。
 今にして思えば、これらは私にとっての「本能の目覚め」だったのだと思う。うつで死んでいた神経、ヒトとしての本能が、ほんのわずかずつだが元に戻るべくうごめきだしたのだった。
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単行本p.30


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 私にとって日なたを選んで歩くことや足にウェイトをつけることは、それがどんなにちいさなことでも気力の目覚めであり、うつ病に対する闘いの第一歩だった。病と闘うという人間性をうつは見事に抑え込む。だが、時がくれば人間の本能が必ず目覚めるのである。兄が繰り返した「時間を稼ぐのがうつ病治療のすべてだ」ということばは正しいのだ。
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単行本p.50


 ようやく退院できても、そこからがまた大変。気力が回復してきたせいで、自分の置かれている立場、復帰の道のりがどれほど困難か、様々な現実に打ちのめされるようになります。


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 みんながとてつもなくうらやましく思え、また頭にきた。皆が将棋を頑張って、勝って華々しくやっているのに、こちらはひとりうつ病で、七手詰めと苦闘して、朝は起き上がれない生活をしているのである。惨めだった。あまりにも惨めだった。たしかに入院中も九月もひたすら散歩の時間も自分がひどく惨めに思え、地団駄を踏み、クソッ、クソッと思いながら歩くこともしばしばだった。しかし、この時に感じた惨めさは、そんなものとはまた違う、リアルな惨めさだった。元気になった分、嫉妬するだけのエネルギーが出てきたということもあるかもしれない。なんで俺だけこんな……。そう思うと涙が出た。(中略)家にいると(だいたい夕方が多かった)突然になぜ自分は休場なんかしているんだと頭にきだして、わめき出すのである。ふざけんな、ふざけんな、みんないい思いいやがって。畜生、畜生。だいたい五分くらいそんな感じが続き、妻は台所へ逃げ、子供は二階に上がった。心の底からの感情なので、こらえることができない。
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単行本p.104、105


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 私は今までこのような「仕打ち」を受けたことがなかった。自分が休場中というのがこんなにせつなく感じたことはなく、荒れるよりなかった。休場前、「3月のライオン」が映画化された頃の私ならば、向こうからお世辞とともにすり寄ってきたろう。そしてこれから私が勝てばまた寄ってくるだろうし、この本が売れれば「苦境に耐えた先崎九段」などと題し、私になにくわぬ顔でインタビューをするのであろう。それが悪いわけでもなく、その記者を恨むつもりもない。世の中そんなものなのである。
 と、いくら言い聞かせても怒りがおさまらない。ソファーを蹴飛ばしまくって荒れた。ひとしきり荒れると、おいおい泣いた。泣いてはまたソファーを蹴飛ばした。
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単行本p.156


 後半は、将棋界への復帰をかけたリハビリがテーマとなってゆきます。朝起きることも、七手詰めの詰将棋を解くことも出来ないような状態で、半年後にはプロ棋士として公式戦に復帰するというのだから、正直あきれてしまいます。棋士という人々は、負けを読み切るまでは絶対にあきらめようとしないのだな、と。そして、本当に将棋が好きなのだな、と。


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 ちょっと元気になると家にあった将棋の駒をテーブルに打ち付けてパンパンやってみる。十回くらい打ち付けていると、昨日の感覚が蘇ってくる。駒を並べ出す時に王将を置いた感触。初手を指した時のちょっと指先が震えた時の感覚。そしてなにより自分がプロの棋士なんだと感じた時の心の動き。田中君の執拗な粘りも思い出した。私が病気でも、棋士同士だから彼は決して手を抜かなかったのだ。将棋の世界っていいなあと、漠然と思った。
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単行本p.92


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 勝ち負けとか金とか以前に、将棋が強いという自信は自分の人生のすべてだった。その将棋が弱くなる。
 考えられなかった。それだけは絶対に許せなかった。
 芸を落としてたまるか、と思うと涙が出た。
 将棋差しは年齢を重ねるにつれ弱くなる。これはプロの世界だから当たり前であるし、仕方がないことだ。だが、病気一発で弱くなるなんて――。
 四十七だ。すでに勝ちまくれる歳ではない。あとは引退に向かって次第に勝てなくなっていくのがこの世界の習いだ。そんなことは分かり過ぎていた。しかし、弱くなる恐怖に比べたら勝てない恐怖などものの数ではなかった。芸を落とさないためには将棋を指すしかない。勉強するしかない。これは自明のことだった。(中略)病気になんて決して負けないぞと心にいいきかせた。あと半年、最善を尽くして棋士の本道を生きるのだ。向上心を持つという本道に。
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単行本p.119、120



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