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『ストイック Stoik』(カンパニー・レ・ギューム) [ダンス]

 2016年5月5日は、夫婦で東京芸術劇場に行って、TACT/FESTIVAL 2016 の公演三本を鑑賞しました。二本目の演目はフランスのカンパニー・レ・ギューム(Cie Les Gums)による『ストイック』。出演者二名の50分ほどの作品です。

 椅子や机(後に卓球台になったり)が置いてあるだけの簡素な舞台に、二人の出演者が登場。一人は英国に行けばずっとシリーウォークやってそうな背の高い男、もう一人はムーミン谷に行けばミイで通りそうな小柄な女。この二人の無言の掛け合いで進んでゆきます。

 二人の身長差を利用した「きびきびした振付動作」を見せておいてから、男女のパートを交換してもう一度やってみる。すると、何ということでしょう。手足が邪魔だったり、身体がぶつかったり、ついセクハラ的な体勢になって厳しく睨まれたり、いちいちつまずいては困惑することに、というのが基本の芸。これを延々と繰り返します。

 サーカスの伝統的演目でいうと「クラウン」だけを一時間やり続ける舞台。

 いきなり卓球を始めたり(というか始めるそぶりを見せては執拗に外したり)、椅子の脚の上で倒立したり、サイズが全然合わないのに互いの服を無理やり交換したり、最後にはアコーディオン伴奏で歌ったり。またアコーディオン伴奏で歌ったり。またまたアコーディオン伴奏で歌ったり。しつこくアコーディオン伴奏で歌ったり。そうそう、合間にクラウンの定番「観客いじり」もやります。

 終演後、この演目を演じるのは今回で記念すべき通算100回目だという通訳つきの舞台挨拶があり、劇場が暖かい拍手に包まれました。しかし、何という執拗さ。


[キャスト他]

出演: ブライアン・エニノ、クレマンス・ルージーア



『空飛ぶ男たち Men with Soles of Wind』(ソラス・デ・ヴェント) [ダンス]

 2016年5月5日は、夫婦で東京芸術劇場に行って、TACT/FESTIVAL 2016 の公演三本を鑑賞しました。最初の演目はブラジルのソラス・デ・ヴェント(Solas de Vento)による『空飛ぶ男たち』。出演者二名の70分ほどの作品です。

 二人の男が入国審査で足止めをくらい、空港から出ることも許されず、床はゴミだらけ天井からは水滴がぽたぽた落ちているような環境劣悪な留置所に放り込まれ、許可が出るまでそこで過ごすはめになります。

 いつとも知れぬ釈放の時を待って「宙ぶらりん」の生活を続けるうちに、最初は険悪だった二人も次第に打ち解けてゆき、やがて意気投合して友人となります。しかし、そんなささやかな人間関係も、冷酷無慈悲な社会システムによって押しつぶされそうに。


 サーカスの伝統的演目でいうと「空中ブランコ」にストーリー性を持たせたような作品です。

 最初、舞台上には何もなく、天井から何本かのワイヤが下がっているだけの寒々とした雰囲気。床は湿って不衛生なので、男たちはそれぞれ自分のスーツケースをワイヤから水平に吊り下げ、その上で生活するようになります。

 どうやら長期拘留になりそうだと分かると、空中床(スーツケース)の周囲にささやかな家具(服とかハンモックとか、霧吹きとか鉢植えの草とか)を吊るし、空中ブランコ状態ながらもそれなりに人間的な生活空間を作り上げてゆく、というのが最初の見どころ。

 生活空間を分け合うことになった二人の、いさかいも、和解も、交流も、ほぼすべて空中ブランコで表現されるところがミソ。言葉はありません。入管の非人道的な扱いによって殺伐としていた舞台も、最後の方になると空中に色々なものが吊り下げられ、空中ブランコで楽しげに「近所付き合い」するという、生活感と人間味あふれる暖かい場所に。

 どんなひどい境遇にあっても人間らしい生活や友情を育んでゆく人の強さが印象的ですが、もちろん月に叢雲、花に風、帝国の逆襲。果たして人が築き上げた生活や共同体は、国家による暴力に対抗することが出来るのでしょうか。

 というわけで大人も子供も楽しめ、大いに笑ってほろりとするいい作品。ただ個人的に、日本の入管がどれだけ非人道的なことをやってるかという報道の数々が脳裏を駆けめぐり、ちょっと笑えない気分になりました。


[キャスト他]

演出: ロドリーゴ・ルハン
出演: ブルーノ・ルドルフ、リカルド・ロドリゲス



『シナモン』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

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 一切の物音、夜なかの軋むような音、床の軋り声を挙げる秘密の命――父はそれらを過たず感じとる鋭敏な見張りでありスパイであり共謀者であった。父はそのことに熱中するあまり私たちの届きようのない領域に沈潜し切ってしまい、私たちにその世界のことを説明する試みもしなかった。
 時おり父は見えない世界の気紛れがあまりにもばかげたものに思え、指を鳴らしたりあるいはちいさく笑い声を立てねばならぬこともあった。そんなとき、父は家の牡猫と目を交して頷き合った、猫もまた向うの世界の秘密に通じていて、縞のあるシニックな冷たい顔を上げ、退屈と無関心から斜目づかいに目を細めた。
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ブルーノ・シュルツ『肉桂色の店』より(工藤幸雄:翻訳)


 2015年4月28日は、夫婦でシアターXに行って勅使川原三郎さんの新作公演を鑑賞しました。ブルーノ・シュルツ作『肉桂色の店』に基づくダンス作品です。

 原作から抜粋したテキストを佐東利穂子さんが朗読し(録音)、また語り手である「私」を踊ります。勅使川原三郎さんはその背後や周囲で「父」や「馬」を踊り、ときおり鰐川枝里さんが飛び込んできては暗闇に蠢く謎めいたなにかを踊って去ってゆきます。

 舞台装置などは使わず、照明効果だけで舞台上に不可思議な夜の世界を現出させる手際は素晴らしく、実のところかなり怖い。左右の舞台手前床に配置された照明により影が背景に投影されるのですが、その影の存在感がとにかく凄くて。実際に動いている二人よりもむしろ大きくなったり小さくなったり消えたり現れたりする影法師の方が生々しい存在感を放っているようにさえ感じられます。

 佐東利穂子さんの動き、特に手の動きは、浮遊感に満ちていて、クラゲのような水中生物の動きを早回しにしたらこんな感じかも知れないという。勅使川原三郎さんの動きはいつものごとく超絶ですが、今回は見立てが多く、特に「馬」が佐東利穂子さんの周囲をかっぽかっぽと二周するシーンはユーモラスで好きです。

 鰐川枝里さんも頑張っていたのですが、多くの出番が「薄暗いところで蠢いているなにか」という感じで、個人的に加齢性白内障がはじまっているという問題もあって、細かい動きがよく見えなかったのが悲しい。一回だけ照明があたるところで踊るシーンがありましたが、ここはかっこ良かった。

[キャスト等]

構成・演出・照明・美術・衣装・選曲: 勅使川原三郎
朗読: 佐東利穂子
出演: 勅使川原三郎、佐東利穂子、鰐川枝里