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『無人の兵団 AI、ロボット、自律型兵器と未来の戦争』(ポール・シャーレ:著、伏見威蕃:翻訳) [読書(教養)]

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 テクノロジーは、人類と戦争との関係における限界点へと私たちを押しあげた。未来の戦争では、生死に関わる決定を機械が下すかもしれない。世界中の軍隊が、海、陸、空で競い合ってロボットを配備している――90カ国以上が、無人機(ドローン)に空を哨戒させている。これらのロボットは、どんどん自律化が進み、多くは武装している。いまは人間に制御されて活動しているが、プレデター無人機がグーグル・カーのように自律性を強めたとしたら、どうなるだろう? 生か死かという究極の決断について、私たちはどういう権限を機械にあたえるべきなのだろうか?
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単行本p.27


 自律的に索敵し、人間の指示を待たず自動攻撃する戦闘マシン。効率的にターゲットを撃破する戦術を学習してゆく攻撃ドローンの大群(スォーム)。敵兵と民間人を「識別」して攻撃判断を下すAI。それらは戦争をより人道的なものにする「スマート」なテクノロジーなのか、それともスカイネット/ターミネーターへの道なのか。急速に進められている自律兵器の開発、その制限に向けた国際的取り組み、それらをめぐる様々な論点を整理し、包括的に論じた一冊。単行本(早川書房)出版は2019年7月、Kindle版配信は2019年7月です。


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 イスラエルのハーピー無人機のような兵器は、すでに完全自律の領域に達している。ハーピーは、人間が制御するプレデターとは異なり、広い範囲で敵レーダーを捜索し、発見したときには許可を得ずに破壊する。小数の国に売却され、中国はリバースエンジニアリングで、その派生型を製造した。ハーピーはさらに拡散する可能性があるし、この種の兵器はこれからいろいろ開発されるに違いない。韓国はロボット歩哨機関銃を、北朝鮮とのあいだの非武装地帯に配備した。イスラエルは武装した地上ロボットにガザ地区の境界線をパトロールさせている。ロシアはヨーロッパの平野での戦争に備え、各種の武装地上ロボットを製造している。17カ国がすでに武装無人機を保有し、さらに十数カ国が公然と配備を進めようとしている。
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単行本p.28


[目次]

第1部 地獄のロボット黙示録
第2部 ターミネーター建造
第3部 ランアウェイ・ガン
第4部 フラッシュ・ウォー
第5部 自律型兵器禁止の戦い
第6部 世界の終末を回避するー政策兵器




第1部 地獄のロボット黙示録
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 まもなく国防総省は、すさまじいペースでドローンをふたつの戦争に投入するようになった。2011年には、ドローンの年間支出は9.11前のレベルの20倍以上、60億ドルを超えるほどに増大した。国防総省が配備したドローンは7000機を超えていた。ほとんどは手から発進できる小型ドローンだったが、MQ-9リーパーやRQ-4グローバル・ホークのような大型ドローンも、貴重な軍事資産になっていた。
 それと同時に、国防総省は、ロボットが空以外でも貴重だということを知った。空ほどではないにせよ、陸でもやはり重要だった。簡易爆破装置IEDの増加に応じて、国防総省は6000台以上の地上ロボットをイラクとアフガニスタンに配備した。
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単行本p.41


 群れで協働するドローン・スウォーム、自律ミサイルなど、自律型兵器の研究開発、そして配備に関する現状をまとめます。また「自律」という言葉の意味や、オートメーション(自動化)との違いなど、議論の混乱を防ぐために用語と概念を整理します。


第2部 ターミネーター建造
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 先進国の軍だけが自律型兵器を建造できる世界と、だれもが自律型兵器を手に入れられるような世界には、大きな違いがある。自律型兵器をだれでも自分のガレージで造ることができるようになったら、テクノロジーを隠したり、禁止したりするのは、きわめて難しくなると、スチュアート・ラッセルをはじめとする反対派は主張する。(中略)私たちは、殺傷力のある自律型兵器を国民国家だけではなく個人でも建造できるような世界にはいりつつある。その世界は遠い未来ではなく、すでにここにある。
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単行本p.172、189


 様々な自律型兵器とともにその基盤となっているテクノロジーを解説します。また、それらのテクノロジーが、国家だけでなく、どんな組織にも、個人にさえ、簡単に手に入れられるという事実が何を意味するのかを考察します。


第3部 ランアウェイ・ガン
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 自律型兵器が引き起こす破壊は、無作為なものではない――ターゲットを定めたものになる。人間が干渉しなかったら、弾薬が尽きるまでシステムが不適切なターゲットと交戦しつづけ、一度の事故が多数の事故に拡大しかねない。「機械は過ちを犯していることを知らない」と、ホーリーは述べた。民間人や友軍に壊滅的な影響が及ぶだろう。(中略)自律型兵器を評価する際の重要な要素は、システムのほうが人間より優れているかどうかではなく、システムが故障したときに(故障は避けられない)、どれほどの損害が生じるかということと、そのリスクを容認できるかということだ。
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単行本p.263、265


 自動化された兵器システムの故障あるいは誤判断によって引き起こされた過去の事例を紹介し、自律型兵器をめぐる様々な懸念のうち「故障したときの被害が甚大なものになりかねない」という問題について考察します。また深層ニューラルネットの「ブラックボックス化」が兵器にとって何を意味するのかを考えます。


第4部 フラッシュ・ウォー
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 この速度の軍拡は、重大なリスクをもたらす。競争者たちが速度の誘惑に屈し、反応時間をマイクロ秒単位で削減する高速のアルゴリズムとハードウェアを開発したときの株取引が典型的な例だ。コントロールを失った現実の世界の環境では、事故は予想外の結果ではない。そういった事故では、機械の速度が大きな負担になる。自律プロセスが、たちまち制御できないきりもみ状態に陥り、会社をつぶし、市場をクラッシュさせかねない。理屈のうえでは、人間は干渉する能力を維持するはずだが設定によっては干渉しても手遅れかもしれない。オートメーション化された株取引は、国家が自律型兵器を開発して展開したときに、世界がどのようなリスクを負うことになるかを暗示している。
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単行本p.309


 株式の自動取引ソフトの暴走が引き起こした市場暴落、いわゆるフラッシュ・クラッシュを例に、自律型兵器の速度競走、サイバー空間における自律型兵器という問題、さらにマイクロ秒で決着がつくフラッシュ・サイバーウォーのために高度AIに判断を任せるという構想を取り上げます。


第5部 自律型兵器禁止の戦い
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 自律型兵器が私たちと武力行使の関係の性質を根本的に変えることに、疑いの余地はない。自律型兵器は、殺人を個人的な行為ではないようにして、そこから人間の感情を取り去る。それがよいことなのか、悪いことなのかは、見方によって異なる。感情は、戦場で人間を残虐行為に駆り立てるか、慈悲を呼び覚ます。帰結主義者には賛否両論があるだろうし、義務論者の意見も分かれるはずだ。(中略)殺人に対して人間は責任を持ちつづけなければならない、と義務論者は唱える。戦争の道徳的重荷を機械に渡したら、人間の道徳観は弱まる、というのだ。帰結主義者も、それについてはおなじことを主張している。殺人の道徳的な痛みは、戦争の悲惨さを抑える唯一の手段だからだ。
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単行本p.394、395


 自律型兵器の開発あるいは配備の禁止を目指す運動と、各国がどのように対応しているかを概観します。具体的に「何を」「なぜ」制限するのか、その錯綜した論点と様々な議論を俯瞰します。


第6部 世界の終末を回避するー政策兵器
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 人類は、人間と戦争との関係を根本的に変える可能性がある新テクノロジーの潮流の間際に立っている。人間社会がそれらの難問に対処するための機構は、不完全だ。CCWで合意に達するのが困難なのは、それが総意を基本とする枠組みだからだ。完全自律型兵器は、法律、道徳、戦略的理由から、悪しき発想であるかもしれないが、国家間でそれを規制しようとしても失敗するだろう。そういった実例が、これまでにもあった。現在、各国、NGO、ICRCのような国際組織が、CCWの会議を開いて、自律型兵器がもたらす難問について話し合っている。その間も、テクノロジーは猛スピードで前進している。
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単行本p.471


 自律型兵器の禁止が実効力を持つためには、どうすればいいのか。あるいはどのような制限なら各国が受け入れることが出来るのか。残り時間がどんどん失われてゆくなかで進められている、未来の戦争をめぐる議論をまとめます。



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『伊藤典夫翻訳SF傑作選 最初の接触』(高橋良平:編集、伊藤典夫:翻訳) [読書(SF)]

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 本書は、時間・次元テーマの『伊藤典夫翻訳SF傑作選 ボロゴーヴはミムジイ』につづく第二弾、伊藤さんが〈S-Fマガジン〉のために選りすぐり、翻訳した傑作中短篇のうち、宇宙テーマに絞ったアンソロジーです。
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文庫版p.410


 異星人とのファーストコンタクト、遭難宇宙船におけるサバイバル、寄生生命体の脅威、異星文明が残したスターゲートなど、主に50年代に書かれた古典的SFから伊藤典夫さんが翻訳したものを集めたSF短篇傑作選、その第二弾。文庫版(早川書房)出版は2019年5月です。

 『ボロゴーヴはミムジイ』に続く伊藤典夫翻訳SF傑作選です。『ボロゴーヴはミムジイ』は時間・次元テーマが中心になっていましたが、今回は宇宙・エイリアンテーマが中心。ちなみに前作の紹介はこちら。

  2017年01月17日の日記
  『伊藤典夫翻訳SF傑作選 ボロゴーヴはミムジイ』
  https://babahide.blog.ss-blog.jp/2017-01-17


 50年代SFなのでさすがに古めかしい描写が目立ちますが、そういうものだと思って読むとさほど気になりません。オールドSFにはオールドSFの良さがあります。ただし、登場する地球人は白人男性アメリカ人ばかり、女性はトロフィーかモンスター、という意味での「古めかしさ」は今読むとかなりキツいものがあります。


〔収録作品〕

『最初の接触』(マレイ・ラインスター)
『生存者』(ジョン・ウインダム)
『コモン・タイム』(ジェイムズ・ブリッシュ)
『キャプテンの娘』(フィリップ・ホセ・ファーマー)
『宇宙病院』(ジェイムズ・ホワイト)
『楽園への切符』(デーモン・ナイト)
『救いの手』(ポール・アンダースン)




『最初の接触』(マレイ・ラインスター)
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 もはやコンタクトする以外に道はなかった。裏切りの危険を冒してまで、相手を信頼しなければならないのだった。完全な不信のうえに築かれた信頼。母星へ帰還することはできない。相手がたに攻撃の意志がないとわかるまで。だが、双方ともあえて信頼の態度を示そうとはしなかった。唯一の円満な解決策は、破壊するか、破壊されるかのどちらかだった。
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文庫版p.30


 異星の宇宙船との予期せぬ接触。異星文明とのファートコンタクトを前に、双方とも「囚人のジレンマ」状況に陥ってしまう。相手を信頼して情報交換すれば互いに莫大な利益が得られるかも知れないが、相手が裏切れば致命的なダメージを受ける。コンタクトを避けて帰還しようとしても、追跡され、母星の位置をつきとめられてしまうかも知れない。唯一の論理的結論は、先に相手を破壊すること。もちろん相手もそう考えているに違いないのだ。ファートコンタクトテーマの古典。


『生存者』(ジョン・ウインダム)
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 残りの者と同様のチャンスを与えてやるのが、彼女にはいちばんいいのだ――夫の手を握りしめ、青ざめた顔をこちらに向けて、大きな瞳で見つめている彼女から、彼は顔をそむけた。しかし必ずしも、最善の方法でもないのだった。
 最初に死なないでくれればいいが、と彼は思った。士気を沮喪させないためには、最初でないほうがいい……。
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文庫版p.86


 事故で漂流している宇宙船。このままでは救助が来るまでに船内の食料が尽きてしまう。厳しいサバイバルの試練を前に、船長は乗客に含まれている唯一の女性のことを気にかけていた。飢餓が広がれば、体力的に劣っている彼女が最初に死ぬことになるのではないか。しかし彼女の食料割当だけ増やすわけにもいかない……。


『コモン・タイム』(ジェイムズ・ブリッシュ)
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 船時間の一秒は、ギャラード時間の二時間にあたっていた。
 彼は本当に二時間も数えていたのだろか? 疑いをはさむ余地はないようだった。長い旅になりそうだ。
 だが、じっさい換算してみた彼は、目もくらむショックを受けた。時間は彼にとって、七千二百分の一になっている。だからアルファ・ケンタウリへ行くには、七万二千ヶ月かかるわけだ。
 それは――
《六千年!》
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文庫版p.126


 超光速エンジンの試運転に参加した主人公は、とてつもない危機に遭遇する。彼の意識だけが猛烈に加速され、一秒が経過するあいだに主観的には二時間もの時間を体験することになったのだ。物理時間にしたがっている身体を動かすことすらろくに出来ない。そして目的地に到達するのは、主観時間にして、何と六千年後だった……。


『キャプテンの娘』(フィリップ・ホセ・ファーマー)
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 彼は体を起こし、ドアをしめた。考えたとおりだったのだ。ばらばらの断片の少なくとも半分は、これで一瞬に組みあわさったことになる。問題は、ほかの半分がさっぱり結びつかないことと、全体像からどんな事実がうかびあがるか、いっこうに見当がつかないことだった。ハンカチで手をふきながら、彼は思った。なんであるにしろ、それは……。
 彼の体がこわばり、動きをとめた。かたい物が背中につきつけられ、聞き慣れた声が、低い、冷酷な調子でいった。「きみは頭がまわりすぎたな、ゴーラーズ」
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文庫版p.231


 宇宙船内で起きた謎の自殺(それとも他殺なのか?)。船長とその娘の不自然な振る舞い。静かに広がっている脅威に気づいた船医は、何とか手を打とうとするが……。


『宇宙病院』(ジェイムズ・ホワイト)
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 “こんなことは、ここでしか起こらない”――部屋を出ながら、コンウェイは考えた。プルプル揺れる透明なプリンのように、彼の肩にとまった異星の医師。患者は、健康で、巨大な恐竜。そして、仕事の目的は、同僚にさえなかなか明かそうとしない。
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文庫版p.266


 既知宇宙のあらゆる種族を治療する巨大病院。そこにやってきた異星の医師と協力するように命じられた地球人の医師は、何のために「治療」が必要なのかまったく知らされないまま、患者である恐竜と悪戦苦闘するはめになる。傲慢で秘密主義でおまけに強力な超能力を持っているやっかいな相棒、動くだけで船室を破壊しかねない巨大恐竜。なぜこうなった。


『楽園への切符』(デーモン・ナイト)
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「そういうわけさ。こいつには、選択性はない――完全にでたらめなんだ。ここを通りぬけて、べつの星系に行くことはできる。だが、試行錯誤をくりかえしながら出発点にもどるには、百万年もかかるだろう」
ウルファートは手のひらのつけねにパイプをぶつけ、燃えかすをフロアに落とした。「ここにあるんだ、星への門が。ところが、それが使えないときてる」
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文庫版p.327


 火星で発見されたスターゲート。異星文明が残した遺物であるそれは、通り抜けるだけで他の星系に設置されたスターゲートへと一瞬でワープすることが出来る。ただし、どのゲートにつながるかはランダムらしい。いったんゲートをくぐったら、おそらく宇宙を永遠に彷徨うはめになる。帰還は不能。それでも行くべきだろうか。宇宙へ、銀河へ、未知の領域へと。


『救いの手』(ポール・アンダースン)
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「わたしはソルの歴史を調べてみました。人類が同じ星系内の惑星にも到達していないころ、地球ではたくさんの文化が、それぞれ極端に異質な文化が共存していました。しかし、最後にはそのひとつ、西欧社会というものが、技術的に圧倒的な進歩を示して……つまり、ほかの文化が共存できなくなってしまったのです。競走するためには、西側のアプローチを採用するしか方法はありませんでした。そして西側が後進国家指導するときには、必ず西側のパターンを押しつけたわけです。たとえ善意からしたことであったとしても、結果的にはほかのすべての生活の道を滅ぼしてしまいました」
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文庫版p.404


 星間戦争により荒廃した二つの惑星。地球人はその一方だけを援助し、気に入らない他方を無視していた。やがて長い歳月が流れ、二つの惑星はそれぞれに復興を遂げるが、その運命は大きく異なっていた。西欧社会による「後進国」に対する文化破壊を寓話的に扱った作品。



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『会いに行って――静流藤娘紀行(第四回)』(笙野頼子)(『群像』2019年11月号掲載) [読書(小説・詩)]

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 なぜあの年私は行かなかったんだろう。行けば会えたのに。
 でももし行っていたらきっと師匠は「この人誰」って思っただけかあるいは、「ああ、君か」って。『金毘羅』、「二百回忌」、だいにっほんシリーズ、全て彼の影響をうけているのかもしれないと今思ったりしている。それは神の俗人化、場と時空の変形、私小説的自己の分裂ああ、でもそれならすべて、『田紳有楽』だ。
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『群像』2019年11月号p.372


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第128回。


「この連作において自我について私はずっと書いてきたと思う。しかしそれを今からまた結構書く。」(『群像』2019年11月号p.370)
 群像新人賞に選んでくれた恩人であり、また師と仰ぐ「私小説」の書き手、藤枝静男。渾身の師匠説連載、いよいよ『田紳有楽』を取り上げる第四回。




 まずは千葉県における台風15号の大きな被害の話題から。


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 地方とは何だろう、中央とはなんだろう、東京とはなんだろう、天皇とは何だろう、人間(それも身体)とはなんだろうとこの連作を始める時思っていたあたりをまた、さらに一層強く問うしかない事態が目前にあったから。ようするにそれはどのような事態か。
 そもそもここのところの打ち続く災害において、現政権は関西、四国に冷たく九州にも冷たく、しかしそう言えば無論もとより東北北海道にも異様に冷たく、そして今ここに首都圏郊外、千葉にもまた冷たかった、と判明したのである。こうなるとおそらくこの国土全部において連中は米軍基地以外のものに冷たいのではないか、と結論せざるを得ないね?
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『群像』2019年11月号p.364


 笙野頼子さんはご無事とのことで、読者としては一安心。しかし今、再び猛烈な台風19号が首都圏に接近しているわけで、東京二十三区(の一部)と米軍基地を除く各地(そして特に富裕ではない人々)にどんな被害が出ようと、政権はいつもと同じように迷惑顔で事実上無視することは容易に想像できます How dare you !


 これはもちろん前回の話題である天皇制につながっているわけですが、そのまま今回のテーマである自我の問題へと接続されてゆきます。


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 で? 地方とは何か、土着とは何か土俗とは何か、情報もなく、現象だけを目の前にした時、人はどうするのか、共同体にすがり、家族にしがみつく、猫を抱きしめる?
 自我は本当に我であろうか、とはいうものの、人はけして関係性のみを生きるものではない。関係性専一、そんなのは別にマルクス主義者でさえない、ただのドイデ、ドイツイデオロギー連中である。人間が個である事に意味を認めず、自然の脅威さえもかるくみてしまい、朝晩職業を変えるのを「自由」と思っている。それはただの交通専一の輩であり、肉という肉、粒子という粒子、自分という自分を知らないで生きている。
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『群像』2019年11月号p.366


 『ドイツ・イデオロギー』通称ドイデのフォイエルバッハ批判におんたこの原点を見た「だいにっほんシリーズ」を振り返りつつ、自我をどう書いたかという観点から師匠の作品へと進んでゆきます。


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 師匠の自我は生きるために獲得した文学の自我、ならば友達との対等な交遊とは違い、志賀さんとのそれは自分の魂を手に入れようとする空中飛行であった、なので、……私はまた中黒丸の小見出しを付けた。
 つまり志賀さんと師匠の作品を対比してみることでその自我のあり方が見えるのではないか。しかしどさくさにまぎれて拙作もそこに付け加えてしまった。でもこれはこれで仕方ないのではないか。だって私小説と「私小説」について考えている私が幾ら小物だって「私小説」家なのだ。だったらこんな時に使うものといったら自分とか自分の書いたものに決まっている。

 要するに私は本来の師匠の考えに背きながら、つまり師匠が神と仰ぐ志賀さんより実は本当は師匠のほうがはるかに人間の自我を描いて素晴らしいということを、なんとか書こうとしてここまで来たのである。ていうか師匠読者の推定九割九分九厘が必ずそう思っていると信じてきた。
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『群像』2019年11月号p.368


 言及されている「中黒丸の小見出し」はけっこうすごいので、ぜひ『群像』11月号p.362を開いて確認してみて下さい。


 で、ここからいよいよ「自覚的天才の文章アクロバット、海底脱出の大マジック」(『群像』2019年11月号p.374)こと『田紳有楽』を読んでゆきます。まずは二段組三ページにも及ぶ長い内容紹介ばーんと。


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 しかしここまででもう、何が本物やら偽物やら判らぬのだが、はっきり言って読むたびに頭がこんがらがる、ただそれを越えて圧倒される文章の凄さの臨場感と具体感と細部の正確さ(それは後ほど引用しまくり)でなんでもかんでも宇宙からも砂漠さらも遠い時空からも浜松中の眼球を知りきった眼科医のでかい手で、ガッと引っ張ってきて、読むものの目の前に置いてしまうのだ。
 すると読者はそのこんがらがった世界が実は宇宙の本質だと納得してしまい、世界の複雑さの迫力に打たれ、なおかつなんでも醜く書いているかのような化け仏世界のそのかんどころにおいて、見事に浮上して来る正確無比な美や、淡いが故に貴重な悲しみに打たれてしまう。なおかつ、……。
 しかしそこで油断をしていると主人公は痒い金玉を擦っているのでいきなり抒情から放り出されてしまう。要するに、読み手もへらへらの化け茶碗やばけ仏に化した上で、構造を抜け、心を奪われ、彷徨う事の中にひそむ真実の触感、その貴重さの極楽に誘われるのである。
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『群像』2019年11月号p.375


 そして私小説とは何か、を追求してゆくのです。


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 これ普通に私小説と考えられているものと一見すごく違うけど文章それ自体は頂点を極めている鍛えぬいた私小説のもの。つまりその一見違うあり方とは元の本当の私小説におそらくは一番近いものだ。自由であること、正直であってかつ、技術を尽くすこと。
(中略)
 師匠の私小説『田紳有楽』はこのように「でたらめ」と称し、一切のお約束的リアリズムの手足を縛ったまま、真っ暗の崖に飛び下りても、体から文章の翼を生やして空中浮遊した世界文学。その浮遊により背後にあらわれるのは輪郭をなくして初めて判る世界の本質だ。それは曽宮画伯のまっ縦にのびて物質化したあの巨大な虹の飴が、さらに一億本も並んでいて、もう食い切れない極楽、なのに親しみ深くてビールの酔いのように体感出来る世界、ちなみに師匠も青木画伯もこの縦一本の虹を見た事がある。オーバーザレインボー、本物の仏様と会話出来るカフェ。見られる触れる、だらしない仏様達はとっても気さくです。
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『群像』2019年11月号p.377、384


 そしてですね、最後の最後に、予告通り「引用しまくり」極楽が待っているのですよ。


 というわけで、天皇、師匠、自我、私小説について書いてきた、師匠説にして私小説でもある連作は、次回に続きます。



タグ:笙野頼子
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『妖怪ケマメ』(渡邉尚、ギヨーム・マルティネ) [ダンス]

 2019年10月6日は、夫婦でKAAT神奈川芸術劇場に行って妖怪ジャグリング公演を鑑賞しました。「頭と口」の渡邉尚さんと儀保桜子さん、「デフレクト」のギヨーム・マルティネさん、音楽演奏の野村誠さん、四名が出演する45分の舞台です。


[キャスト他]

振付・演出: 渡邉尚、ギヨーム・マルティネ
音楽: 野村誠
妖怪ボール製作: 儀保桜子
出演: 渡邉尚、ギヨーム・マルティネ、儀保桜子、野村誠


 2016年「頭と口」公演『WHITEST』の紹介で「今年末にはフランスに拠点を移すため次はいつ観られるか分からない」と書いてから三年、待望の新作公演がやってきました。しかも「カンパニー デフレクト」のギヨームとの共演というからこれはもう大興奮。ちなみに過去に観た公演の紹介はこちら。


「頭と口」

  2016年11月07日の日記
  『WHITEST』
  https://babahide.blog.ss-blog.jp/2016-11-07


  2015年12月28日の日記
  『MONOLITH』
  https://babahide.blog.ss-blog.jp/2015-12-28


「カンパニー デフラクト」

  2016年10月18日の日記
  『フラーク』
  https://babahide.blog.ss-blog.jp/2016-10-18


 舞台上の四隅に手作り風の装置(妖怪の一味)が設置してあり、これがときおり「かたかた、かたかた、ちーん」と音を出す。天井からはたくさんの裸電球が様々な高さに吊るされており、それがランプのように微妙にちらつく。

 舞台上にはビーンバッグ(これも妖怪の一味)が意味ありげなパターンで散らばっている。野村誠さんがピアノで古めかしい音色を奏でたりペットボトルで床をリズミカルに叩いたりして、見世物小屋めいた怪しい雰囲気を盛り上げます。

 床に置かれている多数のビーンバッグは今回の公演用に特別に制作されたそうで、たこ糸を編んで作った、触手やら、毛やら、角やらが生えている、ショーン・タンの絵本に出てきそうな変ないきものを連想させるもの。制作した儀保桜子さんも舞台の上にいて、座敷わらし風の存在感を放っています。

 こういう逢魔空間で、渡邉尚さんとギヨーム・マルティネさんが、何だかよく分からない妖怪に扮して、変な動きでくねくね踊ります。人間の動きじゃないです。逆立ち姿勢のまま足でビーンバッグを持ち上げて相手に投げつけたり。それを素早く足でキャッチして身体を回転させて足で投げ返したり。妖怪の仕業じゃ。

 ジャグリング技術の凄さに感心するというより、人間ではないものの生態をこっそり観察しているという印象を受けます。二人が融合して八本の手足をもつ謎の動物になってフロアジャグリングしながら徘徊するとか、バドミントンとバレーボールを合わせたような謎競技に燃えるとか。

 終演後には、観客も舞台に入って自由に舞台装置に触れることが出来るのが素晴らしく、子どもたちがジャグリングに挑戦したりしていて楽しい。今回使われたのと同じ妖怪ビーンボールの販売もありましたが、ほぼ売り切れ状態でした。



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