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『DUST ダスト』(インバル・ピント&アヴシャロム・ポラック) [ダンス]


公演プログラム掲載のインタビューより
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「FLOOD(洪水)」という言葉からイメージを起こすという作業を結構やりました。いわゆる災害の洪水だけでなく、人のフラストレーションがたまっている感情の洪水。あと、テスト用紙、紙を使って動きのアイデアを出していったのですが、それも情報にまみれた洪水のイメージだと思います。
(中略)
大きな木に例えたら、アヴシャロムは幹をつくる。インバルはそこに枝葉をつけて、花をつけるのか、実をつけるのかという作業。そういうバランスなんですよね。インバルだけだと葉っぱばかりが広がってうっそうとした茂みになってしまう(笑)。アヴシャロムだけだと、幹はしっかりしているけど、どこか殺風景になってしまうし。
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森山未來


 2016年1月31日は、夫婦で彩の国さいさま芸術劇場に行ってインバル・ピント&アヴシャロム・ポラックの公演を鑑賞しました。森山未來さんを含む7名のダンサーが踊る1時間の舞台です。

 幕が上がると最初に手書き風の素朴なアニメーションが投影されます。洪水、世界の終わり、水面に浮いている様々なゴミ、泣き続ける少女(洪水は彼女の涙かも)。死と終末のイメージが横溢した映像が終わって明るくなると、そこは殺風景な「教室」。

 5人の子供たちが机に向かっており、得体の知れないやつが壁際に「カオナシ」のように佇んでいます。途中から背広を着た(自分では威厳があると思っているらしい)「教師」が入ってきます。

 じっと背後に立っている「カオナシ」、あやつり人形のように関節ぐにゃぐにゃな動きの「教師」、パジャマのような白い服を着せられた「子供たち」、という何だか奇妙な7名が、「教室」のなかで色々な動きを繰り広げるわけです。

 教師の前ではおとなしくしているのにいなくなるとすぐに遊び始めるとか、教師が座ろうとすると椅子を引く(何度か繰り返した挙げ句、ようやく座ると椅子が崩れる)とか、小学校あるあるな滑稽シーンも多いのですが、全体的に沈鬱というか、あの世の気配といか、体調の良くないときに見る夢のような雰囲気が漂っているため、笑いはほとんど起きません。

 机の天板が開いて子供たちがなかに飲みこまれてゆくシーンとか、冒頭のアニメーションに登場した「泣く少女」のシーンがラスト近くで再現されるとか、大量に紙ゴミが降り注ぐ(カオナシ出番)シーンとか、全体的に夢の不条理な論理に支配されているという印象が強い作品です。ダンサーの動きが凄いだけに、かえって非現実感が高まります。

 個人的に気に入ったシーンは、チャイコフスキーで踊る子供たちのアクロバティックな群舞、そして二人のダンサーがベートーヴェンで踊るシーン、この二つです。


[キャスト他]

振付: インバル・ピント&アヴシャロム・ポラック

出演: アリエル・ゲルバート、ツヴィ・フィッシュゾン、ノガ・ハルメリン、モラン・ミュラー、森山未來、コルデリア・ランゲ、アミト・マルシノ



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