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『ありきたりの痛み』(東山彰良) [読書(随筆)]

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 映像が目に浮かぶ小説を書くのはたやすい。わたしにとっての問題は、音楽が聴こえてくる文章が書けるかどうかなのだ。体臭のする一文、血の様相を帯びた一言、世界をぶつ切りにする句読点――それは小手先のことではなく、魂の問題なのだ。
 書け。
 才能なんか関係ない。
 書け。
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単行本p.19


 テキーラ、映画、音楽、そして魂で書く小説。台湾と日本にまたがって活躍する作家による、ハードボイルドで熱いエッセイ集。単行本(文藝春秋)出版は2016年1月です。


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 エンターテインメントの小説を書いていると、作中に作者が顔を出すのはあまり褒められたことではないとよく言われる。たしかにそれも一理ある。だけど、行間から滲み出る作家の体臭や口臭や痛みが感じられる作品がわたしは好きだ。作家たちがどうしても書かずにはいられなかった破滅的な一文にどうしようもなく惹かれる。作家と作品が完全に切り離されているような本は好きになれない。物語から遠くかけ離れた場所に作家がいて、彼の指先だけがキーボードをたたいて書いたようなものはくそったれだ。そのような本はストーリーさえ思いつけばだれにでも書ける。ストーリーをひねり出す才能と物語に魂を吹き込む才能は、まるで別物なのだ。
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単行本p.15


 戒厳令下の台湾における青春をえがいた『流』で第153回直木賞を受賞した東山彰良さんの第一エッセイ集です。ちなみに、Kindle版読了時の紹介はこちら。


  2015年09月11日の日記
  『流』(東山彰良)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-09-11


 その東山さんの第一エッセイ集が本書。全体は三つの章に整理されており、自分自身のことを語ったエッセイが並ぶ中に、映画コラムを集めた中間パートがはさまる、という構成。文章がとにかく熱い。否応なく読者を引きずりこんでしまうパワーがあります。


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 三阿姨は数年前にガンで死んだ。いつも煙草をぷかぷかし、ほかの大人たちが絶対にさせてくれないことをなんでもやらせてくれる彼女が、俺は大好きだった。十五のときには酒を飲みに連れ出してくれた。おかげで乱闘騒ぎに巻きこまれて左耳を四十針も縫う大怪我をした。十七のときには車の運転をまかせてくれた。だれかを轢き殺さなかったのは本当に運がよかった。彼女といっしょにいるのが楽しくて、誇らしかった。
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単行本p.26


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 むかし、バイクで国境を越えようとしたことがある。タイのチェンマイからラオスへ。山中の一本道、ゆるやかに流れる風景のなかで、ぼくはなにかを追いかけていた。それがなんなのかは、わからない。だけど走ってさえいれば、いつかはなにかが見つかると思っていた。自由とか、本当の自分とか、その類のものが。そして、それは半分だけ正しかった。
 ぼくは国境を越えられなかった。トラックに撥ねられたからだ。まるでぼくを撥ね飛ばしたことなんかたいしたことでもないと言わんばかりに、トラックはそのまま走り去った。ぼくはアスファルトの上で血を流していた。そして、この状況を楽しんでいる自分が確かに存在していることに気がついた。声をたてて笑ってしまったほどだ。なにがそんなにうれしいのか、ちっともわからなかった。
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単行本p.33


 いかにも『流』の著者らしいエッセイの数々に感心させられます。他にも、台湾に関する文章はみんなお気に入り。


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 帰省したときはたいてい叔母の家に厄介になるのだが、決まって訪れる朝食屋が近所にある。地元の人でさえほとんど気にもかけない、没個性の小さな店だ。歩道にテーブルをひとつふたつ出して、通行人に大目に見てもらいながら商いをしている。とくに美味いというわけでもないのだけれど、正直者の夫婦が毎朝機嫌よく立ち働いている。懐かしい友人たちと酒を酌み交わし、おおいに久闊を叙した翌朝、わたしは仕上げにその店で熱々の豆乳に油條と呼ばれる長い揚げパンを浸して黙々と食べる。蒸しあがったばかりの包子を勧められれば、正直者夫婦の顔を立ててやることもある。ただそれだけの話なのだが、その瞬間、お世辞にも美しいとは言えない街角には、くたびれたわたしの心を癒す全てがあるのだ。暑気がたちこめる前のひんやりした朝の喧騒をぼんやり眺めながら、わたしは悩みなどこれっぽっちもつけ入る隙のない完璧な朝食をとる。
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単行本p.41


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朝は熱々の豆漿(豆乳)と油條(細長い揚げパン)、昼は小南門で牛肉麺、もしくは永康街で小籠包、おやつに公館で豆花(にがりをいれずに作った豆腐のスウィーツ)を食い、夜は士林や華西街の屋台で一杯ひっかける。人間、魂がしっくりくる場所というのがあるのだ。
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単行本p.104


 完璧な朝食。
 魂がしっくりくる場所。

 台湾に関する文章はみんなお気に入り、といいつつ食べ物についての文章ばかり引用して申し訳ありません。

 映画コラムは多数収録されていますが、ここでも自分を前面にさらけ出して熱く語るスタイルは一貫しています。


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 偉大な監督はたくさんいるが、偉大な監督が撮った駄作はそれ以上にたくさんある。たいていの作品はほとんどなにも言ってない。「喪失と再生」とか「自意識の変容」とか、そのへんのことを適当に言ってれば十中八九当たらずとも遠からずだ。だからこそ、いろんなやつがあの手この手でどうしようもない映画を飾りたてる。
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単行本p.52


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この『シャイン・ア・ライト』のファックスがわが家の電話機からカタカタ流れ出したとき、俺はたまたまそれをじっと見ていた。で、ローリング・ストーンズとマーティン・スコセッシの名前が見えたとたん、言葉があふれた。だから前代未聞、空前絶後、言語道断なのだが、この文章は試写を見る前に書いている。だって、だってなんだもん!
(中略)
 ストーンズについて、これ以上なにか言うことがあるだろうか? およそロック好きでブルースの洗礼を受けない人なっていないと思うのだが、ストーンズはロックとブルースをつなぐ史上最大の扉じゃなかろうか。ストーンズをくぐりぬけたその先にブルースが見えなかったら、その人の人生はもうブルースとは無縁だ。
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単行本p.76


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 面白そうじゃないか! 面白くないわけがない。だってこの映画の脚本を書いたのは、この東山やけんね! 公共の紙面を利用して自分の宣伝をするとは何事か。ご立腹のむきもあろうが、それがどうした。俺はうれしいのだ。日々研鑽してきた脚本がついに形になって。
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単行本p.121


 という具合に型破りな映画コラムが並びますが、映画関連の文章で最も印象的だったのは、『ロッキー』の映画評です。


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 わたしが言いたいのは、とどのつまり、こういうことだ。『流』も『ロッキー』も、その根底にあるのは家族愛なのである。これまでに考察してきたあれこれを斟酌すると、これではわたしの本が直木賞を頂戴することになったとしても、ちっとも不思議ではない。共通点が多すぎる。とゆーか、共通点しかない。そうだとも!
(中略)
勝機はない。絶対に勝てない。試合前夜、ロッキーはそうつぶやく。だけどもし最終ラウンドまで立っていられたら、自分がただのゴロツキじゃないと証明できるんだ、と。
 ロッキー・バルボアはそれを証明した。
 つぎはわたしの番だ。
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単行本p.216



タグ:台湾
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