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『日本霊異記/発心集(日本文学全集08収録)』(池澤夏樹:編集、伊藤比呂美:翻訳) [読書(小説・詩)]

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 説話集というのは、高校の古文で毒気を抜かれたようなのばかり読まされたせいで興味を持たなかったのである。それが、四十くらいのときに再会してのめりこんだ。ちくま学芸文庫版の日本霊異記だった。なにしろエロい。グロい。生き死にの基本に立ち戻ったような話ばかりである。しかしそこには信仰がある。今のわれわれが持て余してるような我なんてない。とても清々しい。しかも文章が素朴で直截で、飾りなんかまったくない。性や性行為についても否定もためらいも隠し立てもない。素朴で率直で単純で正直で明るく猟奇的なんである。
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単行本p.469


 色欲や我執のすさまじさを直截的に語る『日本霊異記』、執着を捨てることの困難さと理不尽さを語る『発心集』。河出版『日本文学全集08』に収録された、伊藤比呂美さんの現代語翻訳による仏教説話集です。単行本(河出書房新社)出版は2015年9月。


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 景戒に夢中になってから説話集やいろんな往生伝を読んでみた。でも後代のものは、説明や描写、ことばの修飾が多くて、なんだかダラダラしていると感じてしまうのである。でも長明にいたった。そしたら文章がすごかった。素朴で率直で明るく猟奇的な景戒とは、また別の意味ですごかった。(中略)人間のダークな部分や、理性でどうにもできない心の動きを容赦なく描き切る人として、すさまじいとしかいいようがない。
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単行本p.470


 『平安時代初期(9世紀初め)に書かれた『日本霊異記』、鎌倉時代(13世紀初め)に書かれた『発心集』。仏教説話集を代表する二冊を、詩人の伊藤比呂美さんが現代語に翻訳してくれました。

 何しろ『日本霊異記』を元にして書かれた短篇集『日本ノ霊異ナ話』が衝撃的だったので、ようやく原典の抄訳を、しかも当の伊藤比呂美さんの訳文で読めてすごく嬉しい。ちなみに『日本ノ霊異ナ話』文庫版読了時の紹介はこちら。


  2008年01月23日の日記
  『日本ノ霊異ナ話』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2008-01-23


 で、現代語訳『日本霊異記』の文章はこんな感じです。


「悪女が悪死をした縁」より
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 疲れた母は目を覚まさなかった。娘のところに行ってやれなかった。娘は死んだ。母は娘に会えなかった。娘は親に孝をつくさずに死んだ。こんなことなら、自分の飯を譲ればよかった。母に食べさせてから死ねばよかった。
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単行本p.25


「強力女の縁」より
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夫によく従い、にこやかで、優しくて、照り照りのふわふわな絹綿みたいな妻だった。
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単行本p.34


「蛇の愛欲の縁」より
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 魂は、前の生で行った善行や悪行から離れない。その結果、蛇や馬や牛や犬に、あるいは鳥に生まれ変わることもある。前生で執着が残っておれば、後生で蛇に愛されてセックスされる。あるいは、けがれた畜生に愛されてセックスされる。
 愛欲は、手に負えない。
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単行本p.39


「邪淫の縁」より
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 愛欲の火は心身を焼き焦がす。それはしかたがない。でも、いっときの欲情に流されて穢いことをするな。愚かな人間が貪るのは、蛾が火に入るのと何ら変わらない。
 律にこう書いてある。
「背骨の柔らかい男は、自分の口でマスターベーションする」と。
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単行本p.52


 現代を生きる私たちにとって読みやすく、こなれた、そしてあけすけな文章に訳されています。セックス、ペニス、ヴァギナ、といった単語とびかうなかに、「照り照りのふわふわな絹綿みたいな妻だった」といった表現が転がっていて、こう、ぐっと心をつかまれます。

 これが『発心集』になると、もっと落ち着いた、洗練された文章に訳されています。


「高野山の南に住んだ筑紫上人、出家して山に登った事」より
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「そもそも、これは何事だ。この世のありさま、昨日はいた人が、今日はもういない。朝に栄えた家が、夕べには衰える。いったん死んでしまえば、苦労して蓄えたものに何の意味がある。執着する心から離れられず、生死をくり返すだけの生はむなしい」
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単行本p.405


「入間川の洪水の事」より
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 この話を聞いてどう思ったか。
 この世を厭うたか。この世を離れようと思ったか。
 他人事だと考えたか。自分だけはこんな目には遭うまいと考えたか。
 人の身ははかなく、破れやすい。この世は苦だらけ。危険な目に遭うのはわかっていても、海山を通らずにはいられない。海賊が恐ろしくても、宝を捨ててばかりはいられない。
 ましてやこの世。生きて、働いて、罪を作る。妻子のために、身を滅ぼす。難に遭うこと、数知れず。難の原因も、万とある。
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単行本p.446


 静かな激しさというか、思い詰めたような迫力というか、さすが鴨長明は真面目だなあと。なぜこの世は苦に満ちているのか、なぜ信心深い善人がひどい目にあうのか、どうすれば我執を捨てられるのか、真剣に悩んでいる様子が伝わってきます。まあ、何かというと、女は愚かだ、嫉妬深い、罪深い、近づけば災いに巻き込まれる、女に近づいてはいけない、リア充爆発しろ、と必死にくり返すあたり、逆に煩悩の深さがうかがわれますけど。

 『日本霊異記』も『発心集』も仏教説話なので、最後にお説教がついてきますが、何しろ話のエログロさがハンパないので、どうも空々しく感じられてなりません。編集者の池澤夏樹さんいわく。


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 仏教説話を読んでいると話のおもしろさが圧倒的で仏教の趣旨がそれに負けているような気がする。いわば宗教に対する文学の勝利だが、これはぼくが文学の側に身を置くことによる偏見かもしれない。仏教という世界原理が日本古来のアニミズムに対して圧倒的な魅力をもって人々に迫ったことはよくわかる。そうでなかったら、日本人はあれほど寺を造ることに財を投じはしなかっただろう。ただ、教義は教義として、現実にはなかなか身を清く保つことができないのが人間で、その隙間に説話文学が成立する。
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単行本p.500



タグ:伊藤比呂美
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