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『量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』(マンジット・クマール:著、青木薫:翻訳) [読書(サイエンス)]

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 アインシュタインにとって物理学とは、観測とは独立した存在をありのままに知ろうとすることだった。アインシュタインが、「物理学において語られるのは、“物理的実在”である」と述べたのは、その意味でだった。コペンハーゲン解釈で武装したボーアにとって、物理学において興味があるのは、「何が実在しているか」ではなく、「われわれは世界について何を語りうるか」だった。ハイゼンベルクはその考えを、のちに次のように言い表した。日常的な世界の対象とは異なり、「原子や素粒子そのものは実在物ではない。それらは物事や事実ではなく、潜在的ないし可能性の世界を構成するのである」。
 ボーアとハイゼンベルクにとって、「可能性」から「現実」への遷移が起こるのは、観測が行われたときだった。観測者とは関係なく存在するような、基礎的な実在というものはない。アインシュタインにとって科学研究は、観測者とは無関係な実在があると信じることに基礎づけられていた。アインシュタインとボーアとのあいだに起ころうとしている論争には、物理学の魂ともいうべき、実在の本性がかかっていたのである。
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単行本p.347


 物理学史上に名高い「アインシュタイン=ボーア論争」とは何だったのか。
 黒体放射、光電効果、物質波、行列力学、波動力学、不確定性原理、そしてコペンハーゲン解釈。量子力学の発展に関わった多くの物理学者の人生とその成果を積み上げてゆき、やがて実在をめぐる論争とその意義の解説にいたるエキサイティングな一冊。単行本(新潮社)出版は2013年3月です。


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 本書には量子革命の百年の歴史が、じつに骨太に描き出されていたからだ。とくに、コペンハーゲン解釈はどのようにして生まれたのか、なぜコペンハーゲン解釈は、量子力学と同義語のようになってしまったのかが明らかにされていく。じっさい本書の狙いのひとつは、コペンハーゲン解釈がその役割を終え、量子力学についての理解が新たな段階に入ったという状況を明らかにすることなのだろう。(中略)今日では、コペンハーゲン解釈とはいったい何だったのか(コペンハーゲン解釈に関する解釈問題があると言われたりするほど、この解釈にはあいまいなところがあるのだ)、そしてアインシュタイン=ボーア論争とは何だったのかが、改めて問い直され、それにともなってアインシュタインの名誉回復が進んでいるのである。(中略)
 アインシュタインとボーアという類い稀なふたりの人物を得たことは、物理学にとって本当にありがたいことだった。その二人の巨人が、宇宙の本性をめぐって知的に激突した歴史的論争を、マンジット・クマールのみごとな描写で観戦していただけるなら、そしてわれわれのこの宇宙は、非局所相関のある量子的宇宙なのだということに思いを致していただけるなら訳者として嬉しく思う。
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単行本p.504、509、511




目次

第1部 量子
  第一章 不本意な革命ープランク
  第二章 特許の奴隷ーアインシュタイン
  第三章 ぼくのちょっとした理論ーボーア
  第四章 原子の量子論
  第五章 アインシュタイン、ボーアと出会う
  第六章 二重性の貴公子ード・ブロイ

第2部 若者たちの物理学
  第七章 スピンの博士たち
  第八章 量子の手品師ーハイゼンベルク
  第九章 人生後半のエロスの噴出ーシュレーディンガー
  第十章 不確定性と相補性ーコペンハーゲンの仲間たち

第3部 実在をめぐる巨人たちの激突
  第十一章 ソルヴェイ一九二七年
  第十二章 アインシュタイン、相対性理論を忘れる
  第十三章 EPR論文の衝撃

第4部 神はサイコロを振るか?
  第十四章 誰がために鐘は鳴るーベルの定理
  第十五章 量子というデーモン




第1部 量子
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 プランクの黒体放射の法則からアインシュタインの光量子へ、さらにボーアの量子論からド・ブロイの物質の波と粒子の二重性へと、四半世紀以上にわたって繰り広げられてきた量子物理学の進展は、量子的概念と古典物理学との不幸な結婚から生み出されたものだった。しかしその結婚は、1925年までにはほとんど破綻していた。アインシュタインは1912年の5月にはすでに、「量子論は、成功すればするほどますます馬鹿馬鹿しく見えてきます」と書いた。求められていたのは新しい理論――量子の世界で通用する新しい力学だった。
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単行本p.208

 プランク、アインシュタイン、ボーア、ド・ブロイ。初期量子力学を切り拓いていった物理学者たちの軌跡を辿ります。




第2部 若者たちの物理学
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 ボーアは、シュレーディンガーの波動関数に関するボルンの確率解釈をはじめ、さまざまな要素をひとつひとつつなぎ合わせ、それらを量子力学に対する新しい物理的理解の基礎とした。物理学者たちはのちに、たくさんのアイディアが混じり合ったその解釈のことを、「コペンハーゲン解釈」と呼ぶようになる。(中略)
 ボーアのイメージする実在は、観測されなければ存在しないようなものだった。コペンハーゲン解釈によれば、ミクロな対象はなんらかの性質をあらかじめもつわけではない。電子は、その位置を知るためにデザインされた観測や測定が行われるまでは、どこにも存在しない。速度であれ、他のどんな性質であれ、測定されるまでは物理的な属性を持たないのだ。ひとつの測定が行われてから次の測定が行われるまでのあいだに、電子はどこに存在していたのか、どんな速度で運動していたのか、と問うことには意味がない。量子力学は、測定装置とは独立して存在するような物理的実在については何も語らず、測定という行為がなされたときにのみ、その電子は「実在物」になる。つまり観測されない電子は、存在しないということだ。
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単行本p.330、347

 パウリ、ハイゼンベルク、シュレーディンガー。ついに原子の構造を明らかにした量子力学、その定式化をめぐって提示された二つの理論すなわち行列力学と波動力学。新しい物理学が確立されるまでの苦難の道のりを描きます。




第3部 実在をめぐる巨人たちの激突
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 第五回ソルヴェイ会議に招待された物理学者たちはみな、「電子と光子」というテーマを掲げたこの会議は、目下もっとも緊急度の高い問題、物理学というよりもむしろ哲学というべき問題について討論するよう企画されていることを知っていた。その問題とはすなわち、量子力学の意味である。量子力学は自然の本当の姿について何を教えているのだろうか? ボーアはその答えを知っているつもりだった。多くの人たちにとって、ボーアは「量子の王」としてブリュッセルに到着した。しかしアインシュタインは、「物理学の教皇」だった。
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単行本p.339

 ボーアやハイゼンベルクたちによる「コペンハーゲン解釈」によって完成されたように思われた量子力学。あらゆる物理量は、そして電子や光子は、観測されるまでは実在しないとするコペンハーゲン解釈に対し、観測とは無関係な実在を信じるアインシュタインによる批判が起こる。はたして物理世界は観測前に「実在」しているのか。物理学とは何なのか。二人の巨人による論争の詳細が語られます。




第4部 神はサイコロを振るか?
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 ボーアとの論争で決定打を出すことはできなかったものの、アインシュタインの挑戦は後々まで余韻を残し、さまざまな思索の引き金となった。彼の戦いはボーム、ベル、エヴェレットらを力づけ、ボーアのコペンハーゲン解釈が圧倒的影響力を誇って、ほとんどの者がそれを疑うことさえしなかった時期にも検討を促した。実在の本性をめぐるアインシュタイン=ボーア論争は、ベルの定理へとつながるインスピレーションの源だった。そしてベルの不等式を検証しようという試みから、量子暗号、量子情報理論、量子コンピューティングといった新しい研究分野が直接間接に生まれてきたのである。
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単行本p.467

 アインシュタイン=ボーア論争の実験的検証を可能としたベルの不等式、そしてアスペによる検証実験。その結果はアインシュタインの主張を否定した。しかし、だからといってコペンハーゲン解釈が正しいと証明されたわけではない。ド・ブロイ–ボーム理論やエヴェレットの多世界解釈など、様々な代替理論が提出されてゆく。物理学にとってのアインシュタイン=ボーア論争の意義を改めて考える。





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