『旅書簡集 ゆきあってしあさって』(高山羽根子、酉島伝法、倉田タカシ) [読書(小説・詩)]
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道中はめちゃくちゃ楽しかった。誰かの最高の冗談が決まったその瞬間みたいなやつが、ずっとつづいた。それでいて意味の感じられない話なんて一つもなかった。運転のできないぼくはまるで旅の役に立たず、シートで身を縮めた。たまに静かになるごとに、高山さんが思いもよらないようなことを話して一同を湧かせた。
あのときみんなでどういうことを喋っていたのか、さすがにはっきりとは思い出せない。思い出せないけど、大切な思い出だ。当時のスマートフォンは壊れ、写真もない。それくらいがちょうどいい気もする。とにかく、そういう季節があったということだ。背水の陣の緊張感と自己に賭ける気持ちとがそれぞれに重なりあった、期せずして訪れた第二の青春が。(中略)
本書は架空旅行記であり、ユーモラスな幻想譚であり、もしかすると、三人が持てる才を全力でぶつけあった青春の記でもある。いまやそれぞれに異なるキャリアを重ねた三者の尖りに尖ったこれらの書簡が、こうも奇跡的に噛みあっているのは、たぶんそういう事情にもよるのではないだろうか。
(「巻末エッセイ」 宮内祐介)
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単行本p.268
架空の地を旅する三人が、それぞれの土地からお互いに向けて送った手紙。異なる三つの幻想譚の絡み合いから生まれた、『なつかしく謎めいて』(アーシュラ・K・ル=グウィン)を三次元化したような不思議な長編小説。単行本(東京創元社)出版は2022年1月です。
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旅先から旅先へお手紙を送りあうということは本当にうきうきするもので、まるでひとりで三箇所を同時に旅をしているような、お得な気分になっています。申し訳ないながら、本当に提案をしてよかったとも思っています。(中略)思うに、みっつの要素さえあれば、地球上のどこにある地点でも確認できて、その一点を目指すことができるはずなんですよね。この場合ふたつ、つまり往復書簡的な情報の動きではだめで、情報を発信する点がみっつである必要があります。
(高山羽根子)
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単行本p.35、37
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われわれは、三次元の住人である以前に、惑星表面という閉じられた二次元の曲面におおむね収まっているのだから、そう、うろうろしていたらきっと落ち合えるはずです。ちょっと気になるのは、三人の居場所が四つめの次元の方向にずれている、つまり、存在する時間が異なるかもしれないということですね。ただ、もしそうだとしても、こうして手紙を送りあうことができているなら、きっとなんとかなるだろうと楽観しています。
(倉田タカシ)
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単行本p.55
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わたしがなんの計画性もなく旅を続けながらも、倉田さんや高山さんと連絡を取り続けられるのは、元はと言えばシュヴァルが郵便配達中に石に躓いたことと、その石が地面深くまで埋まる四重核みたいな岩だったおかげですね。それがなければシュヴァルは理想宮を造らなかったかもしれませんし、〈愛と驚異のシュヴァル・ツーリスト商会〉も生まれず、どこであろうと旅人の現在地を把握して郵便物を送り届けてくれる驚異的な郵送システムの恩恵を受けることもなかったでしょう。
(酉島伝法)
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単行本p.197
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三人がどこか一点に集合するとき、それは、三つのばらばらな視点が集まり、三人の目に映ったべつべつの風景が重ねあわされるときです。三つの条件があれば行き先は一点に定まる、というのは、世界を眺める目が三組あれば、一つの新しい小さな世界を出現させられるということも意味しているのかもしれない……そんなことを考えて楽しい気持ちになりました。(中略)
また会いましょう、という約束が果たされることをすこしも疑っていないけれど、もし、三人がじつはまったく違う時間を生きていて、シュヴァル・ツーリスト商会の不思議な郵便配達によって通信できているだけなのだとしても、それはそれで大丈夫なのだ、という確信も、どうやら自分の心にはあるようです。この確信は、たぶん、文を書くという行為への多大な信頼から生まれたものなのでしょう。
(倉田タカシ)
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単行本p.248
道中はめちゃくちゃ楽しかった。誰かの最高の冗談が決まったその瞬間みたいなやつが、ずっとつづいた。それでいて意味の感じられない話なんて一つもなかった。運転のできないぼくはまるで旅の役に立たず、シートで身を縮めた。たまに静かになるごとに、高山さんが思いもよらないようなことを話して一同を湧かせた。
あのときみんなでどういうことを喋っていたのか、さすがにはっきりとは思い出せない。思い出せないけど、大切な思い出だ。当時のスマートフォンは壊れ、写真もない。それくらいがちょうどいい気もする。とにかく、そういう季節があったということだ。背水の陣の緊張感と自己に賭ける気持ちとがそれぞれに重なりあった、期せずして訪れた第二の青春が。(中略)
本書は架空旅行記であり、ユーモラスな幻想譚であり、もしかすると、三人が持てる才を全力でぶつけあった青春の記でもある。いまやそれぞれに異なるキャリアを重ねた三者の尖りに尖ったこれらの書簡が、こうも奇跡的に噛みあっているのは、たぶんそういう事情にもよるのではないだろうか。
(「巻末エッセイ」 宮内祐介)
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単行本p.268
架空の地を旅する三人が、それぞれの土地からお互いに向けて送った手紙。異なる三つの幻想譚の絡み合いから生まれた、『なつかしく謎めいて』(アーシュラ・K・ル=グウィン)を三次元化したような不思議な長編小説。単行本(東京創元社)出版は2022年1月です。
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旅先から旅先へお手紙を送りあうということは本当にうきうきするもので、まるでひとりで三箇所を同時に旅をしているような、お得な気分になっています。申し訳ないながら、本当に提案をしてよかったとも思っています。(中略)思うに、みっつの要素さえあれば、地球上のどこにある地点でも確認できて、その一点を目指すことができるはずなんですよね。この場合ふたつ、つまり往復書簡的な情報の動きではだめで、情報を発信する点がみっつである必要があります。
(高山羽根子)
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単行本p.35、37
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われわれは、三次元の住人である以前に、惑星表面という閉じられた二次元の曲面におおむね収まっているのだから、そう、うろうろしていたらきっと落ち合えるはずです。ちょっと気になるのは、三人の居場所が四つめの次元の方向にずれている、つまり、存在する時間が異なるかもしれないということですね。ただ、もしそうだとしても、こうして手紙を送りあうことができているなら、きっとなんとかなるだろうと楽観しています。
(倉田タカシ)
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単行本p.55
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わたしがなんの計画性もなく旅を続けながらも、倉田さんや高山さんと連絡を取り続けられるのは、元はと言えばシュヴァルが郵便配達中に石に躓いたことと、その石が地面深くまで埋まる四重核みたいな岩だったおかげですね。それがなければシュヴァルは理想宮を造らなかったかもしれませんし、〈愛と驚異のシュヴァル・ツーリスト商会〉も生まれず、どこであろうと旅人の現在地を把握して郵便物を送り届けてくれる驚異的な郵送システムの恩恵を受けることもなかったでしょう。
(酉島伝法)
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単行本p.197
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三人がどこか一点に集合するとき、それは、三つのばらばらな視点が集まり、三人の目に映ったべつべつの風景が重ねあわされるときです。三つの条件があれば行き先は一点に定まる、というのは、世界を眺める目が三組あれば、一つの新しい小さな世界を出現させられるということも意味しているのかもしれない……そんなことを考えて楽しい気持ちになりました。(中略)
また会いましょう、という約束が果たされることをすこしも疑っていないけれど、もし、三人がじつはまったく違う時間を生きていて、シュヴァル・ツーリスト商会の不思議な郵便配達によって通信できているだけなのだとしても、それはそれで大丈夫なのだ、という確信も、どうやら自分の心にはあるようです。この確信は、たぶん、文を書くという行為への多大な信頼から生まれたものなのでしょう。
(倉田タカシ)
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単行本p.248