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『kaze no tanbun 特別ではない一日』(岸本佐知子、高山羽根子、山尾 悠子、皆川博子、 円城塔、西崎憲、他) [読書(小説・詩)]

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 座っていてよ。あんたが立ったら、特別な一日になっちゃうじゃないの。
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『昨日の肉は今日の豆』(皆川博子)より


 小説やエッセイの境界をこえる19篇。『たべるのがおそい』編集の西崎憲さんが新たに挑む短文集シリーズ〈kaze no tanbun〉、その第一弾。単行本(柏書房)出版は2019年10月です。


[目次]

山尾悠子 「短文性について I」
岸本佐知子「年金生活」
柴崎友香 「日壇公園」
勝山海百合「リモナイア」
日和聡子 「お迎え」
我妻俊樹 「モーニング・モーニング・セット」
円城塔  「for Smullyan」
皆川博子 「昨日の肉は今日の豆」
上田岳弘 「修羅と」
谷崎由依 「北京の夏の離宮の春」
水原涼  「Yさんのこと」
山尾悠子 「短文性について II」
円城塔  「店開き」
小山田浩子「カメ」
滝口悠生 「半ドンでパン」
高山羽根子「日々と旅」
岡屋出海 「午前中の鯱」
藤野可織 「誕生」
西崎憲  「オリアリー夫人」




岸本佐知子「年金生活」
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 ある日、政府がとつぜん年金を給付すると発表した。びっくりした。何をいまさら。いやそれ以上に、政府というものがまだあったことに驚いた。国のいちばん偉い人が誰なのかもよくわからなかったし、気にもしていなかった。テレビは何年も前にただの箱になっていたし、新聞はそのはるか前に死に絶えた。このたびの発表も、町内会の掲示板に貼り出された一枚の紙だった。
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単行本p.14


 年金給付開始年齢がどんどん先送りになり、予想通り棄民される私たち。だがあるとき、政府からついに〈ねんきん〉が給付されてくる。ぷるぷるしたシート状の有機体で、水をやるとどんどん増えてゆく。意外に役立つ〈ねんきん〉。


円城塔「for Smullyan」
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 つまり、

「の対角化、は印刷可能、ではない、の対角化、は印刷可能、ではない」

 が正しいならば、「の対角化、は印刷可能、ではない、の対角化」は印刷可能ではない。ところでこの印刷できない、「の対角化、は印刷可能、ではない、の対角化」は「の対角化、は印刷可能、ではない、の対角化、は印刷可能、ではない」と同じであると定めたことを思い出すなら、元々の文章、

「の対角化、は印刷可能、ではない、の対角化、は印刷可能、ではない」

 は印刷可能ではないということになる。
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単行本p.78


 私たちは数式などの記号操作は得意だし、無矛盾である限り任意の演算規則すなわち「文法」を定義して新たな「命題」を無数に作り出すことも、与えられた「命題」の「真偽」を判定することも簡単に出来る。しかし、操作対象の記号「言葉」に「意味」がこびりついていたら、そしてそれを無視することが極めて困難だとすれば、いったいどんなことになるのか。短文でやってみた。


皆川博子「昨日の肉は今日の豆」
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 豆は、絶対に口に入れてはいけない、火を通してもだめだ、致死の怖れがあるとメディアは警告している。豆の成分を思えば、喰えと言われたって断固拒否するが、人間以外の生物には無害なのだろうか。雀たちは、どれも健やかだ。毎日、入れ替わっているのだろうか?
 歩きづらさを感じていたので、床に腰を落とし、右の靴下を脱いだ。二つの丸い欠片になった小指がぽろりぽろりと落ちた。気づいた一羽が素早く嘴でつつく。ほろほろ砕ける。私を見上げ、「昨日の肉は今日の豆」と雀は歌った。古い小学校唱歌のメロディだ。ほかの雀たちも、揃って私に目を向け斉唱した。「明日の豆は今日の肉」
――――
単行本p.86


 身体が末端から豆になってゆく奇病が蔓延した世界。老夫婦の生活を通じて描かれる静かな終末風景。


円城塔「店開き」
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 文章だってね、だらけることはあるんですよ。というかね。誰にも見られていないときくらい、四角四面に並ばずに、だらだらしていてもいいじゃないですか。誰も見てないんだから。それにね。ぼんやりしているように見えても、いろいろやってるわけですよ。わたしたちも。誤字とりとかね。
(中略)
 んん。ちょっと待っててくださいよ。やっぱり身づくろいくらいはね。ゴシック体を明朝体に変更したりね。一行文字数を整えたりさ。一応、人前に出るわけだから。はい、どうですか。どうですかっていうのはあれですよ。わたしたちみたいな文章には、自分を見る能力はないわけでね。自分がどんな色や形をしているのかは、本来あずかり知らぬことなんですよ。
――――
単行本p.136、137


 うっかり開店前の「文章」を読んでしまったら、まだ準備中だった。文章が人前に出る(読まれる)前にどんな仕込みをしているか、その秘密を教えてくれる短文。


小山田浩子「カメ」
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 私が死んだらちゃんとこの子ら相続してよと時々伯母は姉妹に言う。姉妹はハァイ、と声を合わせる。下手したらこの子らあんたたちより長生きすんだからね。万年とは言わないけど、百年はざらよ。まるで百年生きたカメを知っているかのように言う。拾ったカメはそもそも何歳だかわからないのだから既に百歳超えているのかもしれない。外来種だからどっかに放したりしちゃいけないよ。ちゃんと飼うのよ、死ぬまで。ミシシッピアカミミガメはそりゃあ外来種かもしれないが、伯母が死んでこの子らが大きくなってそのころでもまだ外来種なんだろうか。
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単行本p.148


 庭で飼っているカメが一匹逃げ出して行方不明に。みんなわあわあ大騒ぎ。カメをめぐる活き活きとした親族のやりとりが印象的な短文。


高山羽根子「日々と旅」
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 芯の中に空気の圧力をかけてあるボールペンというものがあって、そのペンは寝転がっても水の中でも書くことができるらしい。このペンがあればお風呂やお布団の中ででも書き物ができるんじゃないか、と考えたらそのボールペンがとても欲しくなった。
 ネットで調べはじめたら、そのボールペンの値段やデザインよりも工場の様子のほうが気になった。ボールペンの工場では機械によってずーっと紙に線が引かれていて、かすれやどのくらい長く書けるかのチェックをし続けているらしい。見ていると、文字を書く機械があったほうがいいように思えてくる。ペンは線を引くためだけの道具じゃないような気がするし、使う人はこんな機械のようにしっかりとペンを持たない。ためらったり急いだり、考えごとをしながらひらがなや漢字、英語を混ぜながら細かい字を書いて、ときには線を引くのがボールペンだ。
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単行本p.173


 日本東京での何ということのない身辺雑記と、韓国ソウルでの旅行記が、交互に語られる。日常と非日常を同時並行で体験しているような奇妙な印象を与える短文。


西崎憲「オリアリー夫人」
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 その子は英和辞典を引いているさなかに発見したことについて話した。
「オレアンっていう地名を調べていたら、その近くにあるオリアリー夫人っていうのが目に入って」
 痩せているが貧相ではないその子は言った。
「オリアリー夫人、1871年のシカゴの大火の原因になった牡牛の持主、っていうふうに書いてあったんです」
 みなの興味が搔き立てられたことが分かった。
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単行本p.217


 パーティ会場でなにげなく持ち出されたオリアリー夫人の話題。みんながそれぞれにオリアリー夫人にまつわる逸話を即興で創作し語り始める。



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『会いに行って――静流藤娘紀行(第五回:最終回)』(笙野頼子)(『群像』2019年12月号掲載) [読書(小説・詩)]

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 避難勧告はこの佐倉市全域にもう出ています。ただ他県と違って特別大雨警報は出ていません。でも今ついに雨が縦にではなく、轟音の布のように、どぅわー、ざざざざざざと聴覚に被さってきました。
(中略)
 師匠! 師匠それではまだ実況を続けます。ていうかなんか、こうしていると私小説とは何か、の一面が現れてくるような気がしましたよ。
 今、シャッター型の雨戸をむろんしめきっています。風の吹いてくる方向の部屋で執筆しています。普段なら音もしないはずのそこが外れるかのように、ぐらっぐらっ、と揺れたり、外から叩いているようにシャッターごと動きます。
(中略)
 ちなみに、この風に対する恐怖はむろん自然現象への恐れとも言えます、けれども、……しかし、それよりも怖い何かがこの台風の背後には控えているのです。
 師匠、私達日本人にはもう国がありません。
(中略)
 雨も風も使わずとも国民は殺せます。
 師匠、取り敢えず私は書けるところまで書く、何も出来ないとしても眼の前のものを書こうと思います。ただそれだけです。つまりこうなったらもう、頭に浮かぶままに師匠説を書きますよ。最終回だしね。
――――
『群像』2019年12月号p.273、275、276


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第129回。


「どこまでひどいのだ、この一連の展開は、どこまで、どこまで、」
(『群像』2019年12月号p.272)
 群像新人賞に選んでくれた恩人であり、また師と仰ぐ「私小説」の書き手、藤枝静男。渾身の師匠説連載、ついに最終回です。


 まずは台風19号の話題から。
「土砂災害および河川氾濫警戒のため千葉県佐倉市に避難指示」というニュースが流れ、多くの読者が安否を心配していたそのとき。


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 師匠、……。
 今、二階の床が一階から離れて一瞬浮き上がりました。そうなって、ぺらりとまた、一階の上におりたという体感です。これさっきより軽いけどなんかニュアンスが違う。むろん、一瞬心臓が止まります。このまま床が落ちるのか窓が倒れて風が吹き込むのかと貧血しそうです(再びよこになってしまいました、これは片手をのばして打っています)。
 あ、しかしなんかまた今ちょっと風おさまってきました(上体起こしました)。
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『群像』2019年12月号p.270


 実況……。

 『猫々妄者と怪』における八百木千本の実況を思い出したりしましたが、現実の状況やばいです。雨風もそうですが、気圧による体調不良がおそろしい。未曾有の大型台風直撃のさなか大きな発作が起きたりしたら……。この原稿が無事に『群像』に掲載されているという事実をもってしても、心配が止まりません。


 そしてむろん、台風の脅威はそのまま日本の危機的状況と重なってゆきます。


――――
 そもそも国民全体が未来も含めて今とんでもない不運に災難に見舞われていますからね。
 どこまでひどいのだ、この一連の展開は、どこまで、どこまで、と家が壊れて死ぬ可能性があるように私は思ったのです。
(中略)
 というわけで目の見えにくいひとり住まいの、難病の老婆(なのか?)を襲う災害、ひとつ過ぎたら前より怖い災害(しかもその上に被っているFTA)。
 そうそうその他に先月の台風で屋根が抜けた方のブログを拝見していました。そのせいで、一晩で廊下と屋根が一緒に剥がれて飛ぶのではないかと思ってしまって、これでは家ではなく嵐の船ではないかという恐怖がありました。しかもこの化け物風は今からまた、さらに、「発展」して行くはずです。
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『群像』2019年12月号p.271、272


 台風の話なのか、政権の話なのか、メガ自由貿易条約の話なのか。
 だんだんわからなくなってゆくのがポイント。

「師匠、私達日本人にはもう国がありません。」

「どんなに走ってもいつか、TPPだのなんだのが頭から私を飲みこんでしまうのだ。」

 すでに売国済物件なので。


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 師匠、……。
 政府は日米FTAを批准しようとしています。最初はそんなのしないと称して別の名前で呼んでいた貿易条約です。大新聞はまともには報道していません。そして英文資料さえ時に権力は平然と「誤訳」をするのです。
 しかもこの台風のどさくさに紛れて、スピン報道まで使っているし、災害があったら上げないと言っていた消費税も平然と上げました。さらに今、こんな嵐の夜に医療費の削減、議員歳費の値上げを国民に告げ、そして(ネットもみていたので早いめに判った)、挙げ句に、FTAです。これは台風の後も、災害千回分の脅威をもって未来を脅かします。
(中略)
 しかしこういう事によって今から何か言うのはおそらく、赤旗くらい。ええ馬鹿でいいですもう。ナイーブでもルサンチマンでも愚鈍でも何でも「言ってもらっていいですか、どうぞ、けーっ」、だ。だって小説はモチーフが大切なのである。師匠には昔何か「憎悪」持ってると中野孝次先生との対談で言って貰いました。私は「憎悪」です。
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『群像』2019年12月号p.266、267


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 だったらもう報道だ。それは自分の内面を薄めてでもやらなくてはならない、というわけで報道モードになっている私、でもそれ師匠が「イペリット眼」や「犬の血」を書いた時と同じ状態でしょう?
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『群像』2019年12月号p.267


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 このネオリベ世界の今現在、電通やプロパガンダに打ち勝とうとすれば、やはりどうしたって、文学だ。そしてサンショウウオもいいだろうが文学といったってむしろ、こっちの方だ。
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『群像』2019年12月号p.260


 こうして師匠を読み解くことが今の切実な闘いになってゆく流れに、思わず息を飲みます。


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 拷問、戦争、父、姉妹、兄弟、妻の死を越え、茶碗と金魚が性交するサイケデリック弥勒の億万浄土を掌に産出した浜松の眼科医。そんな彼はけろりとしてきついことを言う時、世間に向かって反戦の声を上げる時、とてもシンプルなのに独特な「屈折した」言葉を選ぶ。
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『群像』2019年12月号p.265


 様々な声を駆使し、その響きを重ね合わせることで、文章に多層的イメージを込めてきたこの連載もいよいよ大詰め。藤枝静男の読み解きをどうかご確認ください。そして、文学によって突き抜けてゆく、その先を。


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 師匠の夢を私は今でも見る。やはり曽宮一念さんの描いた真っ白の船の中にいたり、小川さんのあげた宿場徳利の中に五十六億七千万年もこっそりと隠れていたり(その夢を見てやっと私は彼の主人公が、海上がりの徳利を買わなかったわけが、判ったのだ)その他にも、……、「いや、僕は」と言って窯跡に立っていたり、たった一度しか会っていないのに。それでも、猫嫌いの師匠が私に猫達を実はくれたのだと最近ではしきりに思うのである。つまり何の利害もない弱いもののために、号泣する事を彼は教えてくれたから。
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『群像』2019年12月号p.287



タグ:笙野頼子
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『記憶の盆をどり』(町田康) [読書(小説・詩)]

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「お、お父さん、いつの間にそんなに身長が高くなったんです。死んだら人は身長が高くなるんですか」
「いや、死んだら高くなるという訳ではない。悦べ、経高。俺はなあ、死んで大日如来になったのだ」
「はあ?」
「いやだから大日如来になったんだよ」
「なんすか、大日如来って」
「えおまえ、大日如来、知らないの」
「ええまあ、言葉としては知ってますよ。知ってますけど……」
 絶句してもう一度、父を見た。
 大日如来だった。
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単行本p.37


 シリーズ“町田康を読む!”第67回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、御伽草子、捕物帳、ロック、ビアス、夢十夜、佐野洋子、エゲバムヤジ、活き活きとした語りのパワーで何もかもぶっちぎり現代文学にしてしまう最新強烈短編集です。単行本(講談社)出版は2019年10月、Kindle版配信は2019年10月です。


[収録作品]

『エゲバムヤジ』
『山羊経』
『文久二年閏八月の怪異』
『百万円もらった男』
『付喪神』
『ずぶ濡れの邦彦』
『記憶の盆おどり』
『狭虫と芳信』
『少年の改良』




『エゲバムヤジ』
――――
 ならばナンジャラホイってこっちも無遠慮、玄関先まで呼び出された不機嫌を隠さずに尋ねると、女も女、切口上で、「あたし、もう無理だから。お宅で飼っていただけますぅ」と一応、尋ねてるのは尋ねてるが有無を言わさない、言い捨てると、持っていた箱を俺に手渡し、そのまま行こうとするので、「待たんかい、待たんかい、意味わからんがな」と、肩に手をかけると、「きゃあああ」と大仰な悲鳴、相手は若い女で俺はおっさん、痴漢冤罪事件でもでっち上げられたらたまらぬ、とて慌てて手を引き込めると、女は後ろ手にドアーを閉めて行ってしまって、俺の手に箱が残った。重たい布の箱。なにが入っているのだろう、うえにタオルがかけてある、とってみるとなかで小さな白い塊がわなないていた。これがエゲバムヤジ。
――――
単行本p.10


 女からエゲバムヤジを押し付けられやむなく飼うことになった男。最初はいやいやだったが、次第に愛情がわいてくる。運気も上がってくる。やがて再び女がやってきて、返してと言われたのだが……。


『山羊経』
――――
 なにがいったいあんなに苦しかったのか。思いだそうとすると、今の義行のことの苦しみやなんかも、その他の綺麗な色もマーブルに混ざって、マーブルが揺れて回転し始め、マーブルがどんどん大きくなっていって、その中心がドリルのようになって自分の脳に朧でありながら鋭い痛みと熱を注入して全身に毒が回ったようになって顔が三倍も膨らんで。
 ああああああああっ。吻。
 破。邪。顕。正。
 もの狂いしたようになって、でも心の駒に鞭打って、前に十手術に凝ったとき自己流で案出した印のようなことをやってなんとか渦状のものに脳が冒されるのを防止した。
――――
単行本p.22


 ぐずぐずと穢土を彷徨ううちに、大日如来になった父と再会し、己の未来記を語って聞かされるはめになった男の運命は。


『文久二年閏八月の怪異』
――――
「へぇ、あのぉ、なんか、親分、ひとりだけ乗り、違ってませんか」
「違ってる? なにが?」
「なにが、ってことはないんですけどね、なんかこう、ひとりだけ違う世界にいませんか」
「人間はもともとみんな違う世界にいるのさ。それを認められるタフな人間と認められないヤワな人間がいるだけさ」
「そんなもんすかね」
「そんなもんだよ」
――――
単行本p.88


 ときは文久二年。三河町の安アパートに住む岡っ引、半七親分のところに、いかにも女芸人の着るようなシェイプのドレスをまとい、よいパフュームを漂わせた女が人探しの相談にやってくる。江戸の世を騒がす怪事件の真相やいかに。半七クライムケースファイルの一篇。


『百万円もらった男』
――――
 男はほくそ笑みました。男の前に百万円の札束がありました。正確にはさっきの喫茶店代を払ったので九十九万九千円でしたが、しかし、おおよそ百万円という大金が男の前にあったのです。男がこんな大金を手にしたことはかつてありません。
 男は百万円を摑み、これに頬ずりして、「おほほ。僕の可愛い百万円ちゃん」と言うと、後ろ向きに倒れ、百万円を抱いて床を転げ回りました。四つん這いになって百万円を顔に押しつけ、尻をたっかくあげて、おおおっ、おおおおっ、と雄叫びを上げつつ、尻を左右にグニグニ振るなどしました。
――――
単行本p.100


 あなたの才能を百万円で買いたい。そんな申し出に飛びついた売れないミュージシャン。百万円を手にして有頂天になったが……。『100万回生きたねこ』へのトリビュート作品ですがそこは気にしなくてもいいというか気にしないほうがいいというか。


『付喪神』
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 読経によって形成された透明のバリアがビームを跳ね返して、その地点に火花が散った。
「おしっ、いけてるいけてる。もっと、読経せいっ」
 一連が叱咤して、弟子たちはなおも経を誦した。護摩も焚いた。バリアが厚くなっていった。バキバキバキバキ。ビームは、流れる水、誰かの満たされぬ想い、いつかみた希望のようにバリアの表面を青白い光となって走った。
「あかんがな。もっと、ビーム、出せ。ビーム」
 六尺棒が叫び全員がバリアめがけてビームを放出した。
 なんという恐ろしいことだろう、言い忘れていたが、いつしか物どもは独自にビームを発出できるようになっていたのである。
――――
単行本p.


 活き活きとした現代語による古典リライト。『御伽草子』より。
 百年を経て物心ついた「物」たち。付喪神にあおられて、自分たちを棄てた人間に復讐しようという話になり、存立危機事態だやっちゃえ派と、戦争したくなくてふるえる派に分かれて、侃々諤々。妖怪変化だ百鬼夜行だ、いきおいに乗って人間をばんばん殺してゆく物たち。しゃらくせえくらえ妖怪ビーム! させるか読経バリア! わりと人間そっちのけで内紛に没頭する物たち。その様子を物見高く見物しては次々と命を落とすアホな人間たち。いつの世も戦争は虚しい。


『ずぶ濡れの邦彦』
――――
 そもそも瑠佳はなぜ結婚するにあたって邦彦に走ることを禁じたのか。というと少し違うのは、邦彦という人がまずあって、その邦彦に、走らない、という条件をつけたのではなく、走らない人、という前提条件にたまたま合致したのが邦彦であったに過ぎないからで、瑠佳からすれば走りさえしなければ猿彦でも彦六でもなんでもよく、というか彦である必要すらなかった。
――――
単行本p.186


 絶対に走らない、という条件で結婚した邦彦。たとえ雨に降られずぶ濡れになっても、けなげに妻との約束を守り続けてきた邦彦。だがあるとき、ここで走らなければ飼い犬の命が、という危機に直面する。


『記憶の盆おどり』
――――
 気がおかしい美人ほど世の中を混乱させるものはない。
 だから帰るのか、というと帰らない。この状況で帰るのはいろんな意味で困難だ。女にも恥をかかせることになるし、自分の気持ちも収まりが付かない。もちろんこのことは厄介な問題となるだろう。しかしそれがなんだというのだ。自分はなにもかもを忘れるという奇病にかかっている。問題が起きたらそれをよいことにして忘れた振り、なにも覚えていない振りをすればよいだけの話だ。というか私は実際に忘れてしまうだろう。
――――
単行本p.219


 飲酒のせいで、あるいは断酒のせいで、記憶がときどき抜け落ちてしまう語り手。知らない美人と、引き受けた覚えのない仕事の打ち合わせなどしつつ、気づいたら、何でか知らんが彼女の部屋のベッドの上で酒など飲んでいている。どうしてこうなったのかさっぱり分からない。記憶欠落がだんだんと激しくなってゆき、ついには、数行前に書いてあったことすら忘れてしまうようになり、何が何だか記憶欠落夢十夜。


『狭虫と芳信』
――――
 僕はなにも悪を気取ってるんじゃない。僕はねぇ、生きたいんだよ。どうしても生きたいんだよ。それもただ生きたいんじゃない。楽して生きたいんだよ。そのために泥棒してます。
――――
単行本p.253


 知人が家にやってくるたびに物が盗まれる。しかし不思議なことに、そいつに物が盗まれた後には必ず大きな幸運がやってくることに気づいた。じゃ、トータルでは得してるじゃん。ところが最近、その知人はわが家に来ても窃盗をしなくなった。困った困った。そこで僕の代わりに知人をもてなして、そこらの物を盗むよう仕向けてくれないか。わけのわからない依頼を受けた語り手は、何とかして相手に窃盗させようと四苦八苦するが……。


『少年の改良』
――――
「どうだ、君の考えるロックとは随分違うだろう? 君の志は銃弾に撃ち抜かれたようになったんじゃないのかな?」
 少年は鼻を膨らませ、そして言った。
「なんぼうにもロックですがな。私らはむずかしいことはわからぬ。私らはそのときの快味で満足じゃ。心のなかは永日でがす。鶏の饂飩啄む日永かな、と学校で習いましたが。私はまるっきりカメラ小僧じゃ。もうなにもわからん。あんたの写真を撮ったろ。私らにはそれがロックじゃ」
 そう言って少年は私の写真を撮った。
――――
単行本p.288


 もう学校なんて止めてロックに生きる。そう言い出した息子を説得して思い止まらせてほしい。美人からそう頼まれた語り手は、本物のロックミュージシャンがどういうものかを見ればきっと幻滅するだろうと考え、少年を連れてライブハウスに向かう。ロックとは何だろう。ロックな生き方とは何だろう。著者が著者だけに、場末のしょぼいライブハウスで演奏しているロックバンドの描写はとってもリアル。



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『沈黙の木霊』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

 2019年11月3日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんの公演を鑑賞しました。上演時間1時間ほどの作品です。

 ほぼ三か月ぶりのアップデートダンス。『静か』をアップデートした上で改題した作品です。音楽も効果音もなく、まったくの沈黙あるいは静寂のなか、勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんが踊ります。ちなみに二年前に『静か』を観たときの日記はこちら。

  2017年07月03日の日記
  『静か』
  https://babahide.blog.ss-blog.jp/2017-07-03

 音楽という「解説」あるいは「指示」がないため、なにもかも見逃さない責任が、という謎のプレッシャーで精神集中を強いられます。聴覚というか感覚が鋭敏になり、舞台上の動きに対して観客側から反応する気配が、皮膚感覚のように感じられる。かなり疲れます。

 ときおり発作的あるいは激情にかられたように激しく動くシーンはあるものの、全体として、それぞれに手を差し伸べながらも誰にも触れることの出来ない孤独や寂しさを強く感じさせます。照明はいつもの通り素晴らしく、これだけで演出が完成しているところがすごい。



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