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『精密への果てなき道 シリンダーからナノメートルEUVチップへ』(サイモン・ウィンチェスター:著、梶山あゆみ:翻訳) [読書(サイエンス)]

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 精密さは私たちの生活の隅々にまで、余すところなく徹底的に行き渡っている。それでいてなんとも皮肉なことだが、精密さにまみれて生きている私たちのほとんどは、改めて考えたときにそれがどういうものかをよくわかっていない。そこが、指摘しておきたいもう一つの側面である。精密さが何を意味するのかも、似たような概念とどう違うのかも私たちははっきりとは理解していないのだ。(中略)読者は精密さがいつの世にも存在したと思っているのではないだろうか。人の目に触れぬところでじっと待ち、誰かに見つけてもらい、その素晴らしさに気付いた崇拝者たちが公益と信じるもののために利用されてきたのだと。とんでもない。
 精密さとは、意図的につくり出された概念だ。そこには、よく知られた歴史上の必要性があった。精密さが生み出されたのは、完全に実利的な理由によるものである。(中略)それはイギリスのウェールズ地方北部で、1776年5月のある涼しい日に起きた。(中略)再現可能な本当の意味での精密さを多少なりとも備えた機械。それが誕生したのは、北ウェールズでのその春の日だったというのが今やおおかたの(異論がないわけではないが)一致した見解である。
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単行本p.26、38、39


 測定し、記録し、反復することのできる精密さ。歴史上はじめて公差(許容誤差)数ミリの基準を達成した蒸気機関から、「陽子直径の1万分の1」を測定する重力波検出器まで、数多くの興味深いエピソードとともに精密機械工学の歴史を解説する一冊。単行本(早川書房)出版は2019年8月、Kindle版配信は2019年8月です。


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 私は、本書の各章を公差の大きい順に並べることにした。公差が0.1や0.01という章から始まり、後ろに進むにつれてだんだん小さくなっていく。ついには、一部の科学者が現在取り組んでいるような、あまりにも小さすぎて不合理に思えるほどの公差へとたどり着く。その小ささたるや、近年の発表によれば0.0000000000000000000000000001グラムの誤差を測定したという報告もあるほどだ。じつに10のマイナス28乗である。
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単行本p.32


[目次]
第1章 星々、秒、円筒、そして蒸気
第2章 並外れて平たく、信じがたいほど間隔が狭い
第3章 一家に一挺の銃を、どんな小屋にも時計を
第4章 さらに完璧な世界がそこに
第5章 幹線道路の抗しがたい魅力
第6章 高度一万メートルの精密さと危険
第7章 レンズを通してくっきりと
第8章 私はどこ?今は何時?
第9章 限界をすり抜けて
第10章 絶妙なバランスの必要性について




第1章 星々、秒、円筒、そして蒸気
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 肝心なのは、それによってまったく新しい世界が誕生しようとしていたこと。ついに機械をつくるための機械が生み出され、しかもそれは、正確かつ精密につくる能力をもっている。にわかに公差への関心が芽生えた。(中略)蒸気機関の中心的役割を果たすシリンダーは、「公差0.1インチ」か、ことによるともっと小さい公差を実現していた。これは、それ以前には達成はおろか想像すらされていなかったものである。
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単行本p.76


 アンティキティラの機械、ハリソンのクロノメーター。それまでも精密な機械を生み出した職人はいた。しかし、測定し、記録し、反復することのできる精密さ。世界を変えてしまう「精密さ」は蒸気機関とともに誕生した。「精密さ」という概念の夜明けを解説します。


第2章 並外れて平たく、信じがたいほど間隔が狭い
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 金属部分は用途によって大きさや形状が様々に異なる。したがって、親ネジと工具送り台の設定を作業員が正確に記録しておき、作業を繰り返すたびにその設定を変えないようにすれば、何度やってもまったく同じ金属部品に仕上がるはずだ。外観も寸法も、(金属の密度が同一なら)重さも、ほかのいろいろな特徴にもばらつきがなくなる。部品が再現可能になり、一つのものを別のものと交換しても問題が起きない。そこが肝心なポイントである。機械加工した金属部品(歯車、止め金、取っ手、円筒部など)を使って何かの機械を組み立てる場合も、それは互換性のある部品ということになる。それこそが、現代の製造業の根幹を支えているといっていい。
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単行本p.90


 機械が全体として精密に出来ているだけでなく、それを構成する部品の一つ一つに「互換性がある」。すなわち各部品がそれぞれ精密に、同一部品ならすべて同一に仕上がっており、部品を交換しても同じ機械とその精密さが完全に再現される。現代の製造業を支えている根幹的な技術が発明された経緯を解説します。


第3章 一家に一挺の銃を、どんな小屋にも時計を
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 修理ができて、手頃な値段で、まずまず正確な時計。それが顧客の求めた条件であり、それを実現できるところが精密な製造法の優れた点だった。(中略)物づくりの手法に一つの金字塔が打ち立てられたからである。その手法は、世界中の工業国がこぞって(精密さと完璧さを開拓したという点では胸を張っていいイギリスまでもが)羨む名ですでに呼ばれ始めていた。「アメリカ方式」と。
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単行本p.141


 大量生産技術により作られた銃や時計は、極めて正確で、信頼性が高く、修理が容易で、驚くほど安価な製品となった。イギリスで誕生した精密機械工学が、アメリカでどのように発展していったのかを解説します。


第4章 さらに完璧な世界がそこに
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 この見事な発想と、その仕事を楽々とやってのける美しい機械は、工学の世界に衝撃をもたらした。ジョン・ウィルキンソンが精密さの概念を誕生させ、0.1インチの公差で鉄をくり抜ける機械をつくってからまだ80年と経っていない。今や、金属部品の測定と製造が0.000001インチという公差で行えるようになった。信じがたいほどの変化の大きさである。突如として無限の可能性が(当時はまだ具体的になっていなかったにせよ)開けたのだ。
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単行本p.160


 精密さの概念を具現化した精密加工機械。それは驚くべきスピードでその精密さを増してゆく。精密であることは必要性から目標となり、精密さの基準は級数的な勢いで進歩してゆく。


第5章 幹線道路の抗しがたい魅力
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 ヘンリー・ロイスはごく単純に、選ばれし小数の人々のために世界最高級の自動車をつくることに全力を傾けた。それがどんなに困難であろうと、どれほど経費がかかろうと、頓着はしない。一方のヘンリー・フォードはといえば、個人を自動車で輸送するという手段をできるだけ大勢の人に届けたいと考えた。物づくりに支障を来さない程度に、可能な限りの低コストで、それぞれの夢を実現するために、ロイスが職人を集めて手作業で自動車を組み立てたのに対し、フォードは膨大な数をつくる必要から、やがて機械の力を借りるようになる。
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単行本p.169


 精密に仕上げられた大量の部品。それをどのようにして組み立てて一台の自動車を完成させるべきだろうか。妥協のない完璧な自動車をつくるため職人による手作業を洗練させたヘンリー・ロイス。大量生産とコスト削減のために「組み立てライン」を発明したヘンリー・フォード。ロールス・ロイスとフォード、それぞれの創成期における自動車製造に対するアプローチの違いを概観します。


第6章 高度一万メートルの精密さと危険
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 80年あまりが過ぎた今となっては、この発想がどれだけ革新的で奇抜なものだったかを実感するのは難しい。これは偶然が生んだ発明ではない。周到に計画し、慎重に考え抜き、入念な評価を行った結果として誕生したものであり、輸送機関を推進するためのまったく新しい手段だった。この瞬間をもって(またはこの発明、この人物をもって)、標準的な精密さのモデルは純然たる機械の領域を脱し、実体のないものの世界へと移動したのである。これから組み立てられようとしていたのは、人知を超えた美しさをもつ装置だった。人類はジェットエンジンを使って世界にろくなことをしてこなかったとの見方もあろうが、エンジン自体は当時も今もなお優美さと完全性を備え、これに匹敵する近代の創造物はそうないといっていい。
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単行本p.238


 稼働部品を複雑に組み合わせた複雑で故障しやすく速度に限界があるプロペラ方式。それに対して、稼働部品が一つしかないシンプルで完璧な推進装置を作り出す。そのためには自身を構成する合金の融点よりもはるかに高温のガスのなかで完璧に動作するタービンブレードが必要だった。航空機に革命を起こしたジェットエンジンの発明をめぐる物語。


第7章 レンズを通してくっきりと
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 現代の精密機器に要求されるような公差は、基本的に過ちを許さないレベルになっている。しかし、精密な製品の製造に人間が依然として関わっている以上、人的ミスがときとして忍び込んでくるのは避けられない。精密さを欠いた人間の失敗が、無人の世界のためにつくられた精密なメカニズムと交差したらどうなるか。その一番最近の典型的事例にハッブル宇宙望遠鏡がある。それは、打ち上げられ、不具合が白日の下にさらされ、最終的には素晴らしい成果を収めた物語だ。
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単行本p.289


 軌道上に打ち上げられてから致命的な問題が発覚したハッブル宇宙望遠鏡。驚くべき精度で作られたはずの主鏡はなぜピンぼけを起こしたのか。そしてそれを工場ではなく軌道上で宇宙服を着たまま修理するために、どのようなミッションが計画され遂行されたのか。宇宙望遠鏡の挫折と復活の物語を通じて、精密工学と人間の関係を見つめます。


第8章 私はどこ?今は何時?
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 地表上の位置は今やセンチメートル(近いうちにはミリメートル)単位で特定できる。なぜそんなことが可能かといえば、一つの技術が開発されたからだ。のちにその技術は、デッカ、ロラン、ジー、トランシット、モザイクといったかつての独占的な電波航法に取って代わることになる。さらには、六分儀や羅針盤やクロノメーターといった、位置を決めるのに何世紀も前から使われてきたブリッジの器具をも無用の長物に変えていく。
 その技術の名は「GPS(全地球測位システム)」だ。
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単行本p.322


 地表のどこにいても自分の居場所を正確に知ることが出来るGPS。それはどのようにして発明され、誰もが利用できるようになったのだろうか。時間計測の精度を極限まで高めた結果として生まれた、世界を変えた技術について語ります。


第9章 限界をすり抜けて
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 LIGOのテストマスは非常に厳密な手法で製造されているため、アームの長さの変化が陽子の直径の1万分の1であっても測定することができる。これがどれくらい小さいかといえば、太陽系から最も近い恒星であるケンタウルス座α星Aまでの距離(4.3光年=約41兆キロ)が、人間の髪の毛1本の太さより小さな変化を起こしただけで検出できるのと同じなのだ。
 精密さはそこまでのレベルにきている。
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単行本p.380


 極端紫外線(EUV)を用いた半導体チップ製造装置は、トランジスタを原子レベルのサイズまで微細化できる。重力波検出器LIGOは、陽子直径の1万分の1の変化を検知できる。現代の超微細精密工学が生み出した驚異の数々を見てゆきます。


第10章 絶妙なバランスの必要性について
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 その問いとは、広く世界を眺めたときに、じつのところ物事が精密になりすぎてはいまいか、ということだ。物理的な正確さにのみ邁進する今日の風潮のせいで、人間のありようにおける大切な何かが、精密さとはまったく異なる何かが覆い隠され、結果的に消えるに任されているのではないだろうか。
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単行本p.391


 セイコーの時計工場を見学した著者は、精密さの追求で知られながらも、職人技に対する敬意や、精密とは異なる価値を工芸品に見出す日本の文化について考える。極限の精密さを追求することが、これからも世界をより良い場所にしてゆくと信じてよいのだろうか。





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