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『kaze no tanbun 特別ではない一日』(岸本佐知子、高山羽根子、山尾 悠子、皆川博子、 円城塔、西崎憲、他) [読書(小説・詩)]

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 座っていてよ。あんたが立ったら、特別な一日になっちゃうじゃないの。
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『昨日の肉は今日の豆』(皆川博子)より


 小説やエッセイの境界をこえる19篇。『たべるのがおそい』編集の西崎憲さんが新たに挑む短文集シリーズ〈kaze no tanbun〉、その第一弾。単行本(柏書房)出版は2019年10月です。


[目次]

山尾悠子 「短文性について I」
岸本佐知子「年金生活」
柴崎友香 「日壇公園」
勝山海百合「リモナイア」
日和聡子 「お迎え」
我妻俊樹 「モーニング・モーニング・セット」
円城塔  「for Smullyan」
皆川博子 「昨日の肉は今日の豆」
上田岳弘 「修羅と」
谷崎由依 「北京の夏の離宮の春」
水原涼  「Yさんのこと」
山尾悠子 「短文性について II」
円城塔  「店開き」
小山田浩子「カメ」
滝口悠生 「半ドンでパン」
高山羽根子「日々と旅」
岡屋出海 「午前中の鯱」
藤野可織 「誕生」
西崎憲  「オリアリー夫人」




岸本佐知子「年金生活」
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 ある日、政府がとつぜん年金を給付すると発表した。びっくりした。何をいまさら。いやそれ以上に、政府というものがまだあったことに驚いた。国のいちばん偉い人が誰なのかもよくわからなかったし、気にもしていなかった。テレビは何年も前にただの箱になっていたし、新聞はそのはるか前に死に絶えた。このたびの発表も、町内会の掲示板に貼り出された一枚の紙だった。
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単行本p.14


 年金給付開始年齢がどんどん先送りになり、予想通り棄民される私たち。だがあるとき、政府からついに〈ねんきん〉が給付されてくる。ぷるぷるしたシート状の有機体で、水をやるとどんどん増えてゆく。意外に役立つ〈ねんきん〉。


円城塔「for Smullyan」
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 つまり、

「の対角化、は印刷可能、ではない、の対角化、は印刷可能、ではない」

 が正しいならば、「の対角化、は印刷可能、ではない、の対角化」は印刷可能ではない。ところでこの印刷できない、「の対角化、は印刷可能、ではない、の対角化」は「の対角化、は印刷可能、ではない、の対角化、は印刷可能、ではない」と同じであると定めたことを思い出すなら、元々の文章、

「の対角化、は印刷可能、ではない、の対角化、は印刷可能、ではない」

 は印刷可能ではないということになる。
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単行本p.78


 私たちは数式などの記号操作は得意だし、無矛盾である限り任意の演算規則すなわち「文法」を定義して新たな「命題」を無数に作り出すことも、与えられた「命題」の「真偽」を判定することも簡単に出来る。しかし、操作対象の記号「言葉」に「意味」がこびりついていたら、そしてそれを無視することが極めて困難だとすれば、いったいどんなことになるのか。短文でやってみた。


皆川博子「昨日の肉は今日の豆」
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 豆は、絶対に口に入れてはいけない、火を通してもだめだ、致死の怖れがあるとメディアは警告している。豆の成分を思えば、喰えと言われたって断固拒否するが、人間以外の生物には無害なのだろうか。雀たちは、どれも健やかだ。毎日、入れ替わっているのだろうか?
 歩きづらさを感じていたので、床に腰を落とし、右の靴下を脱いだ。二つの丸い欠片になった小指がぽろりぽろりと落ちた。気づいた一羽が素早く嘴でつつく。ほろほろ砕ける。私を見上げ、「昨日の肉は今日の豆」と雀は歌った。古い小学校唱歌のメロディだ。ほかの雀たちも、揃って私に目を向け斉唱した。「明日の豆は今日の肉」
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単行本p.86


 身体が末端から豆になってゆく奇病が蔓延した世界。老夫婦の生活を通じて描かれる静かな終末風景。


円城塔「店開き」
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 文章だってね、だらけることはあるんですよ。というかね。誰にも見られていないときくらい、四角四面に並ばずに、だらだらしていてもいいじゃないですか。誰も見てないんだから。それにね。ぼんやりしているように見えても、いろいろやってるわけですよ。わたしたちも。誤字とりとかね。
(中略)
 んん。ちょっと待っててくださいよ。やっぱり身づくろいくらいはね。ゴシック体を明朝体に変更したりね。一行文字数を整えたりさ。一応、人前に出るわけだから。はい、どうですか。どうですかっていうのはあれですよ。わたしたちみたいな文章には、自分を見る能力はないわけでね。自分がどんな色や形をしているのかは、本来あずかり知らぬことなんですよ。
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単行本p.136、137


 うっかり開店前の「文章」を読んでしまったら、まだ準備中だった。文章が人前に出る(読まれる)前にどんな仕込みをしているか、その秘密を教えてくれる短文。


小山田浩子「カメ」
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 私が死んだらちゃんとこの子ら相続してよと時々伯母は姉妹に言う。姉妹はハァイ、と声を合わせる。下手したらこの子らあんたたちより長生きすんだからね。万年とは言わないけど、百年はざらよ。まるで百年生きたカメを知っているかのように言う。拾ったカメはそもそも何歳だかわからないのだから既に百歳超えているのかもしれない。外来種だからどっかに放したりしちゃいけないよ。ちゃんと飼うのよ、死ぬまで。ミシシッピアカミミガメはそりゃあ外来種かもしれないが、伯母が死んでこの子らが大きくなってそのころでもまだ外来種なんだろうか。
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単行本p.148


 庭で飼っているカメが一匹逃げ出して行方不明に。みんなわあわあ大騒ぎ。カメをめぐる活き活きとした親族のやりとりが印象的な短文。


高山羽根子「日々と旅」
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 芯の中に空気の圧力をかけてあるボールペンというものがあって、そのペンは寝転がっても水の中でも書くことができるらしい。このペンがあればお風呂やお布団の中ででも書き物ができるんじゃないか、と考えたらそのボールペンがとても欲しくなった。
 ネットで調べはじめたら、そのボールペンの値段やデザインよりも工場の様子のほうが気になった。ボールペンの工場では機械によってずーっと紙に線が引かれていて、かすれやどのくらい長く書けるかのチェックをし続けているらしい。見ていると、文字を書く機械があったほうがいいように思えてくる。ペンは線を引くためだけの道具じゃないような気がするし、使う人はこんな機械のようにしっかりとペンを持たない。ためらったり急いだり、考えごとをしながらひらがなや漢字、英語を混ぜながら細かい字を書いて、ときには線を引くのがボールペンだ。
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単行本p.173


 日本東京での何ということのない身辺雑記と、韓国ソウルでの旅行記が、交互に語られる。日常と非日常を同時並行で体験しているような奇妙な印象を与える短文。


西崎憲「オリアリー夫人」
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 その子は英和辞典を引いているさなかに発見したことについて話した。
「オレアンっていう地名を調べていたら、その近くにあるオリアリー夫人っていうのが目に入って」
 痩せているが貧相ではないその子は言った。
「オリアリー夫人、1871年のシカゴの大火の原因になった牡牛の持主、っていうふうに書いてあったんです」
 みなの興味が搔き立てられたことが分かった。
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単行本p.217


 パーティ会場でなにげなく持ち出されたオリアリー夫人の話題。みんながそれぞれにオリアリー夫人にまつわる逸話を即興で創作し語り始める。



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