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『会いに行って――静流藤娘紀行(第五回:最終回)』(笙野頼子)(『群像』2019年12月号掲載) [読書(小説・詩)]

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 避難勧告はこの佐倉市全域にもう出ています。ただ他県と違って特別大雨警報は出ていません。でも今ついに雨が縦にではなく、轟音の布のように、どぅわー、ざざざざざざと聴覚に被さってきました。
(中略)
 師匠! 師匠それではまだ実況を続けます。ていうかなんか、こうしていると私小説とは何か、の一面が現れてくるような気がしましたよ。
 今、シャッター型の雨戸をむろんしめきっています。風の吹いてくる方向の部屋で執筆しています。普段なら音もしないはずのそこが外れるかのように、ぐらっぐらっ、と揺れたり、外から叩いているようにシャッターごと動きます。
(中略)
 ちなみに、この風に対する恐怖はむろん自然現象への恐れとも言えます、けれども、……しかし、それよりも怖い何かがこの台風の背後には控えているのです。
 師匠、私達日本人にはもう国がありません。
(中略)
 雨も風も使わずとも国民は殺せます。
 師匠、取り敢えず私は書けるところまで書く、何も出来ないとしても眼の前のものを書こうと思います。ただそれだけです。つまりこうなったらもう、頭に浮かぶままに師匠説を書きますよ。最終回だしね。
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『群像』2019年12月号p.273、275、276


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第129回。


「どこまでひどいのだ、この一連の展開は、どこまで、どこまで、」
(『群像』2019年12月号p.272)
 群像新人賞に選んでくれた恩人であり、また師と仰ぐ「私小説」の書き手、藤枝静男。渾身の師匠説連載、ついに最終回です。


 まずは台風19号の話題から。
「土砂災害および河川氾濫警戒のため千葉県佐倉市に避難指示」というニュースが流れ、多くの読者が安否を心配していたそのとき。


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 師匠、……。
 今、二階の床が一階から離れて一瞬浮き上がりました。そうなって、ぺらりとまた、一階の上におりたという体感です。これさっきより軽いけどなんかニュアンスが違う。むろん、一瞬心臓が止まります。このまま床が落ちるのか窓が倒れて風が吹き込むのかと貧血しそうです(再びよこになってしまいました、これは片手をのばして打っています)。
 あ、しかしなんかまた今ちょっと風おさまってきました(上体起こしました)。
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『群像』2019年12月号p.270


 実況……。

 『猫々妄者と怪』における八百木千本の実況を思い出したりしましたが、現実の状況やばいです。雨風もそうですが、気圧による体調不良がおそろしい。未曾有の大型台風直撃のさなか大きな発作が起きたりしたら……。この原稿が無事に『群像』に掲載されているという事実をもってしても、心配が止まりません。


 そしてむろん、台風の脅威はそのまま日本の危機的状況と重なってゆきます。


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 そもそも国民全体が未来も含めて今とんでもない不運に災難に見舞われていますからね。
 どこまでひどいのだ、この一連の展開は、どこまで、どこまで、と家が壊れて死ぬ可能性があるように私は思ったのです。
(中略)
 というわけで目の見えにくいひとり住まいの、難病の老婆(なのか?)を襲う災害、ひとつ過ぎたら前より怖い災害(しかもその上に被っているFTA)。
 そうそうその他に先月の台風で屋根が抜けた方のブログを拝見していました。そのせいで、一晩で廊下と屋根が一緒に剥がれて飛ぶのではないかと思ってしまって、これでは家ではなく嵐の船ではないかという恐怖がありました。しかもこの化け物風は今からまた、さらに、「発展」して行くはずです。
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『群像』2019年12月号p.271、272


 台風の話なのか、政権の話なのか、メガ自由貿易条約の話なのか。
 だんだんわからなくなってゆくのがポイント。

「師匠、私達日本人にはもう国がありません。」

「どんなに走ってもいつか、TPPだのなんだのが頭から私を飲みこんでしまうのだ。」

 すでに売国済物件なので。


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 師匠、……。
 政府は日米FTAを批准しようとしています。最初はそんなのしないと称して別の名前で呼んでいた貿易条約です。大新聞はまともには報道していません。そして英文資料さえ時に権力は平然と「誤訳」をするのです。
 しかもこの台風のどさくさに紛れて、スピン報道まで使っているし、災害があったら上げないと言っていた消費税も平然と上げました。さらに今、こんな嵐の夜に医療費の削減、議員歳費の値上げを国民に告げ、そして(ネットもみていたので早いめに判った)、挙げ句に、FTAです。これは台風の後も、災害千回分の脅威をもって未来を脅かします。
(中略)
 しかしこういう事によって今から何か言うのはおそらく、赤旗くらい。ええ馬鹿でいいですもう。ナイーブでもルサンチマンでも愚鈍でも何でも「言ってもらっていいですか、どうぞ、けーっ」、だ。だって小説はモチーフが大切なのである。師匠には昔何か「憎悪」持ってると中野孝次先生との対談で言って貰いました。私は「憎悪」です。
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『群像』2019年12月号p.266、267


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 だったらもう報道だ。それは自分の内面を薄めてでもやらなくてはならない、というわけで報道モードになっている私、でもそれ師匠が「イペリット眼」や「犬の血」を書いた時と同じ状態でしょう?
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『群像』2019年12月号p.267


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 このネオリベ世界の今現在、電通やプロパガンダに打ち勝とうとすれば、やはりどうしたって、文学だ。そしてサンショウウオもいいだろうが文学といったってむしろ、こっちの方だ。
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『群像』2019年12月号p.260


 こうして師匠を読み解くことが今の切実な闘いになってゆく流れに、思わず息を飲みます。


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 拷問、戦争、父、姉妹、兄弟、妻の死を越え、茶碗と金魚が性交するサイケデリック弥勒の億万浄土を掌に産出した浜松の眼科医。そんな彼はけろりとしてきついことを言う時、世間に向かって反戦の声を上げる時、とてもシンプルなのに独特な「屈折した」言葉を選ぶ。
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『群像』2019年12月号p.265


 様々な声を駆使し、その響きを重ね合わせることで、文章に多層的イメージを込めてきたこの連載もいよいよ大詰め。藤枝静男の読み解きをどうかご確認ください。そして、文学によって突き抜けてゆく、その先を。


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 師匠の夢を私は今でも見る。やはり曽宮一念さんの描いた真っ白の船の中にいたり、小川さんのあげた宿場徳利の中に五十六億七千万年もこっそりと隠れていたり(その夢を見てやっと私は彼の主人公が、海上がりの徳利を買わなかったわけが、判ったのだ)その他にも、……、「いや、僕は」と言って窯跡に立っていたり、たった一度しか会っていないのに。それでも、猫嫌いの師匠が私に猫達を実はくれたのだと最近ではしきりに思うのである。つまり何の利害もない弱いもののために、号泣する事を彼は教えてくれたから。
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『群像』2019年12月号p.287



タグ:笙野頼子
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