SSブログ

『モーアシビ 第36号』(白鳥信也:編集、小川三郎・他) [読書(小説・詩)]

 詩、エッセイ、翻訳小説などを掲載する文芸同人誌、『モーアシビ』第36号をご紹介いたします。


[モーアシビ 第36号 目次]
----------------------------------------------------------


 『伽藍』(北爪満喜)
 『波紋/雨の日/あぜ道』(小川三郎)
 『燃える道の夢』(島野律子)
 『午睡のヴァイオリン』(森岡美喜)
 『流木』(浅井拓也)
 『東名運河』(白鳥信也)
 『マスク』(森ミキエ)

散文

 『午前三時の砂澤ビッキ』(サトミセキ)
 『カムイエクウチカウシ山』(平井金司)
 『風船乗りの汗汗歌日記 その35』(大橋弘)
 『天ぷらはソースで』(清水耕次)

翻訳

『幻想への挑戦 10』(ヴラジーミル・テンドリャコーフ/内山昭一:翻訳)

----------------------------------------------------------

 お問い合わせは、編集発行人である白鳥信也さんまで。

白鳥信也
black.bird@nifty.com


――――
池に浮かんだ蓮の下を
鯉がくぐって
夜が明けるのを待っている。

時間はゆっくり
朝の方へと
動いている。

私はできれば灰になりたい。
――――
『波紋』(小川三郎)より


――――
つまずきました スミマセン
肩がふれました スミマセン
涙を流しながら笑っています
詐欺に注意
おまわりさん、結婚は最大の詐欺でした
――――
『マスク』(森ミキエ)より


――――
 ところが部下は帝王並みの悠然たる仕事ぶり。全然進んでいる様子がない。上司も会合の司会で二人といない帝王ぶりをお示しになっており、当人はいいがこっちは肩身が狭い。理事のみなさんが承認の拍手をしていないのに、さながらしているように受け止めてふるまう、というのはやはり帝王ならではのわざだよな。それはともかく、部下の帝王ぶりに唯々諾々と付き合ってほぼ最終退出。電車接続の便が悪い。

家にあるすべての鍵を試そうとするからきみは理解するんだ

――――
『風船乗りの汗汗歌日記 その35』(大橋弘)より


――――
 男性が天ぷらを天つゆに浸しながらこう話した。「昔から天ぷらはソースで食べているが、ソースで食べるのが一番美味い。」女性はびっくりした様子で、「ソースで食べるなんて信じられない、美味しくなさそう。」とまあ簡単に言えばこのような趣旨で語り合っていた。会話のやり取りからして、これから結婚しようという間柄と推察したが、天ぷら問題は、今後結婚生活を営む上で根幹にかかわる異文化の受容に関わることであり、自然と白熱した議論になっていた、と勝手に思った。聞いていてあまりにも面白く、私の酒のピッチが上がりすっかり良い気分になっていた。こんな私の様子を見ていたのか、男性が私に「醤油ですかソースですか?」といきなり質問してきた。まるで私が話を盗み聞きしていたことを前提にした問い掛けであった。私も話を聞いていたことを白状するかのように「ソースです。」と即答した。男性はこの賛同者に満面の笑みを浮かべた。私はこのカップルの危機を救ったのであった。
――――
『天ぷらはソースで』(清水耕次)より



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『モーアシビ 別冊 川上亜紀さん追悼特別編集』(白鳥信也:編集) [読書(小説・詩)]

――――
 はっきりと自分の死を意識して、それでも感情的になることもなく淡々と率直に書かれたメールでした。(中略)亜紀さんはこのメールのちょうど一月後に亡くなられました。楽しみにしていた『モーアシビ』三四号を手に取って読んでいただけたことだけが救いでした。
 今また、『モーアシビ別冊』で、亜紀さんがいくつかの詩誌に書かれていたものや川上さんの作品論、批評を集めることができました。忘れてほしくない詩人であり小説家の川上亜紀さんを知る手がかりとして、一助になるものと考えております。
――――
「あとがき」(白鳥信也)より


 川上亜紀作品集『チャイナ・カシミア』上梓にあわせて出された、文芸同人誌『モーアシビ』の別冊、川上亜紀さん追悼号です。出版は2019年1月です。

 七月堂から出た川上亜紀作品集『チャイナ・カシミア』の紹介はこちら。

  2019年02月06日の日記
  『チャイナ・カシミア』
  https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2019-02-06

 ちなみに昨年出た『モーアシビ 第35号 川上亜紀さん追悼特集』の紹介はこちら。

  2018年07月11日の日記
  『モーアシビ 第35号』
  https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-07-11


[モーアシビ 別冊 川上亜紀さん追悼特別編集 目次]
----------------------------------------------------------
川上亜紀未刊詩稿

 『詩集「夏の朝」より』
 『学校の中へ歌をおくる』
 『ランドスケープ』
 『黄色い印象』
 『ほんとの話は風雨に晒され… ―三月兎の反歌として』

川上亜紀未刊短編

 『冬の日の幻想』
 『アンダンテ またはQの失踪をめぐって』
 『水の中の街』

川上亜紀未刊エッセイ

 『「遠足」について』
 『「自分だけの部屋」を探して』
 『小説と「病気」』
 『堤防のひび割れ』
 『灰色猫的日乗』
 『蜜柑の缶詰の記憶』

川上亜紀作品をめぐって

 『やさしさ、あたたかさ、そしてほわほわ 
  〈今日の夕食 中庭ノ空とブリングルさんへ 川上亜紀〉』
  (森岡美喜)
 『空からの愛のシッポ 
  『酸素スル、春』』(水嶋きょうこ)
 『病気と小説 
  『グリーン・カルテ』』(阿部公彦)
 『頭の中で伸びるもの 
  『三月兎の耳をつけてほんとの話を書くわたし』』
  (北爪満喜)
 『散文って窮屈じゃないですか? 
  『三月兎の耳をつけてほんとの話を書くわたし』』
  (阿部公彦)
 『八重桜の枝とバス』
  (島野律子)
 『居場所と飛躍 
  『あなたとわたしと無数の人々』』
  (辻和人)
 『やわらかく踏み越えていく』
  (川口晴美)
 『『あなたとわたしと無数の人々』について』
  (峯澤典子)
 『ユーモアについて 
  『あなたとわたしと無数の人々』』(北爪満喜)
----------------------------------------------------------

 お問い合わせは、編集発行人である白鳥信也さんまで。

白鳥信也
black.bird@nifty.com



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『チャイナ・カシミア』(川上亜紀) [読書(小説・詩)]

――――
 彼女の文章がまた『群像』に載ることを、私は長年のぞんでいた。引用でもいいから載せようと思ったのだ。それで新年号に引用した。
 しかし雲の上に? それだって最初、外国留学にでもと思ったほどだった。
 だって、「北ホテル」の、桃の味の飴はまだ雲の上にある。仙人の不老不死の果汁の飴、詩と小説を交錯させる空に。
――――
単行本p.165


 昨年亡くなった川上亜紀さんの作品集です。単行本(七月堂)出版は2019年1月。短編小説四篇に加えて、笙野頼子さんによる解説が収録されています。なお、この解説については昨日の日記で紹介しています。

  2019年02月05日の日記
  『知らなかった (川上亜紀『チャイナ・カシミア』解説)』(笙野頼子)
  https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2019-02-05



[収録作品]

『チャイナ・カシミア』
『北ホテル』
『靴下編み師とメリヤスの旅』
『灰色猫のよけいなお喋り 二〇十七年夏』


『チャイナ・カシミア』
――――
 私はまたオカアサン、と叫んでしまい、メヘヘヘンという鳴き声が響いた。灰色猫はサッカーボールを電話台の下に追いこんでから、椅子の上で丸くなった。背中の毛並みが鰺のゼイゴのように段々に割れている。たちまち夜になったことに私は気がついて、窓のカーテンを引きはじめた。重みのあるカーテンで幕を閉じてしまえばこの日が終わって、またこういうことは続いていくのだろうが、続いていく限りは生きていられるので、それもまた悪くはないことだ。
――――
単行本p.30


 温かいカシミアのセーター。だがその原毛をうむカシミアは劣悪な環境で生かされている。山羊になってメヘヘヘヘンと鳴いてしまった語り手は、家族のもとで、灰色猫とともに、搾取され囲い込まれ毛をかられる生活を続ける。生きていられるのだから仕方がない。だが夢の中では、山羊も灰色猫も、したたかに増殖してゆくのだった。

 冷酷な世界経済システムに取り込まれている生活実態を、冷徹な視線とほわほわした幻想を通じて見つめる短編。


『北ホテル』
――――
 誰かが廊下を曲がってやってくる気配に友子は思わず顔をあげたのだが、薄暗い廊下を急ぎ足で《佐々木》がこちらに向かって近づいてきたので、なぜこの場所ではこんなふうに予想したとおりのことが起きるのかわからないが、こうした事態を解決するためにはどちらかがいなくなるべきだという考えは間違っていると思った。
「こうした事態を解決するためには、このホテルの運河とは反対側の非常階段の表示がある扉の前の古い椅子に座って、モスコーミュールで乾杯するのがいちばんいいのよ」
 友子は黙ってグラスを受け取り、目の前で軽く持ち上げてみた。
 櫛型のレモンと同じ形の月が夜空に上がっていき、扉の向こうには昨夜の花火がもういちど金色の細かい雨のようにスローモーションで拡がっていき、その映像が繰り返し交錯したあとで、一瞬の海の情景が現れた。潮の匂いがする風が吹いていた。北ホテルは一艘の客船となって航海に出ていくところだった。
――――
単行本p.75


 小樽に旅行にいった佐々木友子の人生は、旅先のホテルで佐々木と友子に別れてしまう。ダッフルコートが叫びながら空を飛び、詩の断片が生まれては消えてゆく。詩と小説の境界を軽々と飛び越え雲の上に向かう作品。


『靴下編み師とメリヤスの旅』
――――
「ええ、そうかもしれません。もしよかったら、水色の毛糸で靴下を編んであげましょうか? わたしにとっていまは靴下を編む時期みたいなんです。よい靴下編み師になれるとは限らないですけどね」
 私は適度に冗談めかして半ばはまじめにそう言ってみた。
(中略)
 こんなふうに小さなパン屋の片隅で、黙々とした編み物の世界からとつぜん顔をあげるとまもなく、私は見知らぬ年上の女性の靴下を編むことになったのだった。
――――
単行本p.106、109


 難病を抱え、母と二人きりで暮らしている語り手。楽ではない、希望の薄い生活。パン屋の片隅で出会った年上の女性との会話の流れで、ふと、靴下を編んであげましょうか、と申し出てしまう。始めて他人のために、というか「仕事として」編んだ靴下。それは、語り手が予想もしなかった運命をたどることに。自分の生活と遠い異国とがかすかにつながったような気配。

 小さな日常と大きな世界、その狭間に浮かび上がってくるささやかな希望と諦念を、静かな筆致で、丁寧に、丁寧にえがいた作品。


『灰色猫のよけいなお喋り 二〇十七年夏』
――――
 こんどの自分の治療が終わったらやりたいことっていうのを飼い主はノートにわざわざ書き出していたからこのあいだちょっと覗いてみたら「ピンクのシャツを着たい」とか「阿佐ヶ谷カフェめぐり」とかそんなどうでもいいことばっかり。ボクは偉大な詩人や作家の猫として後世に語り継がれることはまるでなさそうだから、今のうちに自分で語っておくことにしたの。人生は一〇〇年、猫生は二〇年の時代。飼い主は「阿佐ヶ谷の黒猫茶房のマスターが飼っていた黒猫さんは二〇歳までとても元気だったそうだよ」なんてボクに言うけど、飼い主にももう少し頑張ってもらわなくちゃ。だってボクのカリカリと缶詰めを買いに行くのは飼い主の仕事なんだから。ほらガンバレ飼い主、ゴハンは寝て待つ! ピンクのシャツでも何でも好きにすればいいのよまだ若いんだしね。
――――
単行本p.145


 ほらガンバレ飼い主、ゴハンは寝て待つ!
 作者の飼い猫が大いに語る、来歴、日々の生活、そして命。

 おそらく川上亜紀さんの最後の作品。死を前にして、最後まで「奇妙な事に(良い感じで、淡々と)どこか他人事のよう」(解説より)に語って去っていった川上亜紀さんのことを思うと、今も涙が止まらないのです。



タグ:川上亜紀
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『知らなかった(川上亜紀『チャイナ・カシミア』解説)』(笙野頼子) [読書(随筆)]

――――
 川上亜紀、ひとつの世界をずっと生きて変わらない、その編み目に狂いはなく欺瞞はなく、そこにはいきなり生の、真実の「小さい」感触が入ってくる。それはさまざまな世界に読み手を導く。
 ポメラを使い、猫に語らせ、飛行機の中でメモをとっていた。
 雲の上に、という言葉を本当に言葉の雲の上にいるように書くことができた。その言葉は今も同じように読める。生きてからも死んでからも作品は変わらない。ただ、もっといて欲しかった。
――――
単行本p.165


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第124回。


 「ただ、もっといて欲しかった」。川上亜紀作品集『チャイナ・カシミア』単行本に収録された笙野頼子さんによる解説。単行本(七月堂)出版は2019年1月です。


 自分との共鳴から川上亜紀さんについて語ってゆきます。その切実さ、真摯さ、そして「直球でそのままに文学を生きるしかない」身体。


――――
 『群像』新年号の拙作(短編小説)、「返信を、待っていた」に川上亜紀さんの詩集『あなたとわたしと無数の人々』を引用させて貰った。自分の文章とは一行開け、きちんと離して引いた。それでも書いていて彼女がまだ生きているような感じがした。というのも、詩集を読んでいてここを引用しようと写していたとき、ふいに、私は彼女に似てしまったからだ。一行離しても距離のない体温、イメージの切実さがそこに生きていた。
――――
単行本p.149


 ちなみに『返信を、待っていた』(笙野頼子)の紹介はこちら。

  2018年12月10日の日記
  『返信を、待っていた』
  https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-12-10


――――
 彼女の手紙を読んでから作品を読んだ。どっちにしろどこかしら私に似ていた。だって、多くの「文学的な人々」は傑出するほど、文学的に見えることを忌避しようとする。ところが私たちと来たら、なぜか……直球でそのままに文学を生きるしかない身体を持っていた(当時私はまだその理由に気付いてなかった)。
――――
単行本p.153


 作品解説をはさんで、川上亜紀さんの評価と追悼があふれ、静かな悲しみに満ちてゆくのです。


――――
だが、そこに現実が、目の前が、同時代が入るものを彼女なら書けた。なおかつ、現実との交錯が淡々として、或いは静謐の中に、生命が満ちるものを、なおかつ社会への批評のある、夢的毛糸編みを。
――――
単行本p.162



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『ハリー』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

――――
「教えて。どうしたらいいの、わたしがいなくなるためには、クリス……」
――――
『ソラリス』(スタニスワフ・レム、沼野充義:翻訳)より


 2019年2月2日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って勅使川原三郎さん振付によるダンス公演を鑑賞しました。佐東利穂子さんがソロで踊る60分の作品です。


 原作はもちろんスタニスワフ・レムの『ソラリス』およびタルコフスキー監督による映画版です。語り手であるクリス・ケルヴィンの心理トラウマ(妻ハリーが自殺した)を元にソラリスの海によって構成された存在、ハリーを、佐東利穂子さんが踊ります。

 ハリーは人間ではないし、死ぬことも出来ない(死のうとしてもソラリスの海によって自動再構成されてしまう)。そもそもクリスの記憶を元に構成された存在なので、ハリーのコピーですらない。そういったことを本人が知ってしまったことから始まる苦悩を、思わず身震いが出るほどの迫力で踊ります。


――――
 彼女はすっかり白くなった手を握り締め、胸に押し当てた。「何も知らない、ハリー以外のことは、何にも! ひょっとしたら、わたしがそんな振りをしているだけだと思っているの? 振りなんかじゃない、聖なるものにかけて、これは振りなんかじゃないの」
 最後のほうの言葉はうめき声になっていた。彼女は床に崩れ落ち、むせび泣いた。
――――
『ソラリス』(スタニスワフ・レム、沼野充義:翻訳)より


 巧みな照明と超絶的な動きにより、無重力空間で浮いているように感じられたり、身体が不可解な変形をしたり、瞬間移動したり、苦悩する人間として共感できるかと思えば次の瞬間には理解できない人外存在に見えたり。ハリーという存在をダンスで見事に表現してゆきます。

 というより、実際には存在しない、身体表現に過ぎないハリーが、目の前にいて、どんな人間よりも強烈な存在感を放っている、という状況こそがまさにハリーとしか言い様がなく。勅使川原三郎さんはソラリスの海。

 『ペトルーシュカ』では勅使川原三郎さんが踊る「心が宿ってしまった人形の苦悩」に衝撃を受けましたが、佐東利穂子さんによるハリーも恐ろしい。泣けるのに恐ろしい。身体が心から離れて勝手に動き出す様など、観ているだけで鳥肌が立つようです。


 この公演のもとになった勅使川原三郎さん演出によるオペラ『ソラリス』も観てみたいと思いました。次のKARAS APPARATUS公演は『白痴』、その次は『ストーカー』と、立て続けに東欧・ロシアの文学(および映画)作品が続きます。



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇